第12話 「ねぇ。もしかして、わたしといても楽しくない?」
☆
「で、行きたいとこってのはここかよ……」
日曜日。
若い女の子たちの行列のなかで、僕は頭を抱えた。
「うん! なんか雑誌もテレビもコレばっかなんだもん。さすがに気になるじゃん」
つま先立ちで列の前方を覗きながら、過去からやって来た僕の恋人、沙織は声を弾ませた。
僕たちは朝から電車に乗って若者で賑わう繁華街、下北沢に来ていた。目当てはタピオカティー専門店だ。
たしかに、ここ一年くらいで爆発的にタピオカティーなる飲み物が流行り、インスタ映えだなんだと若い女子に大人気で社会現象になっていたのは世間の流行に疎い僕でも知っていた。
タピオカとは、キャッサバという木の根茎から製造したデンプンをボール状に加工したものでどうのこうの……ということは電車のなかで沙織が説明してくれたが、あまり真剣には聞いていなかった。
で、どうやら今のタピオカブームは第三次タピオカブームらしく、最初は2000年ごろに流行ってコンビニなどにもタピオカティーが並んだらしい。そして、2008年にもブームになったことがあるらしい。僕は一切知らなかったんだけど。
「わたしもあんまり覚えてないなぁ。そんなブームあったっけ?」
2006年から来た沙織にとっても、ちょうどブームの狭間で馴染みがないのかもしれない。
「光輔くんも飲んだことないの?」
「ないよ」
実は飲んでみたいとは思ったことはあったが、女の子ばかりが並ぶ店にひとりじゃいけないし、かといって一緒に行くような人もいないし、経験できずにいた。
「じゃあ歳の差はあれど、二人そろって初めての経験をするんだね。なんか嬉しいね」
沙織は上機嫌だ。列が少しずつ動いて、カウンターが近くなる。
「ねえねえ、光輔くんは何にする?」
カウンター上のメニューにはミディアムサイズでラーメン一杯食べられるような値段のものがずらりと並んでいた。スタバでも思うけど、女の子はよく飲み物にこんなお金をかけられるよな。ラーメンならこの値段でお腹いっぱいになれるのに。
「僕は普通のでいいや」
金に困っているわけでもないのに生来の貧乏性が顔を出す。
「じゃあ、わたしはなんか豪華そうなのにするねー」
一番高いメニューを指差して沙織は目をキラキラさせた。
「シェアして飲むか」
「シェアって?」
「ああ。わけあうってこと」
「ぷぷ。変なのー。インチキ外国人みたいだね」
笑われると恥ずかしくなる。
「当たり前に使う言葉だけどなぁ。考えてみればいつのまにかみんな使ってたなぁ」
「スイーツの時もそうだったけど、そのうち日本語なんてなくなるんじゃない?」
たしかに、ビジネス用語も無駄に英語を使うものな。
「じゃあ、わたしも未来風に言おっ。シェアしようね」
その屈託のない笑顔と吸い込まれそうなきれいな瞳に見とれてしまい、慌てて目をそらす。
「……ってなんで目を逸らす?」
「い、いやなんでもないさ」
「んー、なんか反応が淡白なんだけどぉ」
彼女はジトッとした目を僕に向ける。
「そんなことないさ。歳をとると甘いものがちょっと苦手になるだけだよ」
「本当にそれだけー?」
探るような目つきで僕を見る。沙織は鋭い。
「今日だってデートなんだから手くらい繋いでくれたっていいのにー。今の光輔くんじゃ、滅多に触れられない女子高生なんだぞー」
「ばか。わざわざ君に触れなくたって、僕には今の時代の沙織がいるんだから、それでいいんだよ」
嘯いてそっぽを向くが、胸の奥は締め付けられるようだった。
本当は彼女に触れたいし、抱きしめたいし、謝りたい。
10年前のあの日、僕が遅刻なんかしなければ、沙織は車になど轢かれなかったのだ。あんな風に突然、別れが訪れるなんて夢にも思わなかった。ずっと沙織と生きていくものだと何の疑問もなく思っていた。
当たり前のように毎日続くと思っていた日常は呆気なく壊れてしまう儚いものだなんて、あの頃の僕は知りもしなかった。
よく映画や歌の歌詞で出て来る『大切なものは失って初めて気づく』なんて聞き飽きたセリフは、頭で理解していたつもりだったけど、実のところなんにも分かっていなかったんだ。
彼女が現れて一週間近くが経とうとしていたが、僕は自分の感情を抑えることに必死だった。彼女の笑顔や甘えた声。すぐムキになる顔、自慢げに笑う時に見える白い歯。おどけた表情や、日常のふとした仕草を見るたびに、いろんな感情が渦巻いて泣き出しそうになってしまう。
だけど、これは一ヶ月だけの儚い夢だ。もう一度失うことがわかりきっている再会なのだ。あまり感情移入しないほうがいい。別れが辛くなるだけなんだ。
