ムラサキエンシュウリツ その4

 影となって日当たりの悪い校舎裏。ここにわざわざ訪れる用事といえば、たまの大掃除で草むしりに来るか、風に飛ばされた紙を探しに来るかくらいだろう。だが今日は同じクラスの運動部らしきグループがたむろし、一人の男子生徒を囲んでいた。


「へへ、オタク君さあ……ちょっと円周率覚えてくんね?」

「や、やめてよ……いやだよぉ……」

「大丈夫だって! ほら、8桁だけだって、8桁!」


 がたいの良い四人の男子生徒達が『数字いろいろ』と題された本を片手にヒョロガリの地味な男子にせまっている。ヒョロガリの方はその手に食べ掛けのパンを持っており、昼食中の隙をつかれて円周率ヤクザに絡まれたのだろうという事は容易に想像できた。



 昼休みの教室が憩いの場で無くなってはや数日、クラスメート達はできる限り散らばって昼食をとるようになっていった。教室にいれば円周率テロに遭うかもしれない。友人と過ごせば何かかもしれない。本来なら友人関係に恵まれていたはずの生徒があえてトイレの個室でぼっち飯にいそしむという、珍しい逆転現象もちらほら見えるらしい。


 俺達三人は怪談の攻撃自体には関係が無いのだが、それでも昼食時には離れて過ごす事が多くなっていた。どうもこのご時勢にソーシャルディスタンスを無視して三人で固まっているというのが相当悪目立ちするようで、一日に数回程度はテロの標的に遭ってしまうのだ。これからの学校生活を考えるとクラスメートとの諍いを後に引きずりたくもなく、郷に入っては郷に従うように自然と昼時間は一人で行動するようになっていったのである。


「だってさ考えてみ、8桁だけだぜ? 今5桁だとしたら、あとたったの3桁!」

「で、でもさあ……」

「安心しろよ、どうせもっと覚えてるやついるって!」

「ちょっとだけなら逆に健康に良いから! かっこよくなれるよ!」


 しつこく迫る押しの強い運動部達に、気弱そうなヒョロガリはたじたじである。自分はパンを食べたかっただけなのに何故こんな目に……とでも言いたげな、泣きそうな顔をしている。


 ちなみにヒョロガリだけでなく、運動部達もその手にはそれぞれパンを持っている。彼ら運動部グループはパンをパクパク食べながらヒョロガリを脅してるし、ヒョロガリも場を誤魔化すためか許されるラインだと思っているのかちょびちょびパンをちぎって食べている。なんなら後方でその光景を見守っている俺も黙々とパンを食べていた。


 あれ以来、昼食時にこのような現場に遭遇するのは珍しい事では無くなっていた。人間が一番油断する瞬間は食事の時であるという事にクラスメート達が気付いていったのだろう。

 少しでも油断しているカモがいれば円周率を差し込む毎日。同時に一歩間違えば自分がやられる側になるだろうという緊張感。あの運動部連中も、本来は他人に円周率の強要なんてするタイプでは無かったのかもしれない。恐怖に駆られた臆病さは容易く攻撃性へと転換される。


 結局、誰も愉快犯としてこのような行いをしている訳ではない。皆ただ明日の平穏を守りたいがために動いているだけなのだ。徒党を組んでオタクを狩ろうとする彼らもまた、別の何かに追われて必死にここまで逃げ込んできた被害者なのだと考えると、少し物悲しい気持ちになった。あとパン食べ終わったしそろそろ校舎に戻る事にした。



 俺はやや長めに時間を潰しながら校内を歩き回り、ちょうど昼休みの終わるあたりで昇降口に辿り着いた。下駄箱を見るとまだ外で時間を潰している生徒が多くいるらしく、まだ見ぬ強敵達が円周率指数を高め合っている場面を想像させた。これからあと何週間かはこれが続くとなれば、ただ狩られる立場ではいられまいとする気持ちもわかるだろう。


 と、靴を履き替えて立ち上がろうとしたところに、突然校舎内から声の裏返った叫び声が響く。次いで、ガラスの割れる音と生徒の悲鳴。


「なんだ?」

 最初は事故かとも思った。だがその後も数秒間隔で先のようなガラスの割れる音が繰り返され、その度に新たな悲鳴が増えていく。


 何か事件が起こった事を直感した俺は、そのまま音の方へと走り出した。目の前の角を曲がって先の廊下を見ると、まず目に入ったのは10人弱の人だかり。その中心にはバットを持ってガラス窓を叩き割るクラスメートがいた。


「うおおおおお! 俺が尾崎豊だあああああ!」

「お前が!?」


 奇行に走っていたのは、クラスで一二を争う優等生だった。奇声をあげながら校舎のガラス窓を割り続けるその姿は、普段のはつらつとした物腰とは欠片も結びつかない。


「おいやめろ尾崎!」

「どうしたんだよ尾崎!」

「一体何故そのように荒ぶるのだ尾崎!」

「新曲出してくれ尾崎!」


 他のクラスメート達も困惑した様子で遠巻きに彼を囲んでいる。彼の普段の姿を知っている人間からすれば、この醜態は心に来るものがあっただろう。



「へへ、何故こんな事をってえ? 俺は頭がいいからなあ! こうして尾崎豊になる事によってスピーディーに退学となり、この呪われたクラスから外れようとしているのだあ!」

「う、うわあ」


 あまりに的確な作戦に思わずちょっと引いた声が出てしまう。クラストップレベルの秀才だとは思っていたが、確かにこいつは控えめに言って相当賢いようだ。俺が40発弾倉のリボルバーの時に考えていた事とちょっと発想が似ている所が特に賢くて嫌だった。


「もうやめろ尾崎!」

「それで本当にこの支配から卒業できるのか尾崎!」

「お前のこんな姿見たくないぜ尾崎!」

「頼むから新曲出してくれ尾崎!」


 友人思いなギャラリー達が尾崎を引き止めようと、口々に声を発する。昨今の奪い合いだらけの日常の中で一際輝かしい友情である。


「うるせえ、そんなに言うなら俺が新曲出してやるよ! 尾崎豊の新曲、円周率音頭!! うおおおお3.14159265359~~!!」


 そう言って雑なメロディで歌い始めた途端、周りのやつらは蜘蛛の子を散らすように慌てて逃げていった。割れた窓ガラスの中に取り残される時代を越えた新曲。周囲に理解されないままにそれでもワンマンライブを慣行する尾崎と、それを横で聞き流す俺。今日という日の奇跡が成立させた二人だけのライブイベントは、騒ぎに気付いた教師が駆けつけてくるその時まで続くのであった。




※ちなみに尾崎豊は本当は窓ガラスを割っていないので、ここにいたのは実は尾崎豊ではありません。








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