第20話 「わーい。じゃ、最後の宴会ということで!」
☆
月曜日。空は曇っていたが、午後から晴れ間もさすかもしれないという天気予報を信じ、朝早くに僕たちはレンタカーに乗り込んだ。
高速道路で湘南の海へ。
助手席の雫ちゃんも後部座席の沙織もはしゃいでいた。好きな音楽をカーステレオから流し、曇り空に向けて熱唱する。大塚愛にアジカンにバンプにモンパチ。それから青春アミーゴ。
古いのは仕方ない。沙織は2000年代初頭の音楽までしか知らないのだから。
「さやかちゃん、懐かしい歌ばっか聞くんだねー」
雫ちゃんは何も知らず感心していたが、その横でハンドルを握る僕だけが沙織と出掛ける最後の日になるかもしれないという緊張感を持っていた。
月曜の午前、道はすいていた。学校に向かう高校生の自転車や路面電車を横目に車は海岸線を走った。
空は曇っていたが雲は薄かった。天気予報どおり晴れるといいな。
「湘南っていったら、やっぱりサザンでしょ」
沙織が僕のiPhoneを操作して、曲を変える。もうiPhoneも使いこなしている。さすが若者だ。
「うちも両親がサザンファンだったから、ドライブ中はいっつもサザンだったなぁ。あと井上陽水とユーミン」
雫ちゃんが懐かしそうに言うと、沙織はけらけら笑った。
「お父さん世代はそうだよねー。わたし、サザンだったら『夕陽に別れを告げて』が好きなんだよねー」
「あー! 懐かしい! お姉ちゃんもその曲好きだった。流して流して」
雫ちゃんがせがむが、沙織は首を横に振った。
「ダメダメ。あれは帰り道にしようよー。ちゃんと晴れて夕陽が出たら。じゃなきゃ雰囲気でないもん。出なかったらかけなーい」
「さやかちゃんロマンティックねー。じゃあお日様にお願いしないとね。晴れるといいなぁ」
昨晩、僕は雫ちゃんに沙織に秘密を明かしたことを伝えていた。
雫ちゃんは「よかったです。さやかちゃんとお姉ちゃんの話もしたいと思ってたんです」と喜んでくれた。
僕も雫ちゃんが生前の沙織の話をしてくれることに期待していた。
雫ちゃんから直接、自分の話を聞けば、沙織も過去に帰ろうと言う気持ちが少しは揺らぐのではないか、と淡い期待をしていたのだ。雫ちゃんは六つも歳が離れている姉のことをとても尊敬していた。なんでも知ってて学校でも人気者で自慢の姉だった。
僕の期待通り、雫ちゃんから沙織の話が出たので耳だけすまして二人の会話に注目する。沙織も未来の妹から自分に対する思いを聞くのが楽しいようで車内の会話は予想以上に弾んだ。
けど、それが沙織の気持ちを動かすことにはならなかった。
駐車場に車を停めて水族館に向かう。平日朝九時の開館時間に合わせて来るようなお客さんは、あまりいないと思っていたのだけど意外にも多かった。小学生の団体がいたりして、ワイワイと賑やかだった。
チケットを買って薄暗い館内に入る。通路を抜けて最初の水槽が目の前に現れると、沙織たちは子供みたいにはしゃぎだした。
あっちに行ったりこっちに行ったり、足の長い蟹の水槽の前で大きく手を広げて動きを真似してみたり、イワシの大群の前で長い時間固まったり。
誰が見たって仲の良い姉妹に見えるだろうな。同じような背格好の二人を後ろから眺めてそう思った。雫ちゃんだけがなにも知らないのだけど。
なんだか泣きそうになってしまった。どうして沙織はもとの世界に帰ろうとするのだろう。こっちの世界にいればずっとこうやって生きていけるのに。
イルカのショーを見て拍手を送り、ペンギンのよちよち歩きを地蔵のように固まって眺め、土産屋でハコフグのぬいぐるみをねだって、沙織はフル回転で水族館を楽しんだ。
水族館を出たのは昼過ぎだった。四時間以上も歩き回っていたのに、二人は疲れのかけらも見せない。元気いっぱいだ。ペンギンがかわいかったとか、クラゲがきれいだったとか、ずっと楽しげに話している。
「今度、妹を連れて来ようかなぁ」
