女、そしてミルクティーを飲む
「ただいま〜……っと、誰もいないんでしたそーでした」
ショルダーバッグを下げた腕にはコンビニの袋。中身はきゅうりの浅漬けとミルクティーと蒸しパン。
食べ合わせの悪さなんて気にしない。一人きりの生活ではそんな物どうでもいい。食べたい物を食べて、スカートの上に乗る贅肉にだけ気を配る。
後藤田紗子がこの1Kの部屋に住んで、もう8年にはなるだろう。その間この部屋の住人は一人以上になった事は無く、今後も無い予定だ。
パンプスを脱いで少し湿ったストッキングのままキッチン兼廊下を足早に通り過ぎ、内部屋のドアを開ければタイマー通りに起動したエアコンのお陰で中は温かった。
コートとスーツをさっさと脱いで干してしまえば、後は下着を外して部屋着に着替える。
ベッド脇のローソファに脱ぎ捨てられた部屋着に袖を通すと、鞄を漁ってスマホを取り出した。要らないDMを削除しながら、片手でミルクティーのパックを開ける。次にチャットアプリを立ち上げた。基本、通知は切っている。紗子は自分のペースを乱されるのが嫌いだった。
「また消えた。最近うまくいかないな」
声に出してしまった方がいい。独り言でも。チャットアプリの幾つかある部屋のうち、一つから人数表示が1に減っている。つまり、話していた相手が部屋を抜けたのだ。
こうやってネットで知り合う位しか、紗子は出会い方を知らない。
実際はビアンバーやリアルイベントがある事は知っているが、一人でそこに行く勇気は無い。かといって、一緒に行くリア友もいない。
ネットで出会う、それは全国の誰とも知らない人と出会うという事で。
リアルで出会うより、紗子はこっちの方が好ましいと思っていた。遠距離は苦にならないし、どうせなら会話して楽しい人がいい。
ただでさえ狭い同性愛の関門をくぐり抜けて、そう思える相手と出会うのは、結構難しい事だったりする。
見た目にはそれなりに気を遣っている方だが、生憎と漫画のように同性愛者に出会ってお付き合いするような出会いは、紗子には無かった。
それなりに大きい会社で、それなりに男性からの誘いはあったけれど、男性は対象外だ。意味が無いし、気を持たせるのも悪いからと断り続けていたら、そのうち誘われなくなった。そしていよいよ明日、三十路になる。
「何も今日じゃなくても……まぁいっか」
誕生日を祝ってくれるような友人も特にいない。ネット越しに、いい感じになった相手から言われる、おめでとう、それだけでよかった。
しかしその希望も潰えた。ミルクティーをパックから直飲みし、新しく募集文を掲示板に上げてから、紗子はシャワーを浴びに浴室に向かった。
シャワーを浴びてる間に応募が来ればついている。来なければ、こちらから条件の合う女性を物色すればいい。
シャワーを終えて髪を乾かし、手癖でスキンケアを済ませてスマホを見る。メールは無い。ならば物色するだけのこと。
思えばこうして出会いにあぶれた人がこんなに居るのに、どうしてうまく出会えないんだろうかと思う。だが、紗子だって物色するのだ。相手も物色するに違いない。
一般的にノンケの女性はより優れた遺伝子を求めて男を選ぶという。なら紗子は何を基準に選んでいるのだろう。
「あ、この人いいな」
そこに書かれてるのは簡単なプロフィール……大体の年代と、どんな働き方をしていて、どんな体型で、どんな服装を好んで、どんな趣味を持っているのか……だけで、紗子は相手を選ぶ。
高望みしているつもりは無い。優れた遺伝子を残したいという本能も無い。ただ、ピンとくる人がいる。返事が来ないこともザラだから、半ば諦めまじりにメールを作る。
きゅうりの漬物を爪楊枝で摘みながら、はじめまして、そして自分の簡単なプロフィール、ちょっと気を引くために、好きな飲み物はミルクティーと書いておく。そのつまみがきゅうりの漬物だという事は伏せる。嘘をつくわけじゃ無い、ミルクティーといっても紙パックの安い市販品だが、これも嘘じゃない。
虚栄心とはまた違う。いや、虚栄心なんだろうか。
化粧をするのと同じ様に、相手によく思われたい、そういったマナーのようなものだと思う。
ただ、今日のメールには何となく、ちょっと口紅を塗り忘れた位の気持ちが働いて。
紙パックのミルクティーが好き、と書いて送った。
返事が来るかどうかは分からない。その上、数日空いてくる事もあれば、直ぐに返ってくる事もある。
蒸しパンを取り出して半分食べ、きゅうりにも蓋をして、ミルクティーは飲み干した。空のパックを慣れた手つきで折り畳んで捨てる。
明日の朝は水ときゅうりと蒸しパンの残りだ。誕生日の朝には相応しくないが、はしゃぐような歳でもない。代わり映えのない食事で充分だ。
そうこうしてる間に日付変更線が近付いてきた。明日も早い。エアコンと電気を消してベッドに包まった。
メールの返信は、まだない。
冬の薔薇は死んだ 真波潜 @siila
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