昨日やってたドラマ見た~?^^
翌日、俺は昨日見たホラードラマの事を惰性で考えていた。
「明日学校でこき下ろしてやろう!」と、寝る前に意気込んでいたあのドラマだが、一日経ったらそれすら面倒になり口に出すかどうかも悩んでいるところだ。だが一度決めた以上はその気持ちをあっさり手放すのもどうかと思い、他の話題を出すのもためらっている。
「今日は何か言いたげな顔をしているな。どうした」
話し掛けてきたのは怪談仲間(?)の
「昨日のドラマ見たか?」
「見てない」
「じゃあいいや」
見ていなかったら伝わらないだろう。相手が見ている前提ならあそこがああでこうでと気軽に話せるものだが。
「まああれだよ……タイトルがムラサキカガミだったんだけどさ。なんかムラサキカガミが出なかったんだよな」
「ふうん」
いいやと言ったが、一度口を開いてしまったら意識の流れが話すほうに向く。物のついでと思い直して話題の口火を切ってみる。
ムラサキカガミが出ていないと言い切ってしまったが、ドラマを見た人間であればその言い草には引っ掛かりを覚えるかもしれない。あのドラマはちゃんとムラサキカガミをテーマにした不条理ホラーであり、なんならご丁寧に紫色に塗られた鏡だって出てきていた。ネットに蔓延る賢しい論客だったら「別にこれはこれで良いだろ何が不満なんだ」と斜に構えた反論をしてくる事だろう。
表面的にはその手の意見も正しそうに見える。だが俺はゴリゴリにわかりやすい怪談話が見られるに違いないと、他ならぬあちら側から期待させられていたのである。
というのも、当該ドラマが「この後すぐ!」のCMで映し出してきたテロップは『怪奇!ムラサキカガミの恐怖!』である。明らかにB級怪談ホラーを匂わせる言葉選びであり、使用フォントも昭和を思わせる古臭いものだ。これでチープな恐怖演出が見られなかったら嘘だろう。
おそらく狙ってそのギャップでバズろうとしたタイプのドラマだったのだろうし、俺が行き場のない感情を結局学校にまで持ち込んでしまった時点でその試みは成功しているとも言える。だがその予告に惹かれて集まった視聴者ももちろんいるし、そのガッカリ感は確実に残るものなのだ。
「つーかお前、そんなに怪談ドラマが見たかったのか?」
ちょっと遅れて登校してきた
「昨日はな。番組欄のタイトルを見た時、まさにこれが見たい気分だと思ったんだ」
日常でやれリボルバーだとかやれダブル校長だとか耳慣れぬ怪談に触れ過ぎた影響か、「ムラサキカガミ」という馴染みのある文字列を見つけた時にはなんだか物凄くノスタルジックな気持ちにさせられたものだ。たまにはオーソドックスな怪談に触れてみるのも悪くないなと思い、ワクワクしながらチャンネルを合わせた。その結果が昨日のあれである。
「でも他には好評みたいだな」
塔哉がちらりと視線だけ横に向けて言う。
「ああ……まあそれはな」
教室内をざっと見渡す。スマホの画面を見せ合いながらわいわい盛り上がる生徒、身振り手振りで大げさに感情を伝える生徒。いつもの光景と言えばそうなのだが、珍しいのはその興味が大体一つの的に絞られていた事か。
「でさあ、ムラサキカガミ出してきて豹変するシーンがマジ怖くて!」
「ほんとそう! 知り合い全員で襲ってくるのマジやばいよな!」
「主人公かわいそ過ぎでしょ、人気者だと思ってたのにさあ!」
襲ってきてはいなかっただろとツッコミたくもなったが、野暮を言うのもあれなので口を閉じている。他事の合間に見たドラマで細部の記憶が曖昧になってしまったりする経験は俺にもある。
朝の教室は変に盛り上がっていた。ちょくちょく聞こえてくるのはやはりムラサキカガミという単語。他の生徒達もあのドラマを見ていたらしく、さっきから多くの感想が耳に届いてきていた。
