第15話 『夢で別の人生』
☆
『さやかちゃんと出掛けていて、夕食も一緒に食べることになったんですけど、光輔さんも来ますか?』
仕事の最中に雫ちゃんからラインが来た。金曜の夕方のことだった。
今夜、沙織が雫ちゃんの部屋に泊まりに行くという話になっていたけど、お昼から遊んでいたようだ。
せっかく誘ってもらったけど、今日締め切りの仕事が残っていて、これだけは片付けないと帰れなかった。沙織がこの世界にいられるのももう少しだというのに。
『ごめん。仕事が忙しくて。今回は遠慮するよ。あと、何度もしつこくて申し訳ないけど、沙織の話だけはNGでお願いね』
返信は「OK!」と拳を見せるアニメキャラのスタンプだった。
あれから僕は沙織の様子に目を見張ってはいたが、実際のところ、彼女の心の動きを僕は感じ取れなかった。
もし、僕の前に現れた沙織が高校生ではなく、大学生の沙織だったら、もう少し心の機敏に触れることができたと思う。成人済みの沙織なら、共にお酒を飲むこともできたし、共に暮らしている中で、互いの良い所も悪い所も見せ合っていたから。もっと心の距離が近かった。こんな言い方をすると照れるけど、愛が芽生えていたのだと思う。
だけど、この世界に現れた沙織は僕と付き合ってまだ三ヶ月の沙織なのだ。なかなか心の動きはつかめない。
僕が頼りにならないこともあってか、『大いなる意志』陣営も色々と対策プログラムを組むことに四苦八苦しているようだった。
タイタンから来るメールでも、その焦りは伝わってきた。
だけど、彼らの奮闘は僕にとっては対岸の火事、とまでは言わないが、どこか他人事のようにも感じられた。
僕にとっての問題はひとつだった。
はたして僕は沙織に彼女の運命について、何一つ告げずにいられるのか。
なにも言わずに彼女を元の時代に帰すという非情を出来るか、ということだった。
もしかしたら、僕はこの世界と沙織とを天秤にかけ始めていたのかもしれない。
定時を過ぎて事務の女の子たちが帰って、いつもの残業メンバーになって、しばらくすると井岡さんがやって来た。
「うすっ、俺そろそろあがりだけど、雨宮はどうだ? 今夜あたり一杯どうだ?」
ちょうど僕も今日やるべきことは終えてたところだったが、どうしようかな。いつもなら沙織がいるからすぐに帰るのだけど、今日は雫ちゃんの部屋に行っているから家に帰っても一人だし。せっかく井岡さんに誘ってもらったし付き合おうかな。
僕が返事をしようとすると、脇からデスクチェアがキャスターを転がして突っ込んできた。
「行きます行きます行きまーす!! 月形、参加しまーすっ!!」
椅子の上で、びしっと敬礼をして現れたのは月形くん。
「まったく。俺は雨宮を誘ってんだけどな」
コミカルな仕草で現れた月形くんを見て井岡さんも苦笑い。
「まーまー。そこらへんはいいじゃないっすか。ささ。オレもちょうど終わるところなんで、仕事のことはぱーっと忘れて、狂ったように飲みましょう!」
「狂ったようには飲まねえよ。まあ、いいや。で、雨宮はどうだ?」
「はい。お供します。月形くんの介抱をしなきゃいけないですもんね」
まだ残って仕事をしている数人のメンバーに別れを告げて、パソコンの電源を落とした僕たちはオフィスを出た。
金曜の夜のオフィス街の駅前の空気は独特だ。
平日を乗りきったサラリーマン達の安堵のため息。狂乱の宴に向かう若者達の喚声。待ちに待った休日へ向かって急ぐ人々の軽快な足音と、何も考えられないほど疲弊してゾンビのような足取りで駅へと向かう人々の足音。十人十色のおよそ野生の生き物では産み出せない人間独自の感情のすべてが混ざった淀んだ空気が立ち込めている。
「よーし、じゃあどこ行きますか? 吉兆とかどうっすか!?」
先を歩く月形くんが振り返っていうと「また吉兆かよ、お前ホントそればっかだな」と井岡さんが笑った。
知らない店の名前だったが、井岡さんが教えてくれた。
