40発弾倉のリボルバー その11

 人の散った公園内に一人倒れ伏した、学生服の男。

 糸の切れた人形のように地面に突っ伏し、それを最後に動いていない。




「お前は……」


 肩に掛けた手にぐっと力を込める。

 まるで地面にへばりついているかのように重い、力が失われた身体。それをなんとか渾身の力を込めて起き上がらせ……瞼を閉じたその顔を、視界へと入れる。






「おい、尚人……」

 光汰が驚きの声を上げる。俺の肩越しにでも倒れた生徒の顔くらいは見えるらしい。





「そいつは……」

 塔哉も短めに呟く。

 何を思いこちらを見ているのかはわからない。それでも俺は頷いた。今の俺は共感を欲していた。




「こいつは……し……」

 まだ三半規管が本調子ではなく、舌がつっかえる。急かされるような気持ちを押さえつつ、ゆっくり呼吸する。思うように飲み込めない目の前の事実を今一度ゆっくりと確認し、そして言葉にする。




 太い眉。短く刈り揃えられた頭髪。堀の深い顔。こいつは















「……知らない人だ」


 たった一つ、何にも覆らない事実を俺は告げた。





 話したこともない。見た事もない。

 ただ同じクラスになる予定だった以外に特に接点のない、完璧に何も知らない赤の他人。



 突然の轟音に日常の境界が壊されていった今日。

 今まで身を置いてきたのとは全く別の世界……超常の領域に足を踏み入れ。

 策や祈りに奔走した長い長い朝を経て、その終わりに



 知らない人が死んだ

















 微妙な空気が漂っていた。



 誰も悲しみはしない。喜びもしない。





 ただ知らない人が目の前で死んでいた。

 特別グロテスクな様もなく、恐怖に歪んだ顔もなく、ただ無傷でぽっくりと横たわっていた。




 特に感想は無い。



 死を悼んだ方がいいのか。

 同じ年齢、同じ高校、同じ世代、同じ境遇の若き死を悲しむべきだろうか。


 だが今までさんざクラスメートと書いて他人だとかルビを振ってきたような人間が、ここに来て何の情に目覚めればいいのか。


 情など無い。

 思う所も無い。

 するべき事など何も無い。




 俺達のこれまでの行動の意味も特に無い。

 情報を集めて、策を弄して、神に祈って、選ばれたのは全く関係の無い人間だった。


 ちらりと後ろを振り返る。二人と顔を見合わせるが、それで何か事が前に進んだりはしない。ただ各々が抱いた微妙な空気が混ざり合って一つになっただけだ。


 正直言えばもしかしたらサドン崎が都合よく死んでくれるんじゃないかってずっと思っていた。

 あるいは俺達三人が選ばれた末、神の加護によって奇跡が起こるような、そんなドラマチックな光景を想像したりもした。


 だが実際はそのどちらでもない。ごく普通に知らない人が選ばれ、ごく普通に知らない人が死んだ。

 順当に36/40としか言えない結果がそこにはあった。


 もちろん3/40に当たらなかっただけ喜ばしいとも思っている。

 サドン崎/40なんて流石に都合が良すぎだという事もわかっていた。


 だけど、それでもこの場の空気はかつてないほどに乾いていた。

 渋い顔で腕組みをする光汰。

 完璧に何も言う気が無くなった顔の塔哉。

 腕が疲れて掴んでいた肩を雑に離す俺。


 ひたすら微妙な空気が流れ続けていた。


 もはや何も起こらない。急速に息を吹き返し始めた日常が、迫る入学式の開始時刻をそれとなく匂わせているのみであった。


 

