その涙さえ命の色

八重垣ケイシ

その涙さえ命の色◇SF


「機械は涙を流さないのよ」


 一人の女がベッドに横たわる。手足は細く、内臓を病み顔色は悪い。ベッドの側に立つ少年が女を見ている。ベッドに横たわる女は少年を優しく見つめる。

 どこか人間離れした美しい少年。まるで芸術家が作り上げた像がそのまま動き出したかのような少年は、表情を変えぬまま女に言う。


「涙を流す機能を取り付ければ、機械も涙を流せます」

「機能として水が出るのは水道と同じで、涙とは違うのよ」

「涙の機能は目の洗浄です。目に入ったゴミの除去、眼球の保護の為の機能です」

「それだけなら、どうして感情の高ぶりから目の洗浄に、必要以上の涙が出るのかしらね?」


 少年は無表情のまま考え込む。少年を見る女は優しく微笑み少年の頬に手を伸ばす。


「ディム、ゆっくり考えなさい。だけど、ひとつだけお願いね」

「なんですか? ドクター?」

「私が死ぬときは、私が教えた、悲しい、という表情を作ってみてね」


 表情筋ならいくらでも操作はできる、とディムと呼ばれた少年は考える。だが、涙の機能の意味は考えても解らない。

 少年を見つめて微笑む、ドクターと呼ばれた女は静かに語る。


「人工の生命を作ることが、私の目的だったわ。私も、どうしてそんな研究に取りつかれたのか、自分でも解らない。倫理規定委員会に禁止されても、やめられなかった」


 ドクター、特殊増殖細胞研究の第一人者。失われた臓器や手足を再生させる研究をしていた女科学者。彼女はあるときから人工生命を研究し、世界で禁止されているクローンの研究に手をつけた。

 その研究を非難され、それでも彼女は研究は止められず。人里遠く離れたところで細々と人工生命の研究を続けていた。


「人の細胞で組み上げたものは、人の細胞という部品で作った機械。その機械と人の違い。命と魂の不思議を追い求めて、いろいろ作ったけれど……」


 女は愛しげに少年、ディムを見る。


「ディム、あなたの兄弟達は目覚めなかったわ。機能としては何も問題は無いのに。脳の構造だって、人と違いは無い筈。なのに人の手で組み上げた人は、誰一人目覚めなかったわ。……どうして、ディム一人だけが、目覚めて意識があるのかしら?」

「……ディムには、解りません。情報が足りません」

「情報がいくらあっても、定義が曖昧だから、余計に解らないわね。命、生命、意思、意識。人には、自分の考えも自分で見ることはできない。自分を見る自分を調べるというパラドクスがそこにあって」

「概念には色も形も重さもありません。実体の無いものを計ることはできません」

「そうね。だから、それを目に見える形にしたがるのよ、人は。人に見えるようにして、涙が流れ、人に聞こえるようにして、言葉が出て。涙は文章化できない、感情の発露」

「感情についての情報が足りません」

「慌てずに、ゆっくりと学びなさい、ディム……」


 ディムはこの人も近づかぬアルプス山脈の中、実験的に作られたシェルターの中でドクターと暮らす。情報を改竄し誰からも忘れられたシェルターの中で、老いと病で身体を弱くしたドクターの世話をしながら。

 シェルターの地下にはいくつものカプセルが並ぶ。そこにはドクターの作った、ディムそっくりの人工生命が眠っている。

 ディムはカプセルのガラス越しに目覚めぬまま眠り続ける兄弟たちを見る。


(なぜ、このディムの同型は目覚めないのか? なぜ、ディムだけが目覚めたのか?)


 人造の中でできた天然。過去に人の作った初めての羊のクローン。その成功体は数多くの失敗の中で、偶然産まれたものだった。羊のクローンを作った科学者にも、なぜその個体だけが成功したのか解らなかった。その謎を解く前に、クローンの研究は命を弄ぶものと世界中で禁止された。


「今夜は、星が綺麗ね、ディム」

「この場合の綺麗の定義が解りません」


 ドクターとディムはそのシェルターの中で、共に五年暮らした。アポトーシスの無い細胞で作られたディムの身体は、成長も無く寿命も無い。変わらぬ同じ姿形のまま、髪だけが長くなり髪型だけが変化した。ディムの同型は一人も目覚めないまま、ドクターはシェルターの中でゆっくりと息を引き取った。


「ドクター……」


 ディムが呼び掛けても、ドクターは眠ったまま。もはや二度と目を覚まさない。ドクターがディムと名付けた人工生命の姿が、ドクターの孫に少し似ていることを知る者は、一人もいなくなった。

 ディムは永眠するドクターの頬にそっと触れる。

 一人の科学者が生命の神秘に辿り着かんと研究し、作り上げた人類初の人造の人間。

 その少年の頬に一粒の涙が伝ったことを、知る者は誰もいない。

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その涙さえ命の色 八重垣ケイシ @NOMAR

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