3-4 無気力少年は早く帰りたい

■■■ 


 町の外に繋がる門を出て、十分程たっただろうか。

 姫奈と龍斗は一言も交わすことなく、川の前まで辿り着いた。

 ここを渡りもう少し歩いたところが、ミヤコのペット――ザッハトルテを最後に見た丘になるという。


 川には吊り橋がかかっていた。川から橋までの高さは二階建ての住宅程で、あまり高いとは言えない。

 だが、問題は川にあった。水量があり、滝のように流れが速い。大人であっても落ちてしまえば命の保障はないだろう。

 先を歩いていた姫奈は、吊り橋と川を交互に見て立ち止まった。後ろを歩く龍斗も無言で立ち止まる。

 どれだけ待っても姫奈が動き出す様子はなく、龍斗は痺れを切らして口を開いた。


「怖いのか?」

「……」


 その問いに対しての返答はなく、姫奈はじっと川を見下ろしたまま動かなかった。


「大丈夫か?」


 龍斗は姫奈の隣に並び、彼女の顔を覗き込んだ。


「他の道、探さない?」 


 引きつった表情で、姫奈は提案した。


「そんな簡単に落ちたりしないから大丈夫だって。丘まで行くのにはここが一番近いし」


 龍斗はそう言って、姫奈に吊り橋を渡ることを促した。

 龍斗も全く怖いわけではない。が、今の龍斗は吊り橋に対する恐怖心よりも早く事を済ませたいという気持ちが勝っていた。


 兄の死を知ってから、龍斗は何に対しても意欲を持てないでいた。

 姫奈との会話もあまり楽しめず、いつものように言い争う気も起きない。無気力状態に近かった。

 だがそれは、尊敬していた兄を失った悲しみからではなかった。

 ずっと探し続けていた兄の死を姫奈から知らされ、龍斗は全く悲しかったわけではない。当然、生きて兄に会えるのが彼にとっての最高の旅の終わりだった。


 そんな大団円を願う一方で、"最悪な真実"を知る可能性に対しても彼は十分に覚悟していた。

 長い間行方不明だったのだから、どのような結末であっても受け止めるべき事実であるということは理解していた。

 もしも、龍斗の今の無気力状態が兄の死を知った悲しみによるものであったとするならば――その死を覚悟していないものだったとするならば、姫奈から聞かされた時点で既に正気ではいられなかったはずである。

