第6章 青年たちと酒場、少年少女と恋月草

6-1.大人の依頼

「隆一、このチーズ食べてみ。すごく美味しい」

「お前さっきからチーズばっかり食うてるやん。太るで」


 そう言いながら、飛鳥隆一あすかりゅういちは皿に丁寧に並べられたチーズを二切れほど口に運んだ。


「昔から太りたくても太れないんだよ」

宗治そうじそれ嫌みか? なあ嫌みなんか?」


 数分前の内容すら思い出せないような、そんなたわいもない会話。

 僕と隆一は、そんな会話をかれこれ一時間程続けていた。

 周囲を見渡してみても、僕達と同じようにどうでも良いようなことで盛り上がっている。

 酒場の酔っ払い達の会話なんてそんなもんだ。


「てか宗治、めっちゃ顔赤いで。大丈夫か?」

「ああ、平気。顔に出やすいだけだから」


 なんて言ってみるけど、実際はかなり酔いが回っている。

 このまま立ち上がれば、多分千鳥足状態でろくに歩くこともままならないだろう。


「まだビールジョッキ半分も残ってるやん。飲んだろか?」

「いや、大丈夫。まだ大丈夫」


 僕はジョッキを傾け、一気に喉に流し込んだ。

 乾杯直後はあんなに爽快感があったのに、一時間も経つと酷く苦味が増す。

 隆一に合わせて、無理して「とりあえず生」なんて言うんじゃなかった。


「しかしなあ、幼なじみと酒を飲むってなんか感慨深いわなあ」

「まあ、確かにね」


 隆一は赤黒い液体の入ったグラスをゆっくり口に近づける。


「それすごい色してるよね。カクテル?」

「んあ、これ? ダークベリーミルクっていうカクテル」

「ダークベリー……ミルク」


 幻界のお酒も様々みたいだ。

 やっぱり僕は、この世界にはきっと慣れることができない。

 あまりにも濃厚というか、癖が強い。


「ダークベリーはすごい果物なんやで。夜の男の味方なんやで」

「あ、すみません。烏龍茶ください」


 酔っ払いって怖い。後ろに見知らぬ女性が座っているというのにあらぬ方向へ話を持っていこうとするのだから。


「それにしても、ハートベリー酒遅いなぁ」

「特殊装置でじっくり温めないと飲めないんだっけ」

「店主はそう言うてたけど、じっくりにも程があるわぁ」


 僕は店員から差し出された烏龍茶を受け取ると、一口だけ口をつけた。


 僕達が酒場に来た目的は、ハートベリー酒だ。

 目的ついでに飲んでいる、というところか。

 隆一とも友人という関係でここへ訪れたというより、何でも屋『終始亭しゅうしてい』のリーダーである僕と、そのサポート役という側面が強い。

 つまり、仕事で来ているのだ。


 事の発端は、約半日ほど前に遡る。


■■■


真田宗治さなだそうじさーん……お客様がお見えですー……」

「ん、お客様……はい……」


 耳元で囁かれる少女の声。

 まどろむ中で、確かにその声を聞いた……気がする。


「真田さーん……お客様がー……」

「……んぅ、今起きます」


 口ではそう言ったが、身体はなかなか起き上がらない。

 起きる気はあるのだ。怠けているつもりもない。

 だけど身体は鉛のように重く、布団に吸い付けられているかのようにびくともしない。


「……おい、真田」

「ま、待って……もう少しで起きるので……」


 少女の口調は強さを増し、耳元で話すべき声量からかけ離れ始めていた。

 それでも僕の身体は、己の意志と反してかたくなに布団から離れようとしない。

 ……左耳の鼓膜に危機が迫っているというのに。


「……あと一分、ください。そうしたら起きる……のれ……」


 まどろみから抜けられず、呂律もろくに回らない。

 だが、このまどろみもそろそろ強制的にぶち破られるはずだ。

 心地よいひと時も、もう終わりが近づいている――。


「…………?」


 いつもならそろそろ大声で起こされるところだが、何故か彼女の気配がない。

 ……諦めてくれたのだろうか?

 彼女も成長したのだろう、やっと僕の朝の弱さを受け入れてくれたようだ。


 ――ありがとう、姫奈ちゃん。


 僕は、同じ屋根の下に住む少女――美山姫奈みやまひめなという強気で心優しい少女に心から感謝した。

 感謝していたのだ。それなのに。


 どんどんと地に響く足音。

 ザーっと勢いよく開かれた襖。

 ものすごく、非常にかなりすごい圧が、頭上でかつてないほどにものすごい。

 さすがによろしくないと感じた僕は起き上がろうとしたが。


 身体は石のように固まって、既に身動きが取れなくなってしまっていた。


 ――やばい。これは非常にやばい。


 瞬間。


「起きろ真田あああぁぁあッ!!」

「んあ……つぅッ!!」


 毎日の通常アラームに加えて、竹刀の軽快な音が脇腹から響いた。


■■■


「おはよう……ございます。何でも屋終始亭代表の……真田宗治さなだそうじ、です」

「お、おはようございます。……その、大丈夫ですか?」


 さすっている左脇腹を見て、見知らぬ青年は心配そうに尋ねた。


「ええ、お構いなく……」

「そうですか。では構わないことにします」


 淡々と青年は切り替えると、リュックからA4サイズの紙を取り出した。


「自分は三上蒼みかみそうと申します。本日依頼の相談でこちらに参りました」

「三上さん、本日はありがとうございます。えっと、これは……?」

「こちらは依頼の詳細を記した書類です。概要、報酬、納期等を記載しております」

「ご自身で作られたんですか、すごいですね」


 書類には、いつも僕が依頼主から聞いてメモに書き出しているような内容が全て書かれていた。

 僕の欲しい内容が全て詰まっている。依頼主はとても几帳面な方のようだ。


「自分はこういった書類作成が好きなもので。ご迷惑ではなかったですか?」

「あ、いえ。むしろとてもありがたいです」


 理知的でありながら、誠実な人柄でもあるようだ。

 さらに天は青年に二物を与えたか、容姿も整っている。

 白く、絹のようにさらさらな髪。そして切れ長でありながらも温かみのある赤い瞳。

 フレームが細めの黒縁眼鏡は、彼をよりインテリジェンスに魅せる。

 どこかの残念なイケメン(イケメンとも認めたくないが……)とは違って、素直にかっこいいと言える。


「それでは、概要の説明をいたします」

「あ、よろしくお願いします」


 三上さんはタブレットPCを広げ、僕に見せた。

 画面には『依頼内容について』と大きなタイトルが表示されている。


「まず、今回の依頼の背景ですが……」

「背景、ですか。ご丁寧にありがとうございます」


 かつてこれ程までに事細かに説明をしてくださった依頼主がいただろうか。

 しかし、なんというか。その緻密さが幻界では少し浮いて見えた。

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