「あー……えっと、救急車呼ぶか?」


 サドン崎が思い出したように声を上げる。提案する割には率先してスマホを取り出す素振りも無いようだ。



 もはやサドン崎の常識人ポーズに付き合うのすら億劫な俺は、無言のままに学生カバンを持ち上げ、そのまま友人二人の方を向いた。



「学校行くか」

「そうだな」

「ああ」



 三人で死んだ生徒に背を向けて歩き出した。

 俺達は学校へ行く。

 入学式だから学校に行く。








 だが、その瞬間




「う、うう……」





 背後から呻き声がする。


 まるで道半ばの行き倒れのようなくぐもった声。


 聞いたことの無い……声。





 咄嗟に振り返り、確認する。



 サドン崎が目を見開いて驚いている。

 その足元で先ほどの死人が苦し気に目を細め、身をよじるのが見えた。


 そして彼はカッと目を開いた。

 慌てたように勢いよくその身を起こし、首を巡らして周囲を確認する。


「あ、あれえ? 僕、どうしたんだっけ?」

 何が起こったのかわからないと言った様子で、彼は己の手のひらを見つめている。熱い血潮の流れる手の平。血色の良い顔。











「死んですらいないのかよ!」

 事態の微妙さが限界を超え、俺はついに叫んだ。


 数多の策を講じた末に知らない人が死んだ。

 しかもその知らない人が生きていた。




 これで犠牲になった仲間が復活したとかであれば劇的な展開だったかもしれない。

 だが実際に死んだのは知らない人である。その知らない人が実は生きていたとしても、だから何なんだとしか言いようが無い。


 知らない人が死んだというだけでも知った事ではないのに、知らない人が特に何にもなってなかったというのであれば、もはや客観的な事実として本当に俺には何の関係も無い話だ。



 俺が呆然としている間にも、他の人間が知らない生徒を囲み声を掛ける。

「おい、お前大丈夫か!? 救急車呼ぶか!?」

「信じられねえ! 生きてんのか!?」

「なんで倒れていた? 思い出せるか?」


 彼は知らない生徒からの質問攻めに囲まれて困惑しながらも、記憶を探り探りに今さっきの出来事を振り返った。

「えっと……そうそう、なんかめちゃくちゃ大きな音が耳元で鳴ってさあ。ビックリして眩暈がして、ちょっと倒れちゃったんだよな」


 彼の説明に、光汰達はさもありなんと頷く。少し離れた俺でさえ三半規管にダメージを負う爆音だ。間近で聞いた人間が気を失ったとしても不思議ではないだろう。


「しかし、謎だよな……銃で撃たれて死ぬはずが、なんでまたこんな結果になっちまったんだ?」


「え!? 僕、銃で撃たれてたの!?」


 光汰の独り言に、彼は敏感に反応する。


「あ、でも……そうか……もしかしたら……」


「心当たりがあるのか?」


 何か思いついた様子の彼に塔哉が問いかける。


「うん……なんかちょうど音がする直前くらいに、でかいくしゃみが出てすっごい前のめりになってさあ。もしかしてそれで助かったのかなあって」






「避けられるんじゃねえか!」

 もはや叫びというよりは悲鳴に近い、俺の声が響き渡る。


 じゃあ結局頭をブンブン振り回すのが最適解だったのではないか。何の小細工もいらない。ただ身体能力さえあればいい。

 なんなら光汰の言っていたフルフェイスヘルメットだってそれなりの効果を発揮していたかもしれない。常識的な視点に立った物理的アプローチで良かったのだ。超常の存在がすべてにおいて超常かと言えばそんな事は全く無かったのに。


 ここまでの道のりを思い返しては脱力してくる。あの神に捧げた1200円は何だったのか。あの時は自分の賽銭額の少なさに不安を覚えていた。それを今では1200円ぽっちで良かったとさえ思っている。