 しかし、あの日以来龍斗は何に対しても心を揺り動かされず、無気力状態で過ごしてきた。

 何が自分をそうさせているのかもわからないまま。


「龍斗?」

「あ、……うん」


 今度は姫奈が龍斗の顔を覗き込み、考え込む龍斗に声をかけた。


「なんか、最近の龍斗おかしいよ?」

「そう、か?」


 自分の心の中を見破られたようで、龍斗はどきりとする。


「喋ってても反応鈍いし、たまにぼんやりしてるし」

「……そう、か」


 自分でも自覚はしていたが、いざ指摘をされると何か痛いものを突かれるのではないかと不安になる。

 姫奈が彼女自身の思っていることを普通に話しているだけだということは分かっているが、今はそのことに触れられるのが怖かった。


 ぎこちないやりとりの後、二人の間にほんのわずかな沈黙の時間が流れる。

 時間にして数秒だったが、龍斗にとっては何分にも感じられ、耐え難い空気だった。

 あまりにも耐えられなくなった龍斗は、そんな不穏な空気から脱するために大胆な行動に出ることを決心する。


 普段クールに振舞っている龍斗からは想像もつかない、大胆な発想。本人にとってもかなり勇気のいる行動であったと言えるだろう。

 しかし――


 ――この沈黙を耐えるよりは、マシだ。


 少年は意を決した。


「えっ……ちょ、何!?」


 龍斗は姫奈の前で背中を向けて立つと、体を反らせ、彼女を後ろ手で抱きかかえた。

 そして、反らせた背中に姫奈を寄せたまま、勢いよく前に屈んだ。

 突然の出来事で拒むことも出来ないまま、姫奈の足は地面を離れた。

 あまりにも突発的な龍斗の行動に、一瞬何が起きているのかわからない様子だった。

 自分とほとんど変わらない背丈の少女を背負い、龍斗は吊り橋へと向かう。


「ちょっと無理、無理だから! 逆に危なあぁっ!」

「大丈夫だって。二人合わせて百キロもないだろうし、最悪落ちるときはお前一人じゃない」


 妙なテンションで笑いながら話す龍斗の背中で、姫奈は揺れる吊り橋に身を縮こませる。だが、それでも彼女は口を閉じない。

 まるで、ジェットコースターに乗って悲鳴が止まらなくなってしまったときのように。


「本当に最低! 今すぐしねばいいのに!」

「だからオレが今ここで死んだらお前も死ぬって」

「うるさいだからその揺れやめてぇっ!」

「オレじゃなくて重力に文句言ってくれ」


 龍斗はケラケラと笑いながら姫奈の悲鳴や罵声に答える。

 龍斗自身も吊り橋の真ん中あたりに来たところで恐怖を感じ、それを無理矢理吹き飛ばすかのように怖がる姫奈を弄っていた。 



「龍斗ってさ、たまに無茶苦茶なことするわよね……」

「ああでもしないと埒が明かないだろ」


 吊り橋を渡り切り、龍斗は姫奈を下ろす。


「なんであんな発想に至るのかがアタシには理解できない」

「……理解しなくていいよ」


 ――むしろ理解しないでくれ。


 龍斗は先ほどの自分の行動を振り返る。冷静になって考えると、確かに危険極まりない行為だったと。


「帰りはあんな無茶しないでよね」


 姫奈はそう言い放つと、そばにあった木の下で腰を下ろし、大きく深呼吸した。

 龍斗も姫奈の隣で腰を下ろし、木に寄り掛かった。


「悪かった、もうしないよ。あと重いし」

「最後の一言は余計よ」


 姫奈は龍斗をキッと睨みつける。


「人背負って重いのは当たり前だろ、お前ちょっと自意識過剰なんじゃないの?」

「そんなことないわよ。重いなんて言われたら世の中の女性はみんな傷つくよ」

「世の中の女性がみんな自分と同じ考えを持ってるっていうのか、お前は」


 龍斗は呆れ顔ではぁ、と溜息をついてみせる。

 そんな煽るような態度の龍斗に対して、姫奈は口を開く。

 次にどんな反論が返ってくるのか。龍斗は彼女の言葉を待った。


 ――が、姫奈は言葉を紡がずに口元を歪め、柔和な笑みを浮かべた。

 姫奈の予想外な反応に、龍斗は首をかしげる。


「どうした?」

「いやぁ、いつもの龍斗に戻ったなって思って」


 姫奈の改まったような台詞に龍斗はどう返して良いか分からず、視線を逸らしてぶっきらぼうに呟く。


「……なんなんだよ、突然」

「それはこっちの台詞よ。一体何があったのって感じ」


 さっきとは違う姫奈の声色に気づき、龍斗は彼女の方に視線を移す。

 姫奈の表情からは既に笑みが消えており、暗い表情を浮かべていた。

 突然暗い表情を浮かべはじめた姫奈を見て、龍斗は戸惑う。


「お前は何も関係ないから気にしなくていい……んだけど」


 その表情の理由もわからず、だが何かフォローしなければと龍斗はぎこちなく言葉を紡いだが、


「関係ない、か」


 ため息か深呼吸かわからないような呼吸と一緒に言葉を吐き出す姫奈。その一呼吸で何か高ぶる感情を抑制しているようだった。

 どうしたものかと龍斗が考えを巡らせていると、姫奈がぽつぽつと語りはじめる。


「そうやって周りは関係ない、自分の問題だなんて言ってひとりで抱え込むのって…本当に自分しか見てないんだなっていうか、独りよがりっていうか…本当に、人と深く繋がるの嫌いなんだね」

