第1章 少年と盗賊

1-1 少年、盗賊に襲われる

 夏のとある日の早朝四時。日の出は近かった。


 幻界と呼ばれる人工世界のとある小さな町の宿に、小さな旅人が泊まっていた。


「そろそろ、この町も出発するか」


 少年は刀を腰にさし、立ち上がる。

 宿から出ると、乾いた砂っぽい風が少年の頬をかすめていった。

 外は静かで、唯一聞こえる音といえば風が吹いたときに舞う砂の音くらいだ。

 昼には賑わっていたであろう露店や民家が静かに広い道の両サイドに佇んでいる。


 ――人が眠る時間は、建物も一緒に眠ってしまうんだろうな。


 少年――黒井龍斗は、この町の外につながる門に向かって歩いていた。

 門と行っても、城下町なんかで見るような立派なものではなく、それはただの出入り口のような、町と外の境界線にすぎなかった。

 ときどき目に入る砂が痛くて、龍斗は目をこすった。

 小さな町であるためか道は舗装されておらず、馬車が通過できる程度にならされているだけだった。


 ふと、龍斗は昨日の昼に腹ごしらえに入った喫茶店で聞こえてきた主婦たちの会話を思い出す。

 彼女らの会話の大半はいわゆるゴシップや愚痴の類であったが、ほんの少し、昼下がりの彼女らに似合わない物騒な話題が上がった。


「あそこの旦那さんも、盗賊に襲われたそうよ」

「やあねえ……ここ10日ほどこんな調子じゃない。おかげで怖くて夜は外に出られないわぁ」


 そんな会話を聞いたばかりだったためか、龍斗は少し周りが気になってきたので、鼻歌で気を紛らわすことにした。

 黒井龍斗は、まだ中学生の年齢にも満たない。あと一年足りない。

 腰にさした刀は、まだそんな龍斗には大きすぎて持ち歩きにくいものだった。


 だけれど、龍斗にとって手持ちの物で頼りになるのは、体格に合わず使いこなせないであろうこの刀くらいだった。

 それに、これはこの少年にとっては大事な物で、たとえどんなに旅の邪魔になっていたとしても決して手放すわけにはいかなかった。

 なぜならば、彼の旅はこれの本当の持ち主のために始まったのだから。


 龍斗は、少し弱気になった自分を奮い立たせる。


 ――大丈夫だ。いざとなったらこの刀で。


「おい、ガキ」


 それは、背後からだった。その一声により、龍斗の抱いていた不安は恐怖に変わった。

 龍斗が振り返ると、そこには三人の男がいた。


「いいモン持ってんじゃねえか。どれ、お兄さんに見せてごらん」


 グループのリーダーらしき男が、龍斗の腰の刀に触れようと手を伸ばす。


「触るな!」


 龍斗は男の手を退けた。


 ――これは誰にも渡さない。渡しちゃいけないものなんだ。だってこれは……。


「この刀は、兄さんのだ」


 龍斗は、自分より格段に大きな相手を睨みつける。


「お前らにやるもんじゃない……!」


 しかし、小さな少年が放った声は、震えていた。それでも腰の刀を震える手で握り、龍斗は構える。

 鞘に収まった刀は、カタカタと音を立てていた。

 盗賊グループの茶髪の仲間は、そんな龍斗の構えを嘲笑ってナイフを取り出した。


「怖いか?」


 グループのリーダーは、震える少年にわざとらしく優しい声色で尋ねてみせる。

 もう一人の仲間もナイフを取り出し、一歩前へと踏み出した。


「俺も手荒なマネはしたくないんだがな……やれ」


 冷徹な声でリーダーは言い放った。

 その直後、リーダーを挟んでいたグループのメンバー二人が龍斗に切りかかってきた。


 少年は逃げず――恐怖のあまり逃げられず、目をつぶった。


 ――オレの旅はここで終わった。こんなどこにでもいるような盗賊にやられるんだ。

 ――自分自身すらまともに守ることもできない、弱い人間だったんだ。


 ――兄さん、ごめんなさい。


 キィーン


 何かを弾くような音。おそるおそる瞼を持ち上げると。


 龍斗の目の前には、赤い髪に、青いジャージの男の後ろ姿があった。

 彼の右手には、黒い鞘に収まっている刀が握られている。

 襲ってきた二人の盗賊は、その男の前で転がっていた。

 ノースリーブのジャージから伸びる着物らしい緑色の袖をふわりとなびかせ、赤い髪の男は振り返る。


「大丈夫ですか?」


 黄色――いや金色、あるいは琥珀色の透き通るような瞳。それの持ち主は、優しく柔らかな声で少年に声をかけた。

 男は何故か、上下ジャージの下に着物を着込んでいた。ズボンの中に着物を突っ込んでいたようだった。

 龍斗がこくりと頷くと、男は琥珀色の目を細めて安堵の表情を浮かべた。


「あ、後ろ――」


 赤い髪の男の後ろに、彼の頭一つ分程大きい盗賊のリーダーがナイフを構えて立っていた。


 ――やられる!


