勇者の妹にコンプレックスをもつ兄のお話の冒頭

 カシャッ、と静かな空間にカメラのシャッター音が鳴った。音の元であるカメラを持った青年は、悩むような顔で撮った写真を見つめると、


沙凪さな、もう何枚か撮ってもいいか?」


 と、自分の左後ろにいる少女に話しかける。


「大丈夫だよー。私は準備済ませたから、おにぃが撮り終わり次第行こっ」

「はいよ、じゃあちょっと待っててくれ。落ち着いて撮れる機会、そうそうないからな」

「だねー、私もびっくりしてる」


 そんな他愛のない話をしながら、青年は再びカメラを構える。

 ピクニックにでも行っているかのような会話を交わす二人の足元には、明るい口調に反してひび割れた大地が広がっている。風の音とともにもう一度二度シャッター音を鳴らしたカメラが撮ったものは、灰色の巨大な城――魔王城。


「毒の沼とか魔力の瘴気とか、ああいうのがあるとどうしても沙凪に迷惑かけることになっちゃうからな……っと、撮り終ったぞ」

「そこはしょうがないよー、私もいろんなところでおにぃに助けられてるもん。持ちつ持たれつって感じが良い兄妹でしょっ?」

「……そうだな」


 カメラを下した青年――雛苺ひないち神凪かんなは、後ろで伸びをする少女――妹の雛苺沙凪の方を見る。一目で元気だと分かる表情で伸びをする彼女の服装は、日常生活を送るものとしても今から城に乗り込むものとしてもふさわしくなさそうな、パーカーの上に急所を守るための簡単な鎧を身に付けたものである。


「おにぃは私よりいろんなことに気が付くし、勉強も教えてくれるから。肉体労働が私の仕事だよー」

「とはいっても、毒に耐性の付く魔法の装備とか全部俺が使っちゃってるのはな……魔物もいないし、今回くらいは沙凪が着てもいいんじゃないか?」


 沙凪の服装に比べ、神凪は鎧すらつけていない。代わりにつけているのは水色のローブ、一見頼りなさそうに見えるソレは、その実水の精霊によって編まれたこの世界に二つとない逸品である。それこそ、本来は勇者が身に付けるような。


「だめだよー、今のところ結界くらいしか変なものは見つかってないけれど、もし感知できないような魔物とかが出てきたら危険だもん!」

「……その結界も不思議だよな、『入ると出れない』だっけ? ゲートには支障ないんだよな」

「それは大丈夫、あくまで出ようとすると壁になるだけみたいだから、倒された時の道連れ用なのかな……」


 沙凪は数秒「うむむ……」と悩み、


「まあ、考えてもしょうがないよねっ! 先行ってくるねっ」


 ぱんっ、と両手を叩いた後、神凪を置き去りにして荒れた地面を一直線に駆け出した。



 ◆


 沙凪の後を追って、転ばないように進んでいく。途中結界を抜けるときの嫌な感じがして、ようやく城の目の前にたどり着くことができた。

 扉は開いているというよりは蹴破られたといった様子で、奥の方から響いてくる衝撃音が今沙凪が交戦中であるということを告げている。


 俺は扉から二、三歩離れて懐からメモ帳とペンを取り出す。沙凪が魔王を倒すまでの間に外から見た図の方はしっかりとメモしておかねばならない、できるだけ、沙凪が暇をしてしまう時間を作らないように。


「……今回は、あんまり激しくなさそうだな」


 外壁を背もたれにして衝撃を感じながら、周囲の様子をメモに納めて独り言ちる。予測するだけだ、見ることまではしちゃいけない。

 ――妹と違って、自分は勇者じゃないんだから。戦いの余波だけで、近くにいると死んでしまう可能性があるんだから。


 頭をよぎった思考を振り払う。今は関係のないことだ、自分の仕事をしっかりこなすため、俺は外壁回りをゆっくり歩きはじめる。


 妹は、勇者だ。

 俺は、その記録役。


 ◆


 神凪が城の周りを一周するころには、城の中から響く音は止まっていた。ほどなくして、小さな声とともに城の上から沙凪が跳び下りてきた。


「おにぃ、終わったよー!」

「おっ、早かったな。お疲れ様」


 目の前で自慢げに笑う沙凪に、神凪は片手をあげるとぱしんとハイタッチを交わす。嬉しそうな少女に釣られて微笑みながら、神凪はぴっとペンを突き出して、


「それじゃあ沙凪、城の中の様子を見に行ってよろしいか!」

「大丈夫ですっ! 魔物もいなかったよっ!」


 力強い沙凪の同意を得て、二人は談笑しながら城の中を進んでいく。

「魔王は女性だった」や「糸を使って来たけど、正面戦闘は苦手だったみたい」などの話をメモ帳に記録しながら、神凪は沙凪と魔王が戦ったらしい部屋にたどり着く。

 壁には細い物で斬られたような跡が、床には斬られた大量の糸が落ちていて、なんとなくここでどんな戦いがあったのか察することができた。


「致命的な攻撃をしっかり止めてくる感じの戦い方だったから、とにかく戦いにくかったなぁ。魔王にしては珍しい気がしたー」


 戦いの後を見て、思い出すように沙凪が言う。それを横目にメモを書き込んでいると、糸に埋もれるように手のひらに収まる程度の大きさの玉が落ちていることに気が付いた。

 不思議な輝きを放つ美しい玉、しばらくじっと見つめていると、


「……? おにぃ、もうここの部屋は書き終わった感じ?」


 疑問に思ったようで、沙凪が話しかけてきた。


「ん……もう少し見ててもいいか?」

「別に大丈夫だよー、気が済むまで見てらっしゃいなー」


 気の抜けた返事とともに、沙凪はその場で屈伸運動をする。


 沙凪も気に入ったものは持ち帰っているし、これくらいは大丈夫だろう。そう思った神凪は拾った玉を懐にしまいこんで、再び記録をし始めた。



 ――この世界での二人のお話は、ここでいったん終わりを迎える。

 しかし、これは始まりである。彼自身の物語が動き始めるのは――

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昨日か、その前の塵たちへ 響華 @kyoka_norun

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