海を見つめながら沙織がぽつりと呟いた。
「さやかちゃん妹がいるの。いくつなのー?」
「12歳かな。四月から中学生だよー。生意気だけど、可愛いんだ」
「そっかー、いいね。連れていってあげなよ。わたしも子供の頃、お姉ちゃんに水族館に連れていってもらったこと、今でも覚えてるもん。楽しかったなぁ」
懐かしそうに雫ちゃんが目を細める、
「お揃いのキーホルダー買ってくれてね。汚れちゃったけど、今も大切にしてるんだ」
「キーホルダーね。……覚えとく」
二人のやりとりを横で聞いていて、僕は歯がゆい気持ちだった。
沙織は過去の世界に帰ったあとのたった数年のわずかな人生をどう生きようかということを考えている。
雫ちゃんと一緒に出掛ければ、この世界で生きていこうという気になってくれるかも、と期待していたのに、沙織の気持ちは少しも揺れていないようだった。
海岸線を僕たちは歩いた。靴を脱いで波打ち際を縫うように歩く。
「江ノ島まで行ってごはん食べましょーよ」
雫ちゃんが目の前にある小島を指さして言った。海岸からかかる橋を歩けばすぐに行ける距離だ。
「そうしようか」
立ち止まった僕の後ろから沙織が近づいてきて、「隙ありぃ」とか言って背中を押してきた。
白浜に足を取られて転びそうになるのを耐えながら「危ないだろ」なんて小突き返すと沙織は子犬のように喜んで駆け回る。なんで、沙織はこんな風に『普通』でいられるのだろうか。沙織は強い。僕なんかよりずっと。
江ノ島で食事を取って、せっかくだからと見晴らしのいい展望台まで登って神社に参拝して、夕暮れになるまで遊んだ。
土産屋ではしゃいでいた雫ちゃんたちに、店のおばちゃんが近づいてきて言った。
「姉妹かい? 仲がいいねぇ」
二人は顔を見合わせた。
「そうなんです! 頼りにならないけど、大好きなお姉ちゃんです」
沙織が嬉しそうに言うと、
「大学も行かないで遊んでばかりのダメな妹です」
なんて互いに応戦してジャレついていた。
お揃いの何かを買おうと盛り上がった二人が、わちゃわちゃ店内を動き回る様子を僕は離れたところで見ていた。
さっきも水族館で色々見ていたのに全然疲れを知らない二人だ。僕なんか、こういう細々した物がたくさんある店は見ているだけで疲れちゃうんだけどな。女の子の買い物に対するエネルギーってのはすごい。
江ノ島から駐車場に戻る頃には、雲の切れ間から夕日が顔を覗かせていた。幾筋もの光の柱が四方に伸びて、海や灯台や海岸線の建物を明るく照らしていた。
風も穏やかで、キラキラ海が光って、波打ち際には制服姿の学生たちがはしゃいでいて、沖にはウェットスーツのサーファーが波を待っていて、僕らは並んで少しそんな風景を見ていた。
「こんな綺麗な夕日、なかなか見れないよね」
幻想的な景色に雫ちゃんがポツリとつぶやいた。
「わたし、今日のことは忘れないよ」
沙織が噛み締めるように言った。その言葉の真の意味は雫ちゃんにはわからないだろう。
「日が暮れると寂しくなるし、そろそろ行こうか」
夕陽に別れを告げて、僕たちは車に乗り込んだ。
沙織がこの世界にいるのも、あとわずかだ。
ふと、そんなことを考えている自分がいて、僕も沙織がこの世界には留まらないのだと認識し始めていたことに驚いた。
☆
「また、いつでも遊びに来ていいからね」
アパートに帰り雫ちゃんの部屋の前まできた。晩ご飯も食べたからすっかり夜遅くになってしまった。
「ありがとう雫さん」
「何よ。そんな顔して。いつでも会えるじゃん。またみんなで遊びに行こうね。じゃあまたねー」
雫ちゃんは本当のことは何も知らないから、こんなにも軽く別れを告げられるのだろう。
だけど、雫ちゃんが扉を閉めようとした時、
「ちょっと待って」
沙織が引き留めた。
「ん? 何?」
雫ちゃんが扉を閉める手を止めた。
沙織は僕の方をチラッと見た。
「最後に雫さんと少しだけ、話をしたいんだけど」
