4-9 頼りない背中

 空はすっかり夕陽で朱く染まっていた。

 薬の材料となる植物を採取した三人は、翼猫に乗って病床に臥す少年のいる町へ向かっていた。

 夕陽の中、二頭の翼猫が大きな翼をはためかせて三人を町へと運ぶ。


「その、龍斗くんはまだ大丈夫そうなの?」


 坂上は、自分とは別の翼猫に跨がる宗治に問う。


「はい。彼は夢系ウィルスに多少の免疫を持っているようなので、初めてかかる人よりは症状が軽く済むはずです」

「ほう、夢系ウィルスは、過去にかかったことがあると免疫のつくものなのか……ふぅん」


 坂上は特別関心を持った様子もなく、軽く相槌を打つ。


「それよりも――それよりも、なんていうと龍斗くんに失礼になってしまいますが、僕はこいつの方が――」


 自分の背後にうな垂れる青い髪の男――隆一を振り返る。


「弥生ちゃんはそう簡単にくたばったりしないよ。結構丈夫だったりするし」


 にっと笑う坂上。

 宗治は、自分の背にもたれる幼なじみを見る。

 体力温存のためか、目を閉じて眠っている幼なじみこと隆一。

 大きな呼吸の乱れもなく、身体は温かい。


「それもそうですね。確かに隆一は頑丈だ」


 隆一の様子に安心し、宗治も笑みを浮かべて言葉を返した。


「俺、弥生ちゃんによく君の話を聞かされててさ」

「隆一が僕の話を、ですか」

「そう。やたら君の安否を心配しててさ。どんなやつだよって訊いたら『小さくて華奢で、俺なんかに勿体無いくらい優しいやつやで』っていうから、てっきり女かと思ってたんだよね」


 ニコニコと面白そうに笑いながら話す坂上。

 その坂上の言葉に、自然と笑みがこぼれる。


 ――変わんないんだな、お前。


「昔からよくそんな感じで誤解を招くような言い回しするんですよ、あいつ」


 宗治の知っている隆一と変わらない、今の隆一。

 その事実が宗治にとって酷く心地の良いものだった。


「弥生ちゃん、余程真田さんのこと気に入ってるんだな」

「時々うざったいこともありますけどね。悪い気はしないです」

「幼なじみねぇ……いいねぇ」


 しみじみと言葉を漏らす坂上の横顔は、どこか遠い場所を見ているようだった。

 少し間を空けてから、坂上はぽつぽつと話す。


「俺にはそういうガキの頃からの長い付き合いってのはなくてね。あんたたちや――姫奈ちゃんたちを見てると羨ましくなるんだよなぁ」


 姫奈ちゃんたち、と聞いて宗治は真っ先に姫奈ともう一人の少年――龍斗を思い浮かべる。


「あれ? 龍斗くんのこと、ご存知なんですか?」

「そりゃもちろん。俺は元々あの子たちと同じ町に住んでたからね」

「へ……?」


 思わず気の抜けた声を漏らす宗治。

 かつて同じ町に住んでいた人間たちが、再び全く別の場所で巡りあうことになるとは。

 偶然とは言い難いほどに、あまりにも稀有な巡り合わせだ。

 宗治がいまいち納得しきれていないことに気付いたのか、坂上は言葉を付け加える。


「でも、別におかしいこともないぞ。龍斗くんの兄貴に宿を紹介したのは俺だし、姫奈ちゃんは龍斗くんの兄貴を頼ってここにきて――色々あって、リリちゃんの家に住み始めた」

「ん……えっと、つまり――」


 一度に多くの情報が舞い込み、宗治はそれらを整理しきれないでいた。


「そうだなぁ、龍斗くんの兄貴――明斗は俺を頼って今の町に来て、姫奈ちゃんが明斗を頼って町に来て、最後に龍斗くんが何かの拍子に偶然来たってとこかね」

「そう、だったのか」


 かつて同じ町に住んでいた彼らが別の町で出会う――その発端となったのは目の前にいる坂上、ということだ。


「じゃあ、龍斗くんと姫奈ちゃんが再開できたのは坂上さんのおかげなんですね」


 にこりと微笑む宗治に、坂上は照れた様子で言葉を返す。


「ん、まぁ……そういうことになるのかねぇ」


 ふいっと目をそらし、行く先に顔を向けた坂上。


「ほら、くだらんこと駄弁ってる間にリリちゃん家の町が見えてきた」

「やっぱり翼猫は到着が早いですね。ありがとうございます」


 宗治が礼を言うと、坂上はうむむと顔をしかめる。


「……俺、アンタのこと苦手だわ」

「す、すみません! 僕、何か気に触るようなことを……!?」


 あわあわと謝る宗治の肩に、ぽんと手が添えられた。


「宗治ぃ……アイツはどストレートなヤツに弱いねん」

「どストレート? ……というか隆一、いつから起きてた?」

「ん、俺ずっと起きてたけど」


 ――起きてたけど。


 この一言が、宗治の頭の中でこだまする。


 ――起きていたということは、つまり。


「悪い気はしないですよ、ねぇ。ほーう」

「今すぐにでも翼猫から下ろしてやりたい」

「……それは勘弁」

 