 少年は再び目を瞑る。今度こそ、オレもこいつもやられる、と。


 ドスッ


 龍斗は、サンドバッグを殴打するような鈍い音を聞いた。

 男がやられていることを想像し、瞼をゆっくりと持ち上げる。

 が、龍斗の目の前には、先ほどと同じ赤い髪の男の背中があった。男の陰からそっと覗くと、三人の盗賊が倒れていた。


 倒された盗賊から血は一切見られない。どうやら、刀を鞘に収めたまま使っていたようだ。

 盗賊の一人は呻き声をあげており、龍斗は、赤い髪の男が盗賊たちを”殺さず”に”倒した”のだと気づいた。

 男は刀を握っている振り上げていた右腕を下ろして、先ほどのようにくるりと振り返る。


「夏の早朝四時とはいえ、まだ皆が眠っている時間帯は危険ですよ。最近はここらでああいう変な人がうろついているみたいだし」


 男は鞘に収められた刀を腰にさし、ふぅ、と一息つく。


「だから子供は……早く帰って……早く…………寝……て――」


 彼はふらりとよろけて、全てを言い終える前に倒れてしまった。

 龍斗が声をかけても、目を覚ます気配はない。


 ――早くどこかに連れていかないと、盗賊たちが起きてしまう。


 龍斗は辺りを見渡すが、しかし、どこの建物も中は真っ暗で――


 町の一番端、門の近くに、橙色の明かりが見えた。二階建ての少し大きめの家。龍斗は、男を背負って早足でそこへ向かった。

 男は龍斗より少し高めの背丈で、見た目は一つ上くらい。それなのに、それにしては彼は軽かった。

 しかし、彼の作る表情は小中学生の子供とは言い難く、どれだけの歳であるかは見た目では決めかねる不思議な男で、男であるかすらも危うい顔立ちでもあった。

 声を聞いて男とわかるが、髪を伸ばして黙って立っていたら、きっと誰もが迷うだろう。


 龍斗はその家の扉の前に立つと、三回ほど軽くノックをした。

 龍斗は誰かが出てくれることを祈り、赤髪の男を背負って待っていた。

 ガチャリと扉が開き、住人は静かな声で尋ねる。


「どちら様でしょうか」


 出てきたのは、二十歳前後の女性だった。

 長いブラウンの髪は後ろで一つに束ねられており、美人という言葉がそっくりそのまま当てはまるような女性だった。


「あの……この人、倒れちゃったんです」


 龍斗がそう言うと、女性は背負われている男を確認し、扉を広く開けた。


「旅人さんでしょうか……あなたも疲れていらっしゃるようですね。お二方ともこちらで少しお休みになられてください」


 女性は事情を一切聞かず、丁寧に龍斗達を迎え入れた。

 中はごく普通の二階建ての和風家屋。玄関から真っ直ぐに廊下が伸びており、入ってすぐ左手に居間がある。

 居間の少し奥、通路の左側に階段があり、さらに奥の右手にも部屋があるようだ。突き当たりは多分バスルームだろう。


「廊下の奥の右側に空き部屋があるので、そちらにその方を休ませましょう」


 彼女は彼らを奥の部屋に案内し、速やかに布団を敷いた。



 ――ちゃんと起きるかな、あの人。


 倒れた男を連れてきてから、龍斗は居間で待機していた。

 居間の掛け時計の短針は、丁度数字の五を指している。


「大丈夫ですか?」

「あ、はい。オレは大丈夫です」


 龍斗はあの男を休ませる場所が見つかったら、すぐに出るつもりでいた。

 しかし、この親切な家主は「彼が起きるまで、あなたも少しこちらでお休みになってください」と、龍斗を居間に通した。

 彼女の親切心を無下にするほど急いでもいなかった龍斗は、その言葉に甘えることにした。

 そして、龍斗はことの経緯を彼女に話す。


「実はオレ、盗賊に襲われそうになったところをあいつに助けられたんです。でもあいつ、盗賊を倒した後にすぐ倒れちゃって……」

「そういうことだったのですね」


 だけれど、龍斗はあまり話したくなかった。

 自分が倒せなかった盗賊を、男はあっという間に倒してしまった。

 情けなくて、できることならそんなことを他人に話したくなんてなかった。

 なのにどうしてか、彼女にはそれを許してしまったのだ。


「あ、そういえば自己紹介をしていませんでしたね。私、姫宮リリアンと申します」

「く、黒井龍斗です」


 突然の自己紹介に、龍斗は思わずつられてしまう。

 見ず知らずの、しかも今後一切関わることのないような人間に自己紹介をする彼女――姫宮リリアンと名乗る女性は、穏やかな笑顔でよろしくお願いします、と挨拶した。

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