第10章 兄妹と化け猫
10-1 彼の居ぬ間の依頼人
「おはよう、
「……はよっす」
気だるげにあくびをしながら居間に入ってきたのは、黒髪の少年――
龍斗はテーブルの前に座る少女――
「アンタは今日もだるそうね」
頬杖をつきながら携帯をいじる姫奈。
彼女の発する声も、どこか気だるげだった。
「オレは生きること自体がかったるいと思ってるからさ」
「もっと人生の楽しみを増やした方がいいわよ。せっかくこの世に生を受けたんだから」
姫奈が龍斗に視線を向けると、龍斗は顔を上げて眉間にしわをよせる。
「楽しみを増やしにいくことがもう既にだるくないか?」
「それは色々と重症ね」
姫奈はそう言って、再び携帯に視線を移した。
彼女のいかにも無関心な態度に、龍斗はむっと口を尖らせた。
「幼なじみの人生相談くらいちゃんと聞けよな」
「アンタのそれはただの愚痴だもん。聞く必要なんてないわ」
「厳しすぎかよ」と吐き捨て、龍斗も再び机に突っ伏す。
「……三日、経ったね」
姫奈がぽつりと口にすると、龍斗は机に突っ伏し黙ったまま頷いた。
いつもならば彼は今も眠っている時間で、昼近くになってから姫奈が起こしに行っていた。
だがこの三日間はその仕事もなく、姫奈は少し物足りなさを感じていた。
「もう、戻って来ないのかな」
そう言って、姫奈は窓の外を見つめる。姫宮家の静けさとは裏腹に、町はいつも通りの賑わいを見せている。
姫奈はそんな街の賑わいにふいと目を反らし、今度は壁にかけられている時計に目を向けた。
「いつもならそろそろ叩き起こしに行ってる時間なのに」
時刻は午前九時すぎ。宗治がこの時間に起きてくることは滅多になく、朝は彼を起こしに行くことが姫奈の日課となっていた。
姫奈は深い溜息をつくと、向かいに座る少年と同様の格好で机に突っ伏した。
「朝食ができましたよ」
穏やかな、優しい声が横から聞こえてくる。
姫奈が顔を上げると、家主――
静かに並べられていく皿には、ソーセージや目玉焼きといった典型的な家庭の朝食らしい食べ物が乗っている。
それをみた姫奈の胃はきゅっと締まるような感覚を覚える。鉛のように重い心とは裏腹に、身体は本能的欲求を満たそうとしているようだ。
「……あの、リリアンさん」
姫奈の向かいに座る龍斗が、自分の隣の空間を指してリリアンを呼ぶ。
姫奈が龍斗の指す方に目を向けると、誰も居ない龍斗の隣に一人分の皿が並べられていた。
「あ……私ったらどうして。す、すぐにお下げしますね」
少し寂しそうに笑って、リリアンは龍斗の隣の皿を下げようとした。
「いいよ。もったいないからみんなで食べよう」
龍斗はそう言って、リリアンと同じような笑みを浮かべる。
リリアンは静かに頷いて、下げようとした皿を机の真ん中に置いた。
「真田さん、何処まで行かれたのでしょうか」
姫奈の隣に座り、家主は俯きがちに話す。
「さあ。三日もあれば町二つ分は行けるんじゃないですか」
素っ気なく、龍斗は淡々と答える。
「そう、ですね」
ふふ、とリリアンは笑って見せるが、その表情はやはり寂しげだった。
「……忘れましょう、あんな人殺しのことなんか」
「龍斗。あの人のこと、そんな言い方しないで」
姫奈はその言葉に、キッと龍斗をにらみつける。
睨まれた龍斗は同様に姫奈を見据え、言葉を続ける。
「どんな理由があれ、人殺しは人殺しだ。最もやっちゃいけない罪をアイツは犯した。オレはアイツ――
相牙という呼び名で彼を呼ぶ龍斗の声に、以前のような親しみは感じられなかった。
憎むべき存在。そういった類のものだった。
「……それを言ったら、
龍斗の
姫奈の言葉にはっとする龍斗だが、
「それは…………」
返す言葉が見つからなかったのか、その後に続く言葉はなかった。
沈黙の時間が流れる。三人はそれ以降言葉を交わすことなく、黙々と朝食を食べていた。
朝食後、リリアンは台所で片付けを始め、居間には姫奈と龍斗が残っていた。
「真田は、本当にお父さんを殺したのかな」
姫奈は両手を顔の前で組みながら、龍斗に尋ねるように呟く。
「姫奈、それ正気で言ってるのか……? お前も見ただろ、あの瞬間」
眉間にしわを寄せながら、龍斗は姫奈を見た。
三日前に
それは紛れもなく宗治視点の光景であり、彼の過去だった。
しかし、姫奈はその事実を未だ信じられないでいた。
「だって、あの人がそんなことを出来るような人に思えないんだ」
「だったら姫奈は、射影兎が嘘でもついたって言うのか?」
「そういうわけじゃないけど……」
視線を落としながら、姫奈は次の言葉を思案する。
だが、龍斗は姫奈の言葉を待つことなく立ち上がった。
「アイツは、自分の友達が殺された復讐をするために隊長を殺したんだろ。そう考えればおかしいことじゃない」
龍斗はそう言うと、居間のドアを開けて廊下へと出ていった。
「そう、なのかな」
姫奈は誰に言うでもなく、ぽつりと呟いた。
そのとき、玄関の扉をノックする音が聞こえてきた。
「ん、誰だろ」
姫奈が廊下に出ると、龍斗が玄関の扉を開けようとしているところだった。
龍斗がそっと開けると、そこには若い女性が立っていた。
年齢が宗治と近いくらいだろう女性は青い髪のツインテールで、緑色の釣り目をしている。
身長が高くスラリとしていて、いわゆるモデル体型の綺麗な女性だ。
一見普通の美女のように思えるが、姫奈は彼女の特異点を見逃さなかった。
「ごめんくださいにゃー。さなくんが幻界でなんでも屋さんやっとるて聞いたんにゃけど、ここでよかったかにゃ?」
どこかで聞いたような独特のイントネーションに、ところどころに「にゃ」が混じる不思議な話し方をする女性。
その女性には――
「この猫耳と尻尾とりたいにゃんけど、化け猫の呪いを解く依頼って受けてくれへんかにゃ……?」
ふさふさの猫耳と、猫尻尾が生えていた。
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