10-7 見てみたかったな

 土石が舞い上がる中で、姫奈はそんな夢を見た。

 それはきっと、彼女自身がそれを望んでいたからこそ見た最期の幻想だったのだろう。

 姫奈は、そんな自分を嘲笑するかのように微笑んで、瞼を閉じる。

 人肌に似た――きっと自身の血液だろう、そんな温もりを感じながらこう口にした。


「――真田の女装、見てみたかったな」


 二度と叶わないであろう平穏の上に成り立つ悪ふざけが、少女の口から紡がれる。


「僕の女装、ですか?」


 返ってくるはずのない言葉が、彼女の鼓膜に響く。

 せっかくの夢だ、この際だから本音をさらけ出してしまおう――姫奈はそう思い、返ってきた幻聴を受け止める。


「優しくて頼りない、アタシのお兄さん――そんな人には、女装がきっとお似合いだよ」


 うんと皮肉を込めて、少女は笑う。


「その依頼は……受けられないです」


 微かな笑い声の後に、静かに紡がれたお断りの言葉。

 まるでそこに存在しているかのように、姫奈が想像する以上に彼らしい台詞を聞いた。


 閉じていた瞼をそっと開いてみる。

 そこにはきっと、横倒しになって見える化け猫の姿と、血液に浸された自身の身体がある。

 それでも姫奈は、最期の景色への淡い期待を捨てきれないでいた――。


 が、やはり見えた景色は予想通り横倒しになって見える化け猫の姿だ。憎らしそうにこちらを見ている。

 だらんと下げた腕を持ち上げてみる――。


「あれ……?」


 どこにも血が見当たらない。あれだけの鋭い爪にやられたはずなのに。確かに人肌の温もりを感じているのに。

 不思議に思い、今度は横向きになっている頭を仰向けにしてみる。


「――は?」


 そこに見えたのは、


「無事そうでよかったです」


 優しくゆがむ、夢で見た琥珀色の瞳。


「さな、だ?」


 姫奈は信じられず、彼の頬に触れてみる。


「? 姫奈ちゃん……?」


 身体に感じている温もりと同じ温度が、そこにあった。

 そう、二度と会うことがないと思っていた青年――真田宗治がそこにいた。


 だが一つ、姫奈は疑問に思う。

 なぜ今自分が感じている温もりと、彼の頬の温もりが同じなのか。

 頭を化け猫が見えた方と反対に向ける。

 そこに見えたのは、青いジャージと緑の着物。丁度胸板あたりの位置だ。

 よくよく思えば、温もりは右半身と膝の裏、そして背中辺りに感じられる。


 ――つまり、この体勢は――。


「は、早く下ろしなさいよこの赤もやし!!」


 姫奈は触れていた頬を、思いっきり引っぱたいた。


「いっ……!?」

「あ、アンタにお姫様抱っこされるとか屈辱以外の何物でもないわ!」

「ご、ごめんなさい……」


 宗治は姫奈を下ろし、赤くなった頬をさすりながら龍斗と隆一、姫奈を交互に見る。


「前線は僕と龍斗くんで固めよう。姫奈ちゃんと隆一は後方支援を頼むよ」

「わ、分かりました」

「……了解したわ」

「いきなり現れて指図するなや……まあ、任せとき」


 突然現れた宗治に少し戸惑いつつも、龍斗と隆一、姫奈はそれぞれの立ち位置に回る。


「さ、さなくん……にゃよね?」


 唯一その登場への驚きを隠せないでいたのは、三年ぶりに再会した鈴音だった。


「鈴ちゃんはここにいて。ここは俺たちに任せて」

「う、うん……にゃ」


 ふわりと緑色のたもとをなびかせ、宗治はくるりと化け猫の方へと振り返る。

 龍斗は模造刀を、宗治は鞘付きの刀を構えて化け猫の前に立った。


「さて、化け猫。四人の人間相手ならあなたも満足のいく戦いができると思いますよ」

「ふん、人間どもがどれだけ束になろうと僕は負けないにゃ」


 化け猫は大きな牙を動かしてニィっと笑う。


「あなたが負けたら鈴ちゃんの呪いを解く、というのはどうでしょう」

「構わないにゃ。僕が勝ったら彼女は僕のお嫁さんになってもらうにゃ」

「ええ、そのようにしましょう」


 宗治が一歩踏み出し、カタリと鞘付きの刀が音を立てる。


「龍斗くんは右側へ回ってください。僕は左側に回ります。狙われた方がおとりになりましょう」


 宗治は龍斗にだけ聞こえる声でそう言って、化け猫の左側を向いた。


「分かりました。狙われなかった方は背後から攻撃、ですね」

「そういうことです。よろしくお願いします」


 龍斗も同様に右側へじりじりと歩みを進める。


「そんな作戦は通用しないにゃ」


 長く鋭い爪が、宗治へと迫りくる。

 寸前で素早く爪から離れ、攻撃を回避する。

 その一方で、龍斗が化け猫の背中を模造刀で叩く。


「そんな斬れない刀じゃ僕には勝てないにゃよ?」


 化け猫は余裕の笑みを浮かべ、龍斗の方に振り向く。


「それは……どうかな」


 龍斗も同様に笑みを浮かべる。その笑みは化け猫ほどの余裕は感じられないが、自信に満ちていた。

 今度は龍斗の方に長い爪が振り下ろされる。

 龍斗は化け猫の懐へと転がり込み、振り下ろされる爪とそれによって飛散する土石を回避した。


「隆一!」


 龍斗とは反対側から、隆一を呼ぶ宗治の声。

 その声が響いたと同時に、隆一は遠くから投げナイフを数本投擲する。


 ナイフは化け猫に的中した。が、化け猫の皮膚が固いのか、ナイフは刺さらずに地面へと落下した。

 ナイフに気を取られている化け猫の隙を突いて龍斗は懐から抜け出し、最初の位置へと戻る。

 宗治も同様に最初の立ち位置へ戻っていた。


「どうやら物理攻撃は効かないようですね」

「そうみたいっすね。ということは……」


 宗治と龍斗は、同時に後ろの方へ顔を向ける。


「え、な、何? どうしたの?」


 顔を向けられた姫奈は、不安げに尋ねた。


「姫奈ちゃん、魔力はまだ大丈夫そうですか?」

「うん、全然平気だけど……」


 宗治の問いに対してそう答えた姫奈に、龍斗はにっと笑って言う。


「化け猫一体を包めるくらいの炎魔法を頼むぞ、姫奈」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る