アオムシ

山野 終太郎

キャベツは自然物ではない

「アオムシって、そんなのがここにいるんですか。」

 2045年の夏、十歳になったばかりのトシくんは、キャベツの葉の上を這っている数センチ程度の小さなアオムシを見て、不思議そうに、そして、可愛らしく頭を傾げながら聞いてきた。

 膝を折ってしゃがんで、トシくんの隣りに頭を並べてガラスの向こうを見ていた上野さんは、ガラス越しに、同じ大きさ、同じ色あいで、ところ狭しと並ぶキャベツの一つにアオムシが這っているのを見つけた。そして、「ほらあんなところにアオムシがいるよ」と教えてあげたことに対するトシくんの反応に、なんて答えてあげれば良いのか思案していた。

 農業という言葉はとっくの昔に無くなり、食料産業になって、人が口にする生産物はすべて食料工場で作られるようになった。半世紀前、土地利用型農業なんていう言葉で表現され、広大な大地を活用して生産していた米や小麦や大豆なども、今やすべて工場での生産となっていた。

 2020年代になり、農業と言われていた産業は、地球の温暖化の進行において、人類が想定していた以上の最悪シナリオをつき進み、極端現象よって引き起こされる超弩級の台風、ハリケーンなどの危機に直面し、その生産性は、従来の五十パーセントにまで落ち込んでいた。その結果、太陽と水と大地と生物による自然循環機能を最大限に使って、持続的かつ健全に生産、再生産を繰り返すなどと言った悠長なことはやってられなくなったのだ。

 日本国内は人口減少に転じていたので、食糧自給率はそう大きく変わることは無かったものの、世界的な人口爆発に対して、世界の食糧需給は追いついていかず、更に、地球規模の変動は、温暖化に止まらず、毎年、世界のどこかで発生する巨大地震や火山の噴火による農業被害も甚大なものとなり、食糧危機への不安は世界的規模の暴動へも繋がるかのような情勢であった。

 しかし、2033年の第三次緑の革命は、この不安を払拭する画期的なイノベーションとなった。従来、農村という場所で行われ、農業と呼ばれていた第一次産業は、完全工業化に成功し、すべての生産活動は、株式会社経営により、カーボンドーム施設内の隔離制御された環境下で行われるようになった。太陽エネルギーの利用効率は3ペタワットを超え、水、炭素、窒素等の物質循環利用率も極端に向上したことで、広大な土地を使わなくても、ドーム内のガラスケース内にある階層的なコンベア型の育成棚の上で、すべての生産行為がロボットにより行われ、しかも、大きさや数だけで無く、栄養価や健康機能性を適正に設計された様々な生産物が年中滞りなく生産されることとなったのである。

 上野さんは、トシくんのお父さんの三つ年上のお兄さんで、この技術イノベーションを日本でいち早く展開し、食料産業において、一代で、自動車産業やコンピュータ産業の超一流大手に匹敵するような大企業に成長させた彼の父親、所謂、トシくんのお爺さんの後を継いだ二代目である。

「トシくんは、アオムシって何か知ってるの」

「ネットで写真を見たことがあるけど、実物は初めてだよ」

 トシくんは生き物、特に虫が大好きで、相当な数の昆虫を知っていたけれど、敢えて、あまり知らないような口調で答えた。

「あのアオムシは、モンシロチョウになるんだよ」

 アオムシがガラスの向こう側にいることを、トシくんに教えることが良いのかどうか迷いはしたが、それでも、自分も初めて見た光景なので、驚きもあり、意を決して教えた。そして、迷ったことの動揺を隠すかのように、モンシロチョウの話をした。

 義務教育という制度は無くなっていないが、教育制度は大きく変わり、かつての小学校、中学校のように、家から学校という場所に通い、決められた時間に決められた教科を学ぶというやり方はなくなった。学習自体は、個人がネット教育で自由に学ぶ仕組みとなり、好きな科目は好きなだけ進めることができるようになった。また、集団的な活動については、学習時間とは別に、週二回のコミュニケーションクラスが設けられて、様々な場所にクラスメンバーが参集するようになっていた。これら一連の教育制度が日本で全国的に採用されてからはすでに二十二年が経過し、三歳からの就学となるので、最初にこの方法で育った子供は、今は二十五歳の社会人となっているが、この教育制度の効果の一つとして、『社会人』と言う概念が消え、早い子供は十五歳ぐらいから、社会において、様々な分野で活躍し始めている。

 好きなものを好きなだけ学ぼうとすると、他の科目の学習も必要となるから、自然にその科目も受けざるを得なくなるようにプログラムされており、決して一つの事だけの天才になると言うことはない。トシくんは、就学してから七年になるが、昆虫や生物の科目は、通常十五年かかるエキスパートレベルまで修了していた。

