おむすび

夢美瑠瑠

おむすび



掌編小説・『おむすび』



今、僕のお母さんの命の灯火は潰えようとしていた。


永く病床にあって、しかも高齢であって、とうに完治するという見込みは


無く、皆、希望も捨てていた。昔、


安岡章太郎という人の「海辺の光景」という小説を読んだことがあったが、


ちょうどそれと同じシチュエーションで、主人公の喪失の悲しみが、


僕の身の上にも起ころうとしていた。


いずれは来る運命で、「男が泣いてもいいのは母親と娘が死んだときだけ」


というが、その一生一遍の、最大の不幸、二度と忘れないであろうトラジディが、


江藤淳なら「成熟のためのイニシエーション」とでも言いそうな試練の時が、


刻々と近づいていた。


医師は匙を投げていて、病床に不在だった。


呼吸器をつけて、苦しそうにあえいでいる母は、もう僕の存在すらも


意識にないはずだった。


「海辺の光景」では、干潮の時に人はこと切れる、という記述が印象的に


述べられていたが潮の満ち引きのようにこれは自然な成り行きだ・・・


主人公のマザコン男はそう自分を納得させようとしていたのだろうか、と思った。


文学もいろいろ読んだが、母親の臨終をこれほど微に入り細を穿って描写しているのは


ユニークだったな、と思う。


最も触れたくない事柄を執拗に描くという心性には自虐趣味がある・・・とも思った。


・・・母の眉が心なしか曇って、顔色も蒼くなった。


まだ心臓は弱弱しく鼓動しているが、自力でもう呼吸はできないほどに衰弱している。


僕のほかには姉と従妹が付き添っていて、


もう何日もろくに寝ていないということだった。僕は仕事があったので、


危篤の報を受けて、二時間前に到着したのだ。


母は生前からこけていた頬が殆ど陥没しているように見えた。


眼窩も同様だった。そこには「現実」というものの容赦ない残酷さが浮き彫りになっていた。


「死相」・・・嫌な言葉だが、そういう題の絵画があれば、丁度こういう感じか、と思えた。


「ルソーのデスマスク」の写真を見たことがあるが、それに似ていなくもなかった。


医師は二度訪れて、カンフル剤を打ったりしたが、母は積極的な延命措置を拒んだらしい。


何かのはずみで死にきれずに植物人間、というおぞましい存在になりかねないのだから、


これは賢明な選択だったろう。醜い姿をさらしたくない、ともよく言っていた。


・・・とうとうその時が来た。


医師は脈を計りながら時計を見ている。


とうに生ける屍だった母の肉体が、とうとう本物の屍になるだけ・・・そう思ってみたが、


矢張涙が頬を伝った。


一瞬かっと目を見開き、母は何か言おうとした。私は耳を口に近づけたが、


「や・・・」という声が微かに聴こえるような気がしただけだった。


空耳だったろうか?いや最後に私の名前を呼んで、「ありがとう」と言おうとしたのだ。


私にはそれが分かった。


母の体に取りついて号泣している私たちに医師は静にこう言った。


「ご臨終です。安らかな死に顔でした・・・」


号泣しながら、私は「眠るような大往生」、そんな能天気で俗な表現を、


悲しみを消す呪文のように、心の中で何度も繰り返していた。


涙の味は、昔母が握ってくれた塩結びの味に似ていた。


「もう握ってくれないね、お母さん。疲れたろう、もう休んで」


私はそういって、菩薩のようにきれいな母の顔を清潔な白いハンケチで蔽った。



<了>



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おむすび 夢美瑠瑠 @joeyasushi

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