第11話 「変な冗談はやめろって」
「光輔さん。さやかちゃん。意外なところで会いましたね! 晩ご飯ですか?」
「コ、コンバンワ。そうです。光輔くんにご馳走になってましたー」
「へえ。さやかちゃん。どうせならもっと高級なお店に連れてって貰えばいいのにぃ」
「馬鹿なことを言うなよ。雫ちゃん。サイゼリヤの生ハムやモッツアレラチーズは本場のイタリア人も唸る代物なんだぞ」
「そうなんですか?」
「なんか前にテレビでやってんのを見たよ」
「へえ。じゃ今度食べてみますー」
物知りですねー、なんて雫ちゃんは感心した声をあげた。
「そんなことより、雫さん。あの人たちって職場の友達ですか? もしかして彼氏さんとかですか?」
沙織が立ち上がる勢いで声を張った。
「え? ああ。全然! 高校の同級生! たまーに会ってるんだけど。全然恋愛対象じゃないよっ。なに? さやかちゃんああいうのタイプ? 紹介してあげよっか? どっちも馬鹿だけど」
お節介な雫ちゃんは何かを勘違いしたようだ。
「いえ、結構です! わたし、一応彼氏いますから」
両手を振って断る沙織。
「あ、彼氏いるんだっけ! へー。どんな人?」
パッと目を輝かせて雫ちゃんは沙織の隣に腰を下ろした。
「え、あの高校の同級生で……」
まさか自分に矛先が向くとは思っていなかったようで沙織は身を引いて慌てた。
「カッコいいの?」
ずいっと身を乗り出して雫ちゃんが訪ねる。
「ま、まぁ、それなりじゃないですかね」
僕のことをチラッと見た沙織がモゴモゴと答える。意地悪く雫ちゃんのことを詮索しようとした罰だ。僕は頬杖をついてしどろもどろになっている沙織を見る。ちょっと可愛い。
「どこが好きなのー、教えてよぉ」
なにも知らない雫ちゃんは根掘り葉掘り聞こうとするけど、沙織は目が泳いでしまっている。
「えっと……、いいじゃないですかわたしのことは!」
声を張り上げて形成逆転を図る沙織だけど、雫ちゃんは引かない。
「何照れてんのー。可愛いねえ」
「む、むぅ……」
過去の二人を知ってる分、この状況は面白かった。本当なら六歳差で沙織の方が年上なのだ。姉の権限をフル活用していた沙織が、今は年上になった妹に弄られて唇を噛んでいる。
「僕も聞きたいなぁ。その人のどこが好きで付き合ったの?」
ちょっと楽しくなってきて雫ちゃんに加勢してみた。二人に囲まれて沙織は逃げ場がない。
「恥ずかしがらないで教えてよー。ねえさやかちゃん」
ツンツンと沙織をつっついて雫ちゃんがニヤニヤする。
「や、優しくて、背が高くて、顔もそれなりにカッコいいからです! これで満足っ!?」
沙織は顔を真っ赤にして言うと、ふんっとそっぽを向いた。
「いーなー。さやかちゃんはその人が大好きなんだね」
雫ちゃんは「よしよしー」なんて子犬をなでるみたいに沙織の頭をくしゃくしゃと撫で回した。沙織は不貞腐れ気味になすがままにされていた。
「さやかちゃんって、なーんか本能的に絡みたくなっちゃうんだよねー。あんまりこういうことないんだけど。他人じゃない気がしてー」
それはきっと相手が自分の姉だからであろう。
「し、雫さんは好きな人はいないんですか。可愛いんだから彼氏なんてすぐ出来そうですけどっ」
「え。わたし? まぁ、わたしのことはいいじゃない。それより、明日はうちで料理の練習に来るんでしょ。何時に来る?」
軽くあしらわれて沙織はむくれるが、料理の話もしなきゃいけないと思ってたようで、しぶしぶ話に乗っている。
ビールを飲みながら二人の会話に耳を傾ける。沙織は本当は姉であるのに、それを気づかれないように敬語で話しているのが面白いし、雫ちゃんはなんにも知らないから、僕の従姉妹の娘だと思って話しているのも面白い。
