1-2 真夏の朝のホットミルク

■■■


 ああ、早く起きないと盗賊が――


 目を覚まして最初に見たのは、ごく普通の家で見られるようなクリーム色の天井だった。

 少年を助けた男は、畳の上に敷かれた布団の上で眠っていた。

 男のすぐ頭の上にはティッシュ箱と時計が置かれている。

 上体を起こし、ぼやける視界の中で時計を凝視する。


 ――午前八時?


 男は四時間も眠っていたようだ。

 ここは一体どこなのか。彼には少年を助け、盗賊を倒した後の記憶がなかった。


 ザーッと、襖を引く音がした。


「おはようございます」


 そこには、黄色いワンピースにピンク色の丈の長い上着を羽織った女性が立っていた。

 女性は髪を後ろに束ね――いわゆるポニーテールで、ポニーテールといえば一般的には活発的な印象を与える。

 だが、彼女はその割には大人しく微笑む、おしとやかな女性だ。

 淡いピンク色のリボンは活発な可愛らしさより、着物の帯のような奥ゆかしさを表現していた。


 状況が飲み込めていない頭で、男は彼女に尋ねる。


「あの、僕は一体……」

「黒井龍斗くんという男の子が、盗賊を倒してそのまま倒れられたと言っていましたよ」

「ああ、あの少年が……そうですか」


 彼女は優しい表情を一切崩さず、穏やかな声で答える。


「長旅でお疲れだったのでしょう。少しお休みになってください」


 ――初対面の人間に、どうして彼女はこんなにも親切に接することができるのか。

 なんの疑いも持たず接してくる彼女は一体何者なのか。男は、そんな疑問を抱かずにはいられなかった。


「あ、自己紹介が遅れました。姫宮リリアンという者です」


 よろしくお願いします、と姫宮リリアンは丁寧に頭を下げる。


「よろしくお願い、します」


 男も、つられて頭を下げる。


「ホットミルク、ご用意致しますね」

「ありがとうございます」


 真夏にホットミルク。姫宮リリアンと名乗ったこの人は、きっと天然なのだろう。彼はそう解釈した。

 リリアンが襖を開けると、先ほど盗賊に襲われていた少年――黒井龍斗が立っていた。

 リリアンは笑顔で会釈し、龍斗を通して部屋を出ていく。

 龍斗は入ってくるや否や、男をキッと睨みつけて、ふいっと視線を反らした。


「あんな盗賊、お前みたいなやつに助けられなくても倒せたし」


 思春期を思わせるようなイラついた態度で、龍斗は言った。


「余計なことをしてくれた上にぶっ倒れてさ。ここまで運んでやったオレに感謝してよ」

「すみません……」


 黙っているとさらに少年の機嫌を損ねてしまうと思い、男は何か反応しようと言葉を発してみたが、彼からは謝罪の言葉しか出てこなかった。

 龍斗はちらっとこちらを見るが、またふいっと目を反らす。


 少しの沈黙の後、トントンっと襖を叩く音が聞こえた。


「失礼しまーす!」


 勢いよく襖が開く。そこにいたのは、一人の少女だった。

 リリアンより少し明るめのブラウンのショートヘアで、前髪には二本のヘアピンが留められている。

 半袖のブラウスに赤色のプリーツスカートという、女子高生の制服を思わせるような服装。その少女は、片手に湯気の立ちのぼるコップを乗せたおぼんを持って部屋に入ってきた。


「なんか騒がしいと思ったらお客さん来てたんだー。ホットミルク二人前、お持ちしました!」


 少女は二つのコップを乗せたおぼんを男の前に置き、じっと男を見る。


「このクソ暑い時期にホットミルクなんて大丈夫? まぁリリアンさんのことだから、許してあげてよ」


 そう言ってにっと笑う彼女の顔はまだ少し子供らしさが伺える。

 次に、少女が黒井龍斗に視線を移したとき。

 彼女の表情から笑顔が消え、驚いた表情で少年を見た。


「龍斗……?」

「姫奈……何で」


 黒井龍斗も、同じように驚きの表情で尋ねる。


「アタシは、その――」


 姫奈と呼ばれた少女が口を開いたとき、タイミング悪くリリアンがやってきた。


「お腹空いてませんか?」


 姫奈と龍斗は、彼女の登場により言葉を続けようにも続けらず、いたたまれない様子だった。


 ――これは、早く出て行ったほうが良さそうだ。


「えっと、僕は大丈夫です。ご迷惑をおかけしました」


 男は、これ以上長居するわけにはいかないと思い立ち上がった――が。

 ふわっと体が浮いたようになり、突如世界が回り出した。


 ――あ、倒れる。


 彼がそう思ったときには既に倒れていて、ここ三日ほどまともに食べ物を口にしていなかったことを思い出した。


「大丈夫ですか?」

「お腹……空いてます」

「朝食の用意が出来ているので、みんなで食べましょう」


 突然の訪問客に戸惑いの表情も見せず、穏やかに対応する彼女は何者なのだろうか。

 ……しかし男は、今はそんなことより腹ごしらえがしたかった。


「すみません……」

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