3-3 ミニチュアケルベロス捜索依頼

 翌朝。


「……来るわけないでしょう」


 朝の挨拶よりも前に、龍斗は否定の言葉を叩きつけた。


「そんなの、やってみないと分かりませんよ」


 そんな言葉にもめげずに、宗治は窓から姫宮家の前を観察していた。


「まだ朝の八時ですし、きっとこれからです」


 宗治は、誰も訪れないことを全く想定しておらず、ただ楽しそうに待ち続けた。

 そんな宗治に、龍斗は冷ややかな目を向ける。


「何でも屋なんかでこの町でお金を稼げるわけがないだろ……馬鹿じゃないの」


 宗治は龍斗の否定的な発言に対して何も答えなかった。そもそも聞こえていなかったのかもしれない。

 琥珀色の瞳は普段以上に輝きを増しており、希望に満ち溢れていた。


「龍斗、今の真田に何言っても無駄よ。余計にお腹が空くだけ」


 傍目に会話を聞いていた姫奈は、宗治に冷たい視線を向けながら龍斗に話しかけた。

 一方、少年少女に冷たい視線を向けられている宗治の目は、窓から見える人影を追っている。二人の刺さるような視線には全く気付いていない。

 目で追っていた人影が、少しずつこちらへ近づいてきた。


「……来た!」


 宗治が声を上げ立ち上がると、龍斗と姫奈は同時に顔を見合わせ「え?」と発した。

 その人影は確かに姫宮家の玄関口の方へ向かってきている。

 間違いなく自分の待ちに待った来客だ。宗治はそう確信した。


 客がノックする前に玄関へと向かい、彼は自ら出迎えた。


「おはようございます、何でも屋終始亭です!」


 扉を開けると、そこには腰の曲がった老婆が立っていた。杖をついており、かなりの高齢のようだ。


「へぇー、何でも屋を、始めたのかい?」

「……? どちら様ですか?」


 老婆はこの家を元から知っているような口ぶりでゆったりと言葉を紡いだ。

 どうやら老婆の目的は依頼などではなく、この家の主のようだ。


「ミヤコおばあちゃん、お久しぶりです」


 宗治の背後から、老婆の声を聞きつけたリリアンが上品な口調で高齢と見られる彼女に挨拶した。


「おー、リリアンちゃん。元気してたかい?」

「ええ、この通りです。足の具合はどうですか?」

「いやぁねぇ、おかげで階段も軽々さね。リリアンちゃんの調合は天下一品だねぇ」


 リリアンは老婆に対して親しげに話していた。ほとんどが世間話だったが、親しくしている近所の人の一人、といった感じの雰囲気の会話だった。


 ――ここは引っ込むべきかな。


 二人が話し始めて5分程経った頃。

 宗治が居間へ戻ろうか迷っていたとき、老婆は彼に対して言葉をかけた。


「そうだ。ここは何でも屋を始めたんだったねぇ」

「あ、はい。今日から始めました」


 居間へと向かおうとしたところで、宗治は顔だけを老婆に向けて答えた。


「ペット探しなんかでも大丈夫かしらね?」


 ――早速依頼が来た!


 宗治は心中でガッツポーズを取り、老婆へくるりと向き直った。


「全然大丈夫です! むしろやらせてください!」

「本当かい? あたしゃ足が悪くて遠出ができないもんでね。助かるねぇ」

「精一杯頑張ります! ありがとうございます!」


 宗治は少年のような笑顔で老婆に感謝の気持ちを述べ、深々と頭を下げた。


「ここで立ち話もお辛いでしょうし、中へどうぞ」


 頭を下げる宗治の隣で、リリアンは丁寧に老婆を招き入れた。



「――つまり、散歩中に錆びた鎖を噛みちぎって……そのまま小動物を追って町の外の川の向こうへと逃げてしまったミニチュアケルベロス……そいつを探すことが、今回の僕の仕事ということですね」