 また、ネット教育では、自分用のAI教師が、就学当時から常に一緒に居て、学習の補助をしているので、昔の教育システムで言うなら、三十人以上の子供達を一教師が面倒を見るのとは違い、一人に一人の家庭教師がいるようなものだ。

 二十年が経過したこの教育システムについては、それほどの弊害は挙げられていないが、授業中の居眠りや隣どうしのおしゃべり、ぼぅーと窓から校庭を眺めること等も、重要な教育要素であることは以前から指摘されていたので、その要素を盛り込んだ学習に対処できるAI教師の改良が求められているところである。

 さて、話は二人が見たガラス越しのアオムシに戻る。

 トシくんは、アオムシが工場のガラスケースの中にいることは、普通はありえないことだと理解していたが、アオムシのことを告げようかどうかと、上野さんが悩んだ挙句に、そのことを教えてくれたのだということは理解していなかった。

「どうして、ここにアオムシがいるんですか」

 トシくんは、どこからアオムシが入ってきたのかということが聞きたかったのか、何故、食料工場の中にアオムシがいるのか、どちらを聞きたがっているのだろうか。上野さんは、しまった、やっぱり教えるべきじゃなかったと思った。

「アオムシはキャベツが大好きなんだよ。でも、自然の中にはキャベツは無いけどね」

 上野さんは、なるべく、ここにアオムシがいることを問題にしないよう、トシくんの質問を違う方向へ誘導しようとした。今は、キャベツの露地生産は何処でもやっていない。嬬恋だって、渥美だって、みんなドームに変わってしまった。野生のキャベツが自然の中には自生しているかもしれないが、それは、工場で生産されているキャベツとは違うものである。

「アオムシは可哀そうだね」

 トシくんは、更にこう考えたようだ。自然の中にキャベツが無いと言うことは、アオムシにとっては不幸なんじゃないか。人間は自分の食べたいものをいろいろと工場で作って食べているのに、アオムシは工場を持てないから、地球上に存在するにも関わらず、好物が食べられないということじゃないかと。

 上野さんは、父が第三次緑の革命により、露地やハウスで栽培していたキャベツやトマトやキュウリなどをすべて、完全に自然界と隔離し、ドームの中で、人工大気、人工気象、人工土壌で育てるシステムを作りあげ、虫害、病害、災害の三大リスクから守り、国内はもとより、世界に安全で安定した食料を供給していることに誇りを持っていた。そして、この誇りは、昔、農業と言われていた自然の中での不安定な生産システムを自然から切り離すことによって得られたものであるとも認識していた。

 だから、ガラスの向こうのキャベツは食料であって、キャベツという植物ではない。実際に、キャベツはこの後、加工、流通段階で、カットされたり、ペーストになったり、調理されて姿も変わり、様々な食品になって、食卓につながるので、植物と考える必要がない。

 アオムシが付いていたことで、トシくんに、あれは植物なんだと思われたくなかった。もちろん、もっと社会的な問題に発展させたくないという思いもあり、回答としては、どんどんとはぐらかしていくしかなかったようだ。

「トシくん、アオムシは菜の花などのアブラナ科が好きってだって知っているだろう。菜の花は自然にたくさんあって、アオムシは菜の花の葉っぱを食べているから、キャベツは自然にはなくても良いんだよ。昆虫辞典に、アオムシはキャベツが好きなんて載ってなかっただろう」

「でも、おじさん、自然の中にキャベツがあっちゃいけないってことはないよね」

 と、トシくんは、どうしてもアオムシにキャベツのうまさを伝えたいようだ。

「トシくんはキャベツが好きなんだね」

「そうだよ。僕はキャベツが大好きなんだ。だから、アオムシがあんなおいしいものにありつけないなんて、可哀そうだよ。えっとさ、僕はプリンが大好物なんだけど、あれは自然の中にあるものじゃないけど、例えば、あれ食べられなくなったら、僕、死にたいくらい悲しいよ」

 トシくんが昆虫や生物についてはエキスパートレベルに達していることは親戚一同が知っている。以前、弟が、「トシは、九歳三ヶ月で生物学領域のエキスパートレベルに達したんだ。すごいだろう。こうなったら、このまま自然保護監察官の職にでも就いてもらうのが一番良いんだけどな」と自慢げに言っていたのを思い出す。でも、知識量があるだけで、考え方や発想はまだまだ子供だ。もちろん、この子供らしい発想力そのものが、技術の進歩に大きく貢献しているのが、現代の教育制度の最大の利点である。