「月形のやつな。吉兆って焼鳥屋の看板娘を気に入ってよ。なにかっつうと吉兆に行きたがるんだよ。まあ値段も手頃だし、味もいいんだけどな」
「へえ、じゃあその店にしますか。どうせなら月形くんが好きだっていう子を見てみたいですし」
「あー、雨宮先輩! そんなこと言って、僕のチハルちゃんを取ろうってんじゃないでしょーね、そうはいかねーっすよ!?」
詰め寄るように近づいてくる月形くんを犬でも追い払うように手を振って遠ざける。
「しっし、そんなこと考えてないって。ほら、その吉兆ってのにつれてってくれよ」
月形くんは僕の言葉を信用していないのか、餌をとられまいと威嚇する犬みたいに僕をにらんだ。
が、井岡さんの「早くいかねえと席が埋まっちまうんじゃねえか」という言葉にハッとして踵を返す。
「そうだった。今日は金曜じゃないすか。急がないと!」
月形くんはまるで散歩の最中にリードを引っ張る犬みたいに僕らをせき立てて人混みを進んでいった。
吉兆は駅へ進む大通りから、すこし小道に入った所にある雑居ビルの一階にこじんまりとあった。
カウンター数席とテーブル席が二つ。ツルツルの頭に白い髭を蓄えた仙人みたいな痩せたおじいちゃんがカウンターの向こうで串を焼いていて、奥さんらしき太っちょの女将さんと、女子大生くらいの若いアルバイトの女の子がエプロンをつけて注文を聞いて回っていた。
僕たちがのれんをくぐって店に入ると、その若い女の子が笑顔を弾ませた。
「いらっしゃいませ……、あ、月形さん! お疲れさまです。今日は三名様ですか。席片付けますからちょっと待っててくださいねー」
テーブル席の空いた皿やジョッキを手際よく片付けて布巾でテーブルを拭いたその女の子。これが月形くんのお気に入りの子か。たしかに可愛らしい。
「いやー。今日もチハルちゃんの笑顔を見れるだけで疲れが吹き飛ぶなー」
おしぼりで手を拭きながら、早速月形くんがデレデレと表情を崩す。
「もう月形さんったら、調子いいんだからー」
彼女はニコッと笑っていなしつつ「飲み物は何にします?」と訊く。
「とりあえず生三つお願いできるかなー」
「はーいよろこんで」
お通しの枝豆とジョッキを持ってきたチハルちゃんは、スラッとした体型で瞳がぱっちりで、金髪をポニーテールにしていて、たしかに面食いの月形くんが好みそうな子だった。
「……かわいいでしょ。でも、ダメっすよ。雨宮先輩。彼女はオレが先に目をつけたんですからね!」
「はいはい。応援してるよ」
月形くんをあしらっていると、そのチハルちゃんがビールを持ってきたので三人でジョッキを掲げる。
冷たいジョッキに並々と注がれたビールを見ると自然と心がはずむ。
「じゃ、かんぱーい!!」
一口でジョッキ半分くらいを飲んだ井岡さんが叫ぶ。
「かーっ!! うめえ! やっぱこれよこれ!」
「間違いないっすね! いやあ今週も頑張ったなぁ」
うんうんと月形くんも同意する。仕事終わりのビールはやはり格別だ。
お通しの枝豆も摘まみながら雑談が始まる。注文を取りに来たり、焼鳥を運んだりしてくれるチハルちゃんは愛想もいいし、月形くんはちょっかいをかけられても笑いながら軽くあしらう余裕もあるし、確かに好きになっちゃうのもわかるな。
久しぶりに皆と居酒屋に来たけど、やっぱり楽しいものだ。
「しかし、こんな店、よく見つけたねー」
「へへへ。オレの嗅覚っすよ。可愛い子がいる店を見つけるオレの天性の嗅覚っすよ」
「何をバカなことを」
「でも、ここだけの話。もしかしたら、チハルちゃんとオレは運命の赤い糸で結ばれてるかもしれないんすよ」
突拍子もないことを声を潜めて言い始めた月形くん。
「どういうこと?」
「何アホなこと言ってんだよ。ま、酒の肴にしてやる。聞かせてみろよ」
僕と井岡さんが身を乗り出す。
「実はね……。最近夢を見たんすよ。オレ、あんまり鮮明な夢って見ないんすけど、その夢は目覚めてもやたら印象に残ってて」
「どんな夢なの?」
「それが切ない夢なんすよ。オレね、大学の頃、両片想いだった子がいたんすよ。御厨千夏って子だったんですけど」
