第14話 「本当はわたしのことなんてどうでもいいくせに!」

「わたしは……ずっと光輔さんのこと」


 雫ちゃんが口を開きかけたその時、がちゃり、と玄関のほうで扉の開く音がした。

「ただいまー」

 沙織の声だった。

 その呑気な声に、安堵と怒りが同時にこみ上げてきて僕は立ち上がった。


 しゃがみ込んだままの雫ちゃんに手を差し伸べることも忘れて。


「おい、お前こんな時間まで、どこ行ってたんだよっ!」

 雫ちゃんを残したまま玄関に向かう。僕の苛立ちを沙織は気づかない。

「ごめんごめん。ちょっと電車の方向を間違っちゃって」

 僕よりスニーカーを脱ぐことの方に意識を集中している。

「電車……って。遠くには行くなって言ったじゃないか」

「なによ、それ。そんなのわたしの自由じゃん」

 その悪びれない態度にカチンときた。

「何かあったらどうするんだよ。自分だけの問題じゃないんだぞ」

 僕が詰め寄ると、ようやく沙織は僕の機嫌が悪いことに気づいて眉間にシワを寄せた。

「光輔くんがそんなに束縛したがるタイプだなんて知らなかったよ」

 そして、少し小馬鹿にしたように言う。

「なんだよその態度! どれだけ心配かけたか考えろよ」

「大丈夫に決まってんじゃん。勝手に心配しといて説教?」

「なんだと?」

「本当はわたしのことなんてどうでもいいくせに!」

 沙織の声も大きくなる。

「どうでもいいわけないだろ!」

「じゃ、なんで教えてくれなかったのよ!」

 沙織が声を張り上げた。

「ふたりとも、落ち着いてっ」

 玄関先で口論している僕たちの間に奥の部屋から出てきた雫ちゃんが割って入った。

「あ……、雫さん……いたんだ」

 驚いた沙織が声のトーンを落とした。

「ごめんねお邪魔してます」

 二人の間に立って、雫ちゃんは沙織の手を握った。


「あのね、わたしが言えることなんてないけど。光輔さんはさやかちゃんのことを心配してたんだよ。アテもないのに探しにいこうってしてたくらい。さやかちゃんのことをどうでもいいなんて思ってないよ。それだけは信じてあげて欲しいな」

「……でも」

 沙織が口ごもる。言いたいことはあるけど、雫ちゃんには言えないことがあるのは僕も同じだ。

「さやかちゃんの気持ちもわかるよ。せっかく大学生になって東京に出てきたら遊びたいもんね。でもね、光輔さんはあなたの親御さんからあなたを預かっているんだもん。なにかあったら大変でしょ。心配する気持ちもわかってあげて」

