第18話 「わたし一人が助かるために世界を見捨てろっていうの?」
角を曲がると、正門の前に傘をさした少女が立っているのが見えた。
赤い傘。見覚えのある傘。
はやる気持ちを抑え、ゆっくりと近づく。
赤い傘を少し上げて誰もいない校舎の二階の辺りを見上げているのは沙織だった。
真剣な表情の横顔はいつまでも見ていたいほど美しかったが、彼女は僕の存在に気づいてしまった。
「あっ……」
沙織は逃げるように顔を伏せて背を向けた。
「沙織。待って!」
僕の声に沙織は直立したまま固まった。
「……探したよ」
近づいて背中に声をかけると沙織は傘をあげ、睨むような懇願するような切なげな眼差しを僕に向けた。
「よくここにいるってわかったね」
「あてずっぽうだよ。……高校は全然変わってないよな」
「そうかな。門のペンキも新しく塗り替えられてるし、自転車置き場も作り直されてるみたいだよ」
「そっか。沙織にしてみれば毎日通っているとこだもんな。ちょっとの違いもすぐにわかるよな」
沙織は小さくうなずいた。雨音が傘で反射してうるさいくらいだった。
「自分の未来、知っちゃったんだよな。隠していて、ごめん」
一呼吸おいて、沙織はもう一度うなずいた。
「びっくりしたけど冷静になって考えてみれば言えない理由は明白だし、光輔くんがわたしのことで悩んでいたのもわかってたから」
「冷静になんて。なれるのか」
「だって、仕方ないじゃん。死んじゃうんでしょ。わたし」
沙織は諦めたような薄笑いを浮かべる。
「それでいいのか。未来を変えたいとは、思わないのか」
「光輔くん言ってたよね。歴史が変わると世界が崩壊するとかって。なら、どうすることもできないでしょ」
沙織は自分なりに色々と考えたのだろう。もしかしたら自分の未来を知ったのは昨日今日の話ではないのかもしれいない。そのくらい瞳に達観の様子が見えた。
だけど、諦めなくて良いんだ。彼女に伝えなければいけないことがある。未来は暗いだけじゃないんだってことを。
「僕の話を聞いてくれ。実は、沙織が死なずにすむ方法があるんだ」
「……それってどういうこと? 歴史は変えられないんじゃないの?」
言葉の真意を探ろうと、じっと僕の瞳を見て沙織が言う。
「うん、詳しく話すよ。とりあえず、雨を防げる場所に行かないか」
高校の正門の前で話すような内容じゃない。
「じゃあ、リバーサイドにでも行く?」
「……リバーサイドって僕らがよく行ってたレストランの? でも、この前、潰れてたとかって言ってたろ?」
「あれは嘘」
「嘘? なんでそんな嘘ついたんだ」
「だって、光輔くんがこの世界のわたしの話を全然しないから、本当はとっくに別れてるんだと思って。確かめたんだよ。光輔くんはわたしと一緒じゃなきゃリバーサイドにはいかないでしょ。リバーサイドが無くなったって嘘を信じたんなら、光輔くんはわたしとリバーサイドに行く関係じゃなくなったんじゃないかなって」
なるほど、そうか。そういうことか。確かに沙織に誘われなければ、一人じゃあんなおしゃれな店になんて行かないし、ずっと前に閉店していたなんて言われて、僕がそれを知っていると同意すれば、僕はもう何年もあの店に入っていないことになる。かまをかけられたのか。
僕は沙織にリバーサイドが潰れていたと知らされた時に、それを知っていると答えた。
それで沙織は僕たちがすでに別れていると悟ったのだ。それがどんな別れの仕方かまでは想像できなくとも。
「わかった。リバーサイドなら落ち着いて話ができそうだもんな」
僕たちは駅の近くの洋食屋に向かった。
「まず、沙織に本当のことを隠していたことを謝りたい。ホント、ごめん」
店に入って僕はまず頭を下げた。
テーブルの向かいに座る沙織は表情を変えることなく頷いた。
「いいよ。それは。仕方のないことじゃん。なにかあるんじゃないかとは勘ぐってたけど」
「沙織は自分の未来について、どのくらい知ってるの?」
「大学四年の六月に交通事故で死ぬってくらいかな。一応、事故現場がどこかも知ってるけど」
