6-2.ケーキの材料調達

 時間にして10分程度だろうか。

 三上さんはPCでの説明が終わると、僕に尋ねた。


「説明は以上になります。何かご質問はありますか?」

「うーん、そうですね……」


 もらった書類と説明のメモを確認し、三上さんに質問を投げかける。


「今回はケーキの材料調達のご依頼で、二つの材料をこちらで揃えるということでしたね」

「はい。恋月草こいづきそうの花の蜜と、ハートベリー酒ですね」


 書類の依頼内容の欄には可愛らしい名前が並んでおり、堅苦しい印字の中では浮いていた。


「ハートベリー酒は酒場で入手可能とのことですが、恋月草の花の蜜はどのように採取すれば……?」

「確か恋月草は町の外れの池に生えてるはずだよ」


 僕の問いに答えたのは依頼主の三上さんではなく、部屋の隅で分厚い本を広げていた姫奈ちゃんだった。


「町の外れの池って、山に向かう途中の……?」

「そそ。鎌鼬かまいたちが町に来た夜に、アタシたちが居た場所ね」


 鎌鼬の一件があったのは、確か一ヶ月前の話だ。

 龍斗りゅうとくんと姫奈ちゃんが夜に出かけてしばらくした後に、町の中で鎌鼬に襲われた人がいた。

 それで二人が心配になった僕とリリアンさんは、二人を探して山の方面へ向かった。

 その途中の横道から二人の声が聞こえて向かった先に、その池があったのだ。


「あんな場所に花なんて咲いてたかな……」

「あの日は月が出てなかったからね。恋月草の花は満月にしか咲かないの」

「へぇ……それはまたロマンチックな」


 言われてみると、確かに月が出ていなかった。

 急いでいたのでまじまじとは見ていないが、代わりに池には大きな天の川が横断していた記憶がある。


「うん。その性質もあってか、恋月草の花を一緒に見た男女は永遠に結ばれるなんて言われてるわ」


 姫奈ちゃんは分厚い本を指差して、僕に見せる。

 純白の花が池を囲んで咲いているイラスト。

 池の水面には満月が映っていて、とても幻想的だ。


「なるほど。満月にしか咲かないということは……」

「ええ。花の蜜は、満月の日にしか採れないということになります」


 三上さんは答えると、タブレットPCの画面を切り替えて再び僕に画面を見せた。

 画面には、月の満ち欠けの記されたカレンダーが表示されている。


「このサイトの月齢カレンダーによると、今夜がちょうど満月となるようです」

「今夜、ですか」

「急ではありますが……どうかよろしくお願いします」


 今夜を逃すと次のチャンスは一ヶ月後。しかし、書類には納期は一週間後と明記されている。

 僕はペンを手に取り、納期が記述されている横に“恋月草の蜜は今日中”と加筆した。


「ちなみにハートベリー酒ですが……酒場で魔性ませいアルコールを飛ばした状態のものをお願いします」

「……魔性アルコール、とは」


 出た。幻界のちょっとくすぐったくなる用語。

 一体誰が考えたのかは知らないが、やっぱり慣れないものだ。

 僕と同じ実界人でも、好きな人は好きな響きなんだろう、きっと。


「ハートベリーの木には妖魔が住んでおりまして。その妖魔の魔力が宿ったアルコールを酒場の分離装置で飛ばしてやる必要があるのです」

「普通のアルコールとは別物なんですか?」

「ええ。通常のアルコールとは別に、魔性アルコールが混在しているのです」

「へぇ……」


 魔性アルコールは人の身体に良くない成分なのだろうか。

 詳しいことは良く分からないけど、そのままではケーキの材料として使うことはできないようだ。


「魔性アルコールを完全に飛ばすには少し時間を要するので、酒場でゆっくり過ごされても良いと思いますよ」


 三上さんはそう言って、柔和な笑みを浮かべた。

 つり目がちでありながらも、優しく歪む赤い瞳。


 ――三上蒼。やっぱり彼は。


「あの、三上さん――」

「んじゃ、アタシが恋月草の蜜を採ってくるよ! 真田はハートベリー酒担当で!」


 僕が言いかけた時、少女が分厚い本をぱたんと閉じて声を上げた。


「あ、ああ。じゃあお願いしようかな」

「任せといて。隆一さんとゆっくり語ってきなよ!」


 グッと親指を立てると、姫奈ちゃんは居間を出て二階へ駆け上がっていった。


「元気な子ですね」

「はい。元気過ぎて押されちゃうことも多々ありますが……」


 三上さんはタブレットPCをリュックにしまうと、丁寧にお辞儀をした。


「それでは、よろしくお願い致します」

「こ、こちらこそよろしくお願いします」


 ゆっくりと立ち上がり、青年は玄関へと向かう。


「いきなり押し掛けたのにも関わらず丁寧に対応してくださり、ありがとうございました」

「いえいえ。うちはいつもこんな感じなので……お気になさらずです」


 僕がそう言うと、三上さんは柔らかく微笑んだ。


 そうだ――聞きそびれたことがあった。


「あ、あの。三上さん」

「はい、何でしょう」

「すみません、三上蒼さんってもしかして……」


 白い髪と赤い瞳。

 そして、柔らかな笑み。

 彼には訊かなければならないことが――。


「……三上瑠里みかみるりの、ご親戚だったりしますか?」

「…………」


 沈黙。

 十秒程度だったように思う。

 やっぱり訊くべきことではなかったかもしれない。そんな後悔がよぎった。


「……ええ、確かに。瑠里と自分は、従兄妹いとこの関係でした」

「そう、だったんですね」


 偶然か否か、彼女と同じ特徴を持つ青年。

 僕の過去を知る者ではないだろうか。そんな懸念けねんがあった。


「彼女のことは残念でした。でも……」


 だが、青年から敵意や警戒の素振りは見られず、終始淡々と、そして穏やかであったように思う。

 そして今も――


「瑠里のことです。きっと、とても大切な何かを守ろうとしたのでしょう」


 誰を責めるでもなく、そんな温和な言葉を僕に告げた。


 三上さんは再び柔らかく微笑うと、扉の向こうの町中へ消えていった。


「守ろうとした……だなんて」


 青年の言葉が胸に突き刺さる。


「そんな簡単に片付けちゃ、ダメですよ」


 突き刺さる一方で、少し許されたような感覚。

 実際には許されたのではなく、きっとその言葉に甘えたかったのだと思う。


 許されたい。

 そんなどうしようもなく利己的な願望が、自身の中で芽生えた。

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