 雫ちゃんがした指摘は正確に言えば見当違いなのだけど、それを正すようなことはさすがに沙織もしなかった。

 二人のために間に入った彼女の気持ちを汲み取れないほど沙織も子供じゃない。

「……そういうことじゃないんだけど。わかったよ。今日のところは謝る。光輔くん。ごめんね」

 口の中に言いたいことは残ったままなのだろうけど、沙織は頭を下げた。

「ああ、僕も少し言い過ぎたよ。ごめん」

 僕も謝った。けど、二人とも形だけの謝罪で気持ちは釈然としないままだったから、もやもやした空気が漂った。

 それを雫ちゃんは敏感に感じ取って、場を和ませようとおどけて明るい声を出した。

「はい、じゃあ仲直り。わたしお腹減っちゃったよ。せっかくだからみんなでごはん食べようよっ。ね、なんかデリバリーでも取ってさ」

 雫ちゃんは返事も待たずにスマホで宅配アプリをだして、店を探しはじめた。

「……それで宅配ピザとかとれるの?」

「なんでも取れるんだよー。ってか知らないの? さやかちゃんって若者の癖に変に世間に疎いところあるよねー」

 沙織の興味がそのアプリに傾いたから、雫ちゃんはここぞとばかりにスマホの画面を見せて説明を始めた。

 ふと、大学生の頃に僕と沙織が喧嘩した時、まだ中学生だった雫ちゃんが間に入って喧嘩を仲裁したことを思い出した。この子は優しいんだ。

 そんな姿を見たら、感情のままに苛々をぶつけた自分が情けなくなってきた。下北沢の時は自制できたのに。僕はやっぱり何も成長していないんだ。

「へー、なにこれ? アジア料理? すごい、アジア料理とか食べてみたいっ」

 沙織が興味を示した店を選んで雫ちゃんがデリバリーを頼んだ。

「楽しみだねー」なんて言いながら雫ちゃんはテレビをつけて最近楽しかったこととか、電車の中で起きた些細な苛立ちとか、そんなどうでもいい話を提供してくれた。

 少しずつギスギスしていた空気も少しずつ柔らかくなった。雫ちゃんに気を使わせてしまった。


 デリバリーがやって来たところで初めて支払いがクレジットで雫ちゃんが済ませていることに気がついたので、慌てて僕が財布から代金を雫ちゃんに手渡した。雫ちゃんは受け取ろうとしなかったけど、僕も譲らなかったので彼女はしぶしぶ受け取った。


 そして、食卓にチキンカレーとかカオマンガイとか、そんなアジア料理が並んだ。

 食事が始まれば、雰囲気はだいぶ良くなった。雫ちゃんと沙織が恋愛トークとか好きな芸能人とか、そんな話題で盛り上がっていた。


「ねえ! わたしもっと雫さんと色々お話ししたいんだけど今度泊まりに行っていい?」

 食事が終わった頃、沙織が甘えた声を出した。

「え? 楽しそう! いいよいいよ。あ、でも……」

 雫ちゃんが思い出したようにチラリと僕を見た。一応、今は沙織の保護者という立場の僕の意見を聞きたいのだろう。

 別に沙織が雫ちゃんの部屋に泊まることに関しては好きにしてもらって構わないのだが、沙織が自分の未来を知ってしまうようなことを話す可能性を考えると少し不安ではある。

「まあ雫ちゃんが迷惑じゃないなら……」

「全然っ、そんなことないですよ。さやかちゃんともっと話したいなーって思ってましたし」

「そっか。雫ちゃんが良いっていうならいいんじゃないか」

「わーい!」

「じゃあ、いつにしよっか」

 雫ちゃんと沙織が日程やらを詰めているのを横目で見ながら、ちびちびとビールを飲む。

 金曜日の夜に泊まることになって、雫ちゃんは部屋に帰っていった。


「……さっきはごめん」

 二人きりになり、シャワーの準備をしている沙織の後ろ姿に声をかけた。

 沙織もこちらを向いて頭を下げた。

「ううん、わたしの方こそ。そんなに心配させてるなんて思わなくて。ごめんなさい」

「どこ行ってたの?」

 僕が訊くと少し間を置いて沙織は答えた。

「多摩川。わたしの高校とかどうなってるのかなって思って」

「そうか。どうだった?」

「駅とかも随分変わってたね。驚いちゃった。あと、リバーサイドも無くなっちゃってたね」

「リバーサイドって高校の近くの?」

 それは僕たちの高校の最寄駅の近くにある洋食屋だった。クリスマスイブに沙織に告白する時に一緒に行った店で、その後、大学時代もよく行った店だった。

 ディナーは中々の値段だったから記念日くらいにしか行けなかったけど、ランチはそれなりにお得なので、高校の時も行っていた。

 だけど、この店にも沙織が死んでからは一度も行っていない。


「店舗はそのままあったけど、全然違うお店になってたよ」

 寂しそうに沙織が言った。

「そうか……」

「もしかして。光輔くん知らなかったの?」

 不思議そうに沙織が聞く。

「いや、そんなわけないだろ。沙織とはよく行ってたから。無くなったときは沙織も寂しがってたよ」

 とっさに出た嘘だった。沙織はあの店が好きだったし、無くなれば物凄く悔しがって僕に言うだろう。

 そうか、あの店。無くなってたのか。この前の下北沢の時もそうだったけど、飲食店の入れ替わりは早いものな。


「あーあ。寂しいなー。元の時代に帰ったら飽きるほど行っておこうと思う」

「沙織、大好きだったもんなぁ、あの店。大学時代も一緒によく行ったよ。……でもさ。あんまり自分が関わりそうな未来の場所とかは行かないほうがいいと思う。前も言ったけど、自分の未来を知って歴史が変わると、沙織の存在が消えちゃうかもしれないんだよ。僕はそれが怖いんだ。もし沙織が消えちゃって、元々沙織がいないっていうふうに歴史が改変されちゃったら、沙織との思い出も全部消えちゃうんだよ。そんなの嫌だからさ」