 夕日に重なる二つのシルエットは、ゆっくりと町に向かって下降していく。

 どすんと町の前で着地し、三人は翼猫から降りた。

 辺りは薄暗く、夕飯の匂いが民家から漂ってくる。

 少し歩いて、町の一番端にある大きめの民家の前で、三人と二頭の翼猫が立ち止まる。

 と、玄関の扉が勢いよく開き、大股で少女が宗治の前にやってきた。


「――――」


 少女は、文句の一つでも言いたそうに宗治を睨みつける。


「……た、ただいま」


 その形相に気圧され、宗治はどもりながら言葉を絞り出した。

 が、


「――――」


 少女は睨みつけたまま、何も言わない。

 もう一言足りなかったか、と宗治は再び言葉を絞り出す。


「……その、遅くなってごめんね」


 彼女の視線は変わらず鋭く、目を合わせられない。

 が、数秒後、


「そ・う・じゃ・なーい!!」

「――っ!」


 心臓が跳ね上がる。


「あんたね、どれだけ人を心配させれば気が済むわけ!? もしアタシの寿命が縮んだりしたら、あんたのせいだからね!」


 早口で宗治を責め立てる。


「す、すみません……」


 これ以上こちらが何を言っても少女の怒りは収まらないだろうと判断した宗治は、静かに彼女の罵声を受け止める覚悟を決めた。


「……もうあんな無茶は絶対にしないって約束してくれたら、許してあげる」


 と、思いきや、少女は風船が急にしゅんと縮むように、声のボリュームを落とした。

 むん、と腕を組み、少女は宗治の口が動くのをじぃっと待つ。


「姫奈、ちゃん……」


 秋空のごとく急な変わり様に、宗治は戸惑う。

 言いたいことは言う少女だが、あまり人に甘えたり無茶なわがままを言うことはなかった。

 そんな彼女が、初めて強引に自分の感情をぶつけてきた。

 初めて見せる少女らしい振る舞いに、思わず笑みをこぼす。


「な、何笑ってんのよ! こっちは本気で怒って――」


 ぽん、と少女の頭に触れ、


「うん、これからは気をつけます」


 穏やかな――親しみのこもった敬語で、彼は言った。


「――――さな、だ?」


 直後、珍しいものを見たようなきょとん顔で宗治を見上げる姫奈。


「ん、どうしたの?」

「……そうだよね。やっぱり、真田にはできないよね」


 ふわり、と微笑って言った。

 夕暮れのせいか否か、宗治にはその表情がなんとなく寂しげにも見えた。


 ――どこか、祈るような――縋るような。


 宗治が言葉の意味を問おうとしたとき、姫奈は宗治の横をすり抜け、背後にいた隆一の前に立った。


「あなたが隼さんね」

「お、おう。どうも――!?」


 名前を訊ねると、姫奈は隆一の手を引っ張り、玄関へと連れて行った。


「あ、いっ……!」


 脇腹を抑えながら、リードを繋がれた大型犬のように引っ張られていく隆一。


「ちょっと我慢してて。うちで看るから」

「看るて…自分が?」


 自分より三十センチメートル程小さな少女を見て隆一は言った。


「そんなわけないでしょ、リリアンさんに診てもらうの」


 玄関の扉を開けると姫奈はくるりと振り向き、宗治を手招きする。


「あんたも早く入って。薬の材料リリアンさんに渡して」

「は、はい!」


 返事をしたころには、既に玄関は閉まってしまった。


「いやぁ、姫ちゃんは強いねぇ」


 少し後ろで見ていた坂上が、苦笑を浮かべる。


「……僕より全然頼り甲斐があるかもしれないです」


 宗治も複雑な笑みを浮かべて、言葉を返した。


「坂上さん、寄って行きますか?」


 ふと坂上がリリアンに気があることを思い出し、宗治は声をかけてみる。


「いや、今日は遠慮しとくよ。借りてた翼猫返してこなきゃだし」


 左右に並ぶ巨大な猫たちを撫でながら、意外にも坂上はそう答えた。


「そう、ですか。今日は色々とありがとうございました」

「いやいや、こちらこそ弥生ちゃんを見つけてくれてどうもだよ」

「そっか、そういえば……」


 坂上に言われて、隼弥生の捜索依頼があったことを思い出す。


「で、報酬なんだけど――」

「あ、今回はいいですよ。材料採取を手伝っていただいたので」

「そう……? じゃ、お言葉に甘えますわ」


 坂上は会釈をして、踵を返した。


「坂上ー! 今日はありがとー!」


 玄関から顔を覗かせて、姫奈は大きく手を振っていた。

 坂上は、後ろを振り向かずに手を軽く振る。

 少しずつ遠くなっていく影を、宗治と姫奈は見送った。


 ――そう、やっぱり。


 少女は玄関から見ていた。


 ――あの人が、相牙なわけがない。


 細身の撫で肩で、少し頼りない背中。

 姫奈にとって、彼は既に家族同然だった。


 だからこそ、少女は強く願った。

 真田宗治が人殺し――父を殺した殺人鬼でないことを。

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