2-5 今日こそ、ちゃんと伝えなきゃ

■■■


「だいぶ暗くなってきたわね」


 姫奈はそう呟き、カーテンを閉めた。

 部屋の電気をつけ、明るくなった自室のベッドで横になる。


「嘘つきで、ごめんね」


 美山姫奈は、初めて龍斗がここに来た日の会話を思い出す。


『オレは……町に用っていうか、兄さんを探してる。姫奈、何か知らないか?』

『あ、えっと……知らないけど……』


 あのとき、姫奈は迷った。

 彼に、兄の死を伝えるべきであるか否か。

 しかし、それは早かれ遅かれいずれ少年に告げなければならない真実だ。


 姫奈はそれが出来ないまま、気づけばあの日から三日も経っていた。


「……こんな弱虫、アタシらしくない」


 姫奈は、抱き枕をぎゅっと抱きしめ、顔を埋める。

 感傷に浸っていると、夕飯が出来たことを知らせるリリアンの声が一階から聞こえた。

 姫奈はベッドから体を起こして勢いよく立ち上がると、自分の両頬を引っ張り口角をほぐした。

 

 姫奈は時計を見上げる。時刻は丁度午後七時。


 「あと30分か」


 壁にかかった鏡で前髪を直すと、にっと口角を上げ、部屋を出て行った。


 ――今日こそ、ちゃんと伝えなきゃ。


 そして少女は、軽快に階段を下りていく。


■■■


「今日は冷やし中華を作ってみました」

「おおー、いいね! 今日みたいな暑い日にピッタリじゃん!」


 姫奈は、何事もなかったかのように明るく振る舞い、リリアンの隣にすとんと座った。

 宗治は、一人で下りてきた姫奈を見て少し心配そうに姫奈に尋ねた。


「あの、龍斗くんは……」

「さあ。勝手にお腹空かせとけばいいのよ」


 あんなやつ、とジト目で少女は手を合わせる。


「まぁ、気が済んだら下りてくると思うよ」


 そう言って、姫奈は箸で麺を口に押し込んだ。

 もぐもぐと一生懸命に頬張る姫奈。その姿はまるでヒマワリの種を頬袋に詰め込んだハムスターのようだった。


 ごくんと飲み込むと、姫奈はまた話を始める。


「だいたいあいつは、自分のことを追い込みすぎなのよ。目標設定がいつも無駄に高いの。だからいつまでも自分に自信がもてなくて卑屈になってんのよね」


 とても十代の少女が話すこととは思えない。姫奈の語りは、さながら仕事帰りに居酒屋に立ち寄ったサラリーマンのようだった。


「誰が自信もてなくて卑屈になってるって?」


 開きっぱなしの襖から、その声の主は姿を現した。

 噂をすれば――それは運悪く自分の噂を聞いてしまった、龍斗だった。


「盗み聞きはよくないわよ。今みたいに聞いて後悔することだってあるんだから」

「盗み聞きじゃなくて、廊下を歩いてたら自然に聞こえてきたんだよ」


 気怠そうに頭を掻いて、龍斗は姫奈の向かいに座る。


 一瞬姫奈と真っ直ぐに目が合ったが、さっきの自分の呟きがふと蘇り、龍斗は目を逸らした。


「はぁ……」


 龍斗は今日一日の自分の言動を悔やみ、深くため息をついた。


「辛気臭いなぁ、こっちまでため息つきたくなるじゃない」


 姫奈はそう言うと、限りなくため息に近い深呼吸をした。


■■■


 その後、四人は黙々と食事を始め、終始一言の会話もないままだった。

 龍斗は一番早くに食べ終わると、ごちそうさまと言ってさっさと居間を出て行った。


 姫奈は居間の壁に掛けられた時計を見る。時計の短針は、ちょうど七と八の間を指していた。

 急いで夕食を済ませると、少女は階段を上り、自室の隣の住人を呼ぶ。


「龍斗ー!」


 しかし、呼んでも一向に返事はない。


「返事くらいしなさいよ、もう」


 姫奈は彼の部屋のドアノブに手をかけた。

 ガチャリと捻って押すと、鍵は空いており、部屋は真っ暗だった。

 姫奈は電気をつけてみるが、そこにはいつもの群青色の絨毯と、部屋の隅に畳まれた布団が置かれているだけであった。


「あれ……?」


 念のため自室も確かめてみるが、目的の人影はどこにもなかった。

 一階の居間にいる二人にも訊いてみるが、居間を出て行ってからは見ていないという。


 少女はもしやと思い、玄関を覗いてみる。


 ――靴がない。


 姫奈は、急いで外へ飛び出して行った。

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