「ねぇ。もしかして、わたしといても楽しくない?」
僕の強張っていた表情を覗き込み沙織が言った。僕は慌てて表情を緩める。
「そんなことないって。久しぶりにデートっぽいことして、ちょっと緊張してるだけだよ」
おどけて見せるが、沙織の表情は浮かないままだ。
「今のわたしとは遠距離で付き合ってるんでしょ? でも、電話とかしてる感じしないし、本当はもう醒めちゃってるんじゃない?」
「そんなことないよ。僕は……、今でもちゃんと。沙織のことを愛してるよ」
沙織の瞳を見つめて言った。嘘でもごまかしでもなかった。僕の言葉を聞いて沙織の瞳が少し揺れたように感じた。
「もー、こっちが照れるようなことを言わないでよ」
答えを聞いて満足したのか、髪の匂いを甘く感じるほどに沙織は僕の肩に体を寄せてきた。照れもあり身を引こうとしたけど、行列の中で身動きが取れず諦めた。
列に並ぶこと十数分。ようやくカウンターに辿り着いて、僕はアッサムタピオカミルクティーを、沙織は盆栽タピオカミルクティーを頼んだ。
「盆栽って何? 松でも浮いてんのか?」
「なんだろね。ワクワクするね」
僕もタピオカは初体験だが、沙織ももちろん初めてなのだ。カウンターの奥で店員さんが注文した品を作っているのを二人してじっと眺めた。
そうして出てきたのはチョコチップとハーブで盆栽を表現したらしい何やら豪華なタピオカティーで、沙織は手を叩いて喜び写真を撮るようにせがんだ。
タピオカティーを片手に、僕たちはぶらぶら町を歩いた。
「思ってたより美味しいな」
「うん! これ、わたしの時代でも絶対流行るよ! もとの世界に戻ったらわたしがタピオカ屋さんを始めちゃおうかな。そしたら、わたしたち大金持ちのカップルになれるよ?」
片眉をあげて含み笑いをする沙織。まったく、とんでもないことを考える娘だ。
「普通に一緒にいられたら、それで僕は充分に幸せだよ。お金なんてそんなにいらないよ」
僕が答えると沙織は驚いた顔で僕を見て、そして笑った。
「光輔くん、おっとなー」
「まさにその通りだよ、大人だよ」
僕たちは並んでタピオカティーを飲みながら町を歩いた。
「それにしても、下北沢がこんなに変わってるなんてね。さっすが未来だね」
キョロキョロと辺りを見渡して沙織が感嘆の声を漏らした。
僕たちが歩いている下北沢の商店街は2006年ごろから東京都と小田急電鉄によって計画された、小田急線の複々線化及び連続立体交差事業によって、その街並みを大きく変えていた。
この事業については一部の地域住人や文化人たちを中心に反対運動が巻き起こったりして話題にはなっていたが、沙織が死んでしまってからは来ることもなくなっていたから、こんなに街が様変わりしていることを僕は知らなかった。
駅の形状や改札の位置なんかも、あの頃とはずいぶん変わっていて、沙織だけじゃなくて僕も驚いていた。
沙織は雑貨屋や古着屋なんかに入りたがり、アクセサリーや洋服を試着しては意見を求めてきた。
僕は少し恥ずかしかった。カップルにしては年の差がありすぎる。女子高生と三十路過ぎ。これ、パパ活の道中だと思われないかなとヒヤヒヤした。
「パパ活って?」
「君にわかりやすく言うと、援助交際ってやつだよ」
「ああなるほど。ってか言葉が変わるだけで、やってることは未来も変わんないのね。……だからって、光輔くん家にいる時より、よそよそしくない?」
「だって、今の君と僕は年の差は一回りもあるだろ。並んで歩いていて誰かに勘違いされないか不安だよ」
「援交してるって? あはは。へーきだって。ていうか、他人の目なんかどうでもいいじゃん」
そのくらい言われなくてもわかる。誰も僕たちなんか見ちゃいない。でも、気になるんだから仕方ない。そういう部分は大人になっても変わらない。ダサいままだ。
商店街を歩く。
古着屋「シカゴ」や雑貨屋「ヴィレヴァン」は昔と変わらず営業していて沙織は喜んだ。知ってる店が残っていると嬉しいのだろう。
「で、なんか欲しいものとかあった?」
「うーん。やっぱりこの時代とわたしの時代ってギャップがあるじゃん。なんていうか、こっちで流行ってるのって、わたしの時代とは美的センスがちょっと違うからさー。困っちゃうんだよね」
沙織は腕を組んで考え込む。沙織の今日の服装はチェックのパンツにスウェットパーカーで、髪を切りにいった時に買った服だそうだ。これが時代に合ったおしゃれなのかどうかはわからないが、似合っていると僕は思う。ちなみに僕はジーパンにネルシャツに踵のすり減ったスニーカーだ。