そこまでのことを知っていたとは驚いた。
「雫ちゃんから聞いたの?」
沙織は首を左右に振った。
「じゃあどうして?」
「mixiで後輩の投稿見ちゃった」
「mixi……そっか。それがあったかぁ」
そんな単純な方法だったのか。拍子抜けするくらいの理由だったので思わず苦笑いが出た。iPadなんて貸さなきゃよかった。
それにしてもミクシイか。懐かしい。
僕たちが学生だったころに爆発的といってもいいくらいに流行ったSNSがミクシイだった。FacebookもInstagramもまだなかった。Twitterは確かその頃にはもう存在していたけど、スマホが普及する前はそこまで人気じゃなかったと記憶している。
当初、ミクシイは既に登録しているユーザーからの招待でしか利用できない完全招待制のSNSで、昨今のSNSと違って実名で登録するのが基本だった。
ミクシイは若者の間でものすごい勢いで流行った。パソコンだけじゃなく携帯電話でも見れたし、僕の回りではやっていない人の方が珍しかった。もちろん僕も沙織も高校の友達もみんなやっていた。けど個人情報が流出する騒動が起こったり、新しくできたSNSのFacebookやInstagramなんかにシェアを奪われてしまった。
沙織に今、言われるまでその存在を忘れかけていたけど、確かに僕たちが学生の頃のミクシイは破竹の勢いだった。
まして、あの時代からやってきた沙織にとっては一番馴染みの深いSNSだろう。
あの頃は、日々の出来事を日記として公開する人は今よりも確実に多かった。
そうなれば、沙織の事故や葬儀の模様を日記にして公開している人がいてもおかしくはない。沙織は友達も多かったし、後輩にも慕われていた。通夜にも大勢の友人が参列していたし、どこかの誰かが全体公開で投稿している可能性もあったのだ。
沙織はその中の誰かの日記を見てしまったということか。ネット社会ってのは恐ろしい。いつまで経っても、書いた本人が忘れていても、どこかに残っているんだな。
「雫ちゃんに口止めしてたけど、mixiは盲点だったな」
「未来のことは知らない方がいいって言うから、疑問に思わなければ検索もしなかったけどね。光輔くんだけじゃなくて雫からもわたしの話題が一度も出ないのがおかしいと思ったんだ。最初は単に光輔くんとは別れちゃってるんだとばかり思ってたけど……。まさか自分が死んじゃってるなんてね。びっくりしたよ」
肩を竦めておどけて見せるのは強がりだろうか。
「沙織。でも、さっきも言ったろ。沙織を救う方法があるんだ」
僕は本題に入ろうとした。避けられないと思った自らの死から逃れられる方法があると知れば、きっと沙織は喜ぶと思った。
「もし歴史を変えたら時空が崩壊するとかって言ってたじゃない。それはどうなったの?」
「それはそうなんだけど、タイタンから提案をうけたんだ。世界も沙織も助かる手があるんだって」
「タイタンって、光輔くんにしか見えない携帯電話の? 信用できるの?」
「僕らより高次元な存在みたいでさ、信用ができるかはわからないけど、その力は確かだ」
なにせ時間を止めることすらできるのだから。
「そのタイタンが言うにはさ……」
僕は昨日の夜にタイタンから説明されたことを沙織に伝えた。宇宙とか時空とか並行世界とか、難しい話だったから、あまり上手に説明できなかったけど、要点は伝えることができた。沙織は真剣な顔で黙って最後まで聞いてくれた。
雨の夕方。店にはお客さんはあまりおらず、僕たちの突拍子のない会話を聞かれる心配もなかった。
「……と、いうことなんだ。この方法なら、沙織は死なずにすむ。過去に戻れないのは申し訳ないけれど、死んでしまうよりずっといいだろ」
つたない言葉だったけど、伝えるべきことはすべて伝えた。この世界に残れば歴史を変えて時空が崩壊する心配もないし、沙織も生き延びることができる。
きっと沙織は、僕の提案をすんなり受け入れてくれると思った。この世界に来たときもそうだったように、さらっとここで生きていくことを了承するものだと思った。
