ムラサキカガミ
ぶり返すような肌寒さの三月の夜。
駅近い雑居ビルの広めの貸し会議室に、大勢の人間が集まっていた。そのほとんどは私と同じく大学生の若者であり、数にすると百を超える。たまにおじさんやおばさんも混じっているが、それを場違いだと訝しむ者はいない。
「それでさ、小学校の時のあいつが!」
「わかる! 吉田先生カンカンだったやつ!」
「それは洒落にならんて!」
外を歩いている内は肩を丸めて私の前を歩いていた彼らも、身振り手振りで思い出話に花を咲かせている。一度空調の効いた屋内に辿り着いてコートを脱いでしまえば、その寒さも快適さを噛み締めるためのスパイスにしかならないようだ。盛んに言葉を交わす大学生たちを尻目に、私は今日二杯目となる野菜のスープを口に運んだ。
ここで行われているのはちょっとした立食パーティーだ。目の前にあるのは人数割りでも食べきれないような数々の食べ物。各々が手分けして買ってきた出来合い品やファーストフード等に加え、何処からか持ち寄られた出来立てらしき料理もある。
もちろん出来合いよりは出来立てが美味しいので、私は先程からそちらばかり口にしていた。香り立つ野菜スープは絶品だ。分量を考えると少しは遠慮すべきかもしれないが、まあ目の前の若者たちのひんしゅくを買う事も無いだろう。
その目の前の若者たちが何者であるかというと、一言で言えば私の同級生と先輩達である。だが単純に大学の知り合いだけが集まったという訳でもなく、小中高の時の学友達もいる。それを合わせた人数が大体百だ。
ではたまにちらちら視界に映るおじさんやおばさんは学校の恩師なのかというと、ちょっと違う。例えばさっき目があって私に手を振ってきたおばさんが何者なのかといえば、ずばり私の母である。
もちろん、私の母が母であり恩師でもあるなんて話ではない。母は学校とは特に関係無くこの場にいるし、なんならその隣には父もいる。それだけではなく叔父叔母、祖父母など、この会場には私の親族親戚が盛りだくさんだ。小学校の話などが多く出るのは、父母が率先して共通の話題を振っているからというのもある。
お気付きだろうか、この集まりは同窓会ではない。このパーティーの参加者は学校単位ではなく、全て私という人間を中心に構成されたメンバーなのである。
となるとこのパーティーのお題目は誰が見ても明らかだろう。そう、これはただ一人特定の人物を祝うためだけに開かれたパーティー。つまり私の誕生日パーティーなのである!
「飲んでる冴子? 主役がぼっとしてちゃいけないでしょ!」
「ちがうちがう、冴子はお酒飲めないの!」
「嘘だろ?! 絶対飲めそうなイメージじゃん!」
パーティーの主役という事もあってか、数分置きに色んな人達が私に話し掛けてくる。その度に料理を食べる手を止めて付き合わなければならないのだが、その忙しさも私には嬉しかった。話す内に自然と笑みがこぼれる。話し掛けてくる彼らもにこにこと笑っている。
正確に言うと私の誕生日は明日である。日付が変わる瞬間を盛大に祝おうとパーティーの開始は前日……今日の夜からに設定されたのだ。だから最大の盛り上がり所はまだ後に控えている事になる。今日こんなにふわふわワクワクとした気持ちでいるのはきっと私だけだろう。
最初誕生日パーティーの話を持ち掛けられた時、思い出したのは小学校時代だ。あの頃は友達同士が集まって誕生日パーティーというのはよく行われていた。大学生にもなってそんな催しを開いてもらえるなんて、しかも本人ではなく周りの人間が率先して準備してくれるなんて思ってもみなかった。こんな大人数が集まるなんて当日来てみるまでは予想すらしていなかったのだ。
授業にサークルにアルバイトに目まぐるしい大学生活。一人暮らしは初めてだし不安な事も多かったけど、それでもその全てに全力で向き合って、更に友達付き合いも疎かにはしないように頑張っていたつもりだ。今回このパーティーの計画を明かされた時は、それが認められたような気がして本当に胸がいっぱいだった。
「やー、ビックリするくらいの人数ねー! あんた凄いじゃない冴子!」
肩を叩かれて振り向くと、興奮した様子の母がいた。
「あんたにこんなに友達がいるなんてね! 一気に見直したわ!」
「ありがとう! 私もビックリしたよ、こんなに盛大なんて!」
「集めたあんたの人望が凄いのよ! 胸張りなさい!」
