第3章 少年となんでも屋
3-1 お酒は二十歳になってから
時折涼しい日もあって、少しずつ夜が長くなってきた頃。
とは言っても、昼間は暑くてまだまだ夏は終わらない。
外では相変わらず蝉の合唱が響き渡り、遠方は陽炎が揺らめいている。
そんな正午過ぎ、二人の男が川辺に腰を下ろし、握る竿から垂れる釣り糸の先を虚ろな目で見つめていた。
涼しげでいきいきとした川の音とは裏腹に、二人の目は淀み、死んでいた。
そのうちの一人、黒髪の少年が力のない声で呟く。
「腹……減った」
思わず同情を買ってしまうほどに力なく、弱々しい少年の声。
マッチ売りの少女とかそういった類の悲劇の主人公を彷彿とさせる。
そんな声を聞いた隣の赤髪の男はやはり放っておけず ―― だが、何もしてやれない。
「もう少しの辛抱ですよ……あと一匹です」
赤髪の男 ―― 真田宗治は、弱々しい声で呟いた黒井龍斗少年を励ました。力無い声で。
言葉で腹が満たされるわけもなく、宗治の言葉は気休めにもならないであろう。
川は、時間と共に止めどなく流れ続ける。
自分たちが釣り糸を垂れてからどれだけの水が流れていっただろうか。
宗治はそんなことを考えながら、ふぅ、と一息ついて竿を置いた。そして、自分と龍斗の間に置かれている水の入ったバケツを覗きこむ。
そこでは、三尾の大小様々な魚たちが窮屈そうに泳いでいた。
この魚たちが二人の釣り人、そして、家で待つ二人の女性 ―― 姫宮リリアンと美山姫奈の昼食である。
「オレ、もうこのままかぶりつきたい」
バケツの魚をじっと見つめる宗治の隣で、龍斗は泣きそうな声と悲痛の表情で訴える。
普段は他人に弱みを見せないように振る舞う龍斗だが、今回ばかりは流石にそれを通し切ることはできないようだった。
―― 俺が何とかしなければ。
宗治は深く息を吸い込んだ。
刹那、宗治の目に生気が宿った。真夏の太陽の光を受けて、琥珀色の瞳は魔力を宿した魔石の如く鋭く輝く。
ごうごうと止めどなく流れ続ける川を凝視する彼の目は、盗賊や鎌鼬のような敵と対峙するときのそれと似ていた。
全ては一人の腹を空かせた少年のため、帰りを待つ二人の女性のため ――
魚の気配を感じ取るため神経を研ぎ澄まし、宗治はじっと竿を構えた。
―― そこだ!
そのとき、一定の流れを保つ川の中でぱしゃりと何かが跳ねた。
「……来た!」
待ちに待った獲物の感触に、声が上がる。
が、その声は宗治から放たれたものではなかった。
「……っえ?」
小さな体で一生懸命にしなる竿を引っ張る彼を、宗治は呆然と見ていた。
「オレの昼飯ーっ!!」
―― 水飛沫をあげて、二人の待ち焦がれたそれは姿を現した。
小さな町の端にある、少し大きめの民家。
その居間では、二人の男と二人の女が食卓を囲んで手を合わせていた。
「いただきまーす」
しかし、食卓には四尾の大きさのばらばらな焼き魚が一人につき一尾ずつと、パチンコ玉程の大きさの赤い木の実が盛られた皿が置かれているだけである。
龍斗は箸を手に取ると、一口の半分にも満たない程度に魚の身をついばんだ。
「ごめんなさい……私の力だけではこれが限界で」
ピンク色のリボンで髪を束ねた女性——リリアンは、寂しい食卓を見回して申し訳なさそうにそう口にした。
すると三人はいやいやと同時に手を振る。
「むしろアタシたちが住まわせてもらっておいて何もしないでいるのが悪いわ。謝るのはこっちの方ね……ごめんなさい」
三人を代表して、姫奈は謝罪の言葉を述べた。
その後に続いて宗治が控えめに挙手し、質問を述べる。
「えっと、つかぬ事をお訊きしますが……今までどうやってやり繰りを?」
――ちょっと失礼だったかな。
宗治は口にしてから訊くべきことではなかったと少しばかり後悔した。
しかし、リリアンは特に躊躇する様子もなく答える。
「中庭で育てている余った野菜の一部を売って生計を立てていたのですが……」
「「ごめんなさい」」
その言葉で原因が明確になったところで、宗治と龍斗は同時に謝罪した。
「人が増えたことで余らなくなって、売る物がなくなった、ということね」
一同は、暗い顔でそれぞれの魚をついばむ。
姫奈の一言以降発言をする者は居らず、ただ彼らは黙々と食べ続けていた。
少ししてから、皿の上の魚を骨すらも残さず平らげた龍斗が、箸を静かに置いた。
そしてそっと皿を自分から離すと、彼はゴトンと頭を机に打ち付けて突っ伏した。
「やっぱりお金がないと不便だ……もう火を起こして風呂に入るのは疲れた」
水道光熱費すらも払えない姫宮家の家計は、まさに火の車だった。
