第二話 時空を超えた出会い

 迫りくる馬を、寸前で道端に転がってなんとか避けられた。

「あ、痛たた……」

 ふう。ぎりぎり。

 上体を起こした目に映ったのは、いちど通り過ぎてから、パッカパッカと、こちらに馬を返してくる少年。

 彼もおれと同じく着物姿で、赤い鞘の刀を差している。

 またしても戦国時代の夢なのだろうか。本能寺の変といい、一体なんなんだよ。


あいまぬの。大事だいじないか? しかし、ヌシが飛び出してくるのも悪いのじゃ」

 少年が騎乗のまま声を掛けてくる。よく通る甲高い声だ。

 状況がつかめず混乱しているせいか頭が痛む。少年に答えた。


「少し頭が痛むんだ」

「なんと、頭が痛む! 由々ゆゆしき事態かもしれぬ。しばし、待っておるのじゃ」

 少年は身軽なこなしで馬から下りて、手綱たづなを道端の木に括り付けて馬を固定する。そして、飛ぶように道の脇を流れる小川に駆け下りていった。


 そうか。水を汲みに行ってくれてるんだな。

 馬に蹴られて頭が痛むのではない。身の回りで起こる出来事が理解できずに頭が混乱しているんだ。ともあれ水はありがたい。

 少年の気遣いに感謝する。


 ほどなく少年は小走りで戻ってくると、不安げな眼差しで湿らせた手拭いと瓢箪ひょうたんを差し出してきた。

「手拭いで頭を冷やすとよい。気が進めばこれを飲むのじゃ。単なる水だが」


 だんだんと落ち着いてきて、脳が働いてきた。

 やはり周囲をいくら見回そうと、現代文明の欠片かけらすら見当たらない。少年の姿と話し方、遠くに見える板葺きの家屋、区画が整理されていない田んぼ。

 間違いない。ここは断じて現代日本ではない。鎌倉時代から戦国時代までの中世といったところだろう。


 またしてもリアルな夢なのだろうか? いわゆるタイムスリップや異世界転移の類だろうか? 

 ともあれ、現状を把握しなくては何にもできない。 

 心配そうにおれを覗き込む少年。小学校高学年ぐらいだろうか。整っている顔立ちだ。美少年といっていいだろう。

 この少年だけが頼りだ。現状を教えてくれ。頼む!


「ありがとう。少し記憶が曖昧なんだけど……ここはどこだい?」

 差し出された手拭いで顔を拭きながら、意を決して訊ねる。

「だいぶ落ち着いたようだな。ここは尾張国おわりのくに那古野なごや(愛知県名古屋市)なのじゃ。分かるか?」

 日本語が通じるのは助かるし、場所が変わっていないも良かった。現代日本の記憶は、名古屋市の大学にほど近い後輩の奈津の住むマンションで途切れている。


「それから……今年は何年だい? できれば日付も」

 余りにも不自然な質問だが、背に腹は変えられない。

「うむ。天文てんぶん一四年六月二〇日のはずなのじゃ」

 天文と言ったな。天文一四年といえば、西暦一五四五年。日本史は大の得意だし、中世史専攻なので分かる。

 五〇〇年近くおれは時空を超えたということなのか?


 まったく訳が分からない。けれど、この少年からもっと情報を聞き出さないとまずい。動揺を気取られないように落ち着いて……。

「ありがとう。助かったよ」

 おれの無事にほっとしたのか、安心顔ではにかむ少年。いかにも高級そうな着物の仕立てからすると、裕福な武士の子だろう。

 帯代わりに着物を腰縄で締めている。ショートパンツのような半袴はんばかまといい、随分ラフな格好だな。

 

 少年の格好よりも、一五四五年といえば戦国時代真っ只中じゃないか。まずいな。下手をすると生命の危険すらあるぞ。

 戦国時代の武士は、通常は小者こものといわれる従者じゅうしゃを連れている。おれは、一人でふらついていて、不審者扱いされても不思議ではない。いや、客観的にいって不審な武士そのものだ。

 そう思い至ると、ぶるっと恐怖が襲った。まずいな、危険極まりない状況だ。いつ斬られてもおかしくはない。

 不審者という現状から、早急に脱しなければ大変なことになる。うまい手を打たなければ、文字通り命取りになってしまうぞ。


 幸いコミュニケーション能力は、アルバイトの塾講師も無難にこなせたし、まずまず自信がある。戦国時代と言葉が多少異なるはずだが、四の五の言ってられるか。

 まずは、この少年と仲良くなって、少年の親の伝手つてを利用するべきだ。


『きみは一体?』と問いかけようとしたところ、記憶に引っかかるものがあった。甲高い声で話す少年……縄の帯……瓢箪……赤い刀……那古野……。

 まさか! 織田信長か?

 信長には、少年時代にうつけとも呼ばれるラフな格好で領内を駆け回った、というエピソードが残っている。信長は天文三(一五三四)年生まれだ。天文一四年現在の年齢は数え年で十二歳。少年の容貌と辻褄がピッタリ合う。

 びくっと電撃のような緊張が走る。唾をゴクリと飲み込んでたずねた。


「あ、あなた様は、ひょっとすると、織田弾正忠だんじょうのじょう家の?」

「左様。尾張のうつけ、と呼ばれている織田きつじゃ」

 やっぱりだ。幼名ようみょうは織田吉法師きっぽうし。戦国の風雲児、織田信長だ。

 この少年が信長なのか。感慨深い。

 本能寺を詣でたせいなのか、タイムスリップなのか、リアルな夢なのか定かではないけれど、おれは一五四五年の少年信長と話している!


 いや、待て。

 最も興味のある戦国武将で、論文のテーマにした織田信長と話しているからといって、舞い上がっていたら命取りだ。冷静に冷静に考えるんだ。

 現時点でおれは不審者な武士なことは変わりはないし、頼る伝手なんかあるわけがない。現時点でこの那古野を領有しているのは、信長の父親の織田信秀のぶひでだ。


 信長と――父親の信秀と、良い関係を結ばなければ、遅かれ早かれおれの運命は尽きてしまうだろう。

 だが、幸いなことに信長は身分に囚われずに、見込んだ人材を重用している。ならば現代に戻れるまで、少年信長に気に入られてついていく以外に道はないぞ。


 よし。

 ふうっ、と大きく息を吐いて応対する。

「吉様はうつけと見せかけねばならぬ理由があるから、うつけのふりをするのでしょう?」

 少し言葉遣いは怪しいかもしれないが伝わってくれ!

 信長は少年時代に、周囲の大人には進歩的な考え方が理解されずに、うつけと呼ばれていた。

 天才は周囲には理解されにくい。

 こう言えば、おれの考える信長ならば分かってくれるはず。分かってくれ!


「何ッ!?」

 少年信長は鋭い目で睨んできた。満十一歳のガキとはいえ、後の天下人の織田信長。目力や迫力は尋常ではない。思わず気圧されてしまうが、ひるんでいてはまずい。

 訂正。ガキというより美少年だな。

 目が大きく、まつ毛も長くスッキリとした二重の綺麗な顔立ち。さすが、戦国時代一の美女と名高い妹お市の方と同じ血筋だ。


「ヌシはワシのことを……理解できるのか?」

 少年信長は怪訝そうな表情。

 もちろんノーの返事はないが、生命の危険から逃れる正念場だ。

「はっ!」

 自信満々で答える。

「では聞くが、尾張の戦をなくすにはどうすれば良いのじゃ?」

 よし。食いついてきたな。おれの知っている織田信長ならば、正解は分かっているぞ。

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