母が一つ口を聞くたびに、誇らしい気持ちでいっぱいになる。もちろん私自身も同じ事を思っていたが、他者の口から改めて言われるとより一層自己評価が高まる思いだ。私はこれまでずっと頑張ってきた。そしてそれは周りの人間に伝わっていた。努力が報われたのだ。
もっと褒めてほしい。普段そこまでお喋りという訳でもないのに、私の口はやたらよく動いた。そのくせ出す話題は全て同じ、パーティーに関わる事だ。
私が喋れば母は何か言う。パーティーの事を話していればきっとまた私について何か言う。
母は嬉しそうに私の話を聞いて頷いているが、私が聞きたいのは
「じゃ、この数を減らさないように頑張るのよ」
一瞬、息が詰まった。
特になんという事のない調子の母の一言。
顔だけ笑顔で固まって、声が出ない。手だけ上げて曖昧に応えている内に、母はうんうんと頷いて何処かへ行ってしまった。
ざわざわとした談笑の声が鼓膜に触れ続ける。さっきまでと同じように私の事を話している。なのにその声がどこか少し遠くから聞こえているように感じる。
母に見てほしかった。
私にこんなに友達がいる事、友達が私のために盛大なパーティーを開いてくれた事を見せたかった。
必死なほどに。友達の集まりに親を呼ぶくらいに。
私の父母は地元で会社を経営しているが、共に高卒だ。そのせいかわからないが、昔から学歴よりも要領の良さを強く信仰するようなところがあった。
私はどちらかというと昔から物静かで、一人で黙々と本を読んでいるような子供だった。母にはもっと外で友達と遊べとよく言われた。本にばかりかまけていると駄目になると。私の幼少期は罪悪感と共にあった。
小学校入学からしばらくして、私は自分のテストの点数が大分良い事に気付いた。そして気付いたその次に思ったのは、母に褒めてもらえるんじゃないかという事だ。
アニメではよくテストの点数が良い子が褒められている。普段苦言を呈されてばかりの自分も実は褒められるべき存在だったのではないか。私はワクワクしながら母にテスト用紙を持っていった。数字が100である事は何度も確認した。
だが母から返ってきたのは賞賛の言葉ではなく、いつもの説教だった。テストの成績よりも大事な事がある。一番大事なものを蔑ろにするような人間にだけはなるな、と。
失望の念に苛まれながら、私は恥じ入った。私が立派などというのは浅はかな勘違いだった。私は大事なものを見失っているし、それは私などには到底手に入れる事のできない遠い場所にある。もっと努力をしなければならぬとその時は思っていた。
だが半面、年の離れた兄はよく褒められていた。彼は絵に描いたような遊び人で学術分野は悲惨だが、とにかく友達が多かった。いつも家に友達を連れてきて、父母ともよく一緒に談笑していた。大事なものというのが具体的に定義された事は無かったが、少なくとも兄はそれを満たしているらしかった。
私が地元でそこそこの進学校に合格した時も、父母は私の長所に対してことごとくつまらなそうな態度を取り続けた。彼らの関心は常に兄の方に向いており、私がどんな高校に入ったかという事より高卒の兄がアマチュアミュージシャンとして活動する事を喜んだ。愛されているかどうかで言えば私も愛されていたが、父母から見た私の価値は自らの子供であるという以上のものは何も無かった。兄がいつかその学歴の低さによって盛大に躓くであろう事、それだけを心の支えに私は勉学に励んでいた。
「大ニュースよ冴子! お兄ちゃんメジャーデビューだって!」
興奮した母がその吉報を告げに来た時、私の目の前は冗談抜きに真っ暗になった。
いつか己の人生の破綻によって、父母が私を再評価するきっかけを与えてくれるはずだった兄が、その大任を放棄してまさかの大成。あれよあれよという間にドラマ主題歌なども歌い出し、お茶の間には兄の作った曲が流れ出す。正月に集まった親戚たちは兄を褒めそやした。私はそれを横で聞いているしかなかった。自分が認められることはもう無いのだと解らされた。
それからの私は一人暮らしを始め、大学にも入った。目まぐるしい環境の変化に晒されていくうちに親族達の反学歴信仰についてはあまり考えなくなっていった。初めての土地、全く新しい人間関係。広い海に出て様々な価値観を知ったと思っていた。