だけど、沙織は僕の言葉を聞いても表情を変えなかった。
「わたしの世界はどうなるの? わたしが帰るはずだった世界はどうなるの?」
きっと睨みつけられて、僕は思わず目をそらした。
「それは……残念だけど剪定されるってことらしい……」
「こっちの世界の存続のために、わたしの世界が壊されちゃうってこと?」
身を乗り出した沙織に気圧されて言葉につまる。
「わたし一人が助かるために世界を見捨てろっていうの?」
僕をじっと見据えたまま沙織が言う。僕は慌てて首を振った。
「そうじゃないよ。沙織は過去の世界から来たんだから、沙織の世界にいた人は年齢は重ねちゃってるけどみんなこっちの世界にいるんだよ。世界が枝分かれしちゃうっていうのは……、その、深く考えないでいいから……。沙織がいた世界を壊すとかって考えないでいいんだよ。単純にタイムスリップした未来で生きていくって考えてくれよ」
「違うと思う。そのタイタンって人は剪定するって言ったんでしょ」
「そうだけど……」
「わたしは過去には帰れないの?」
「いや、本当はもとの世界に帰ることはできるよ。でも、未来を変えることはできない。もし、変えちゃったら、さっき言ったように世界が崩壊する……らしい」
沙織はうつむいた。紅茶の入ったティーカップを両手で抱えるようにして、なにかを考えている。
しばらく黙っていた沙織だったが、うつむいたままで口を開いた。
「なら簡単ね。わたしが過去に帰っても、歴史を変えなければいいだけじゃない。そうすれば何事もなくこの世界は続いていけるんでしょ」
「歴史を変えないって……。それは事故を避けないってことだよ。死ぬってことだよ」
「そうよ。わたしがちゃんと事故に遭って死ねば、歴史が変わることもないし、世界が枝分かれして、時空が崩壊することもないじゃん。なら、そうした方がいいよ」
なんで沙織がそんなことを言うのか、わからなかった。
「……そんなの全然よくないよ。お願いだよ。僕は沙織に生きていてほしいんだよ。そんなこと言わないでくれよ」
僕にとって、沙織が死んでからの人生は窓の外の空みたいに暗く灰色だった。せっかく彼女を救うことができるかもしれないというのに、なぜ彼女は自ら死を選ぶようなことを言うのだろう。
「光輔くんの気持ちは嬉しいけど。……少し考えさせてもらっていいかな」
そうだ。きっと沙織は突然のことで混乱しているんだ。そうに違いない。
「あ、ああ。そうだな。結論を急ぐ必要はない。よく考えて決めてくれればいいよ。きっと落ち着いて考えれば、どっちを選ぶべきかなんて考えなくても選べるはずなんだ。それに……こんな言い方は変だけど、僕はもう沙織に死んでほしくないんだ」
「うん」
頷いて沙織は窓の外をみた。この話はおしまい、という意思の表情だった。
窓の外は憂鬱な雨が降りつづいていた。
「光輔くん、お昼ごはん食べた?」
「食べてない」
「じゃ、久しぶりにリバーサイドのランチを食べようよ。未来のリバーサイド。味が変わってないか確かめたいし」
ころっと表情を変えて沙織が立て掛けられていたメニューを手に取った。
「あっ、でもランチの時間三時までだ。もう終わっちゃってる。ディナーは……。五時半からかぁ」
時計を見ればまだ三時半で、店はカフェタイムのようだった。
「あーあ。手遅れか」
「いや、聞いてみるよ」
僕は店員を呼んでランチができないか聞いてみた。確認してきます、と厨房に戻った店員はすぐに帰ってきて「パスタセットならできますよ」と微笑んだ。
僕は沙織の顔を見て少し自慢げに笑った。
二人で注文して、よかったねと囁き合った。
「手遅れだと思っても、なんとかなることはあるんだよ」
僕が言うと沙織は少し表情を曇らせて「そうかもね」と笑った。
10年前、事故を防げなかった僕だけど、今回は絶対に沙織をこの世界に引き留めるんだ。
僕は密かに心に誓った。
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