第2話:気まぐれな

 「イヒメ!あんたはなにをやってるんだいっ!あれほどお前にも注意したはずだよ!あいつには近づくな、関わるなって!どうしていつもいつもいつもいつも私の言うことを聞かないんだい!そんなに母さんが嫌いかい!?反抗しなけりゃ気が済まないのかい、え!?」


  イヒメの家の中から近所迷惑な怒号が響き渡る。町の賑わいから言ってそう迷惑でもない様子だったが。


「そ、そういう訳ではないぞ母上!だからそんなに怒鳴らないでく……」


「あぁ、あぁ煩いよ!お前が言うことを聞かないのはそういうことなんだろう?本当手のかかる……わたしゃもうあんたにはお手上げだよ!」


  言い訳は聞いてくれないらしかった。イヒメのなけなしの弁明を遮って、腰に両手を当てた母親が顔を寄せてくる。近過ぎて、イヒメもたじろぐ。


「うっ……しかし、妾だって……」


「何だい!お前だって!?」


「……何でもない」


「はあ、本当にこの子は。何もないなら早く洗濯物を干して来な!」


「承知した……」


 ***


  イヒメの足取りは重かった。徐々に重みを増し、そのうち地面を割って奈落に堕ちていきそうな心地だった。


(妾はただ、外の世界が見たいだけなのじゃ)


  いな。見たいだけなどある意味嘘だった。それはていのいい言い訳だった。

 そして、そのことは彼女自身わかっていた。


(本心は……妾は、この広く雄大に流れて行く空のもと繋がっているはずのの大地に思いを馳せている。己の目で見て、感じて、全身で吸収したい。妾の日常は、そんな世界の一端も見せてはくれない。つまらぬ、退屈じゃ、窮屈じゃ。あまりに度が過ぎた嫌がらせではなかろうか。誰も未知の世界に心踊らぬというのか。妾がそれほど奇異きいであるというのか)


「それは、あんまりではなかろうか」


「そうだね。あんまりだよねー」


何奴なにやつ!」


 降って湧いた声に、イヒメの小柄な身体からだが反射的に飛び跳ねる。腕に掛けていた白い肌着がひらりと布を翻した。向き直ったイヒメの前に現れたのは、シアキだった。


「お主……どこから……」


  彼はイヒメの家の庭の、洗濯物干し場にある唯一の大木たいぼくの枝に腰掛けていた。彼の着物が風に乗る。流れる雲を背景に、一番高いところにいる彼の姿は、風を操る風神を思わせた。颯爽と現れ、飄々ひょうひょうと姿を消す、そんな気まぐれな風の神のようだった。

 

「ど、どうやってそこまで登ったのじゃ……」


 イヒメには検討もつかなかった。その木はイヒメですら登り詰めたことのない大樹だった。いつからそこにいたのかわからないほど年紀ねんきの入った、しかしどっしりと構え続けているような樹だった。枝数も多くはなく、幹もまた円柱を積んだように直線を描く太いものであるため、足を掛けたり腕を回したりすることも難しいはずだった。


「と、いうかのう、そもそも人の家の大木にそうやすやすと登るものか?無礼にも程があるぞ」


 しかし、そんな彼女の思考も言葉もかわし、彼は言葉を発した、真っ直ぐに。つむじ風のように一点集中で鋭く自分を突きに来る、イヒメはそう感じていた。


「んー、そんな平凡な質問は聞き飽きたんだよなー。君は、もっと面白い心を持ってるはずだ。そんな一般人Aや同業者Bになんてならないでくれよ」


「聞き飽きたなどとぬかすか……シアキ、お主は一体何者なのだ」


「うーん、それも聞き飽きたといなんだけどなー。まぁ初めてじゃあこんなもんか。誰だって正体は知りたいって思うもんね、うん」


「何をブツブツ言っておる。そもそもお主、今朝から大分様子がおかしいぞ。一体どういう心境の変化じゃ。印象が異なり過ぎじゃ」


 イヒメはシアキにそう感情を投げた。彼女の中の彼が崩れ、イヒメは今朝からまるで大切な何かを壊されたような気持ちに陥っていた。


  (先日はもっとおどおどしていて、頼りなく、呆れたものだ。しかし、今目の前にいる雄弁な物言いのおのこは誰じゃ。それに、本当に初め……出会った頃のそなたは……)