今まで見せなかった弱々しい顔だった。沙織が自分の正体を雫ちゃんに明かしてしまうのではないかと思った。
けど、僕にそれを拒む権利はないように感じた。
「分かったよ。先に部屋に帰ってるよ。あんまり遅くならないようにな」
「うん、すぐ済むから」
沙織の言葉に頷いた僕は二人と別れた。
ひとり部屋に戻り冷蔵庫を開けて缶ビールを取り出す。今日が最後の夜だなんて実感がない。沙織にはこの世界にいつまでもいて欲しいと思ったのに。
携帯電話を取り出して、タイタンへ報告のメールを入れる。
沙織の決意は変わらなさそうだ。元の世界に帰るつもりらしい、と。
タイタンからの返事はすぐにきた。
『わかりました。あなたにとっては残念な結果となってしまったかもしれませんが、「大いなる意志」は彼女の意志を尊重する方針です。今回の時空のゆがみに関する一連の事象において、彼女が一番の被害者ですから。』
僕が持った淡い期待はこれで潰えた。
明日、沙織はこの世界からいなくなる。
元の世界、13年前の世界に戻るのだ。
そして、この歴史と同じ道を歩むために生きる。
大学4年の6月に交通事故で死ぬという歴史を全うするために。
『では、明日の予定について説明させていただきます。明日、6月11日午後7時。
「大いなる意志」による時空修正プログラムがあなたたちの宇宙に適応されます。特にあなたや流川沙織が行うべき行動はありません。その時が訪れれば、自動的に
胸が苦しくなる。明日なんか来なければいいのに。だけど、沙織の意思は固い。
僕がいくら泣いて、すがりついて、この世界にいて欲しいと泣き叫んだところで、きっと彼女の心を変えることはできない。
沙織が元の世界に帰ったら、僕にはまた、あの灰色の日々が訪れる。きっと。
誰もいない部屋の暗さ。寂しさを酒と仕事でごまかすだけの日々がまたやってくるのだろうか。
生きている意味があるのかわからない生活が待っているのなら、僕ができることは……。
『なあ、タイタン。相談があるんだけど……』
僕はタイタンに『あること』を頼むためにメールをうった。
ガチャリ、と玄関の扉が開き沙織が帰ってきた。
「どうしたの。何か取りにきたの?」
雫ちゃんの部屋に行ってから10分と経っていない。
「ううん。話は終わったよ」
「いいの? もっと長く一緒にいてもいいんだよ。もし、沙織が泊まりたいっていうなら、今日だって雫ちゃんの部屋に泊まっていいかなって思ってたけど」
「いいの。話したいことは全部話したから。それに最後の夜だもん。光輔くんと一緒にいたいよ」
はにかんだ沙織の顔。すらりとした体。こうして彼女の姿を見るのも残りわずかなら、瞬きだって惜しい。
「やっぱり、帰っちゃうんだな」
「……うん」
沙織は少し目を伏せてうなずいた。その決意は硬いようだった。
「そんなに悲しい顔しないで」
沙織が僕の頬に手を伸ばす。
「わたしはね。この世界に来てよかったと思う。自分の人生の意味がわかった気がするんだ」
「意味? ……死んじゃうんだよ。死んじゃったらなんにもならないじゃないか」
「違うよ。わたしが死ぬことで世界が救われるんなら、わたしは喜んで死ぬよ」
「僕は……嫌だよ」
「だけどね。わたしは自分が生きてきた世界が好きだから、わたし一人が生き延びるために大好きな世界を崩壊なんてさせたくないんだ。あっちの世界には大好きな彼氏もいるし。それにこの世界に来て、未来の世界や未来の光輔くんや雫や、他にもみんながちゃんと生きているのを知ったから。この世界を守るために自分がやらなきゃいけないってことがわかったんだよ」
「僕は……沙織が死んでからなんにもできてない。ちゃんとなんて生きてない。ただ歳を重ねただけで、何も楽しいことなんかなかった。沙織がこの世界に現れてくれたから、少しだけ昔みたいに明るくなれただけなんだ。僕にとっては……世界なんかより沙織の方が大事だって、知ったんだ」
