ダブル校長 その9

 校長がダブルだった事が明るみになって二日後。昼食時の学校にはゆったりとした時間が流れていた。新入生は新しい環境に少し慣れて、人によっては友達もでき始めている。


「上手くいってよかったな」

「ああ」

 新しい人間関係を構築した者も多い中、俺達はいつもの顔ぶれで机を囲んでいた。


 景気よく人が死んでいた入学式(改)の事を改めて思い返す。もしもあのままのペースで生徒が減っていれば、俺達は別の高校に転入せざるを得なかったかもしれない。


「校長をなんとかしなきゃいけねーつっても、まあやれる事はほぼ一つだけだったんだよな」

 光汰がパンにかぶりつきながら言う。



「ダブル校長をシングル校長にする」

 パンを咀嚼する光汰に代わり、俺が言葉を引き継ぐ。


 行動の方向性は早い段階で定まっていた。校長が二人いる事に気付くには、校長が二人いなければならない。つまりどちらかの校長を排除できれば、ダブル校長の殺戮能力は無くなるのではないかと踏んだ訳だ。




「そのために手っ取り早いのはやはり警察に逮捕されてもらう事だった」


 校長同士を引き剥がそうと考えると、有無を言わさず物理的に学校から引き剥がしてしまうのが一番良い。校長には犯罪者になってもらう必要があった。それもできるだけ迅速に……その日の内に逮捕しなければならないような犯罪者に。


「つまり校長室のパソコンを勝手に使って殺害予告を出そうってこった。やる事自体は簡単な作戦だったな」


 そう、根本的にはたったの一工程で言い表せるほどのシンプルな作戦だ。ただの高校生の俺達でもいけそうだと判断できたくらいの、非常にシンプルな作戦。

 


「ただ、そのためには三つの壁が立ちはだかっていた」

 あの日と同じく塔哉が、実際に事を為すにあたっての障害について言及する。




「まず第一の関門。パソコンを操作するとなると指紋が残る」


 推理系の漫画やドラマに馴染みの深い現代人にとっては常識だが、人が素手で物に触ると指紋が残る。指紋は人の作業の後に必ず残される履歴情報であり、それを調べられたら俺達がパソコンを操作した事など簡単にばれてしまう。つつがなく日常生活を送るのが目的であった俺達は、まずは指紋が残らない工夫を用意しなくてはならなかった。



「だがこれは学校の校庭には軍手が落ちているものなので、それを使って指紋が残るのを回避した」


 あの日と同じように解決策を提示した俺に、塔哉達は深く頷く。


 学校の校庭には軍手が落ちている……そこに気付けばあとは簡単な話だった。風ですぐに飛ぶ紙とは違い、地に貼り付いた軍手を探す事など容易い。ものの十分も掛からずに三組の軍手を確保できたところで、俺達の計画はいよいよ現実味を帯びてきたのだ。




「次に第二の関門。校長室への入退室を絶対に見られてはいけない」


 第二の関門はただ道具を用意すればクリアできる第一の関門とは違い、不確定要素にまみれたリスキーな門だった。


 校長室は職員室のすぐ隣にある。後で誰か一人にでも「あいつらが入っていた」と証言されれば、前科が付いて俺達の学校生活は終わる。俺達と学校、双方の平和の両立を目指すにあたり、目撃者を出さない事はその絶対条件と言えた。



「だがこれは職員室近くで花壇の水やりをしていた生徒がちょうどいいタイミングで死んだので、周りの注意が全てそちらに逸れて解決した」


 考えてみれば第二の関門は最初から八割方回避できていた。あの日学校では現在進行形で衝撃的な事件が起き続け、教師達は教頭から平教師まで丸ごとてんやわんやだったのだ。校長は当然最高責任者として職員室に出ずっぱりだし、だとすれば他の誰も校長室になどは立ち寄ったりしない。ならばあとは注目を廊下ではなく屋外側に集めていればいいだけであり、そのためにはただそこで人が死ぬのを待てばいいだけであった。


 実際職員室の教師達は外で倒れた生徒が救急車に運ばれていく様を、ただ中からずっと心配そうな顔で見物するに終始していた。念のために外に残した塔哉がスマホで逐一状況を報告していたが、それもいらぬ心配だったらしい。



「そして第三にして最大の関門。パソコンのパスワードがわからない」


 これは道具を用意するだけでいい第一の関門、タイミングによっては無策でも突破できる第二の関門と違い、小細工ではどうにもできない、はっきり言って超えるのが不可能と言っても過言ではないほどの高い壁だった。他人が勝手に考えた何文字かもわからない文字列を当てなければならない。俺達は校長の名前や生年月日すら知らないというのに。



「だがこれは机の上にパスの書かれた紙が普通に貼り付けられていたので、それを見ながら入力して簡単に突破できた」


 セキュリティ意識の低いおっさんがやりがちな事として、パスワードを忘れないようにそのまま紙に書き起こしておくというのがある。ワンチャン、パスがtarumiyaだったり、電源が点けっぱなしだったりとかを期待してとりあえず入室してみたのだが、いざ入ってみればパスがそこに書いてあった。俺達はそれを入力した。完璧なハッキングだった。(紙は持ち帰って燃やした)



「こうして俺達がつつがなく殺害予告を済ませた結果、片方の校長が無事に逮捕されてくれた訳だ」


 それにより無事にダブル校長の力も無くなった。これからはいくらでも校長が二人いたことを話の種にできる。何も気にせず校長の数について言及できる、真に自由な学校が帰ってきたのである。