「ふむ。……ってか両片想いってなんだ?」
「お互いがお互いに片想いしてる状態ですよ」
僕が教えるが、理解しているんだかしていないんだかわからない表情の井岡さんが四角い顔を傾げる。
「ふーん。よくわかんねーけど。つまり早い話が両思いだったってことか。で、その子とは付き合ったのか?」
「それが、うまくいかなかったんすよ。お互いに相手が自分のこと好きなわけはないって思ってて。すれ違いっすね。いやーオレも若かったっす。で、卒業して何年か経って、御厨が職場の男と結婚するって時に、大学時代の女友達に言われたんすよ。千夏、あんたのこと好きだったのにねー。もったいなかったねーって。オレ、その時はじめて知ったんすよ。なんだよー、それなら恥ずかしがらずに告白しておけばよかったなーって。ウエディングドレス姿を見ながら思いましたよ」
「それはもったいなかったね」
「お前、普段はオンナオンナって言ってるくせに、いざって時はビビリなのな」
「……ほっといてください。でね、なんでこんな話をしたかって言うと、夢の話に戻るんですけどね。オレが見た夢だとね、オレと御厨が結婚してるんすよ。御厨はお腹が大きくて、妊娠してて、子供の名前なんか考えてて。夢の中のオレは、そうかぁそういや大学三年の花見の帰り道に告白したんだっけな、あいつもオレのこと好きだったってその時知ったんだよなー。ってなんか妙にリアルに思い出してるんすよ。夢の中なのに。でも、まあ夢なんで覚めちゃったわけっすけど、現実感がパネエ夢だったんで、夢から覚めてもあれが夢だったってなんか信じられなくて。もしかしたら、あの夢はオレにもあったかもしれない別の未来だったんじゃないか。なんて思っちゃったりして。アンニュイな気分っすよ」
「なるほど。……で? そこから吉兆の看板娘にどう繋がるんだ? 関係なくねえか?」
井岡さんが早くも三杯目のビールを飲み干したので、おかわりを注文してから耳を傾ける。
「それがね。実はチハルちゃんの苗字も御厨なんすよ。珍しいじゃないすか。だからこの前、オレの同級生にも御厨って子がいたんだよーなんて話をチハルちゃんにしたら、それ、私のお姉ちゃんですよ、って言われたんすよ! なーーんと! チハルちゃんはオレが好きだった御厨千夏の妹だったんですよ!」
ジョッキを片手に熱っぽく語る月形くん。
「これは運命っすよ! きっとオレはチハルちゃんと出会うために御厨千夏とは結ばれなかったんすよ! ディスティニー! イッツアディスティニー!」
へえ。不思議な偶然もあったものだ。
「ふーん、珍しいこともあるな。でもよ。それが運命かどうかはわかんねえだろ。ってか夢に出てきたのは姉ちゃんの方なんだろ。なら妹の方は関係ないじゃねえか」
言われてみれば確かに井岡さんの言う通りだ。なんとなく月形くんの勢いで納得しかけたけど、全然関係ないし、結局は夢だし。
だけど月形くんは唾を飛ばして身を乗り出す。
「いやいや運命っすよ。間違いない!」
「まあ、運命でもなんでもいいから、頑張ってみろよ。お前に彼女でもできて、もうちっと落ち着いてくれりゃ、うちのチームの成績も上がるかもしれねえからな」
「し、仕事の話はやめましょうよ」
「がはは。まあそう気を悪くするな。あ、そういえば。月形の話で思い出したけど、俺もちょっと前に変な夢を見たなあ」
ジョッキを机に置いた井岡さんがポンと手を叩いた。
「へえ。井岡さんの夢の話なんて聞いたことないっすね。どんな夢ですか?」
「いや、それが……あれ。これ、考えてみれば月形と似たような夢だな」
「オレと似たような夢? なんすか。好きだった女の子でも出てきたんすか?」
「いや、そうじゃないんだけどな。まあ聞けよ。夢の中の俺はアパートで一人暮らししてるんだよ。嫁も子供もいなくてさ。完全な一人暮らし。俺って嫁とは大学時代から付き合ってたから、一人暮らしってしたことがないんだけど、夢の中の俺は結構ちゃんと『ひとり暮らし』をしてるんだよ。料理もするしゴミの分別もするんだよ。休みの日は草ラグビーとかやって、みんなと銭湯行ったり。嫁も子供もいないのに、全然寂しいなんて思ってないんだよ。一人暮らしを満喫してんだ」
