2-4 オレって本当、子供だ
群青色の絨毯が敷かれた小さな部屋。
隣の部屋とは逆側に窓がついており、そこから見えるのは隣の部屋で見えるような賑やかな町ではなく、人気のない閑散とした森である。
日が傾いているせいで、部屋の中は薄暗い。
ほんの少し差し込む赤色が、部屋の輪郭をほんのりと浮き上がらせていた。
そんな部屋の中に一人、少年はドアの前で膝を抱えてうずくまっていた。
「オレって本当――」
――子供だ。
口にするのも嫌になる、自分の心身の姿。
どんなに背伸びをしても憧れのものにはまだまだ届かなくて、そういう自分に苛立っていた。
宗治の言い分は、龍斗の心に重苦しい鐘の音のように酷く響いた。
姫宮家にやってきて、彼らと触れ合う中で少年自身も気付き始めていたことだった。
自分と全く異なる環境、考え。それらはまるでこれまでの自分を否定してしまいそうになるほどに様々だった。
そんな様々なものに触れる中で、自分の考えは本当に正しいものなのか。
少年は、自信を持てなくなっていた。
兄を追う自分のことを今一度見直す。
兄を追い続けたその先には何があるのか。
もしも、自分が兄を越えたとしたら、その先は――。
「ああ、もう面倒臭い」
ドアに寄りかかり、少年は空の幾億倍も低い天井を仰ぐ。
こんなちっぽけな高さにすらこの手は届かない。自分の未熟さが幼稚で醜く、龍斗は恥ずかしさすら覚える。
『少年』と呼ばれる幼さで、子供扱いされる自分に嫌気がさしていた。
子供と言えば元気いっぱいで素直というイメージで、それが健康の証という風潮がある。
だが、少年は自分をそう見られるのが嫌だった。
そのため、同年代の間で流行る遊びをしたりすることも自ら避け、気怠そうに振る舞い続けた。
その一方で姫奈は、自然と大人びた言動をとっているように見えて、自分と比較することでさらに自己嫌悪に陥る。
幼い思考や行動を取る自分を見せないようにと、龍斗は彼女の前で背伸びを続けた。
「龍斗ー、居るの?」
幼い頃から知る、少し強気な声がドア越しに聞こえてきた。
扉を開けようとドアノブを捻る音がするが、龍斗はそれを無視した。
「……何引きこもってんのよ」
扉の向こうで腕を組み、呆れ顔でそう言う彼女の姿が龍斗の目に浮かんだ。
――オレ、またガキみたいなことしてる。
自分の顔の輪郭を剥ぎたくなるほどの自己嫌悪に陥った少年は、自身が出せるありったけの低音で言葉を放つ。
「放っておいてくれ」
少年は自分をよく知る少女をも拒絶した。
こんな自分が情けなくて、彼女の前に出ることが出来ないでいた。
「今は話せる気分じゃない」
龍斗のその言葉の後に、姫奈の言葉は無かった。その代わり、ドアの向こう側で何かが擦れる音がした。
続いて、龍斗の頭のあたりからこつん、とドア越しに硬いもののぶつかる音がする。
そして、さっきより近い位置から姫奈の声が聞こえた。
「龍斗って、昔から自分の考えに違う誰かの考えが入ってくるのを拒みがちだよね」
ドアを隔てて響いてくるその声は、いつもの彼女と違うように思えた。
自分とうんと歳が離れた女性。龍斗にはそんな声に聞こえた。
「そうね……たとえば、青に染まると決めたら真っ青に染まろうとする。だから、他の色なんて受け入れられない。そんな感じかな」
目指すものしか見えなくなる。
それ以外は、龍斗にとってそれを阻む敵でしかない。そんな龍斗の性質を、姫奈は色に例えて語る。
兄のように強く、姫奈のように大人びていたい。目指すもの以外は邪魔者として徹底的に拒み続けた。
気づけば少年は、心を許せる人間というのがごく少数に限られていた。
でもね、と彼女は続ける。
「いろんな色を集めて青を作っていくっていう方法もあるんだよ。青を作るのは青だけじゃないわ」
「――ふっ」
真面目に話す姫奈の後ろで、龍斗は思わず吹き出した。
「姫奈、青は原色だぞ……っ作れないよ」
「……例える色が悪かったわ。緑に脳内変換しておいて」
いつも大人びた発言をする姫奈が、ドアの向こうで聞き逃しなさいよ、と小さく呟いたのが聞こえた。
――こいつも、いつも完璧ってわけじゃないんだな。
そんな姫奈に、少年の強張っていた表情が和らぐ。
しかし、一度意固地にこもってしまうと引くに引けなくなるもので、龍斗は部屋から出辛くなってしまっていた。
――何してんだろ、オレ。
龍斗は扉を開けない自分に呆れ、ため息をついた。
どうしたものかと思案し始めたとき、ドア越しの姫奈がいつもの明るく強気な声を放つ。
「あ、そうそう、思い出した。あんたに言いにきたのはこんなことじゃないのよ」
「こんなことって、お前」
ん?と聞き返す扉の向こうの少女。
とぼけているのか本当に聞こえなかったのかは分からない。だが、龍斗もこれ以上鬱陶しい話をするのが億劫なので、何も言わなかった。
姫奈の方もこれ以上は特に言及せず、話を続けた。
「山に向かう道の途中に、少し狭い道があるのは知ってる?」
突然の話の切り替わりに戸惑いつつも、おう、と龍斗は答える。
「その奥にね、小さな池があるんだ。ちょっとそこまで散歩にいかない?」
扉の向こうで、再び擦れる音がする。
少し上から聞こえる姫奈の言葉に、龍斗は耳を傾ける。
「午後七時半くらい。ご飯食べたら出よう」
そう告げる声の後、隣の部屋の扉を開閉する音が聞こえた。
部屋の外は静まり返り、一人になった龍斗は再びため息をついた。
「はぁ……なんでこういう日にお前は……」
隣の部屋の住人の顔を思い浮かべながら、龍斗は不機嫌そうに言葉を紡いだ。
が、不機嫌そうな表情は次に浮かんだ疑問にすぐ打ち消され、龍斗は首を傾げた。
「でも、なんで急にあんな誘いを……?」
幼い頃からの付き合いであった姫奈。
少し関わりにブランクがあったとはいえ、今更改まったような誘いをしあうような関係でもない。
しかし、少年の考えはある可能性に辿り着く。
隣の部屋に向かって小さな声で呟いた。
「……デート的な?」
自分に似合わない言葉にぞくりと悪寒が走る。
悪寒に耐え切れなくなった少年は畳まれた布団に思い切りダイブし、その布団の間に頭を突っ込む。
――そりゃないわ。
自分への嫌悪感による恥ずかしさの火照りが、全身に回る。
それは恋愛感情とはまた異なった、やはりそういった発想につながる自分への嫌悪と言った方が彼にとってしっくりくる表現かもしれない。
龍斗は姫奈が好きだった。
だが、それは恋慕などといったものとは少し違うと龍斗は考えていた。
むしろ、それはないと自分の中で否定していた。
幼い頃からの付き合いもあってか、彼女をそういった対象として当てはめることに嫌悪を感じていた。
一方で、幼馴染として、友人として特別な存在であり、好きであることは確かだった。
「……はぁ」
布団の中で、少年は再びため息を漏らした。
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