4-8 紅眼の白竜

■■■


「これが、噂の……」


 赤髪の青年、真田宗治の目の前には――。


「にゃあー」

「おー、よしよし」


 翼を生やした巨大な猫と、それを撫でる隆一。


「想像していた以上に大きいな」

「お、翼猫の実物みたんは初めてか」


 ごろごろと喉を鳴らし、目を細めるその仕草は宗治の知っている猫そのものだった。サイズと翼を除いては。

 もう一頭の翼猫を連れて、坂上が小屋からやってきた。


「翼猫はいいぞー、普通の猫と違って従順なんだなこれが」

「へぇ……そうなんですね」


 目の前の巨大猫に圧倒される宗治に、それ以上のコメントを考える余裕はなかった。


「そうだ、あんたリリちゃんとこに居候してるっつーことは、もしかしてあんたが何でも屋さんだったりする?」

「へ? あ、そうです。僕がメインでやってます」


 翼猫に見惚れている自分に気が付き、宗治は坂上に向き直る。


「まじかー! ついさっき、依頼しに行ってたとこだったんだわ。結局あんた居なかったから、姫ちゃんに伝えといてってことになってるんだけどさ」

「どういったご依頼ですか?」


 宗治は、翼猫の首元を撫でながら尋ねた。

 首元の毛はふんわりとしていて柔らかく、想像以上の撫で心地の良さに思わず笑みがこぼれる。


「弥生ちゃんの捜索依頼。見つかったからもういいんだけどね」


 坂上が言うと、視線を感じた当人は宗治たちから目を逸らし、翼猫の影にさっと隠れた。

 そんな幼なじみを見て、宗治は呆れ顔を浮かべる。


「人騒がせなやつだな……」

「お前が言うニャー」


 翼猫の影から、全く可愛げのない裏声が聞こえた。


「隆一に探してくれなんて、一度も頼んだことないんだけどな」


 ねー、と同意を求めるように、宗治は翼猫に声をかけた。

 そんなやりとりを傍目で見ていた坂上は穏やかな笑みを浮かべる。


「あんたたち、仲がいいんだね」

「相性は最悪です。ただの腐れ縁ですよ」


 考える間も無く即答する宗治に、隆一は顔をしかめる。


「それ、本人の前で言うか?」

「幼なじみである俺たちの間に遠慮は無用だろ?」

「はぁん? 親しき仲にも礼儀ありー、て言うやないか」


 やいやいと言い争う二人の間には、本当に遠慮がない。宗治に至っては、姫宮家のメンバーと話すときとはまるで別人のように感情をぶつけている。

 二人を見て、坂上はどこかで見た小さな二人組の影を重ねる。


「どこかで見たような関係だと思ったら……そうか、あの子たちも幼なじみだっけかぁ」



「よーし、着いたぞー」


 直径五メートル程の洞窟の入り口前。

 扇型の翼をゆっくりと上下させて、二頭の翼猫は着地する。

 周囲の木々が翼の風圧を受け、さわさわと揺れていた。

 どうんと鈍い着地の振動が、宗治の体に伝わる。


「うぷっ」

「……俺の後ろで吐かんといてな」


 隆一はそう言ってから、翼猫から降りて洞窟の入り口の方に向かって行く。

 ぽっかりと空いた入り口の奥は光が届いておらず、ひたすら暗闇が続いている。


「真っ暗闇やんなぁー、誰か灯りある?」

「弥生ちゃん、俺に任せときな」


 坂上は、力強い足取りで洞窟の入り口に立つと、


「さかっちゃんの魔力でぇー、あなたの未来もシャイニーン☆」


 妙な呪文を唱えて、指先から光を放った。

 辺りを照らす光を発生させる魔法のようだが、嫌という程長年味わってきた誰かのノリと全く同じで、宗治はぽつりと独り言を呟く。


「類はなんとやら……か」


 治りきっていない酔いを抱えながら宗治も翼猫から降り、ふらつく足取りで二人の後を追った。

 坂上の指先の灯りを頼りに、一行は洞窟の奥へと進んでいく。