だがこのパーティーの話を聞いた時、真っ先に考えたのは父母の事だった。父母が親戚も呼ぼうなどと無茶を言い出した時、「流石に迷惑じゃないの」と笑いながら強く止めなかったのも私だ。
もはや気にしていないと思っていた。だけどそれはただ自分に言い聞かせていただけだったのか。さっきまで感じていた誇らしさが何に由来するものだったのか、それはそのまま享受して良いものだったのか。
♪ピロリン♪
唐突にポップな効果音が鳴り、驚きのあまり声が出そうになる。
思考を咎められたようなバツの悪さでスマホを睨むと、ラインの通知が来ていた。母からだ。
・ちゃんと楽しんでる? ママ達は今、車の中です
その文面に少し驚く。車の中という事は帰宅中という事だ。そういえばさっき母が話しかけてきた時点で親戚達の姿はもう見えなかった気がするが、あれは要するに帰る前に一声掛けてからという事だったのか。親戚一同で乗り込んできたからには時間の都合もあるのだろうが、流石に日付変更まではいてくれればいいのに。私の誕生日は今日じゃなく翌日なのだから。
……と、今考えた事をそのまま打ってみるかどうかと思案していたところでまた続きのメッセージが届いた。
・23:30からは会場を大学に移すっていうから帰ったけどあんたはゆっくり楽しんでネ。ママも行きたかったけど部外者だからネ(笑)
「え?」
振り向き、壁掛け時計を見る。時刻は23:50。舞台は大学になんて移っていない。
「お母さん、何言ってるんだろう?」
そんな話は聞いていないし、実際この時間になっても誰も会場から離れようとしていない。今日はこの場所で翌日までパーティーが続くはずだし、実際母にはその事をちゃんと伝えていたはずだ。それを大学に会場を移すから帰らなきゃなんて、一体誰からそんな事を聞いたんだろうか。
誰から……。
スマホから顔を上げて前を見る。
友人たちが楽しそうに談笑に興じている。聞こえてくるのは私に関する話ばかりだ。不自然なほどに私の話題。小中校でそんなに私の話題が出た事なんて無いのに。
「お母さん……何言ってるんだろ……変だなあ、そんなはずないのに」
繰り返すように、念押しするように独り言を呟く。周りの皆は「どうしたの」とは聞いてこない。
おかしな胸騒ぎがする。こんな明るいパーティーに似つかわしくない胸騒ぎ。
初めてパーティーの話を持ち掛けられた時、信じられないくらい嬉しかった。そんな風に私という人間が祝われるなんて嘘みたいだと思ったのだ。まるで騙されているみたいだと。
初めから思ってはいた。私がいくら頑張っていたとして、こんなパーティーを開かれるほどの何かがあるのだろうかと。かつて私がただ地味に勉学に励んていた時代の旧友たちをも巻き込むような、そんな素晴らしい魅力が本当に私の中に存在するのだろうかと。
だけどそんな事をいくら考えたところで意味が無いし現実的でもないじゃないか。だからこそそんな不合理な発想は今日まで心の中に封じ込めて来ていたというのに。なのに何故ここに来て夢から覚めたようにそんな当たり前の疑問ばかりが沸々と頭の中に浮かんでくるのだ。こんなどう考えてもおかしいとしか思えないパーティーでも、実際に目の前にあるのならばそれが全てとしか言いようがないじゃないか、たとえそれがどれだけ有り得ないような事だったとしても。
「おおい、そろそろだ!」
一人があげた大声に、会場を支配していた談笑がぴたりと止む。そしてぞろぞろと私以外の人間が部屋の端に置いていた自分の荷物へと向かい出す。
「何が始まるの?」
私は胸騒ぎを無視し、努めてにこやかに近くにいた旧友に聞いた。旧友は私にかまわず同じようにニコニコしながら荷物へと歩いていった。
程なく戻ってきた各々の手にあったのは箱だ。綺麗にラッピングがされた箱。小学校の誕生日パーティーでよくあったプレゼントタイムを想起させる光景。私の前にいる100を越える全ての友人達が残らずプレゼントの箱を持って立っていた。
「すごい! プレゼントを持ってきてくれたんだ! こんなにたくさん持って帰れるかなあ!」
心臓の鼓動の加速が止まらない。目の前の彼らはニコニコしている。私もニコニコしている。なのに私の声はやけに白々しくこの無言の空間に響き渡る。
そんな事があるはずがない。これが、この光景が、このプレゼントが、誕生日パーティーが全部嘘なんて、そんな、そんな事があるはずがないじゃないか。
