第19話 「わたし、光輔くんの部屋を出ていくことにしたんです」
☆
沙織がこの世界を選ばなければ最後になる日曜日。
僕は沙織と渋谷に出掛けた。VRで遊べるアミューズメントパークに来たのだ。本当は雫ちゃんも一緒に来てほしかったのだが、仕事があると言うので二人で来た。
浅はかな狙いだったけど、沙織に未来の世界を体験させて、少しでもこの世界の良さを感じてもらえたら、この世界で生きてもいいかな、なんて思ったりするかもしれないと思ったのだ。
昨夜、沙織が寝た後にタイタンとずいぶん長いメールのやりとりをした。
沙織とのやりとりを伝えると、タイタンは沙織の考えに対して憂慮すべき点があると明かした。
タイタン曰く、沙織が過去に戻る選択をしたとしても、彼女が自分の運命を全うできるのならば、歴史が変わることはないので、「大いなる意志」としてはなにも問題とするべき点はない。
だが、いくら自らの命と引き換えに歴史を正しく導こうと思っていても、本当に自らの命を投げ出す選択ができるのか、疑問に思っているようだった。
そうでなくても、意志とは裏腹に足がすくんで事故をまぬがれてしまうかもしれない。そうなったら、すべてが水の泡なのだ。
もし、タイタンの危惧する事態が起きて、沙織が死を回避してしまい、世界が枝分かれしてしまったら、大いなる意志はその力を行使して、枝分かれした世界を剪定し、並行世界を作り出す原因となった沙織の存在自体を抹消するという。さらに、詳しくは教えてくれなかったが、それだけでは済まない可能性もあるという。僕にはさっぱりわからないが、時空の綻びを正すのは大変な作業らしい。
僕にできることは何もない。
あるとすれば、沙織の気持ちをなんとかこちらの世界に向けることだけなのだ。
もし、沙織がもとの世界に帰りたいと少しでも思っていれば、来週の火曜日の夜、大いなる意志が作り上げた時空修正プログラムの影響で彼女はもとの世界に引き戻されてしまう。
どんなに僕が引き留めても、彼女の意志次第なのだ、とタイタンは言った。
『もし、流川沙織の存在を抹消することになれば、先日も言った通り、あなたの記憶からも流川沙織の存在は消え去ります。全てを忘れることになるのですから彼女を失う喪失感を味わうこともありません。わざわざこの世界に彼女を残そうと努力する必要もないと思うのですが。』
タイタンの言う事も頭では理解できるけれど、僕はどうしてもタイタンの意見に賛同はできなかった。僕は沙織が死んでから、ずっと灰色の世界で生きてきたけれど、決して沙織のことを忘れたいとは思わなかった。人は誰からも忘れられた時に、本当に死ぬと言う。
僕はあの事故の原因を作ったことで、一度は沙織を殺してしまった。だから、もう彼女を見殺しにするなんて絶対に嫌なのだ。
それが答えなんだ。
そんなことを考えながらも、渋谷のテーマパークでVRゴーグルをつけた僕は、同じく不格好なゴーグルをつけた沙織と一緒にゾンビと戦ったり、雪山を滑り降りたり、空を飛んだりした。
僕もはじめての経験だったからおっかなびっくりだったけど、映像はすごいし、ヘッドホンの音声や座っている椅子が回転したりするし想像以上の迫力で、すぐにへなへなになってしまった。
沙織は大はしゃぎで次から次へアトラクションをやりたがって、僕の方が無理矢理に散歩につれていかれる犬みたいに尻込みしまう程だった。
くたくたになって家に帰ると、雫ちゃんもちょうど仕事から帰ってきたところだったので、これ幸いと彼女を誘って一緒に焼き肉を食べに行くことにした。
僕が奢るというと、沙織よりも雫ちゃんの方が子供みたいに跳び跳ねて喜んだ。
「えー!? VRしてきたんですか!? 羨ましいなぁ、明日だったらわたしも休みだったのになぁ」
ビールを飲みながら雫ちゃんが悔しがった。
「じゃあさ、明日みんなで遊びにいこうよ」
僕が提案すると、雫ちゃんはびっくりして目を丸くした。
「えっ明日は月曜ですよ? 正気ですか光輔さん」
「ああ。有給でもとるよ。溜まりに溜まってるからね」
「うへぇ!? どうしたんですか、光輔さんが仕事サボって遊ぶなんて……」
「いいのいいの。普段バカ真面目に働いてるんだから、そのくらいオッケーでしょ」
そういえば僕は今まで、まともに有給を取ったことがなかった。申請のしかたもわからないくらいだ。
ま、部長にメールして細かい事務手続きは出社したときにすればいい。ダメだってクビになるほどじゃないだろうし、それよりも大事なものがある。
「ま、まあ光輔さんがいいんなら、わたしは別に構いませんけど。さやかちゃんも大学とか大丈夫なの?」
「わたしは平気だよ雫さん。でも、光輔くんがこんなに遊びに積極的になるのって珍しいから面白いね」
「確かに。光輔さんがこんなこと言うなんて。VRゲームのしすぎで頭がバグっちゃったりしてない?」
驚くというよりは心配をするような顔になる雫ちゃん。
すると沙織が「実はこれには訳があって……」と切り出した。
「わたし、光輔くんの部屋を出ていくことにしたんです」
唐突に沙織が言い出したから僕は戸惑った。
何を言う気だ。もしかして、自分正体を明かす気でいるのか。
