1-3 大事な話

「わあ……美味しそうです!」


 ポテトサラダにレタスとローストビーフ、味噌汁、白米。

 なんとも豪華なメニューで、まともな食べ物を三日ぶりに口にする男にとっては、最高のブレックファーストだった。


「どうぞ召し上がれ」


 向かいに座り、男に柔らかく笑いかけるリリアン。

 それでは遠慮なく……と男は箸を手に取る。

 が、食卓にはあの少年少女の姿がなかった。


「あれ、あの二人は?」

「大事な話があるとかで、二階の姫奈ちゃんの部屋にいますよ。なんでも二人は幼なじみなんだそうです」

「そういえば、お互い知ってる感じでしたね」


 ええ、と彼女は穏やかな表情で頷く。

 男は目を覚ましてから、彼女が一度も口角が下がっているところを見ていない。

 そもそも悲しんだり怒ったりすることがあるのだろうか。

 そう思えるほどに、姫宮リリアンという女性は常に優しく、見守るような笑みを浮かべていた。


「あ、お腹空かれたでしょう。お先にどうぞ」


 リリアンはそう言ってど真ん中に置かれていた鶏の丸焼きを、男の方によせた。


 ――朝食に鶏の丸焼きという発想はなかったな。


 男は今朝のホットミルクを思い出し、向かいに座るリリアンが相当の天然なのだと解釈した。


「で、ではお言葉に甘えて」


 いただきます、と手を合わせて男はローストビーフを一切れ口に運んだ。


■■■


「お前……なんでこんなところにいるんだよ」


 姫宮家の二階、姫奈の部屋。

 そこはあまり広いとは言えない間取りで、ベッドと本棚、机だけで部屋の半分以上の空間を占めていた。

 部屋に入ってすぐ右側の本棚に並ぶ本はどれも古く、姫奈が読んでいるものではないということは明確だった。


「お母さんはどうした?」


 黒井龍斗は、姫奈に問いかけた。

 姫奈は開いた窓から、町を見下ろす。

 風にたなびく髪が、彼女を大人っぽく見せた。

 そんな彼女の後ろ姿に、少年はどきりとさせられた。


「もういないよ」


 ――え?


 少年の、二度目のどきりであった。

 彼女は振り返り、静かに言葉を紡いでいく。


「やっぱり先が短かったのよ、あの人。それで、身寄りがなくて彷徨ってたら、ここに辿り着いたの。辿り着いたっていうか、あのお人好し美人に保護されちゃった」


 姫奈が自分の置かれている状況を淡々と話す一方、龍斗はそんな彼女の状況を知ったショックが大きく、落ち着いていられなかった。


「龍斗は? こんな町に何の用?」

「え、あ……っと」


 龍斗はそう問いかける姫奈の声にはっとなった。

 少し心を落ち着かせ、姫奈と同じように淡々と語ってみせる。


「オレは……町に用っていうか、兄さんを探してる。姫奈、何か知らないか?」


 黒井龍斗は、兄を探すために町や村を渡り歩いていた。

 別に身寄りがなかったわけでも、修行などでもない。ただ一つの目的のために家族の住む家を出てきたのだ。


 兄を探すため。たったそれだけの理由で、小学六年生にあたる歳の少年は旅に出たのだ。


「あ、えっと……知らないけど……」


 姫奈は答えたが、少し落ち着かない様子だった。


「そっか……この町に来たって話を聞いたんだけどな。手がかりが全く掴めないな」


 龍斗は、深くため息をついてうなだれた。


 わずかな沈黙の後、姫奈はまっすぐ少年を見る。


「あのね龍――」

「そろそろ行かなきゃな……ん?」


 彼女が何か言いかけたが、龍斗はタイミング悪く遮ってしまった。


「何でもないよ、行こっか」


 姫奈はそういうと、さっさと部屋を出ていき、階段を降りていった。

 龍斗も彼女の後に同じようにして居間へと向かっていった。


■■■


「おまたせー!」


 男が鶏の丸焼きをつついていると、明るい少女の声が背後から聞こえた。

 姫奈という可愛らしい名前の少女は、おしとやかの代名詞とも言えるほどのそれのリリアンの隣に座った。


「……って、この人もう食べてたのか」


 黒井龍斗はそう言って、男の隣で正座する。


「すみません……」


 男は、小さな子供たちよりも先に手をつけてしまったことが申し訳なくて、頭を下げた。


「まあ、二度も倒れるほどお腹空かせてたわけだし。そんな申し訳なさそうな顔しなくていいよ」


 少女はそう言って、箸を取った。

 男は、先に食べてしまっていた懺悔というほどでもないが、言い訳というか――少年少女たちに話すにはあまりにも情けない事実を打ち明ける。


「実はお団子屋さんでお団子を食べていたらうっかり盗賊に財布を盗まれてしまって……それで、ここ三日ほど何も口にしていなかったんです」

「なんで倒した盗賊に物を盗まれてるのよ……強いんだか弱いんだかわかんないわ」


 少女は呆れたような苦笑を浮かべた。


「最近、この周辺は盗賊がよく出るみたいですから、気を付けないといけませんよ?」


 リリアンは心配そうに、だけれど今までと同じように笑顔は絶やさずに言った。

 人間の感情は不安定で、ちょっとしたことでもぐらりとバランスを崩すものであるが、リリアンにはそういった陰りが一切見受けられない。

 感情がとても安定しているようで、常に穏やかに微笑っている。

 天気でたとえるなら、年中雲一つなく晴れ渡っているような表情を保っていた。


「あの山の麓に、盗賊たちが住んでいるそうですよ」


 丁寧に添えられたリリアンの右手の先には、大きな山がどっしりと構えていた。


「町まで下りてくるあたり、山賊とはまた違うのかな?」

「あの山の中でも襲われたと聞きますよ」


 姫奈の疑問に、リリアンは答えた。


「えー、活動範囲広すぎない?」

「山にはあまり人が来ないんでしょうか。盗賊でも山賊でも迷惑であることに変わりはないですが……」


 姫奈、リリアン、男の三人はそんな話題で盛り上がった。

 一方、姫奈の向かいに座る龍斗は、会話に混ざる様子もなく、山をじっと見つめていた。


「龍斗くん、どうしたの?」

「――いや、なんでも」


 男は龍斗に声をかけたが、何か考え事をしているのか、反応が薄かった。

 獲物に狙いを定める獣のような鋭い目つきで、少年は山を見つめ続ける。


 ――なるほど。


 男は龍斗の目を見て、その表情が何を表しているのかを理解した。


 一方、隣り合う向かいの彼女らは、今日の昼食の献立を話し合っているようだった。

 男も再び会話に混ざろうと目をこすって頷くが、徐々に霞んでいき、気付くと視界が暗くなっていた。

 これはいかん、と再び頭を振って彼女らの話を聞こうとするが、また目が霞んでいく。


「少しここで休まれてはいかがですか? 無理はいけませんよ」


 何度かそれを繰り返していると、リリアンがふふっと静かに笑って男に声をかけた。


「すみません……少しの間、お邪魔します」


 そう言うと、リリアンの隣では、呆れた顔で男を見る姫奈が溜息混じりで冷たい言葉を放つ。


「休んだらさっさと出てってよね」


 彼女は男を嫌っているのか、それともこういった気の強い性格なのか。

 ともかく、目が覚めたあの部屋を借りて、男はもう少し休むことにした。

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