そのため現在は、川から組んだ水を起こした火で温めるという原始的な方法で入浴を済ませていた。
「アタシだって真田に覗かれるのはもう懲り懲りだわ」
姫奈は、斜め前の真田に軽蔑の視線を向ける。
その目に気付いた宗治は両手を振って慌てて否定する。
「の、覗きじゃないです! あんまり長いからもしかして火が強過ぎたりしてのぼせて、気絶でもしたのかと心配で……」
「黙れロリコン」
必死に弁解する宗治の隣で龍斗は冷たい視線を向ける。
「だから僕はそういうつもりではなくて……っ!」
「誠実そうな人が意外とむっつりだったりするのよね、アタシ知ってる」
「一体どこでそんな話を……」
漫画で言ってた、と目も合わさずに答える姫奈。
僕はロリコンじゃない、と宗治は心中で何度も叫ぶ。が、誤解を解くのは難しそうだと判断し、静かに話題の鎮火を待った。
僅かな沈黙の後、姫奈はある疑問を口にする。
「そういやロリコンって言ったけどさ、そこまで年は離れてなさそうだから別にロリコンではないんじゃない?」
「あー、そうか。宗治さんは中学生くらい、すか?」
二人は首を傾げて、宗治に問う。
「ああ、やっぱりそう見えるんですね」
視線を落として、苦笑いする宗治。
そんな宗治の様子を見た二人は、傾けていた首を今度は逆方向に傾げ、頭の上に疑問符が浮かびそうな表情で宗治を見る。
――まあ、今までも年相応に見られたことはなかったし、そんな顔をされるのも慣れてるけど……。
「僕は一応、お酒の飲める成人です。今年の冬で21歳だよ……」
宗治が溜息をついてそう告げると、彼の言葉を聞いた三人は揃って目を丸くした。
宗治はいわゆる童顔で、その上に中性的な顔立ち、色白、痩せ型、小柄という格好いいとは程遠い容姿だった。どちらかといえば可愛いに分類されるだろう。
また、特徴的な赤髪と琥珀色の瞳から浮世離れした印象を見た人に持たせていた。さらに、鶯色の着物の上に青色のノースリーブのジャージを上下に纏い、大胆にもズボンの中に着物を突っ込むという異様なスタイル。
それらの特徴から、宗治の容姿は彼を見る人のものさしを狂わせ、正確な年齢を言い当てさせなかった。
――どうしたら年相応に見てもらえるんだろう。
当の本人は本気で悩んでいた。
が、年相応に見てもらえない原因の一つである自分のファッションセンスを疑うこともしなかった。
「私と同い年ですね。私も三月で21になるんです」
思い悩む青年の向かいに座るリリアンは、ニコニコと嬉しそうに笑いかけた。
彼女もどちらかと言えば若く見られそうな顔立ちではあるが、リリアンの場合、落ち着いた性格と女性らしい体格が、周囲に大人の女性としての魅力を感じさせていた。
「真田とリリアンさんが同い年だなんて……信じられないわ」
姫奈は二人を交互に見ながら呟いた。
宗治は姫奈の発言に対して何も言わず、むしろ言ってしまったら負けだと自分自身に言い聞かせる。そして、この話題が途切れる時をひたすら待った。
「あ、因みにアタシたちも同い年なんだよ。今年で12歳」
「えっ!?」
姫奈の発言に対して驚きの声を上げたのは、宗治だった。
「……宗治さんの考えてたことはなんとなくわかるよ」
宗治の隣の龍斗は、沈んだ表情で言葉を紡いだ。
「あ、えっと、龍斗君は年相応なので落ち込む必要はなくて……ただ僕は姫奈ちゃんが——」
「実界の高校生の制服みたいでしょ?」
引きつった笑顔の龍斗をよそに、姫奈は立ち上がり、自分の服装を見せるように楽しそうに両手を広げる。
襟元のリボンに半袖のブラウス、チェック柄のプリーツ。完全に高校生を思わせる服装だった。
若く見られるがために悩む青年が居る一方で、服装から実年齢よりも大人びて見られる少女。
宗治は、そんな大人びた少女が少し羨ましくもあり、どこかで悔しいという感情も渦巻いていた。
その感情を打ち消そうと少年のような顔立ちの青年は、気にしていないように無理矢理微笑む。
しかし、ふと宗治が横に目を向けると、隣に座る少年は宗治以上に深刻な表情をしていた。
何かフォローをしなければと思い、宗治は暗い影を落とす少年に耳元で囁く。
「……あの子は特別だよ。気にする必要はないよ」
しかし龍斗は縦に小さく頷くとごちそうさまと手を合わせ、重苦しい足取りで居間を出て行った。
宗治は、とぼとぼと出て行く少年の後ろ姿を見守る。
――あれは重症だな。
そんな彼らの思いを知ってか知らずか、龍斗の暗い表情に少女は何事かと言った風に、首を傾げていた。
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