ダブル校長 その7
正義感溢れる三人の生徒達が死の手紙との追いかけっこに奔走してから小一時間後。職員室の慌ただしさはピークに達していた。
「いやー、今日はなんなんですかね。倒れる生徒が続出ですよ」
教師たちはしきりに困惑していた。入学式の途中で二人もの生徒が救急車で搬送され、その後もちょくちょくサイレンの音が学内に響いた。生徒が独自判断で救急通報したり、来た救急隊員がまた追加の救急車を呼んだり、どれだけの生徒が運ばれていったのかは教師でも把握していないだろう。
結局忙しさに押されるように入学式の二度目の中止が決定し、生徒達にもすみやかに下校するようにと先程放送で伝えたばかりである。
「食中毒ですかねえ? 不衛生なペットボトルの回し飲みでもしたのでしょうか」
「いやー、無い無い。だって二年も一年も倒れてんだよ。今日が初対面だよ」
食中毒に限らず、倒れた生徒達の関連の無さは原因の推察を難しくしていた。外傷も無ければ、本人達から症状の訴えも無い。何の予兆も無い完全なる卒倒から素人が読み取れる情報は決して多くは無かった。
「はっはっは、貧血ですよ貧血! 校長先生の話が長すぎたのでしょう!」
「これは手厳しいですな。あれでもできるだけ短くしようとしていたのですが」
声のでかい中年教師が冗談めかして言うと、校長は痛い所を突かれたとばかりにぴしゃりと頭を叩いた。その様子に周囲の教師も軽く笑い声をあげる。
「ですが教頭先生……私に対しての苦言はもっともですが、今は生徒が実際に倒れている状況です。場を和ますジョークもほどほどにした方がよろしいかと」
「あ……すいません、校長。ちょっと口が過ぎたようで……」
校長にたしなめられた教頭は、今度は声を潜めて謝罪した。先程笑ってしまった他の教師達も無関係な顔はできず、どこかばつが悪そうにしている。
「まあまあ、教頭先生も張り詰めた空気が辛かったのでしょう。それに実際に長い朝礼で生徒が倒れてしまうケースはありますし、気を付けるに越した事はありませんからな」
校長が教頭をたしなめたのに対して、今度はもう片方の校長がフォローを入れる。
「ええ、校長先生の言う事もわかっています。教頭先生も生徒を想う気持ちは同じはずです」
「え、ええもちろん! ぴっかぴかの新入生に、知った生徒達まで倒れていますからね! ちょっとそわそわしてしまってね!」
勢い込んで言い訳をする教頭に、校長達は頷く。
「今はどっしりと構えて生徒達の無事を祈りましょう」
「いずれ病院から連絡が来た時におたおたした姿は見せられませんからな」
そう言う校長達の言葉はとても真摯に聞こえた。生徒が倒れた件は明らかに事故か病気かにしか思えず、まさか校長が関わっているはずがないからだ。仮に警察機関が倒れた生徒を調べたとしても、それが人為的なものだとは決して思わないだろう。学校教育の一番上に立つものとしてふさわしい二人の姿に、周りの教師達も感心している様子だった。
そこへ初老の痩せた女性教師が職員室のドアを開けて入ってきた。その後ろにはコートを来た40代くらいの男性の姿が見える。
「ああいたいた、校長先生! なんだか警察の方が来られましたよ」
「警察の方が?」
同僚が連れてきた見知らぬ男性が警察と聞き、教師達は目を見開いた。卒倒事件の原因が不明である以上は然るべき機関が捜査に来るのは不思議では無いが、それでも実際に警察が来訪するまでは教師達もまだどこか日常の気分でいたらしい。
「ああ、どうもどうも。校長です」
動揺する教師達に対して、校長は落ち着いた態度で対応した。これが上に立つ者としての責任感から来ているとすれば、周りからしたら頼もしい事だろう。
「どうも、県警で警部をやらせてもらっとる者です。この度は大変な事になりましたな」
そう言い、男は慣れた手つきで胸元から警察手帳を取り出した。
「ええ、生徒達が倒れてしまうなんてね。それで……容体は回復しましたか?」
校長は警察手帳をちらりと一瞥すると、率直に核心に迫る質問をした。
「運び込まれた生徒達は全員死亡が確認されましたな」
刑事は事務的にその事実を伝えた。
「えええええ!?」
教頭の素っ頓狂な声を皮切りに、職員室内部に動揺が広がる。
「死亡!? 全員が!?」
「嘘でしょう!」
「これは大問題ですよ!」
今まで抑えられていたものが噴き出すように、教師達が次々に驚きを言葉にする。顔を見合わせひたすらその衝撃を口にし確かめ合う者、難しい顔でぶつぶつ呟く者と、三者三様にひたすら喧噪を大きくしていく。後ろで見ていたもう片方の校長はいたましさを前面に押し出した沈痛な表情で天井を仰いでいる。
「なんと、わが校の生徒が死亡していたとは! ではその原因は一体なんなのですか!?」
そんな中で校長は刑事に対して毅然と聞くべき事を尋ねた。その毅然さはこの混乱の最中において一際頼もしく見える。ここまでの諸々の言動も含め、その有り様は指導者の鑑と言って過言では無かっただろう。
「さあ」
「え?」
思わずと言った様子で校長は聞き返す。
「そんな事はどうでもいい事なので聞いてはきませんでしたな」
「ど、どうでもいいとは? 生徒達が死んでいるのですが……」
これまで校内の最高責任者として成すべきふるまいを完璧にしてきた校長が、ここで初めて動揺を見せたように思えた。それほどにその警察の態度はあまりに不可解であった。
「確かに生徒が大勢死んだのは一大事。悲しい事です」
刑事が尚も淡々と告げる。
「ただ、なにしろ我々は別件でここに来ているので」
「別件?」
そこまで会話が進んだ所でまた職員室のドアが開けられ、新たに四人ほどの若く屈強な警察官がぞろぞろと入室してきた。
「樽宮高校校長。あなたをサドン崎デス男殺害の容疑で逮捕します」
ここで初めて刑事の目に意志の光が宿ったように見えた。それは死んだ生徒を悼むための心ではない。卑劣な殺人犯を追いつめんとする義憤の心が目の奥に燃えているのだ。
逮捕を冷たく告げられた校長の反応は正に寝耳に水といった様子だ。ただ口をあんぐりと開ける事しかできず、その喉からは意味を成さない呻き声しか絞り出す事ができなかった。
そうだ。思いも寄らない報告というのはこういう事を言うのである。思考をかき乱されて所在を見失う五体。何の言葉も出てこない数瞬の間。
所詮毅然と立ち向かうなんて行為は予定調和の中にしか存在しない。まずは取り繕った仮面を外して無様な素顔を晒していただこう。これからダブル校長の身に起こる全ての出来事は予定調和なんかでは済まされないのだから。
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