「あれ? そういえば、君ら樽宮の入学生だよな。今何時?」


「ああ……7:25だな」

 光汰が答える。


「ええ!? やばいって、入学式もうそろそろじゃん! ちょっと僕、もう行くわ! じゃあな!」


 そう言って彼は走り去った。


 新入生の集合時刻まであと10分。流石に怪談がどうのと余韻に浸ってもいられないような時間だった。


「じゃ、俺達も行くとしますか!」


 サドン崎が笑いながら一方的に肩を組んできた。命の危険が去ってほっとしたのか、図々しさが一回り大きくなって帰ってきた気がする。


「お前、さっき光汰にボロクソ言われてまだ絡んでくるの凄いな」

 そう言う俺の指摘に対して、サドン崎は当然意味のある返事などせずにただ笑い飛ばすだけだ。光汰もその様子には流石にドン引きしている。というか、他の二人が無理そうだからって消去法で俺に絡むのは本当にやめてほしい。


 まあ、こいつがあの程度の事でへこむのは有り得ないか。

 こいつは先程光汰の言葉に黙ってしまったが、それは別に光汰の心が胸に突き刺さったからとかではなく、単にいつも以上にマジな態度の光汰にいつも以上に逃げ場の無い指摘をされてしまい、その場を取り繕う言葉が見つからずにただ困っていただけだ。

 その場の空気が過ぎ去った今となれば、こいつの内心に憂いなどありはしないだろう。


 おれは肩に乗ったサドン崎の腕を丁寧に引き剥がして外すと、そのまま目の前の道を歩き始めた。光汰も塔哉もそれに続く。サドン崎も「なんだよ~」とか言いながら付いてくる


 今日は色々な事があった。いつも見ていた世界の表面が剥がれ、裏に隠された恐ろしい何かの片鱗が見えた。

 だが、終わってみれば後に残ったのは日常でしかなかった。


 ドラマチックな奇跡は起きない。

 鬱陶しいやつは死なない。

 覚悟を決めても自分には関係が無い。


 だけど別に悲しくはない。そういうものだと思って生きてきた。

 そうじゃないなら考えを改めて適応しようとも思ったが、結局はそれも肩透かしだった。だったらその肩透かしに盛大に文句をぶつけた後で、綺麗さっぱりと忘れるだけでいい。開始が迫る入学式に歩を進めるだけでいい。


 死ぬべき人間が死ねば少しスッキリするだろう。だけど死ななくたって俺は別に問題無く生きていける。


 今日だって明日だって。

 なんならいつか俺が先に死ぬ日までだって。























「ところで特に理由は無いんだけど、そこの壁の裏に何があるか気にならないか? ちょっと見に行こうぜ」

 俺は目の前の良い壁を指し、提案した。


「なんだあの壁、めちゃくちゃ良いじゃねーか。ちょっと寄るか」


「そうだな、あの壁は見に行こう」


「お、なんだなんだ! 俺も行くぜ!」



 俺の提案にその場にいた全員が乗っかり、四人揃って道の脇にあった良い壁の裏を覗いた。するとそこにはマスクで顔を隠してごつい銃を持った全身武装のテロリストがいた。


「あっ」

「えっ」

「……」

「えーと……」


 無言のままのテロリストと目が合う。友好的とは思えない存在。明らかに平和な社会とは相いれない存在。俺達のようなパンピーに姿を見られてはいけなかったはずの存在。その銃を持つ両手がピクリと動いたのが見えた。



「「「う、うわあああああああああ!!! テロリストだああああああ!!!」」」


 唐突に公園内に登場した完全装備のテロリストに、俺達は一瞬でパニックに陥る。

 テロリストはその叫び声を聞くや否や、目にもとまらぬ速さでその銃口をこちらへと向けてきた。


『貴様ら、何者だ! 壁の裏にいた俺の事をよくも見つけやがったな! さてはテロリストと徹底抗戦するタイプの市民か!』 


 がなり立てるその恫喝の声は、彼が手にしている得物の凶悪さをより引き立てた。


 一度引き金を引けば、休みなく何十発もの銃弾が発射され続ける禍々しい近代武器……アサルトライフル。

 残弾一発だけのちゃちな拳銃とは違う。本物の暴力が俺達の事を狙っていた。








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