「私あれ見た後、ほんと親怖かったもん! 突然襲ってきそうで!」
「わかるー! トイレ行く時とか、「頼むから親出るな」って思ってた!」
「ほんと人間不信になるよねー!」
親はグルじゃなかっただろ! 別の一団から上がった声に歯がゆさが喉からせり上がってくる。好きでもなんでもないはずのドラマなのに、細部を間違えられると無性に訂正したくなってくるのは何故だろうか。インターネットによくいる『ファンより詳しいアンチ』はこうして生まれてくるのかもしれない。
とにかく彼らは俺と違い、あのドラマを真っ当にホラーとして楽しんでいる。たまに「現実味が無さすぎて怖くなかった」なんて斜に構えている意見もあったが、それだって顔を見れば素直に楽しそうだ。俺だって怪談を摂取する気持ちにさえなっていなければ彼らと同じように好意的に話の種にできただろうに。ジュースのつもりで飲んだコップが緑茶だった時の渋味を思い出し、盛り上がる教室の隅で改めて顔をしかめてしまう。
「ところでさあ……ムラサキカガミ、忘れられる自信ある?」
教室の何処かから発せられたその言葉。特別それまでと変わらないテンションで発せられた言葉に、一瞬だけ教室が少し静かになる。
「出たな、本題」
「ああ~、みんな見ないようにしてたやつ~」
「実際どう? 実際のところ」
本題そこだったのかと横で聞いていると、教室内の話題は本家怪談としてのムラサキカガミへと次々に置き換わっていく。話の肝はもちろん20歳までに忘れられるかどうか。あと5年覚えていられるかどうかと考えれば、さほど心配するような事でも無いように思うが。
「へへ、あいつらムラサキカガミだってよ。無邪気なもんだなってか?」
ドラマを見ていなかった光汰が笑う。確かに本物の超常現象に当たった俺達から見ればムラサキカガミなんていう大衆怪談(新概念)は子供騙しに思えるだろう。
「あいつら知らないんだろうなあ……ムラサキカガミがガセだって事」
「え?」
光汰の第二声がやや予想から外れており、俺は素っ頓狂な声を上げてしまう。
「おいおいなんだぁ? お前も知らなかったのかよ。ムラサキカガミは20歳になる瞬間に死ぬかどうかを検証した人間が大勢いて、その誰もが死んでないんだぜ。だからあれはガセなんだよ」
「ああ……まあ……そうだな。そうかあ」
検証するまでもなく作り話に決まってるだろう……と言いかけたが、考えてみれば俺達の立場でそんな決めつけはもはやできない。だとしても他に何個かツッコミ所がある気もするのだが、そこに言及するべきか否かを考えている間にその機も逸していた。
「そもそも、こういう『このお話を聞いた人は本当に~~』みたいな怪談の大半は既にガセである事が判明してんだ。どっかの物好きがすぐに検証してくれるからな」
「ふーん」
俺はどれだけ真面目に聞けばいいのかわからない気持ちでそれを聞いていた。理屈としては全く正しいのだが、まともに取り合って調べた時点でそいつの負けな気もする。
だがそのふわふわとしたトリビアを聞く中で、少し聞き逃しがたい部分があった事にも気付いた。
「大半がガセって事は、つまりガセで無いのもあると?」
先程の話を踏まえればそういう事になる。ちょっと人から怪談話を聞いただけでモノホンの怪異に遭遇できてしまう事になるが。
「ああ、これは本物だろうと言われているものがあるぜ」
光汰は特になんでもない事のように肯定した。
例の怪談wikiにはそんなものまで平気で載せられているのか……。そりゃ入学式にリボルバーで撃たれる怪談や校長がダブる怪談に比べれば世間一般的な怪談のイメージに則した内容ではあるのだが、だからって怪談であればなんでも載せていいというものでもないだろうに。
「で、どんな話だ?」