「嬉しいよ。そんなに好きでいてくれて。だけどね。わたしはこの世界で貴方と付き合ったわたしじゃないの。光輔くんが愛した人はわたしじゃなくて、この世界に生きてた流川沙織なんだよ。あなたが好きなのはこんなお酒も飲めない女子高生の流川沙織じゃないんだよ。わたしはあなたの世界で死んでしまった流川沙織の代わりにはなれないし、なりたくない。あなたが大事なのはわたしじゃないの。こんな言い方はずるいかもだけど、世界で生きてそして死んでしまった流川沙織のためにも、わたしはこの世界にはとどまれないって思うんだ」
「この世界の沙織……」
「うん、今の小娘なわたしじゃなくてさ、大学生だったわたし。一緒にお酒飲んだり下北沢のわたしの知らないバーとかに行ったあなたの恋人の流川沙織だよ。わたしが知らない流川沙織が光輔くんの中にいるでしょ。その沙織さんのためにも、光輔くんにはちゃんと生きて欲しいんだ。人って、生きていかなきゃいけないんだよ。転んだら立ち上がらなきゃいけないし、立ちはだかる強敵にも勇気を出して立ち向かわなきゃいけない時があるんだよ。恋人が死んじゃったのは、悲しいだろうし、なんていうか、わたしが言うのは違うかもだけど、死んじゃってごめんなさいって思うけど、光輔くんはわたしが死んだことにちゃんと向き合って、そして乗り越えて欲しいなって思うんだ。そしたら未来はきっと素敵なものになるよ……きっと」
「沙織は僕のせいで死んだんだ……。未来なんて素敵じゃなくていい。だって、僕が遅刻しなかったら、君は車になんか轢かれなかったんだよ」
「それは結果論じゃん。そんなに自分を責めないでよ。……ってきっと言ってるよ、こっちの世界の流川沙織も」
「そんなこと……わからないよ。沙織は僕のこと恨んでるかもしれない」
「絶対にそんなことはない。絶対だよ」
確信に満ちた瞳で僕を見る沙織。優しく僕の頬を撫でる。
「ごめんね。なんか小娘のくせに生意気なこと言っちゃって。それよりさ。せっかく最後の夜なのに湿っぽいの嫌だよ。冷蔵庫にお酒あるでしょ。一緒に飲まない?」
「ばか。君はまだ未成年だろ」
「いいじゃん。ってか、文化祭の打ち上げで飲んだこと忘れたの? それに家ではお父さんと一緒に飲むことだってあるよ。二十歳になった瞬間に飲み過ぎてヘマするくらいなら少しずつ慣れた方が良いって言うでしょ?」
「まあ、今の世の中はそうでもないけど、僕たちの頃はそんなもんだったよな」
「でしょ。せっかくなんだから、この世界の流川沙織の思い出を教えてよ。楽しかった思い出をさ。そしたら、帰った後、わたしはきっとうまくやれる。どんなことも楽しい思い出に変えちゃうからさ」
「……それも歴史が変わるってことになっちゃうのかなぁ」
「髪を切ったことだって平気なんだから大丈夫でしょ」
「わかった、わかった。最後だしな。明日も休みにしてるし。飲もう。この前、雫ちゃんのが置いていった缶チューハイとか残ってたしな」
「わーい。じゃ、最後の宴会ということで!」
ニヤリと沙織が笑ったから僕も呆れながら笑って。
乾杯をした。
僕は全然納得できてなかった。僕はやっぱり弱い。うじうじと考えてしまう。
だけど、最後の夜を湿っぽくしたくないという沙織の意見には賛成だった。
だから、僕は沙織の話をした。この世界で一緒に生きた沙織の話を。沙織が死んでから胸の奥に閉じ込めたままの沙織の思い出を救い上げて。
沙織は笑った。僕の話を聞いて楽しそうに笑った。
思い出すことさえ辛かった数々の思い出が、今は大切な宝物みたいに輝いて、喋りながら涙がこぼれた。
沙織が笑って、僕も泣きながら笑って。たくさんの思い出を語った。
そして、いつの間にか寝てしまった。二人並んで。
僕はこの夜をきっと忘れない。
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