「……」 


 ――痛い。 


 一言で簡潔に述べるなら、これが今の少年の気持ちを最も良く表現している言葉といえるだろう。

 自分を守るための殻をも貫き、姫奈の言葉は少年の胸に鋭く突き刺さる。


「じゃあ何、いちいち悩み事を全部お前や他の人たちに打ち明けないといけないの?」


 龍斗は焦る気持ちを抑えつつ、こわばった表情で言葉を返す。


「そうじゃないよ。あんたは自分のことでいっぱいになりすぎなの。悩みすぎて周りを振り回してる」

「お前がオレのことを気にしすぎて勝手に振り回されてるだけだよ」


 ああいえばこういう。

 表面的にはいつもの二人の口喧嘩だが、いつもより内容が深く、二人の今後の関係にまで影響が及んでもおかしくないようなものであった。

 ついに感極まり、龍斗は口にしてはいけない言葉を言い放ってしまう。


「オレの考えが気に入らないって言うんだったら、オレと関わるのやめればいいじゃん」

「龍斗、それ本気で言って――」


 姫奈が問おうとしたとき。


「ッ!?」


 龍斗が突然背後から何かに押され、前のめりに倒れた。

 最悪なことに腕を組んでいたため、とっさに受け身を取ることができなかった――が、幸い倒れた先は足を伸ばして木に寄りかかる少女の膝の上だった。


「いっ……つぅう……ッ!」


 龍斗が運よく頭を地面に打ち付けなかった代わりに、少女が悲痛の声を上げることになったのは言うまでもないが。


「な、何??」


 一方、龍斗は突然の出来事に状況が読めず、暗くなった視界の中で疑問符を浮かべた。


「わふっ」


 ――わふっ?


 背中の上に、何かがいる。


 その何かは、「わふっ」と発した。

 その何かは――


「ザッハトルテ! ザッハトルテよね!?」

「まじで?」


 姫奈の声に、龍斗は顔を上げる。

 背中からは、はぁはぁと犬独特の呼吸音が聞こえる。


「ほら、こいつミニチュアケルベロスでしょ?」


 龍斗の背中から重みと温もりが消えると、彼の目の前に三つの頭を持った真っ黒な犬が現れた。


「わうっ」


 首輪には、『SACHERTORTE』と文字が彫られている。龍斗は宗治に渡されたメモ書きをポケットから取り出し、首輪の文字と紙に書かれた文字を交互に見比べ、間違いないことを確認した。


「うん、コイツで間違いない」


 龍斗は上体を起こして立ち上がると、立てた親指を橋に向けた。


「今度は渡れるよな?」


 からかうような、達成感に満ち溢れたような表情で彼は姫奈に言った。


「あんたに背負われて渡るよりは百倍安全でしょ」


 姫奈はそう言うと、呆れたような笑みを浮かべて立ち上がった。


「思ったよりあっさり見つかったわね。お疲れ様」

「お疲れ。このまま無事に帰ることができれば終わりだな」


 二人は労いの言葉を交わしあい、顔を見合わせた。

 が、龍斗はふいっと目をそらしてぽつりと呟いた。


「さっきはなんか、ごめん」

「なんのこと?」

「ザッハトルテが来る前のあれ」


 ばつの悪そうな顔で呟く少年に対して、姫奈は呆れ顔で左右に手を振る。


「あんたのそういうのは慣れてるからどうってことないよ。そんなの今更だって」


 そんな余裕そうな表情の姫奈を見て、龍斗は彼女に悟られないよう心中で肩を落とした。


 ――結局、いつもオレが子供なんだな。


 龍斗は先ほど姫奈に指摘された言葉を思い返す。

 同時に、数日前に宗治に言われた言葉を思い出し、自分を見つめ直す。


 ――もっと外の世界との繋がりを。

 ――もっと広い世界を。


 目をそらし、俯いたままだった顔を真っ直ぐに向けた。

 呆れ顔で自分を見守る少女に。


「姫奈」

「何?」


 そうして、彼は決意した。


 いつまでも内側でこもっていてはいけない。

 もっと外の世界と関わるべきだと。


 自分はこのままではいけない。

 もっと広い世界を見るべきだと。


 ここに留まっていてはいけない。

 成長のため、旅立つべきであると。


 少年、黒井龍斗は姫奈に告げる。

 自分の決意を。


「姫奈、オレはやっぱり――」

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