「そうそう。若いもんは物分りがいいねぇ。うちの頑固じいさんにも見習ってほしいもんさね」


 居間で今回の依頼の内容を詳しく聞いた宗治はメモを取りながら、ミヤコと呼ばれる老婆に確認を取っていく。


「えっと……ペットの名前はザッハトルテ、でしたっけ」

「そう、実界のお菓子の名前さ。末の息子が実界に住んでてねぇ」


 ミヤコは時々世間話を交えながら宗治に依頼の内容を話していた。

 それは昔話であったり、この町の住民の噂話であったりとたわいのないものであった。


「息子さん、実界に住まわれてるんですか」

「そうなの、あたしゃ元々実界の生まれなもんでねぇ……実界の人間は嫌いかい?」

「いえ、僕も実界の人間なので。そういう偏見は特にないです」


 宗治は優しく微笑み、ミヤコに対して友好的な態度をみせた。

 すると、同じ居間の少女がぽつりと呟いた。


「実界の人、なんだ」


 宗治がその声の聞こえる方へ目を向けると、居間の端の方で少年少女が体育座りをして会話を聞いていた。

 一瞬、目を向けた先の二人の表情が曇っていたように見えたが――


「でも、まさかミヤコおばあちゃんが初の依頼人になるなんて思わなかったわ」


 姫奈はいつものはきはきとした口調で言葉を紡ぎ、ミヤコに笑いかけた。


「そうねぇ、あたしも驚きさね」


 ミヤコも同じように姫奈に笑いかけ、ゆっくりと言葉を発した。


「……どちら様?」


 隣に座る龍斗が、姫奈に問う。


「そいや龍斗はミヤコおばあちゃんに会うの初めてだよね。あ、真田も初めてか」


 龍斗の問いかけに対し、姫奈はとてとてとミヤコの方に駆け寄ると、手を添えて二人に紹介を始めた。


「ミヤコおばあちゃんは、この町の町長のお母さんにあたる人だよ」

「「町長のお母さん!?」」


 二人は同時に声を上げ、そして同時に謝罪と名前を述べた。


「あ、挨拶が遅れてしまい申し訳ありません! この夏から姫宮家に居候している真田宗治です!」

「同じく夏からこちらにお邪魔している黒井龍斗です! ろくに挨拶もせずすみません!」


 二人は深々と頭を下げたが、ミヤコはにこにこしながら手を横に振った。


「いいのよいいのよ、頭を上げて。確かにうちの長男は町長だけど、そんなぁ頭下げられる程の対した頭も持ってないんだからねぇ」

「そうは言っても、実界の一流大学を卒業された方じゃないですか。あの都心の……」


 ふふふと上品に笑いながらリリアンは話した。

 リリアンによってしたたかに明かされた学歴に、二人はより一層恐縮する。


「確かに高学歴で役職もそれなりなら、どうりでミニチュアケルベロスも買えるはずだな」


 ミニチュアケルベロスはまともに買うと相当の値段らしく、それを知っている龍斗は納得したようにうんうんと頷きながら呟いた。


「老い先短いあたしにゃ勿体無いくらいだわねぇ。報酬はミニチュアケルベロス一頭買えるほどには出すよ」


 そのミヤコの言葉に真っ先に反応したのは宗治ではなく――少女、姫奈だった。

 ミヤコの隣で行儀よく正座していた姫奈は、ミヤコの手を取り、力のある目で見つめる。


「アタシたち、ちゃんとザッハトルテのこと見つけるから! ミヤコおばあちゃんは安心して!」

「あぁ、よろしく頼むよ。姫奈ちゃん」


 ――アタシたち?