「ただまあ……もちろん、殺人の容疑者として校長が逮捕されても結局は冤罪だ。取り調べの結果によってはすぐに釈放される恐れはある」


 釈放されて校長が戻ってこれば、また校長は二人になる。そうすればダブル校長という怪談の力はまた復活するかもしれなかった。



「だがよく考えてほしい……学校によなあ?」


 そう言う顔に浮かんだのは、我ながら意地の悪い笑みだ。つられた光汰がパンを口に含んだままクククと声を出す。


「尚人が校長のダブりを暴露できた時点で、今回の件は既に終わっていた。校長が一人多かった事に気付いた以上、逮捕された校長を学校が改めて戻す理由も無い」


 塔哉の言う通り、学校側は対応に追われていた。校長が二人いるという前代未聞の大ポカは新聞にまで載って知れ渡っており、周囲への事情の説明やマスコミへの対処などに忙しかったようである。


 この学校の校長というポストに関する認識は正常に戻った。正常とは校長の数が一人という事だ。だからダブル校長はもう発生しないのである。




「ただ、一つ……誤算という訳じゃないが、意外だったのが」

 言いながら、弁当の最後に残しておいた唐揚げをつまむ。

 


「逮捕された方の校長は普通の校長だったって事だな」




 そう。逮捕された校長は人間だった。



 つまりダブル校長の内、怪談だったのはセカンド校長だけであり、ファースト校長は正式に任命された正真正銘の校長だったのだ。職員室の様子を覗き見している時は犯人のくせに白々しい奴だと思っていたが、どうもこっちの方は本当に何も知らなかったらしい。


 彼は無実の罪で逮捕されたが、彼の逮捕により生徒の変死事件は止んだ。警察は未だ変死との関連性を証明できてはいないが、殺人が起こるかもしれない以上はそう簡単には彼を解放できない。犯行予告のアリバイ証言も結局あやふやなままで、娑婆に出るには相当の時間が掛かりそうだという。


 まさか逮捕されるのが人間の方だとは運が悪い……なんて思うかもしれないが、実はそうではない。


 ダブル校長の能力は人を殺す以外はただ校長としてのふるまいを周囲に納得させるというだけの能力であり、言うなれば学校版ぬらりひょんと言ってもいい。だから校長が増えるのに合わせて校長室が物理的に増えたりはしないし、そこに備え付けられたパソコンも一台のままだ。一つしか無い校長のパソコンを勝手に操作すれば、それは当然元々の校長のものなのである。


 ダブル校長の正体は人間である校長に取り憑いてそれを霊的殺戮兵器へと変貌させる、超常の存在であった。恐ろしい力を持った存在である事は間違いないが、その怪談としての主体は飽くまでも人間であるファースト校長の方にあるとも言える。その無防備な骨子を砕けば連鎖的に全てが瓦解するのだという事が解れば、この怪談が案外御しやすいものであると気付くだろう。あとは俺達のように神の加護さえあれば完璧である。



「お? あれ校長じゃねーか?」



 光汰が窓の外を顎で指す。つられて下を見ると骨ばって亡者のようになった校長が校庭に立っていた。


「ギゴゴゴゴ……グゴゴ……」


 人間らしい知性があるとは思えない、地の底から響くような呻き声をあげている。




 ダブル校長はシングルになった影響で力を失った。人間らしく振る舞う能力さえ残っていなかったらしく、今はもっぱら校内を徘徊している。





「校長! 先程渡した書類についてですが……」


「ギゴゴゴ……ギゴゴゴゴ」


「校長! 他校の野球部との練習試合についての許可をですね……」


「ギゴゴゴ……」


「うなってないでなんとか言ってくださいよ、校長! 校……おい、聞いてんのかダーク! ダーク!」


 地上では校長になんとか仕事をさせようとしている教師達がてんやわんやしていた。今や樽宮高校の名物的光景と言ってもよく、横を歩く生徒が笑いながら通り過ぎている。


「ありゃ大丈夫なんかね。校長として何も機能してねーと思うが」


「まあ大丈夫だろ」


 自信満々に断言する俺に、二人はこちらを見る。


「だって校長って元から校内の見回りくらいしかしないし」


 我ながら凄まじい偏見を言ってのけたものだと思うが、それを咎める者はこの場には誰もいない。「まあそうかもな」と雑に返し、興味無さげにまたパンを齧るばかりだ。ダブル校長という旬の話題もそろそろ消費され尽くしており、いつの間にか食事を終えた塔哉はもうスマホをいじっていた。俺もそれに倣ってSNSのページを開くと、「まだまだ死ぬぜ」と校長が書き込んだコメントが映る。この記事にはあれ以来もう何の動きも無い。


 それにしても、弔いのつもりで投稿したサドン崎の写真がダブル校長撃破の手助けとなるとは何が起こるかわからないものだ。あれが無ければダブル校長の打倒は成せなかったかもしれないと考えると、情けは人の為ならずとはよく言ったものである。今回死んだ生徒達に対して祈りの一つでも捧げれば、更に今後も何か役に立つ事があるだろうか。


「そういや死んだ同級生の葬式とか参加できるらしいけど、お前ら行かねーよな?」

「行かない」

「行かない」


 俺は即答した。どうせ怪談なんてそうそう遭遇するものじゃないのだ。そのためだけに徳を積むのも馬鹿らしいし、時間も勿体ない。


 俺はもう一度窓の外を見た。青々とした空に真っ白な雲が浮かぶ良い天気だ。地上ではついに力尽きたのか倒れ伏した校長が粒子になって霧散している。周りの教師は慌てふためき、笑っていた生徒は遠巻きだ。


 スピーカーから流れるテンションの高いラジオをBGMに、特に楽しくもつまらなくもない時間が過ぎていく。正に学校の平日といった風情で本日の昼休憩は終わりを告げたのであった。





 ◆第二の怪談 ダブル校長 おわり








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