 上野さんは、トシくんの可愛らしい発想がとても気に入ったが、トシくんにとってのプリンとアオムシにとってのキャベツが同格の意味を持っていることが気になった。

「モンシロチョウの幼虫も、工場で作った食料が食べたいのじゃないかってことかい」

「そうだよ。ブロッコリーも、ハクサイも、小松菜だって、みんな人間の食料だから、おじさんところでは作っているんだろうけど、全部、自然の中にはないよね」

 トシくんは、昆虫に詳しいだけでなく、植物のこともそれなりによく分かっている。しかも、『人間の食料』と言う表現から読み取れるように、食料産業のこともよく勉強していて、明らかに意識して、自然の植物と工場で作る食料とを分けて考えているようだ。

 子供だと思って、なんとか取り繕いながら答えていたため、だんだんと押されてきた。トシくんも、自分の聞きたい答えが、上野さんから引き出せないことで、もどかしくなってきたのだろう、再度、単刀直入に質問してきた。

「アオムシは自然にいる生き物でしょ。それがどうしてここにいるの」

 上野さんは、やっぱり、トシくんにアオムシがキャベツに付いていることを教えなければ良かったと、再度、後悔していた。

 今日、トシくんが上野さんの工場に来たのは、来週の集団活動のコミュニケーションの時間で、話題を提供する順番だったため、その題材探しだった。最近、トシくんが最も興味のある食料工場の取材で、コミュニケーションクラスのみんなに、こんなことは知らないだろうということを見つけ、発表しようと考えていたからだ。また、おじいさんは、第三次緑の革命の日本の英雄の一人で、この会社、セーフティフードサプライ社の創業者であることを知っていたので、その偉業をみんなの前で発表できることも楽しみにしていた。

 食料産業というものがどういうものかは、学習過程において知っているものの、生産物が実際にどのように生産されていて、それがどのように加工され、どのように輸送され、食品として自分の口に入ってくるのかは知らないし、フードチェーン全体を実際に見る機会というのは無かったので、朝からウキウキしていた。

 第三次緑の革命の重要なポイントは、植物生産を自然循環から切り離し、完全工業製品として製造し、需給予測の中で、国民ひとり一人の健康管理までも見据えた、個別食糧供給を行える点であり、そのためには、生産に関係する単純な物質循環だけを取り出し、生産、加工、流通、消費までを繋ぐことであった。自然は一切使わず、物質循環の定量化は使えるところまで使い、リスクはできる限り排除するのであるが、害虫なんていうのは、循環に不安定性を与える最大の要因であった。よって、トシくんは、工場内に入る前に、工場内で、虫の話なんかが出るとは思わなかったはずだ。そこに虫がいるとは思っていないからだ。もちろん、食料生産に微生物等が関わっていることは知っているが、それらは、特定の資材であって、一般に昆虫と言われるものは、自然のもので、食料生産とは相いれないものとして教育されている。

 自然の中にある植物と食料工場の植物は、まったく違う次元のものであるので、植物工場とは言わず、あえて食料工場と言っているのである。なのに、どこから入ってきたのか、ガラスケースの向こうに自然の象徴のようなアオムシがいたのである。これは、工業製品でいうところの不良品なり不製品であって、工程管理に問題があることを示している。

 上野さんが、さっきから落ち着かなかったのは、そこのところを見られたことがまずいと思ったからである。実際には、自分で教えてしまったので、自業自得ではある。トシくんは、コミュニケーションクラスで、食料工場にアオムシがいたことを絶対に話すだろうし、そのことが、子供たちの間だけならまだしも、ほとんどの子供たちは世界中の人とSNSでつながっているので、すぐに世間に知れ渡る。更に、家庭内のコミュニケーションは減ってきているとは言われているものの、それをすぐに親に話す子供もいるだろう。

 『セーフティフードサプライ社の工場にアオムシがいた』なんていうニュースは、リテラシー調整が即座になされ、世界中に流れてしまうだろう。例え、『セーフティフードサプライ社、生産工程に昆虫混入実験開始』なんて言うフェイクニュースに置き替えたとしても、誰もこんなフェイクにはひかからないだろう。

 自然と切り離した生産工程が当たり前となった社会から見たら、どれだけ言い訳をしても、食料工場における不製品のリコールから逃れるための策にしか見えないだろう。

 しかし、トシくんの場合、不製品に対する社会問題よりは、工場の中にあってはならないはずの自然の断片があって、アオムシがトシくんの大好物のキャベツを食べていることへの驚きしかないようだ。