 アタシたち、と宗治個人ではなく自分自身を含めた複数形で話す姫奈。

 そんな彼女に疑問を抱いた宗治だが、その謎はわずか十秒も経たぬ間に解決された。


 少女は宗治の方へと寄ると、彼の右耳に顔を近づけ、そっと囁く。


「ね、手伝うから報酬分けて?」


 実に少女らしく、父親にねだるような可愛らしい声で。


 ――今時の小学生はみんなこんな感じなのかな。


 そして、姫奈は手を合わせてお願いのウィンクをしてみせた。


「わ、わかった……りました」

「どーも☆」


 そう言って姫奈は、舞台袖へ駆けていくようにするするとミヤコの隣に戻っていった。

 その二人のやり取りを不思議そうな顔で見るミヤコ。

 宗治は気を取り直し、何事も無かったように話を続けた。


「では、町の外にある川の向こう側を中心に探せば良いということですね」

「うむ。ザッハトルテは水が苦手なもんでねぇ、そうそう自分で橋を渡ってここに戻ろうともせんはずさね」


 ミヤコはお茶をすすり、にこやかな表情でゆっくりと言葉を紡ぐ。


「よろしく頼むよ、何でも屋さん」


 数分後。


 ミヤコは見せたいものがあると言って一度家に戻っていった。

 一通り事情を聞き終えた宗治は、姫奈に手伝ってほしい内容を伝える。


「僕は町やその周辺で情報を収集するので、姫奈ちゃんは僕が集めた情報を元に本体の捜索をしてください」

「任せておいて!」


 姫奈は宗治に向かってビシッと親指を立て、ウィンクをしてみせた。


「何かあったら僕の携帯に連絡をお願いします」

「りょーかい!」


「あとは――」


 宗治はメモをとった紙を手に取り、部屋の隅で気だるそうに膝を抱える少年の名前を呼んだ。


「龍斗くん」

「……はい?」


 呼ばれた少年は、目だけを宗治に向けて返事をした。その目つきは睨みつけているようにも見える。


「姫奈ちゃんと一緒にザッハトルテの捜索をお願いしたいんだけど、いいかな?」

「ただ働きなら断る」


 宗治の問いかけの後、一秒も経たないうちに龍斗は即答した。


 ――幻界の子はみんなこうなのかな。


「……姫奈ちゃんと同じ額でどうかな」

「まずはどこ探せばいいですか?」


 宗治との会話を極力控えるような態度で淡々と話す龍斗。

 もともと龍斗はあまり多く話すタイプでなく、自分のことを快く思っていないことは宗治も理解してはいた。が、ここ数日はどうも様子がおかしい。


 鎌鼬の件で少しはお互いの溝が埋まるのではないかと思っていた。

 しかし、その日から落ち着きがなく、むしろ精神的に不安定な傾向が見られるようになっていた。

 宗治はこの数日間も毎日龍斗の練習に付き合っていたが、満足に集中できていないと感じることが度々あった。

 そして、何よりも気になったことがもう一つ。


「てか、あいつ一人でも十分なんじゃないかと思うんですけど。女にしては色々な意味で強いですし」


 幼なじみの姫奈との関わりが薄いこと。

 前の二人なら今の龍斗の台詞一つで口喧嘩が始まってもおかしくなかった。しかし、姫奈は口を挟む様子もなく、窓の外を眺めていた。

 あの日以来二人の会話はぎこちないようで、宗治はそれが気にかかっていた。


 ――どちらかの好き避けとか、そういうのとは違う雰囲気っぽいよなぁ……。


「宗治さん聞いてる?」


 宗治が机に頬杖をついて考えていると、いつの間にか龍斗が向かいに座っていた。龍斗は、主人を見上げて餌を待つ猫のように宗治の返答をじっと待っていた。


「え、あ、ごめん! ちょっと作戦を練ってました」

「で、オレはどこに向かえばいいんですか?」


 龍斗は少しイラついた様子で宗治に尋ねた。


「えっと、まずは川の向こう側の丘へ行ってみてください。ミヤコさんが最後にザッハトルテを見た場所です」


 龍斗はそれを聞くと黙って立ち上がり、さっさと玄関へと向かっていった。

 姫奈も龍斗に続いて玄関へと向かい、ドアを開けて出て行った。


 一言も交わす様子もなく、少し距離を置いて歩く姫奈と龍斗。

 そんな二人の後ろ姿を窓から見て、宗治は不安げな表情を浮かべる。


「あの二人……大丈夫かな」

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