10-8 いつもみたいに
「ど、どういうこと?」
眉間にしわを寄せて、姫奈は龍斗に尋ねた。
「化け猫には物理攻撃が効かない。つまり、姫奈の魔法だけが頼りなんだよ」
「アタシの……魔法」
姫奈は化け猫に炎魔法で脅したことを思い出す。確かに、炎魔法はかなり効果があったように思える。
「分かったわ。やってみる」
「ありがとう、姫奈ちゃん。僕が姫奈ちゃんを呼んだら、化け猫に炎魔法を放ってください」
「うん」
姫奈は大きく頷き、宗治と龍斗は再び化け猫と向き合う。
――そうだ、アタシだって。
いつも宗治の帰りを姫宮家で待ち続けていた。危険な依頼はついていくこともできず、ただ無事を祈るばかりだった。
姫奈に背を向け、玄関を出ていく姿を見守っていた。
その背中が今、共に戦う仲間としてそこにある。
そんな事実が、少女にとっては嬉しかった。
目の前で、宗治と龍斗が攻撃を回避しつつ化け猫の気を引く。
化け猫が丁度姫奈に背中を向けたとき、宗治の姫奈を呼ぶ声が聞こえた。
「姫奈ちゃん、今だ!」
その声を聞いて、姫奈は化け猫に両手をかざす。かざした両手に意識を集中させ、ありったけの魔力を込める。
そして、ありったけの声で少女は叫んだ。
「燃えろおおぉぉぉおっ!!」
姫奈の身長と同じくらいの巨大な火の玉が爆発音とともに現れ、高速で化け猫に向かって飛んでいく。
「にゃっ――!?」
化け猫は爆発音に振り向くが、気付いた時にはすでに目の前に火の玉が迫っていた。
避ける間もなく――火の玉は化け猫に直撃した。
「あ、あつっ熱いっ!」
火だるまとなった化け猫は、小屋の真横にある池に飛び込んだ。
元の姿に戻った状態で池から這い上がってきた化け猫の前には、宗治が立っている。
「僕たちの勝ちのようですね」
琥珀色の瞳で、化け猫を見据える宗治。
「……分かったにゃ。彼女のことはもう諦めるにゃ」
化け猫はびしょ濡れの体でうなだれた。
■■■
無事に化け猫の呪いから解放された鈴音。
猫耳と猫尻尾はすでになく、普通の女性と変わらない外見となった。
「ふぅ、やっと猫化から解放されたわぁ」
鈴音はぐっと背伸びをして、ちらりと小屋を振り返る。
恨めしそうに手を振る化け猫が、小屋の前にいた。
鈴音は小さく手を振ると、来た道の方向へと歩き始めた。
「鈴音も無事に呪いから解放されたことやし、宿に戻るか」
「そうだな、もう真っ暗だから急がなきゃ」
隆一と龍斗も同様に、小屋とは逆方向に歩き始めた。
「そうね。真田も来なよ」
くるりと振り返り、姫奈は宗治に声をかける。
「……」
宗治は曇った表情を浮かべたまま、姫奈の方へと近づいてくる。
「真田?」
姫奈の目の前まで来たところで立ち止まり、宗治はジャージのポケットから何かを取り出した。
それを姫奈に差し出す。
「え、これ……なんで真田が?」
「山の途中に落ちていました。宿に預けようか迷ったのですが、すれ違う可能性もあったので悩んで持っていたままでした」
差し出されたのは、翠色のペンダント。
姫奈が大切に持っていた、龍斗の兄――
「ありがと」
姫奈は宗治からそれを受け取ると、柔らかな笑みを浮かべた。
「はよ山下りるでー。妙な幻獣が来るかも分からんぞー」
二人を呼ぶ隆一の声が聞こえる。
「はーい、今行くー」
姫奈は返事をして、宗治に声をかける。
「さ、急ごうよ」
だが、宗治が歩み始める気配はない。
「どうしたの? 早く行こうよ」
姫奈はいつもの調子で声をかける。
「前に言ったはずです。お別れです、と」
が、返ってきた言葉は三日前に最後に見た彼のままだった。
「でも、また会えたじゃん。それに今日はいつもみたいに戦って、いつもみたいに問題を解決して――」
「たまたま君たちのピンチに鉢合わせただけです。あの頃とは訳が違います」
琥珀色の瞳は冷たい光を宿し、まるで他人のようだった。
否、他人のように見ていたのはきっと瞳の持ち主の方だろう。
「また前みたいに用心棒となんでも屋を姫宮家でやればいいよ。アタシは過去なんて別に……」
言いかけて、姫奈は口をつぐむ。
射影兎によって映し出された彼の過去――美山翔が彼に斬られる直前の映像が浮かび、自身が放とうとしていた言葉を拒んだ。
目の前の人が、自分の父親を殺した。その事実が彼女の体を震わせる。
こわばる顔でなんとか笑みを浮かべようとするが、うまく口角が持ち上がらない。
「気にしない、とは言い切れないよね」
そんな少女の様子に、宗治は困ったように笑って見せる。
冷たい光を宿していた瞳に、少しだけ温かい色が戻る。
初めて出会い、引き留めた夏の夕暮れの中。
「困ったな……」と笑うあのときの表情に似ていた。
その懐かしさに、姫奈の視界が滲み始めた。
「……なん、でっ……」
頬を温かい筋が伝う。
「だけどこんなこと……望んでないっ……!」
涙を必死に拭うが、とめどなくあふれ続ける。
「アタシは真田のこと……怖いけど信じたい……だから」
強気に振る舞うこともできず、だが少女は涙を流しながら想いをぶつける。
「だから、戻ってきてよっ……!!」
必死に訴える。だが、
「君が僕の過去を知ってしまったら、もう以前のように接することは不可能です」
宗治は変わらず、その訴えを拒む。
そして――。
「僕たちは、最初から出会うべきじゃなかった」
そう言って、姫奈たちが向かうべき方向とは逆の道へと去っていった。
小さくなっていく背中を追いかけようとも思った。だがその背はあまりにも孤独で、追われることを酷く拒絶して見えた。
涙を流しながら立ち尽くす姫奈の後ろから、聞きなれた少年の声が聞こえる。
「あの人のことは残念だけど、諦めた方がいい。その方がお互いのためだよ」
落葉の踏む音とともに近づいてくる龍斗の声。
その声は淡々としており、落ち着いていた。
「宗治はああいううやつやねん。三年前も突然消えて、今もまた消えた。またいつか会えるかも分からんし、会えんかも分からん」
「さなくん、なんでも一人で抱え込む癖はずっと変わらへんのやな」
龍斗の言葉の後に、飛鳥兄妹が続く。
「ああー、俺もやっと久々に再会した思たら、また消えよって……」
隆一は苦笑を浮かべながら溜息をついた。
宗治が姫宮家に来てたったの二ヶ月間。
それでも、姫奈にとっては大切な家族同然の存在となっていた。
優しく頼りない兄――そんな存在だった。
「本当に、仕方ないよね」
少女はぽつりと言葉を放って、見えなくなった背中に背を向ける。
――優しすぎて、いけないね。
木々の陰からわずかに見える月を見上げながら、心の中でそう呟いた。
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