 季節は夏であるにもかかわらず、洞窟の中はひんやりしており、薄着では少し肌寒く感じるほどだ。

 三人の中で最も薄着な坂上は、空いている右手を自分のズボンのポケット突っ込んだ。


「ちょっとこれ寒過ぎでない? 半袖の俺涙目なんだけど」

「少しの辛抱やで、さかっちゃん」


 捲りあげていたYシャツの袖を下ろしながら、隆一は他人事のように励ます。


「坂上さん、僕のジャージを貸しましょうか?」


 鶯色の浴衣の上に羽織ったノースリーブのジャージを脱ごうとする宗治を、坂上は止めた。


「あー、うん、大丈夫よ。ありがとう」


 宗治の気遣いきれていない気遣いに、坂上は苦笑を浮かべた。

 その坂上の表情を見て、宗治はようやく気付く。


「あ……このジャージ、ノースリーブだからあんまり意味ないですよね。すみません……」

「なんかあんた、リリちゃんみたいだね」


 宗治が申し訳なさそうに謝ると、坂上は困ったような、嬉しそうな笑みを浮かべた。


「そないなキモい顔で宗治のこと見るなや」

「わかってるって。弥生ちゃんの想い人をとったりなんかしないって」

「俺はそんな趣味ちゃうがな」


 隆一と坂上がたわいもないやりとりを続けているとき、宗治は洞窟の奥にうごめく影を捉えた。


「何か、いる」


 宗治の呟きに隆一と坂上は、会話を止めた。

 一行は足を止め、そのうごめく何かを凝視する。

 坂上の指先の灯りに誘われるように、それは姿を現した。

 真っ白な体に、紅い眼をした竜。

 しかしそれは、噂に聞くほどに恐ろしい風貌をしておらず、高さにしても二メートルと数十センチメートルといったところだ。

 竜の中ではかなり小柄な方といえる。

 その真っ白な足下に、黄色がかった植物がぽつぽつと生えている。


「あの竜の足下に生えているのが、多分薬の材料になる植物です」

「ふぅん、なるほどねぇ」


 宗治が指をさして示すと、坂上は少し考え込んでいるようだった。

 竜は、少しずつ宗治たちとの距離を縮めていく。


「弥生ちゃんと俺で竜の気をそらすから、あんた、その間に頼むよ」

「了解です」


 坂上と隆一は宗治からゆっくりと離れる。

 竜は歩みを止め、宗治と二人を交互に見て様子を伺っている。

 隆一は弓を構え、矢をきりきりと手前に引いた。

 そのとき。

 巨大な金属の塊を引きずるようなけたたましい咆哮が洞窟中に響く。


「いけ、宗治!」


 ヒュン、と竜の右頬を矢がかすめていったのを見たのと同時に、宗治は竜の足下へと潜り込んだ。

 ひょろりと頼りなげに生えた植物を急いで採取し、皮袋に詰めていく。

 竜は足下の宗治に気付いていない様子で、作戦はうまくいったようだった。


 だが、何かがおかしい。

 宗治は竜を見上げる。


「この竜……」


 暴れる様子もなく、隆一たちの方に危害を加える様子もない。

 ただ、じっと隆一たちの方を見つめる。

 宗治は採取した植物でぱんぱんに詰まった皮袋の口を締め、そっと立ち上がった。

 一歩ずつ、ゆっくりと竜の足下から離れる。

 竜はゆっくりと頭を動かし、今度は宗治をじっと見つめる。

 見つめられた宗治は、思わず身動きがとれなくなる。


 しかしそれは、恐怖によるものではなく――。


 ――この目は。

 ――この目は、知っている気がする。


 既視感のある目。

 だがしかし、宗治に竜の知り合いなど、全く心当たりがなかった。


「君は、どこかで――」


 言いかけた刹那、再びけたたましい咆哮が洞窟中に響いた。

 すると、あたりが急激に冷え込み始め、竜は雲の中で光る雷のような電気をまとい始めた。


「竜の様子がおかしい! 戻って!」