「え!? そうなの!? 一人暮らしするアパート見つかったの?」
雫ちゃんが声を上げてビールのジョッキを勢いよく置いた。
「まあ、そんな感じです。火曜日には出て行く予定です」
沙織の顔色を伺うが、そこには迷いはなかった。やっぱり沙織は過去に戻る気なのだ。
「だから。最後にみんなでどこかに行きたいってわたしが駄々こねたの。ね、光輔くん」
同意を求められて、僕は曖昧に頷いた。
「ねえ雫さんは、どこか行きたいとこある?」
「えー、急に言われてもぉ。えっとえっと……。あうー、こういう時に限って思い浮かばないよぉ。さやかちゃんはどこかある?」
「うーん、なら……水族館っ!」
沙織が言うと、雫ちゃんも顔を輝かせて声を弾ませた。
「んん!! 水族館っ! いーね! わたし小さい頃から水族館って大好きだったんだよっ」
同じような表情で顔を見合わせる二人。顔の作りは違うけれど。やっぱり姉妹だ。表情の作り方はそっくりだ。
「水族館か。じゃあレンタカーでも借りて行ってみようか」
仕事以外で遠出するのは久しぶりだった。
「……うそ! 光輔くん運転できるの?」
「当たり前だろ。てか、雫ちゃんだって免許はあるよね?」
「はいっ。去年も友達と温泉旅行しましたよ。さやかちゃんも大学生になるんだから、免許くらい取った方がいいよー。身分証になるしねっ」
「は、はい……」
沙織は大人になった妹が車の免許を持っていることに驚いてる。だから、今の雫ちゃんは大人なんだって。と言いそうになって口をつぐむ。
「じゃあ明日は水族館だな。レンタカーは僕が予約しておくよ」
どこの水族館に行きたいとか、何が見たいとか二人が楽しそうに会話をしているのを横目にスマホでレンタカーの手配をした。
アパートに戻り、雫ちゃんと別れて沙織と二人で部屋に帰る。
シャワーを浴びて明日の準備をして、布団に潜り込んだ時だった。
「わたしも元の世界に戻ったら免許取ろうっと」
ベッドの上で横になっている沙織が独り言を言った。
僕は身を起こした。ベッドの上の沙織を覗き見る。
「なあ。どうしても帰るのか? 死んじゃうんだぞ?」
僕は少し酔っていた。だからこんな風に直接的なことを聞けたんだと思う。沙織は寝返りを打ってこちらを向いた。切れ長な瞳が僕を見つめる。
「やっぱりさ。わたしはこの世界にはいない方がいいと思うんだ」
静かに噛み締めるように沙織は言った。その口元は微笑を浮かべていた。
「なんでだよ。僕は……、この一ヶ月楽しかったんだ。沙織に逢えて嬉しかった。はじめは戸惑ったけど、でもどんな形でも沙織にもう一度逢えたことが嬉しかったんだよ」
「そうだろうね。わたしが言うのもなんだけど、光輔くん、わたしのこと大好きだったんだね」
茶化されたと感じて僕は少しへそを曲げた。
「ああ、そうだよ」
ぶっきらぼうに言って背を向けると、沙織はベッドから身を乗り出した。僕の背中に手のひらを押し当ててきた。暖かい手だった。
「ごめんね、急に事故に遭っちゃったりして」
背中越しに沙織のか細い声が響いた。
「そんなこと言うなよ。あの事故は……僕に原因があるんだから」
「光輔くんのせいなんて、そんなことないよ」
沙織の体温が洋服越しにも伝わってくる。体の芯が暖かくなる。じんわりと優しさに包まれて心が溶けてしまいそうになる。
「なあ沙織。この世界で生きようよ。自分が死ぬ時を知ってて生きるなんて、辛すぎるじゃないか。未来で暮らすのは不安かもしれないけどさ。僕がついているし、雫ちゃんだっているじゃん。この世界で生きるのだって寂しいことはないよ。僕は沙織のためならなんだってするよ。沙織がこの世界で生きていけるように、なんだってするよ」
「ありがと。優しいね光輔くんは。高校生の頃から優しいところは変わってないんだね。でも、わたしは大丈夫だから。終わりが分かっている方が、精一杯に生きていけるじゃん。やりたいことをいっぱいやってさ、後悔がないように生きるからさ。光輔くんもちゃんと生きてほしいな」
「なんでだよ。沙織は生きたくないの? 僕は全然わからないよ。なんでそんな選択をするのか……。死んじゃったら何にもならないんだぞ」
「わたしだって別に死にたいわけじゃないよ。でも、この世界に来ていろんなものを見て、だからこそ、自分の運命を受け入れてもいいかなって思ったんだよ」
「わかんないよ。全然わかんない。だけどさ。まだ結論は待って欲しいよ。まだ出さないでくれよ。タイムリミットだってまだなんだから、結論はその時に決めてくれよ。もう少し考えて欲しい。お願いだから」
返事はなかった。その代わりに沙織は僕の背中に頬をつけて大きく息を吸った。
「光輔くんの匂い。変わってない。好きな匂いだよ」
どうして沙織が自らの死を選ぼうとするのか、わからなかった。
「ねえ光輔くん。今日は一緒に寝てもいい? ちょっと寂しいんだ」
身を寄せて沙織が囁く。僕は答えなかった。だけど拒みはしなかった。
沙織は布団に潜り込んできて、何かを小さく呟いた。
本当に小さな声だったので、なんと言ったのかわからなかった。
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