もう親だって呼んだんだ。親戚だって私に友達がたくさんいるってそう信じて帰っていった。それでこれから誕生日プレゼントを渡される以外の事が起こるなんて、そんな訳がないじゃないか。これからみんな一人ずつプレゼントを私に渡してくれるんだ。さあ次の瞬間にもほら。一人目がプレゼントを。時計かな。マフラーかな。綺麗なアクセサリかもしれない。それとも
「ハッピーバースデー冴子!!」
息を合わせてそう叫んだ友人たちは、持っていたプレゼントのラッピングをびりびりに破り始めた。
会場のおしゃれなBGMを掻き消すように紙を引き裂く野蛮な音が響き渡る。彼らは飛び散る破片がクラッカー代わりとでも言うかのように荒々しくラッピングを引き剥がし、箱そのものさえも力づくで引き裂いていく。ただ中身を露出させる事だけを目的に手を動かし、後の始末もその場の雰囲気もかえりみずにその箱の内容物を露わにしていった。
「ハッピーバースデー! ハッピーバースデー冴子!」
彼らの破る箱から次々と同じ色同じ形の物体が現れ、そのまま床に転がり落ちていく。
初めはそれがなんなのか解らなかった。ただ毒々しい色をした何かだという事しかわからない。目耳から入る暴力的なまでの情報量が理解を遅らせていた。
何を言えばいいのかわからない、何も言うべき言葉が見つからないまま視線をさ迷わせ続けた結果、ようやく床に転がった何かの正体に気付く。
……それは紫の塗料をめちゃくちゃに塗りたくられた鏡だった。
今回開かれた私の誕生日パーティー。
正確に言うなら私の20歳の誕生日パーティーである。鏡は紫に塗られている。ムラサキカガミ。20歳を迎える瞬間まで覚えていたら死ぬ言葉。
「えっと……これは……」
私はそう口にするのがやっとだった。彼らはただにやにやとこちらを見ているだけだ。大学のサークルメンバーが、かつての同級生達が、およそ友達と呼べる人間全てがこぞって私を見つめている。間違いでもなんでもない笑みを浮かべて、一人残らずこちらを見ている。
間違っていた。
完全に間違っていた。
私の努力は実を結んでいなかった。
私は褒められるような人間じゃなかった。
パーティーはおかしかった。
こんな事有り得るはずが無いというのが当たり前だった。
それを見直されたい一心で全て無視していた。
「私は……私はあなた達に……何かしたの……?」
それだけを口に出すのに凄い時間を要した。
「私、夢を見てた。私ごときがこんな豪勢なパーティーを開かれる事もあるんだって、平気でそんな勘違いをしようとしてた。でもそれってそんなにいけない事だったの?」
その言葉はカスカスの張りぼてで、何の自信もこもっていなかった。問いかけている自分自身が既に「そんな事は無い」なんて言ってもらえる想像ができていなかった。
私は感情の中では既にこの事態を受け入れてしまっていた。私には誇れる物が何もなくて、そんな私が思い上がった時にきっとこんな事が起こるんだろうと勝手に納得していた。だからもはや私にできる事は、口だけでもっともらしい正論を言ってみる事だけしか残されていなかった。
「私は私なりにあなた達と仲良くできてたと思ってた。私はあなた達の事、好きだったと思う。あなた達は違ったの? どうしてこんな風になったの?」
それだけを言うのが精いっぱいだった。訳も解らず「ごめんなさい」を口走ってしまいそうになるのを必死にこらえて、ようやく子供レベルの作文が完成できた。だからこれでちゃんと気持ちが伝わってほしい。それで改心した彼らがハッと表情を変え、謝罪の言葉を私に掛けてくれなければならなかった。
だがやっとの事で絞り出した私の問いかけにも、彼らは何も反応を示さない。彼らは依然としてただ笑っている。私は私が少しでもかわいそうに見えればいいなと思っていた。だが彼らはそうは思っていない様子だった。
「なんで……なんでこんな……」
こんなひどい事を。
言い切れず、私の視界はとうとうぼやりと滲み出す。
ひどい人生だ。
私は一度だってその頑張りを褒めてもらった事が無かった。
あんなに頑張ってテストで良い点を取ったのに
あんなに頑張って授業で発言したのに
あんなに頑張って良い大学に入ったのに
なのにお母さん達は褒めてくれなかった
普通だったら褒められるのに
他の人が私なら絶対褒められていたはずなのに