「光輔さんも来ます?」
時間や作るものを決めた後、思い出したように雫ちゃんが僕に尋ねた。
どうしようか。せっかくだから姉妹水入らずで楽しんで欲しい気持ちもあるけど、なにも知らない雫ちゃんが沙織に余計なことを言っちゃいそうだし、僕が見ていた方がいいかなぁ。迷う。
「んー。僕は……」
「いいよ、別に光輔くんは来なくてー」
沙織が口を尖らせた。
それもそうか。沙織は僕に美味しいと言わせるために料理を練習するんだから、横からやいのやいの言われたくないのだろう。
「でも、せっかく作るんだから食べてもらおうよ。ね。さやかちゃん」
「うん。そうしよっ。絶対美味しいって言わせてやるもん」
「……わかったよ。毒見に行くよ」
僕は頷きつつも、明日までに沙織とも雫ちゃんとも口裏を合わせなければならないことを考えていた。
「ドリンクバー行ってくるから」
ちょうどよく、立ち上がった沙織を見送って、チャンスと僕は雫ちゃんに向けて声を潜める。
「なあ雫ちゃん。お願いがあるんだ。あの子には沙織が死んだことは隠しておいて欲しいんだ」
「え、お姉ちゃんのことを? というか、さやかちゃんはお姉ちゃんのこと知ってるんですか?」
きょとんとして訊かれるのだが、どう誤魔化したらいいものか。
「えーっと。そうなんだ。昔、よく遊んであげてたんだよ。でも、あの子には僕がまだ沙織と付き合ってて遠距離だってことにしてるんだ。だから、あの、その……複雑なんだけど、とりあえず頼む!」
考えたけれど、うまい言い訳が浮かばなかった。
「なんだかわかんないけど、光輔さんの頼みならわかりましたよ」
あまり腑に落ちていない顔だけど、雫ちゃんは了承してくれた。
「ごめんよ。今度ちゃんと説明するからさ」
「美味しいお店でも連れてって説明してくださいねっ」
「……ま、それくらいならいいけど」
「やった。契約成立っ」
まったく抜け目のない子だ。
「何々ー、なんの話ー?」
沙織がドリンク片手に帰ってきた。雫ちゃんと目配せして「なんでもないよ」と答えた。
「そんじゃ、あっちの席に戻りますね。さやかちゃん、明日はよろしくねー」
交代で立ち上がった雫ちゃんが手を振って友人たちの席に戻っていった。
「内緒の話なんて怪しいなー。わたしと遠距離恋愛してる間に雫と浮気なんてしてないでしょーね?」
僕を睨んで沙織が言うけど、その目の奥は笑ってる。
「変な冗談はやめろって」
僕も笑って返した。
☆
土曜日、沙織は朝から出掛けていった。といっても隣の部屋へだが。
時計を見ればまだ10時。
考えてみれば二日酔いもせずに起きた休日なんてのは、久しぶりのような気がする。
顔を洗って歯を磨いていると、洗面台の鏡に写った自分の顔が心なしか明るい気がした。
沙織が現れてから、日々が充実している気がする。先週までの自分が嘘みたいだった。
でも、これもたった一ヶ月間だけなのだ。
再び彼女がいなくなったら、僕は平気でいられるのだろうか。またあの灰色の日々に戻るだけなのではないか。
心に浮かんだ雨雲みたいに陰鬱な気持ちをかき消すように顔を洗った。
出かける前の沙織に自分の未来のことは聞かないように、と念を押した。雫ちゃんにも言ってあるから聞き出そうとしても無駄だよ、とも。
「もーしつこいなー。ただ楽しく女子会するだけだしー。どっちかって言うと雫のことを知りたい感じだし」
それはどうなんだろう。妹の未来の情報は宇宙の歪みに影響はしないのだろうか。
ちょっと不安になったが、まあ分からないから仕方ない。
僕は雫ちゃんにもLINEを送って改めて説明した。