「僕はおしゃれとかあんまりわかんないから、なんとも言えないけどさ」
「そうだよねー。光輔くんが部屋着にしてるTシャツとか、高校生の時から着てるやつだもんね」
「……え、そうだっけ?」
「そうだよ。13年前から来たわたしが言うんだから間違いない」
きっぱり言い切られて、ちょっと恥ずかしい。社会人になってそれなりに給料をもらうようになっても、お洒落にはなれなかった。そこら辺は無頓着なのだ。それに、着古した服の心地よさというものは新品にはない。
「体型が変わっていないということで許してよ」
「ふふふ。でも生え際はちょっと後退してない?」
「し、してない! やめろ。そういうことを言うのは」
「冗談だよ。白髪がちょっと増えたくらいだよね」
「はぁ……。もういいよ。君は若くて羨ましいな」
反論してもしかたがないし。素直に降参した。
「とりあえず昼飯にしないか。何か食べたいものある?」
朝から歩き通しで、すでに正午を過ぎていたのに、口にいれたのは甘ったるいタピオカティーだけだったので、そろそろ昼飯にしたかった。
「うーん、パスタ! もしくはピザ! あ、下北沢なら、このまえ行った角っこのイタリアン行こうよ」
「角っこ?」
「ほら北口の方の。もしかして、もう無くなっちゃったかな? けっこう美味しかったんだけど」
「うーん、覚えてないなぁ……」
僕が答えると、沙織は少し寂しそうな顔をした。
「そっか。まあ光輔くんにしてみたらずっと前の話だもんね」
「とりあえず行ってみるか。行けば思い出すかもしれないし」
人混みのなかを歩く。五月の暖かい季節で、気持ちよかった。もう何年も会社と家の往復だけだったから。
先導する沙織について歩いていくと、とある道の角で沙織が立ち止まった。
「あ……。ごめん。やっぱり無くなってる」
「ここにあったの?」
「うん。覚えてない?」
首を捻って考えてみるけど、思い当たらない。
「そっか……そうだよね」
「そんな顔するなよ。覚えてないのは大学時代もよく沙織と下北沢に遊びに来たからだよ。あっちの居酒屋とか、そこのバーとか、よく行ったから、そっちは覚えてるんだけどさ」
「そっかぁ。まあそうだよね」
僕が覚えていないことがよっぽど寂しかったのか、言葉少なになって落ち込んでいるような沙織だったが、僕はともかく昼食を取りたかった。はらぺこだったのだ。
テンションが下がった沙織を盛り上げようと、ちょっと高級なハンバーガー屋さんに行った。
高校生の時はお金もなく、いつもマクドナルドに行っていたから大きくて肉の分厚い高級ハンバーガーなんか食べたことはなかった。
こういうときこそ、僕が大人になったことを見せつけてやろうと思ったのだ。
「なんでも好きなもの頼んでいいから」
テーブル席で沙織にメニューを渡しても彼女の表情は浮かないままだった。
さっきの店が無くなっていたことがよっぽどショックだったのだろうか。
不思議に思いながらも、アボカドバーガーを頬張る。バドワイザーも飲む。向かいに座る沙織は小さく縮こまっているようにみえた。
「飲食店なんてさ。10年持てばいい方だよ。気に入った店がなくなるのは悲しいかもだけどさ」
僕が慰めようとしたけれど、沙織は言葉を遮るようにして言った。
「そういうことじゃない」
言葉に刺があった。なんなんだろう。そういうことじゃないというのなら、どういうことなのか教えて欲しいのに、ダンマリを決め込んで何も言わない。僕も正面でため息をつく。
いつもはなんでもズバズバ言う癖に、自分の思い通りにいかなかったり、うまく想いが伝わらなかったりすると途端に黙り込む。ちゃんと伝えてくれないから僕もイライラして喧嘩になる。もしくは、勝手に機嫌を取り戻してあっけらかんとして、僕だけ心にしこりが残る。それも今となっては懐かしいのだけれど喧嘩だって何度もした。
今日のこれは、幾度も繰り返した喧嘩の導入部分そのままだった。だけど、あの頃と違うのは、僕が大人になっているってことだ。
「さっきの店のこと、覚えてなくてごめんな。元の世界に帰ったらもう一度僕を連れてって覚えとくように叱っといてよ」
「うん。わたしも不機嫌になってごめん」
僕が謝れば沙織も謝る。変な意地を張って喧嘩しても良いことがないのはお互いわかっている。
お昼ご飯を食べ終えて、再び下北の町をブラブラした。その頃には沙織の機嫌も治っていた。
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