「んっ?あぁそれね。聞き覚えあるけど珍しいたぐいの質問だ。今まで三人くらいだったかなー?本当は俺がもっと上手くやんなくちゃいけないんだろうけどね」


 再度ベラベラと独り言のように流してから、シアキはイヒメの目を見てにぃ、と笑った。相変わらず意味の拾えない答えだったが、その笑顔だけはイヒメの知るあのシアキの顔だった。


「いいよ、教えてあげる。多分ね、馴染んできたんだと思う」


「馴染んできた……とな?」


  シアキは意味不明なことを量産していき、イヒメは何度でもそれに置いていかれる。


「うんうん、意味不明って顔してるね。いいんだよいいんだよ、それが普通さ。まぁ君に関しては普通は求めてないんだけど、仕方ないね。まだ戻ってないんだし」


「お主が時折ときおり言うその『戻る』というのもどういうことなのじゃ!」


「えー、それは今言っちゃ野暮やぼってもんだよ。つまんないじゃん。君が自分で見つけないとさ」


 イヒメは不満で溢れ返る胸の内を消化しきれなかった。幼い彼女では、そのことが表に出ていたのだろう、すかさずシアキに指摘された。


「おっ、いい顔するねー。やっぱり君はそうこなくっちゃ。あの人っぽくなってきた。取り戻しつつあるのかな?いやー、でもまだ早いかなー?ここは焦らずいこうね、うん。安定が一番だ」


「ごちゃごちゃとうるさい!今のお主のようなやからは好ましくない!言ってる意味もさっぱりわからぬ!そして妾の疑問は一つも晴れておらぬ!それどころか深めておろう!故に聞いていて腹立たしい!というかお主、わざとそのようにして楽しんでいるじゃろう!?」


 遠回しな物言いや即座に答えをくれない態度のシアキに腹が立ち、イヒメは木の上に向かって叫んだ。しかし、シアキはひるむどころか大いに手を叩いて嬉しそうに笑顔を満開にした。


「おー!すっごいね!やっぱり流石あの人の娘だよ、進化が飛躍的だ」


 シアキは唐突にその言葉を出した。彼女はついそれに反応する。


「『あの人』とは……父上のことなのか?」


「そーそー、君のお父さん」


「お主、妾の父を知っているのか!」


 掴みかかる勢いで、しかし木の上のシアキには届かないため、彼女は大樹をを両手でドンドンと叩いた。小柄な彼女が叩けたのは、木の根本だった。振動はわずかでも伝わっているはずだったが、シアキが驚いたり態勢を崩したりすることはなかった。落ち着き払った瞳で、哀れむかのように、天からちっぽけな姫を見下ろす。


「妾の父上とは……どのような者だったのじゃ!本当に、『大うつけ』などと呼ばれるようなうつけ者であったのか!?誰も彼もが後ろ指を指すような……そんな恥ずべき人だったのだろうか!」


 泣きじゃくる子供のような彼女に降ってきたのは、シンプルな答えだった。


「それを、君自身の目で確かめてみればいい」


 イヒメが長い間悩んでいた種を、シアキはいとも簡単にはじいた。まるで種をこじ開けるように強引に。


「お主は……本当に何者なんじゃ」


「だーいじょうぶ大丈夫!シアキ君にももうすぐ会えるから安心しなよ。きっと懐かしく感じるよ、本物は」


 意味深な言葉の羅列られつと不敵な笑みを残し、また風が吹く。諦めて目を閉じ、すぐに開く。開けた視界には風の名残で揺れる大樹の葉と無情に薄く伸びる青空があるだけだった。町の人々が行きみちが今日も賑わい始め、直に人々で満たされるだろうと思われた。


  (妾が夢見る世界とやらは存在していると思ってよいのか?世界は妾を絶望させはしないか。シアキの様子が変わったあのときから、なぜか望む世界に手が届きそうな気がしてならぬ。しかし、いざ目の前にするとこうも不安に感じてしまうのか……。結局妾も、散々蔑さげすむように見てきた人々と何一つ変わらぬのかもしれぬ。平和に慣れ、満足することなく欲を出し、求め続け、それでいて変化を恐れる。何と愚かなことか…… 。何と言っても、妾も同じ人間なのじゃ)

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双星 雪猫なえ @Hosiyukinyannko

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