2-5 今日こそ、ちゃんと伝えなきゃ
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「だいぶ暗くなってきたわね」
姫奈はそう呟き、カーテンを閉めた。
部屋の電気をつけ、明るくなった自室のベッドで横になる。
「嘘つきで、ごめんね」
美山姫奈は、初めて龍斗がここに来た日の会話を思い出す。
『オレは……町に用っていうか、兄さんを探してる。姫奈、何か知らないか?』
『あ、えっと……知らないけど……』
あのとき、姫奈は迷った。
彼に、兄の死を伝えるべきであるか否か。
しかし、それは早かれ遅かれいずれ少年に告げなければならない真実だ。
姫奈はそれが出来ないまま、気づけばあの日から三日も経っていた。
「……こんな弱虫、アタシらしくない」
姫奈は、抱き枕をぎゅっと抱きしめ、顔を埋める。
感傷に浸っていると、夕飯が出来たことを知らせるリリアンの声が一階から聞こえた。
姫奈はベッドから体を起こして勢いよく立ち上がると、自分の両頬を引っ張り口角をほぐした。
姫奈は時計を見上げる。時刻は丁度午後七時。
「あと30分か」
壁にかかった鏡で前髪を直すと、にっと口角を上げ、部屋を出て行った。
――今日こそ、ちゃんと伝えなきゃ。
そして少女は、軽快に階段を下りていく。
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「今日は冷やし中華を作ってみました」
「おおー、いいね! 今日みたいな暑い日にピッタリじゃん!」
姫奈は、何事もなかったかのように明るく振る舞い、リリアンの隣にすとんと座った。
宗治は、一人で下りてきた姫奈を見て少し心配そうに姫奈に尋ねた。
「あの、龍斗くんは……」
「さあ。勝手にお腹空かせとけばいいのよ」
あんなやつ、とジト目で少女は手を合わせる。
「まぁ、気が済んだら下りてくると思うよ」
そう言って、姫奈は箸で麺を口に押し込んだ。
もぐもぐと一生懸命に頬張る姫奈。その姿はまるでヒマワリの種を頬袋に詰め込んだハムスターのようだった。
ごくんと飲み込むと、姫奈はまた話を始める。
「だいたいあいつは、自分のことを追い込みすぎなのよ。目標設定がいつも無駄に高いの。だからいつまでも自分に自信がもてなくて卑屈になってんのよね」
とても十代の少女が話すこととは思えない。姫奈の語りは、さながら仕事帰りに居酒屋に立ち寄ったサラリーマンのようだった。
「誰が自信もてなくて卑屈になってるって?」
開きっぱなしの襖から、その声の主は姿を現した。
噂をすれば――それは運悪く自分の噂を聞いてしまった、龍斗だった。
「盗み聞きはよくないわよ。今みたいに聞いて後悔することだってあるんだから」
「盗み聞きじゃなくて、廊下を歩いてたら自然に聞こえてきたんだよ」
気怠そうに頭を掻いて、龍斗は姫奈の向かいに座る。
一瞬姫奈と真っ直ぐに目が合ったが、さっきの自分の呟きがふと蘇り、龍斗は目を逸らした。
「はぁ……」
龍斗は今日一日の自分の言動を悔やみ、深くため息をついた。
「辛気臭いなぁ、こっちまでため息つきたくなるじゃない」
姫奈はそう言うと、限りなくため息に近い深呼吸をした。
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その後、四人は黙々と食事を始め、終始一言の会話もないままだった。
龍斗は一番早くに食べ終わると、ごちそうさまと言ってさっさと居間を出て行った。
姫奈は居間の壁に掛けられた時計を見る。時計の短針は、ちょうど七と八の間を指していた。
急いで夕食を済ませると、少女は階段を上り、自室の隣の住人を呼ぶ。
「龍斗ー!」
しかし、呼んでも一向に返事はない。
「返事くらいしなさいよ、もう」
姫奈は彼の部屋のドアノブに手をかけた。
ガチャリと捻って押すと、鍵は空いており、部屋は真っ暗だった。
姫奈は電気をつけてみるが、そこにはいつもの群青色の絨毯と、部屋の隅に畳まれた布団が置かれているだけであった。
「あれ……?」
念のため自室も確かめてみるが、目的の人影はどこにもなかった。
一階の居間にいる二人にも訊いてみるが、居間を出て行ってからは見ていないという。
少女はもしやと思い、玄関を覗いてみる。
――靴がない。
姫奈は、急いで外へ飛び出して行った。
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