こうやって周りの全ての人が私の事が大嫌いだから、世界の全てが私を褒めまいと悪意を向けてきているから、だから私はいつまでたっても褒められる事がない。
ひどい
ひどすぎる
私はとてつもなくひどい理不尽な扱いを受けている
私が褒められないのは間違っている。
急激に悔しさと怒りが心に溢れてきた。
「これはひどい事だ」。そんな当たり前の事実を口にしようとした瞬間、今まで見てみぬふりをしてきたあるべき正しき世界が私の中で爆発的に膨れ上がった。
彼らはきっと私に言ってくる。「お前の事が嫌いだった」「無様な顔だ」「泣いても誰も助けない」。きっともう次の瞬間には私に対して数多の嘲笑が飛んでくる。
許せないと思った。
もう私は泣いている。無様な姿を晒している。きっと今立ち向かう姿勢を見せたって、その醜態が彼らの酒の肴になるだけに決まっている。それはわかっている。わかりきっている。
でもここからせめてたった一つだけでも何かができるとしたら、それは許さない事だと思った。
世界全ては敵だ。きっと誰も私の肩を持ちはしない。それでも、たとえ私一人だけでも彼らの悪意を意地でも否定し続けてやらなければならない。
それが周りから爪弾きにされた私のただ一つの進む道だ。世界にたった一つしか存在しない
私は思いっきり腕を顔にこすりつけて涙をふいた。袖が汚れるのも気にせずに何度も何度も上着をこすりつけた。もう何も取り繕う事ができなくとも、せめて戦う姿勢だけは最後まで取り続けようと、泣いた事実を隠そうともせずに顔をぬぐった。
呂律が回らなくても、泣き喚きながらでもいい。これから来るであろう彼らの心無い言葉に反論し続けろ。たとえ万の悪意を向けられたとして、最後まで喋り続けているのは私だ。
間違った全てを薙ぎ倒せ。世界になんて嫌われたままでいい。
私は涙を拭う手をとめ、口をきつく結んだ。
顔を上げて目の前の彼らをにらみつけた。
彼らは
黙って笑みを浮かべていた。
プレゼントを開ける前と変わらない様子で、ただにやにやとこちらを見ていた。
嘲笑されているのだと、一瞬は思った。
だがいやに反応が薄い。私の事が嫌いで私を傷付けたかったにしては、あまりにその表情に変化というものが見られない。まるで私の方を見ながら私の泣き顔が見えていないように、ただ先の時間から地続きににやにや笑いを維持し続けているだけだ。
彼らは私の事が嫌いなはずだ。私が泣いて傷付く事こそが彼らにとっての成功のはず。なのにこの反応の無さは何だ。その笑いは何なのだ。
『話し掛けてくる彼らもニコニコと笑っている』
ふと、パーティの初めに彼らに対してそう思った事を思い出した。その時は善い人達だと思っていたから、そう評した。今はそうでないと知っている。だからにやにや笑いに見えた。
このパーティーの最初の最初から、彼らの
ふと目の前の一人、中学生時代の同級生がちらっと私から視線を外した。一瞬だけ右上の方に。よく見ると、その同級生以外もちらちらと同じ方を気にしている。
何かを見ている。視線の先……私から見て左後ろの壁の方にある何かを彼らは気にしている。私は振り向かずにそれが何であるかを考えた。
そこにあるもの。
そこにあるものは━━━━
━━━無意識下で環境音として聞いていた音が私の頭に急速に像を結ぶ。
私の後ろ、壁の上方に。
時計がある。
今も時を刻んでいる。
一つ一つ、秒読み段階に迫った明日へと針を進めている。
嫌がらせでやっているのだと思っていた。私の事が大嫌いで。私が嫌がる姿を見るのが楽しいのだろうと。
違った。彼らにあるのは、私が傷付くかどうかなんて小さな事からは程遠い、もっと純粋な何かの気持ち。
彼らはただ期待していた。ただ待ち望んでいた。
そうだ
この人たちは私の顔色を観察しているのではない。私がどんな事を考えているのかが知りたくて目を向けているのではない。
わたしがどうなるかを見たがっていた。
このまま私が20歳になった時に何かが起こるのを期待して━━━
それに気付いた瞬間、私は部屋から逃げ出していた。外へ飛び出し、エレベーターも待たずに非常階段を下り、地上に辿り着いた後もひたすら地面を蹴ってその場から離れていった。どちらが帰る道かなど考えず、とにかくただ息の続く限り距離だけを闇雲に広げていった。
立ち向かって抵抗すべき戦いなどそこにはなかった。