「宗治、竜から離れえ!」


 坂上と隆一に呼ばれるも、急な殺気に飲まれて宗治は頭が回らない。

 先ほどの穏やかな紅眼は文字通り色を変え、鋭い金色の眼で宗治を捉えた。

 そして――


「え――」


 竜は前足を掲げる。それは宗治を目がけて振り下ろされ――

 瞬間、視界の右側から舞い込んできた影に、宗治は身体を押されて後ろに倒れる。

 鋭い爪が影を薙ぎ払い、勢いよく吹っ飛んでいく。


「隆、一」


 飛んでいった方へ目をやると、そこには右腕を押さえながら悶え苦しむ隆一がいた。

 服は赤く染まり、傷からどくどくと血が溢れ出す。


「――隆一!」


 宗治は目前の竜に目もくれず、岩壁に叩きつけられた隆一の方へと一目散に駆けていく。


「お前、なんであんなこと……!」


 頭を動かすのも辛いのか。

 隆一は目だけを動かし、視線を宗治に向ける。


「……怪我、してへんか?」

「何やってるんだよ隆一……あんなの俺の不注意なのに……!」


 隆一の問いに答える余裕もなく、宗治は問いただす。


「……よかった。大声出せるっちゅうことは無事みたいやな」


 また隆一も宗治の問いに答えず、安堵の表情を浮かべる。


「お前……今自分がどんな状況かわかってるの!?」


 出血が酷くいつ死に至ってもおかしくないような己の身より、無傷の自分を案じる隆一に怒りを隠せないでいた。


「あー、ちょい、目が霞むな」


 額に汗を浮かべながら、力なく笑う。

 その笑顔とは言い難い表情に、宗治はこれ以上の怒りをぶつけることなどできなかった。

 頼りない表情に怒りを鎮め、冷静さを取り戻した宗治は、羽織っていたノースリーブのジャージで軽く止血を施す。


「急いで戻ろう」


 隆一をそっと背負って振り返る。

 振り返った先では、坂上が訝しげに竜を眺めていた。


「坂上さん?」

「……この竜、様子がおかしい」


 坂上と同じ方向を見る。

 そこには、先程と同じ紅い目をした白竜。


「目の色が、戻ってる……?」

「そう。どうやらこの竜は興奮した時に目の色が変化するみたいなんだが」

「襲ってくる様子がない、ですね」


 じぃ、とこちらを見つめる竜。

 直前の攻撃が嘘だったかのように、竜は大人しい。

 確かに竜は、他の動物と同様に縄張りに入ってきた余所者に対しては攻撃的になることがある。

 故に先の攻撃は、竜として普通の反応である。宗治ももちろんそれくらいのことは知っているし、それを覚悟の上でこの洞窟に足を運んでいた。

 だが、この白竜は何かがおかしい。

 こちらを凝視する竜に、宗治は問いかける。


「なんで、君は――」


 人語を話すことのないであろう竜に対して、宗治は、


「――始めに俺たちを攻撃しなかったんだ?」


 前から知っていた古い友人に話すように、竜に問いかける。


「――――」


 やはり人語など話すことはない。

 だが――


「やっぱり、君はどこかで出会っている気がする」

「会ったこと……? この竜が?」

「はい、不思議ですよね。竜の知り合いに心当たりなんて無いはずなのに、なんだか懐かしいんです」


 宗治の答えに納得がいっていないのだろう、坂上は首を傾げる。

 しかし、宗治自身この竜に感じている懐かしさの正体が分からないから、これ以上坂上に答えてあげられることは何もなかった。


 宗治は白竜に軽く会釈をして、坂上の方へ向き直る。


「さあ、帰りましょう。隆一の怪我もあるし、病に寝込む僕の友人が待っています」


 柔らかい笑みを浮かべ、坂上と共に洞窟を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る