『さやかは引っ越しが多くて友達が少なかった。かわいそうだと思った僕は沙織を連れてよく遊びに行っていた。二人は仲良くなって、また会う日を楽しみにしていた。けれど、沙織は死んでしまった。さやかはまだそのことを知らない。ショックを受けちゃって引きこもったりしたら大変だから、ちゃんと僕から伝えたい、だから、黙っていて欲しい。』
というような、つつけばいくらでもホコリが出そうな説明だったのだが、雫ちゃんは「OK」というかわいいスタンプで答えてくれた。
楽しげに出かけていく沙織を見送った僕はスーツのクリーニングと日用品の買い物と、そして、沙織が来たことで必要になった僕の敷布団でも見に行こうと、準備をして部屋を出た。
空は高く五月晴れだった。
うーん、と天高く両手をつきだして伸びをひとつ。なんだか久しぶりに青空をまともに見た気がする。心なしか足取りも軽い。クリーニング屋でスーツを出して、駅から電車に乗って二つ先の駅にある家電量販店へ。
なんだか今日は街を行く人々や親子連れなんかに目が行く。うまく言えないけど、街全体が温かい雰囲気だった。
家電量販店で適当に敷布団を買って配送の手続きをして、少しだけ街をぶらついて、仕事用のワイシャツを何枚か買って帰路につく。
晩御飯は二人が作る「なにか」を食べる約束になっていたので、遅くならないように帰宅する。
アパートにつく頃にはちょうど西日が差し込むいい時間になっていた。
雫ちゃんの部屋の前につきチャイムを鳴らすと、ぱたぱたと駆けてくる足音が奥から聞こえてきた。
扉を開けたのは可愛らしいピンクのエプロンをつけた沙織だった。
「おっかえりー」
「おっ、やってるな。調子はどう?」
「ふふふ。まあまあかなー」
不敵な笑みを浮かべる沙織の後ろから、青白い顔の雫ちゃんが現れた。
「うわ、雫ちゃん、なんか、げっそりしてるけど……」
「光輔さぁん。大変だったんだから。ちょっと聞いてくださいよぉ」
涙目の雫ちゃんいわく、沙織には朝ごはん、昼ごはん、そして晩ごはんと三食作ってもらっていろんなバリエーションの料理を練習してもらおうと思ったらしいのだが、朝と昼は大失敗で、晩御飯はなんとか食べれるように頑張ったのだが、結局ほぼ雫ちゃんが作ることになった。……らしい。
「さやかちゃんたら、分量を聞かずに調味料をどばどば入れちゃうんですよ」
「いやー、あはは。そうだっけ?」
沙織は頭をかきながら目をそらす。
「大さじ一杯と言っているのに大盛りいっぱいとか入れるし、少々って言ってるのに力士が土俵に撒くくらいの大量の塩を投入するし」
「だって、そんな少しの量で味が変わるなんて信じられなくて……」
ペロリと舌を出す沙織の姿をみて、雫ちゃんが哀れになってきた。
「しかも、ちょっと目を離すと、使う必要のない調味料とかも勝手に入れてるんですよ」
「美味しいのを作ろうと思って。オリジナリティを出そうとしただけだもん。隠し味程度だよ」
料理初心者がオリジナリティを出そうとするな。
「お昼なんてペペロンチーノに味噌入れるんですよ……」
それはなんと言うか、沙織に代わってごめんなさいと言いたくなる。やっぱり雫ちゃんには荷が重かったか。なまじ、料理以外のことはセンスよくなんでもこなすから、自分ができないものがあるということに慣れていない。贅沢な悩みだ。
「ごめんね、雫ちゃん。こうなることは目に見えてたから、お詫びの意味も込めてビール買ってきたよ」
「うう、光輔さん。なんて気が利く人なの……」
「泣くなって。で、晩御飯はまともに食べれる代物なの?」
「ばっちりよ!」
雫ちゃんに訊いたのに、沙織がVサインで得意げに答える。
「君には聞いてないよ」
目を白黒させる沙織は無視して雫ちゃんを見る。