「うん。わかってる……。これからは光輔くんにはできるだけ心配かけないようにする。ごめんね、光輔くんはわたしのこと考えてくれてるのに」

 沙織がうつむく。沙織の細い肩を抱き寄せたくなるけどぐっとこらえた。

「沙織は悪くないよ。勝手に未来に飛ばされちゃったんだから。もとの世界に帰れるまで、僕もできる限りのことはするからさ」

「ありがとう。光輔くんは優しいね。わたし、シャワー浴びてくるね」


 顔をあげた沙織が微笑んで、バスタオルとシャンプーのボトルを持って浴室に向かうのを見送る。でも、どこかその笑顔がよそよそしく思えた。


 ひとりになった部屋で僕はスマホを出す。険悪な雰囲気を和らげてくれた雫ちゃんに感謝を伝えようとスマホを取り出したとき、タイタンからのメールの着信音が鳴った。


『先程、新たな時空の乱れが感知されました。』


 タイタンからのメールは緊迫していた。


『時間の流れが滞りはじめています。行き場をなくした時間の淀みが歪みを生じさせています。』

『深刻な事態なのか? こちらの世界になにか影響は?』

『ありえたかもしれない歴史の可能性の一部が顕在化しかけましたが、すんでのところで対策は間に合いましたので直接的な現実世界への影響は少ないと思われます。これは彼女が自身の未来について何か重大な事実を知ってしまったために起きた歪みだと推測されますが、なにか心当たりはありますか?』


 僕の知らないところで世界のピンチだったのだろうか。いまいち実感がわかないのでピンと来ないが、キーマンは沙織なのだ。

 しかし、このタイミングで?

 沙織は何を知ったというのだろう。言われて頭に浮かんだのは、あの洋食屋のことくらいだった。


『今日、沙織は僕たちが通っていた高校の最寄駅に行ったらしいんだ。そこで、好きだったレストランが無くなっていることを知ったんだけど、それかな。』

『そうですか。彼女にとってそれはショックの大きなことですね。ですが、お気に入りのレストランが無くなったことが、彼女の歴史に深刻な影響を与えるほどの事件だったのでしょうか。すみません。人間の感情に関しては少し疎い部分もありまして……。もし、それ以外にも彼女の未来に影響を与えそうな事項に何か心当たりの点があれば教えていただきたいのですが。』


 それ以外にと言われて、つい今しがた口論になったことをタイタンに伝えた。

 それと最近の沙織の様子も。思い違いかもしれないが、このところの沙織はあまり元気がないような気もする。本来活発な沙織が、あまり外出をできないことでストレスが溜まっているのかもしれない。


『体調や精神的ストレスに関しては、時空の歪みへの影響は少ないのです。理由としては時空を越えることによる体調変化や精神的なストレスに関しては、こちらも事前に予測しており、その点に関する対策プログラムは当初より組んであります。未来を改変してしまうほどの大きな影響にはならないように調整済みです。大きな川に小石を投げ込んでも川の流れは堰き止められたりはしないでしょう。

 ただ、今回感知した時空の歪みは、我々の当初の想定とは別角度からの発生でした。

 ですので、歪み自体は小さくても予想外のことでしたので、状況を確認したかったのですが……。思い当たる点が無いとなると、不安材料が増しますね。

 我々も今回のような事態に陥ることは稀有でして、あまりノウハウがないのが実情です。手探りの状態で事態の収束にあたっています。どうか彼女のことを注意深く観察してください』


 焦っている様子のタイタンも珍しいが、「大いなる意志」とやらも、あまりアテにならないらしい。


『わかったよ。沙織のことは注意深く観察するよ。些細なことでも報告するから。』


 タイタンとのメールを終えて、雫ちゃんにも感謝の意を伝えるラインを送る。

 すると、『二人には仲良くしていてほしいですっ!』

 というメッセージと共に可愛らしいクマのスタンプが送られてきた。

 雫ちゃんには世話になりっぱなしだ。

 いつかお礼しなければと思いつつも、今は沙織のことだけを考えないといけないと心を引き締めた。


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