「もしかして、井岡さん今の生活に不満があるとか?」
「いやいや。そんなことねえんだけどな。別に浮気願望もねえし子供は可愛くて仕方ねえし。だからさ、目覚めて不思議だったんだよな。なんでこんな夢を見たんだろって。もしかしたら、俺にも別の人生があったんじゃねえかなって。ほら、月形の夢と似てるだろ。自分にあったかもしれない人生のことを夢に見るってところが」
「言われてみればそうっすねぇ」
「今の人生を送っていなかったとしても、それはそれで楽しくやってたんじゃねえかなって。ま、俺は月形と違って嫁も子供も可愛いから今の人生でよかったんだけどな。ガハハ」
「なーんすか、結局ノロケっすかー」
やれやれと呆れた顔を見せる月形くんが、「でも面白いっすねー」と身を乗り出した。
「二人揃って同じような夢を見るなんてね。さすが同じチーム。深層心理的になんかあるんすかね。ちょっと調べてみましょうか」
月形くんは懐からスマホを取り出して、何やら打ち込み始めた。
「……あ、すごいっ! 流行ってるみたいっすよ! Twitterのトレンドにもなってます! うわっ。なんかオカルトっすね」
スマホをスワイプしながら勝手に盛り上がり、一人で興奮し始めた月形くん。
井岡さんと顔を見合わせる。
「一人で盛り上がってんじゃねえよ。説明しろよ」
「あ。ごめんなさい。えっとですね。今、多くの人が変な夢を見るって話題になってるみたいなんすよ」
「変な夢?」
「そうっす。ほら、みてください。Twitterのトレンド。三位に入ってます。『夢で別の人生』って」
「なんだそりゃ」
「あ、まとめの記事もあるっすよ。……えっと、それによると」
月形くんが読み上げたネットの記事は、ここ数週間、SNSを中心に爆発的に話題になっている夢についてまとめたものだった。
それによると、ここ数日、同時多発的に不思議な夢の話がSNS上で語られ、ちょっとした社会現象になっているという。
『昔別れた恋人とまだ付き合っている夢を見た。あまりにリアル過ぎて起きてから泣いた』
『第一志望の大学に合格して上京している夢を見た。もう少し頑張ってれば俺にも別の人生があったのかな』
『歌手になる夢を諦めてOLをやってる夢を見た。……よかった。あの時の私! 夢を諦めないで本当に良かった!』
一般人から有名人まで、まるで示し合わせたように、自分が違う人生を送っている夢を見たというのだ。瞬く間にその話題は広がったようで、その後もSNS上には同様の夢を見たという発言が数多く投稿されているらしい。
「……専門家によると、一種の集団催眠のようなもので、皆が見る夢ならば自分も見るだろうという強い強迫観念が多くの人に同様の夢を見させている。とかなんとか」
月形くんのたどたどしい説明を聞いていた井岡さんが「ちょっと待て」と話を止めた。
「でも、別に俺はSNSとかはやってねえぞ」
「そう言われると、オレもインスタぐらいしかやってないし、そもそもこの流行りも知らなかったっすもんね。変っすね」
首を傾げる二人の間に入るように、チハルちゃんが現れ、焼き鳥の皿を机に置きながら僕たちの会話に参加した。
「あ、それ夢の話ですかー? ネットですごい話題になってますよね。あ、これつくねと皮ですね」
「ありがとう。ってか、チハルちゃんも見たの? 別の人生送ってる夢?」
焼き鳥の皿を受け取りながら月形くんが尋ねる。
「はい。不思議ですよねー。すっごくリアルだったから、ただの夢じゃないと私は思うんですけどねー」
なぜかそんな話を聞いていて僕は胸騒ぎがした。なんだろ、何かよくないことの前兆な気がする。
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