エピローグ
二月の外の空気は寒いを通り越して肌が痛い。
私は一人で、歩き慣れた地元の街を適当に歩いていた。スマホのカメラで動画を撮りながら。
今まではずっと、自分以外のメンバーが映っている動画ばかり出してきたけれど、最近は私一人のソロ動画も出してみようと模索している。
今日もその一環で、「さっちゃんと行くお散歩Vlog」がテーマののんびりとした動画撮影中だ。私の姿が映ることはないけれど、私と同じ目線で街中を移動して、ときどき私も喋ったりする、まったり映像。
めちゃくちゃに凍りそうなほど寒いことを除けば、いい感じにお散歩兼撮影は進んでいる。
目の前の曲がり角を曲がって、よく撮影に使う例の公園が目の前に見えたところで、私の目が一人の人間を捉えた。
あれは……志紋くんだ。
一人かどうか遠目からはわからないけれど、公園で踊っている。
そういえば、仕事が数日休みになって、こっちに帰省してるってヒロが言ってたっけ。ヒロの家出をきっかけにおばさんとは和解できたみたいで、お正月も帰って来ていた。奈津田家が仲直りできたのは、良かったなと思う。
私と志紋くんは、微妙なままだけど。
私はしばらく立ち止まったままじっと公園を見ていたけれど、よしと覚悟を決めて公園へ向かった。
最後に志紋くんと会ったのは、東京で二人で踊って、ヒロに止められてしまったあの日だ。
あれから直接顔を合わせていないのは少し気になっていたのだ。
公園に足を踏み入れると、少し固い土の感触がスニーカーを挟んで足に伝わった。
音楽を流して踊っている志紋くんと目が合った。
志紋くんは、あ、とでも言うように口を丸く開けて私を数秒見た。けれど、迷ったように目をそらして踊り続ける。どうやら曲の最後まで中断する気はないようだ。
私は音楽が終わるのを待つことにして、彼の動きを眺める。
早口で歌えば舌を噛みそうな歌詞とメロディのボカロだ。
振り付けは志紋くんのオリジナルなのか他の人のコピーなのかわからないけれど、ところどころで変な動きが入っている。カニ歩きみたい。笑いを取ろうとしている振りなのだろうか。
大の大人の志紋くんが一人で踊っていると、ちょっと……いやかなり、可笑しい。だけどなんか……一緒に踊ってみたくてうずうずしてくる、この感覚。
私はうっすらと笑みを浮かべながら、何度か繰り返されているサビの部分の振りを真似してみた。
腕をぐるぐると振り回して、ジャンプして、カニ歩き。
「……ふっ」
自分でやってみても可笑しくて、私は思わず声を漏らした。
同じくらいのタイミングで曲も終わり、志紋くんが荒い息とともに膝に手をついた。
「志紋くん、その振り付け、変だよ。一人で踊ってたら危ない人だと思われそう」
「ま、マジで? ここで踊るのやばかったかなあ。今度、圭と一緒に撮ろうって話になってる曲で、練習してたんだけど」
圭くん。懐かしい。彼もまだ踊り続けているんだ。やめてしまった私と違って。
「アッキは、どうしたの? 一人?」
「うん。YouTubeの撮影してたとこ。でもほんとにその振り……ギャグ感がすごいね」
「だよな、俺もちょっと思ってたわ。これ、圭が考えたんだけど、あいつたまにとんでもない振り付けしてくるからさあ」
苦笑する志紋くんに私も頬を緩めた。
もっとぎくしゃくするかと思っていたけれど、案外普通に話せている。
「あの、志紋くん。前の撮影のとき、途中で帰っちゃってごめんなさい」
「……ああ、全然。てか、アッキが踊るのやめた本当の理由とかも知らなかったし、俺もごめん」
公園の地面に座り込んだ志紋くんが、少し困ったように私を見上げて笑った。
下から見つめられているのが変な気分で、私も彼の向かいにしゃがみ込んだ。
「アッキは俺にそういう事情、話せなかったんだよな。相談してもらえないくらい信頼されてなかったんだなって思って……あの頃の俺、たぶん自分のことばっか考えてたなって反省してる」
「それは……ごめんなさい。私も、話そうとしなかったから。ちゃんと本気で話せば……よかったかな。もっと悩んでることとかしんどいこととか。そうしたら何か違って、今も踊ってたかも」
今さら考えても仕方のないこと。だけど、ときどき後悔する。
自分は彼のことを兄のようだと慕いながら、どこか心の底では信用していなかった。
どうせわかってもらえないとも思っていたし、わからないと言って笑われるのも怖かった。
もっと頼ればよかったのかもしれない。最初から、この人に話しても意味はないなんて思わずに。
「でもさ、今はアッキ、ちゃんと何でも話せる信頼できる人、いるもんな」
「え?」
志紋くんを見ると、頭に手が伸ばされて優しく撫でられた。
「一緒にYouTubeやってる三人になら、悩みも何でも話せるだろ。良かったな」
「あ……うん」
言われてみて、ああそうかと納得する。
彼らにはいつのまにか、思ったことは何でも言えるくらいの信頼を寄せるようになっていた。
「少し遅くなったけどCOC所属もおめでとう」
「ありがとう。まだジュニア部だから正式な所属じゃないけどね」
「それでも、一歩進んだじゃん。頑張って。応援してるから」
「……うん」
お互いの間に少しの沈黙が流れる。
私は勢いよく立ち上がった。
「志紋くん」
「うん?」
「私、志紋くんと踊るの好きだったよ」
彼の目が見開かれる。
私は明るい声で言葉を続けた。
「だから、いつかまた……踊ってくれる? いつか、カメラが平気になったら、また一緒に撮ってくれる?」
「ああ……うん」
ぼんやりと一度うなずいてから、彼は再びぶんぶんと首を縦に振った。
「もちろん。アッキが踊りたくなったときに、いつでも。待ってるよ」
「ありがとう」
ひとつ、肩の荷が下りたような気がした。
急がなくても、踊りたくなったときに待っていてもらえる。
今すぐ頑張らなくても、いい。
よいしょ、と志紋くんも立ち上がる。
「じゃあ、俺はもう少し練習しよ。アッキは? もう行く?」
「うん。私ももうちょっと撮影続ける」
「そっか、気をつけてな」
「うん。……志紋くん」
「ん?」
続きを促すように彼は首を傾げる。
こんなことを言うなんて、あのときの……アッキをやめようとしていた頃には想像もしていなかったけれど。
「私を、動画に誘ってくれて、ありがとう」
志紋くんがいなければ、私はユーチューバ―なんて存在にも、動画の編集にも見向きもしなかっただろう。
ハルに声をかけられることも、今のハルちゃんねるのかたちも、きっとなかっただろう。
勝手に踊り手をやめて、勝手にまたお礼を言うなんて本当に私は自己中だけど、でも。
「ありがとう」
もう一度言葉にすると、彼はくしゃりと表情を崩して泣きそうな顔で笑って……頷いてくれた。
手を振って彼に背を向ける。公園の出口に向かって足を踏み出すと、再びさっきと同じ音楽が聞こえ始めた。
志紋くんは踊り続ける。それが彼。私は動画を作り続ける。
撮影をして、それから動画の編集をしよう。ハルちゃんねるにアップするための動画を。
それが今の、私だ。
画面の向こうで僕らは笑う【修正版】 中村ゆい @omurice-suki
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