彼らは私と言葉を交わしたり、そういう事をする必要があるとは一切思っていなかった。彼らは私という人間の人格となど一切向き合っていなかった。人間と人間が相対して食い違って争ってという場面を想像していた私は、そうではなかったと気付いた時に他に取れる手段を何も持ってはいなかった。彼らの頭の中を考えれば考えるほど、私の体はただ彼らから離れるように動いていった。
◇◇◇◇
あれから数日。私はアパートの自室で外にも出ずに一人で過ごしていた。
20歳の瞬間なんて走っている間に過ぎていた。呪われる事などなく私は生きている。結局ムラサキカガミはただの怪談話でしかなかった。
朝食に食べたインスタント麺のカップを雑にゴミ袋に放り込んだ後、手癖でラインの通知を確認する。母から数件。それ以外からは0件。まるで死人のように忘れられている。
彼らはいかにしてあのパーティーの計画に辿り着いたのだろう。どんな顔をしてあんな大量の鏡を大真面目に紫に塗りたくっていたのだろうか。考えれば考えるほど理解できるとは思えない。
ムラサキカガミを突き付けられて逃げ出した人間として、あんな話はデタラメだと確信を持って言える。怪談なんて無意味なものだ。怪談がその話通りに効力を発揮して誰かを殺した事なんて一度だってない。怪談とは所詮聞いた者を楽しませるエンターテイメントでしかないのだ。
だが、それと同時にもう一つだけ確かに言える事がある。
彼らはそのデタラメをきっと信じていた。その怪談を微塵も疑わず、ただ誰よりも私の誕生日が来るのを楽しみに待っていたのだ。
何故それが私だったのだろうか。
他の人間ではいけなかったのだろうか。
彼らのあの笑顔を思い出す度にどうしても不可解な思いが強まり、気付けばその事ばかりを考え続けていた。
そして一つ気付いた事がある。
非常に単純な一つの事実。
あの場にいたのは私より早く生まれた人ばかり。
つまり20歳を超えた人間ばかりなのだ。
私の誕生日は4月1日。
同学年の中で最も遅い生まれ。
重要なのはそれだけだった。
彼らは私を嫌ってさえいなかった。
ただたまたまそこにいたのが私だっただけなのだ。
私は褒められた事が無い。
それは世界に嫌われているからじゃない。
ただ誰も私の事を見ていないだけ。
FIN
「……いやいやいや、ちょっと待てよ!!」
俺はテレビを見ながら思わず口走った。奈落に沈み込むようなBGMと共に暗転した画面。全てをやりつくしたといわんばかりに、その暗闇をスススと登っていくスタッフロール。
「怪談が出ない! ムラサキカガミが出ずに終わった!!」
今までじっと黙って見ていた分を取り返すように、物言わぬ画面にたける気持ちをぶつける。もちろんテレビの双方向性はまだそこまで実現されてはおらず、番組は謝罪の一つもよこしはしない。ホラーに似つかわしくないポップな絵柄の企業キャラクターが、せり上がる文字に混じって得意げに親指を立てていた。
「番組欄に『ムラサキカガミ(怪談ドラマ)』とかあったら、そりゃ怪談を期待するだろ! 怪談なんてデタラメだって何だよ! これじゃサイコホラーだろうが!」
見ている間ずっと「まだかまだか」とフラストレーションを溜めまくっていた俺は、返事が来ないのにも構わずにテレビモニターにクレームをつけまくる。そしてタイミングよくスタッフロールの最後に『新訳ムラサキカガミ』のタイトルがでかでかとせり上がってきたところで俺はついにリモコンをぶん投げたのだった。満を持して明かされる正式タイトル! 気の利いたにくい演出!
「怪談だ! なんでもいいから誰か怪談を持ってこい! 今は怪談の気分なんだ!」
物を投げるような事をした勢いか、ついでに不特定の誰かに怪談を要求する駄々をこね始める。もちろん俺は常識人なのでリモコンもベッドに着地させてはいるのだが、気持ちの上ではその際にベッドの上にいた番組プロデューサー(小人)が首の骨を折って死んでいた。
俺の名前は
俺がチープな怪談ドラマを追い求める理由については、別に気にしなくても構わない。どうせこの気持ちは一時の高ぶりだし、明日には冷めているだろうからだ。だがそれでも怪談というタイトルに惹かれてその作品に触れた一人の人間として、今この瞬間これだけは声を大にして言わせてもらう必要があるだろう。
「怪談詐欺はやめろおお!」
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