 上野さんは正直に状況を説明する訳にはいかないと思った。

「いいところに気づいたね。あのアオムシはね、ストレスインセクトと言ってね、わざといれてあるんだよ。植物は食料工場の中だとのんびりしすぎてしまうだろう。だから、アオムシなどのストレスをあえて送り込んで、植物に緊張感を持たせることで、アオムシに対抗する成分を出させるんだ。しかも、その成分が食料としても必要な成分となるんだ」

 とっさに考えた割には、なかなかの説得力ではないかと上野さんは思ったのだが、そんな子供騙しの説明で、トシくんは騙せない。子供と言えども、相手は昆虫のエキスパートレベルだ。トシくんの疑問は、さらに広がっていくのである。疑問というより、上野さんはひた隠しにしようとしているだけなので、そもそもトシくんの疑問と絡まらない。

「おじさん、アオムシは自然の中にいるんだから、逆にキャベツだって、自然の中にあっても良いよね。自然の中で育ったキャベツって、どんな味がするんだろうね。たくさんの虫で、ものすごくストレスがかかれば、もっと違う成分だって出るんだよね」

「そうかもしれないね。でも、違う成分は人間には必要ない成分だから、無理に自然の中でキャベツを作る必要はないんだよ。それに、ほら、自然の中だと、予想以上の雨が降ったり、来てほしくない他の虫だって来て、葉っぱを食べちゃうかもしれないだろう。余計なことが多くなると、予定通りの生産ができなくなって、トシくんの食べる分だってなくなっちゃうかもしれないじゃないか」

 なんとか、トシくんの興味を自然から遠ざけたいのだが、無理した説明だから、すればするほど、また無理が生じてくる。

 トシくんは、難しい質問をした訳じゃない。単に、アオムシにもキャベツを食べさせてやりたい。それだけなのに、どうして、キャベツは自然の中で作られないのか。しかも、おじさんは、まるで、作ってはいけないみたいな言い方をする。そこがしっくりこないようだ。そして、トシくんは、今度は悟ったような質問を上野さんに投げかけた。

「おじさん、自然というのは、生物や植物が自由に相互に関係して作られていると思っていたけど、どうも違うんだね。自然も自然を作っている工場ということなんだね」

 今の自然は本当の自然ではなさそうだ。しかも、人と自然の長期にわたる関わりの中で形成されてきた二次的自然というものでもなさそうだ。

 緑の革命によってもたらされた食料の安定供給は、自然と生産を分断することによってのみ成立している。そして、上野さんが言うように、それによって、食糧不足の回避はさることながら、病害虫、災害などの様々なリスクを遠ざけ、安定した生産ができるようになった。しかし、それによって本当にもたらされたのは、人間と自然と食料生産との混沌とした関係性を断って、資源循環を二つの系に分断したことだ。自然と関わらない、自然の意味を盛り込まない単なるエネルギー源としての食料を一つのフードチェーンの中で循環させて作っただけである。それはまるで、蒸気機関車が石炭をくべられ、ひたすら走るようなものだ。


 トシくんが食料工場を見学に来てから一週間が経った。僕は、トシくんと上野さんが立ち去った後、すぐに、別のキャベツに移り、キャベツばかりを齧りながら、葉の陰に隠れていた。なんとか、異物センサーにも引っかからずに、捕まえられて、自然の中に放り出されることもなく、事なきに終わった。上野さんも、不製品があったことを世間に隠したかったのだろうし、また、僕を見つけるために多くのコストを使ったり、生産工程の見直しをするのもたいへんなので、黙っていたんだろう。

 ところで、トシくんは、コミュニケーションクラスで、みんなに僕のことをどういう風に伝えたんだろうか。ストレスインセクトなんて言葉には騙されていなければいいのにって思う。僕は、少なくとも、植物にストレスなんて与えちゃいない。共生できることを、ストレスなんて言われちゃ、たまったものじゃない。

 収穫から加工の工程に移り、何れ、裁断機かなんかのところで、僕は間違いなく死んじゃうんだと思う。もしかしたら、加工残渣とともに有機資材になってしまうかもしれない。それはそれで有意義な生きざまかもしれないが、できれば、今度生まれるときは、食料工場の中は嫌だ。いくらキャベツがおいしくたって、工場内はまっぴらだ。雨に打たれ、風に飛ばされそうになりながら、鳥やカエルたちに襲われる危険にびくびくしながらでも、本当の自然の中で生まれたい。できればそこにキャベツもあったら良いのにって思う。

 トシくん、僕のことを、いっぱいいっぱい考えてくれて、ほんとありがとうよ。僕は、食料工場を自然化するために工場内に潜り込んだんじゃないよ。キャベツっていう奴を一度食ってみたかっただけなんだ。

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