もはや恐れるものも無いだろうとばかりに素直に聞いていく。俺達は見えない何かに護られている。この教室の中で俺達だけは火中の栗に雑に手を伸ばしてもいい。
「そんな事聞いてどうする」
「え?」
続く光汰の言葉は、そんな俺の伸ばした手に冷や水を浴びせかけるようなものだった。俺は先の二つの怪談によって神の加護を十分に体験し、その確実さを知った。それは光汰も同じだと思っていたが。
「流石にわざわざ怪談を呼び込むような事もねーだろ。触らぬ神に祟りなしってな」
「いや、そりゃそうかもしれないが」
言っている事はもっともなのだが、ムラサキカガミの真贋を得意げに語ったやつがその次の瞬間には俺の軽率さをたしなめているのがなんだか釈然としない。何か言うか迷っている内に、光汰はやれやれといった具合に最初の授業の準備をし始める。なんだこいつ。勝手にスマホで調べてやろうか。
だが俺がそんな画策をしている内に、気だるげな挨拶と共に担任教師が教室にやってきた。30代くらいの若い男性教師だ。彼はいつにも増してざわざわしている教室を見渡し、その賑やかさを払いのけるように手を振った。
「ほら席につけ! ホームルームの時間だぞ!」
担任教師が教壇に立つと、生徒達のざわめきは緩やかに収まっていく。この収まる勢いが早いか遅いかでその教師と生徒の関係性は大体計れる事だろう。
「ねえねえ、先生は20歳になるまでムラサキカガミ忘れられた~?」
教室内の女子が私語を悪びれずに直球で聞く。他の生徒もその私語を咎めるような事はせず、それなりに興味深そうな顔で黙って教師の顔を見ている。教師は全てを察したように、呆れながらも愉快そうに笑った。
「お前ら子供だなぁ~! そんなの実在するわけないだろ! 俺なんて20歳の誕生日に友達からムラサキカガミムラサキカガミって連呼されてたんだぞ!」
彼の一言に笑い声が上がる。それが本当の話かどうかはわからないが、まあそうだろうなという空気が教室内に広がっていった。
「いいか! 昨日のドラマが本当に伝えたかった事は、友達は選べって事だからな! くれぐれもあの主人公や俺のように、20歳の瞬間に死を願われるような人生を歩むんじゃないぞ! あれ、やられる本人は辛いんだからな~!」
ドラマにかこつけて自分の面白エピソードをアピール。これがツイッターだったら露骨にバズらせようとするノリが鼻に付くだろうが、生徒達は素直に笑っている。ちなみに俺も素直に笑っている。渋い顔をしているのは光汰である。
「……そうだ、お前ら。そんなのよりももっと面白い話があるぞ」
生徒達のウケが良かった事に気を良くしたのか、あるいはただ生徒達で遊んでみたいという欲求に駆られたのか、彼はわざとらしく物々しい口調で笑みを浮かべた。
「これは近頃話題になってる、本当に人が死ぬって噂の怪談なんだが……」
先程生徒達のうるささを注意したのも忘れて本人が話し出す。その前置きはなんだかさっき聞いたような話だ。
例えば彼がもう少し他人の心の機微に敏感であれば、先の笑いに混じって微かに真剣にほっとしている空気があった事を感じられただろうか。あるいはあとほんの少し教師として厳格であれば、そろそろホームルームを開始すべき時間である事にも気付いたか。
いずれにせよ、担任が一度喋り始めてしまったからには生徒達はきっとそれを最後まで聞くだろう。それがムラサキカガミやカシマさんであれば別にいい。だがこれから彼の口から聞かされるものは、なんだかそれらとは別の何かなんじゃないかという気がしてならない。
光汰が口の動きだけで「あーあ」と呟く。趣味の悪い紫色がクラスを覆っていく様が見えた気がした。
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