7-6 暗示を解くナイフ

「相変わらず甘いこっちゃなぁ」


 早川は鞘ごと構える僕を見て嘲笑する。

 誰が何と言おうとこのスタイルを変える気はない。

 それは正義とか平和のためなんて大それた理由でもなければ、贖罪しょくざいでもない。

 僕が人を斬らないのは――。


理由わけも知らずに甘いなんて言われたくないな」


 ぐっと片足を踏み込み、一気に早川へと向かっていく。

 早川の前には隆一が構えているが、彼とは極力戦いたくない。


 隆一の目前で、思い切りしゃがみ込む。

 僕の予想外の行動に、隆一は一瞬構えを解いた。


 あの勢いで疾走してきたのだ、攻撃を仕掛けてくると思ったのだろう。

 だが彼は、そんなことでひるむような男ではない。

 キッと僕に視線を落とすと、中腰で片手に握っていたナイフをこちらに向かって突き出す。


 ――今だ。


 突き出されたナイフを抜いた鞘で弾き、中腰の隆一を飛び越える。

 踏み台となりそのまま倒れてしまった隆一を背に、目前の早川へと駆けていく。

 そして、構える間もなく片手に刀を握る早川の首に、切っ先を向けた。


「さあ、隆一を解放しろ、早川」

「――――。」


 一瞬、驚いたような表情を浮かべたかのように見えたが、そう思ったときには既に笑っていた。

 後ろから人影が迫り、それは僕に向かってナイフを突き立てる――!


「グルルァッ!」


 嘶くような声とともに、その影は大きな影に抑止される。

 振り向きたいところだが、隆一は白竜に任せよう。

 僕は目の前の早川を優先しなければならない。


「殺れるもんならやってみぃ?」


 突き立てた切っ先に自身の首を押し付け、早川は笑って見せる。


「早川も知ってるはずだ、俺は殺しはしない」

「殺しもせぇへんのに鞘から抜いたんか?」

「ただの脅しだよ、分かるだろう?」

「……後悔するで」


 早川は僕の目をじっと見て言う。

 そのとき。


「――!」


 このふらつくような、視界が回る感覚。

 妙な幻覚を見せられた時にあった感覚だ。


 ――やばい。


 そう思ったときには既に遅かった。

 幻想か現実か、僕の目の前には既に早川は居なかった。


「……どこだ、早川」


 だが、確かに僕の前には何者かの気配を感じる。

 目には見えないが、僕の周りのどこかに二人と一頭が居る。

 しかし、気配すらも徐々に危うくなっていく。

 暗示の世界に少しずつ、飲まれるように引きずられていく。

 前回より強い暗示。

 自身の意志はなんとか保っているが、感覚が支配されていく。


 このまま身をゆだねてしまえば、僕も操り人形となってしまうだろう。


「宗治――」


 幻聴がどこからか聴こえてくる。


「宗治、聞いて――」


 消え入りそうな、か細い声。

 その声は――。


「――瑠里。」


 振り向くと、そこには三上瑠里がいた。

 肩まで伸びた雪のように白い髪に、真っ赤な瞳の女性。

 僕が最も聞きたくない、見たくない幻想。

 僕の過去を知る早川だからこそ、見せられる幻覚だろう。


 彼女の姿は、確かに僕の知っている三上瑠里だ。

 その姿に、どくどくと鼓動が早まる。


「宗治。今ならまだ間に合うから聞いて」

「……どういう、こと」


 つい、言葉を交わしてしまう。

 既にいない者だと、存在しないと分かっているのに。

 自身のどこかで、彼女が本物であることを願ってしまう。


「“そのナイフ”で、自分自身を切り付けて」

「――――え?」


 予想外の言葉に、自身の耳を疑う。

 やはりこれも、幻聴だとしたら。


「大丈夫。ボクを信じて」

「でも、そんな話――」

「――仕方がないなぁ」


 そう言うと、瑠里は僕の胸元に手を忍ばせる。


「な、――!」

「あんまりこんなことはしたくなかったんだけどな」


 護身のために金庫から取り出し、胸元にしまっていた白竜のナイフ。

 瑠里はそれを奪い取り、僕の左手をグッと引いた。

 彼女と密着状態となってしまい、さらに動悸が早まる。


「ちょっとチクっとするけど、我慢できるよね?」

「……っ」


 そんな看護師さんみたいなことを言って、彼女は僕の左腕にナイフをちくりと突いた。

 すると。


「……っあ」


 気付けば視界は元通りになっており、倒れた隆一とそれを前足で押さえつける白竜が居た。

 つまり、後ろには――。


「ほぉん、なるほど」


 振り向くと、早川が崖の前で立っている。


「その白竜のナイフの力に、気付いてしもうたか」

「……ああ、おかげさまで」


 いつの間にか僕の手に握られていたナイフ。

 このナイフ――お守り程度の気持ちで持ってきていたものだったけど、どうやらとんでもない代物だったようだ。


「まさか……これが伝説のナイフだったなんてね」


 龍斗くんと姫奈ちゃんが話していた暗示を解くナイフ。本当に実在していたようだ。

 なぜ白竜が持っていたのかは知らないが、これは好都合だ。


「それを持ってたらこっちはどないしようもない。お前で解いて、隆一を連れてったらええ」


 不機嫌そうにそう吐きだし、早川は消えていった。


「くそ、また逃げたか」

「グルル……」


 唸り声に振り向き、白竜に押さえつけられている隆一へと近づいていく。

 なんとか逃れようともがく彼の手を取り、ナイフをそっと切り付けた。

 すると、金色に輝いていた瞳は徐々に緑色に戻り始める。


「……ここ、は」

「正気に戻ったみたいだね、隆一」

「は、どういう――」


 隆一は僕を見た後に、自分が白竜に押さえつけられていることに気付く。


「ちょ、何、白竜? 俺どないなってん!?」

「ふっ……まあ、色々とね」


 隆一の反応がちょっと面白くて、思わず吹き出してしまう。

 いつもの彼に戻った安心感もあったのだろう。

 失礼ながらも、つい。


「いやお前なにわろてんねん、はよ何とかしてくれ!」

「白竜、もう大丈夫だよ。ありがとう」


 僕がそう言うと、白竜は隆一を押さえつけていた前足を避けた。


「何がどうなってんのや……」

「詳しい話は姫宮家に帰ってからするよ。龍斗くんと姫奈ちゃんにも話しておきたいからね」

「えぇ……なんやかなり大ごとなってるやん」


 不安そうな表情を浮かべる隆一。

 少しかわいそうだから、大まかな状況だけ教えてあげることにしよう。


「実は――」

「宗治、ちょい待ってくれ」

「え――?」


 白竜の様子を伺う隆一の目は鋭く、警戒を表している。

 僕も彼と同じように白竜を見ると。


「グルルル……」


 赤色だった瞳が、少しずつ金色を帯び始めていた。


「白、竜……?」

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