「八割わたしが作りましたから大丈夫です。ともかく、どうぞ入ってください」
雫ちゃんに促され部屋にお邪魔する。相変わらず可愛らしい部屋だ。キッチン道具も塩とか砂糖の容器も小洒落ている。そういえば学生時代、沙織が僕の部屋に入り浸っていた頃も、そうだったな。魚の形のスポンジとか、可愛い猫の鍋つかみとか、なんだか実用性よりもデザインを重視したものばかりを買い集めていたなぁ。
「で、何を作ったの?」
「
沙織が胸を張る。
「お、中華。いいじゃん」
「正確には回鍋肉のなりそこないですけど」
悔しそうに唇を噛んで雫ちゃんが言った。
「ま、まあ食べれるならいいじゃないか。この前の地獄みたいな味ではないんだろ?」
自分で聞いておいて、慰めになっているんだかなっていないんだかわからない。
「一応は……」
「雫さーん、そんなに深刻な顔しないで大丈夫だって。入ってるものは全部、食べられるものなんだから」
ひとり能天気な沙織がキッチンに立って大皿に回鍋肉を盛り付ける。
肉、キャベツ、ネギ。
「では、いただきまーす」
テーブルを囲んで大皿に箸を伸ばす。
「……どうですか?」
恐る恐る聞いてきたのは、沙織ではなく雫ちゃんの方だった。
その声を聞きながら口に含んだ回鍋肉を数回ほど咀嚼する。こちらも恐る恐るだ。
口のなかに肉の柔らかさと野菜の程よい歯応え、タレの甘味と香ばしさと、あと謎の酸味が広がった。
「ん、んん。んん? この酸味はなに?」
「さやかちゃんが隠し味とかって言って、勝手にお酢やらマスタードやらを入れたんで」
なぜか雫ちゃんが申し訳なさそうな顔で言う。悪いのは君じゃないぞ。
「どうだ。いけるでしょ」
雫ちゃんとは正反対に勝ち誇った顔で沙織が言った。だが、沙織の言う通り、なかなか悪くなかった。
「ま、まあ美味しいと思う。……けど、回鍋肉ではないね」
「オリジナル回鍋肉だから。てかそもそも本場中国の回鍋肉はキャベツ使わないし、激辛らしいよ。日本のやつ自体がアレンジ品なんだから、わたしが新たに改良を加えてもいいよね」
「自慢げに言うなよ。てか、なんとか食べれるようになったのは雫ちゃんのおかげだろ」
「えー、わたし頑張ったよ」
「そうね、さやかちゃんも一生懸命やってたよね。包丁の使い方なんかはセンスあると思います。あの……味付けが致命的なだけで」
沙織は雫ちゃんの言葉に、「でしょーっ」と上機嫌で胸を張っているが、味付けが致命的と言われてなぜ胸を張れるんだ。
「頑張って続けていけば、きっとうまくなるから大丈夫よ」
雫ちゃんが励ます。それもそうか。僕の世界の沙織は諦めたけれど、これにめげずに頑張り続ければ、彼女の料理はうまくなるかもしれない。
それが世界や宇宙にどういう影響を与えるのかはわからないけれど。
「継続は力なりと言うからな。まあ頑張ってみたら」
あまり強くはおすすめできないけれど。
「うまくなる前に死んじゃったりしてね」
さらっと放った沙織の言葉にドキッとした。まさか、なにかに気づいてしまっているのではないか。顔を覗く。沙織はいつも通りのすまし顔だった。ただの冗談だったのか。
「な、何を言ってんだよ。それより、明日は日曜日だけど、どこか出かけたい場所はないか」
話題をずらそうと試みると、沙織は嬉しそうに食いついてきた。
「わー。実は行ってみたいところがあったんだよね。三人で行こうよっ。どうせ雫さん彼氏もいないから暇でしょ」」
「さやかちゃん、ひどっ。グサッと来たよ今のは。でも、残念。わたしは明日出勤なんだ」
雫ちゃんが肩を落とす。
「えー残念。じゃあ光輔くんと二人で行くー」
「ごめんねさやかちゃん。また今度ね」
料理会もなんだかんだ上手くいったようだ。
食器洗いは僕がやった。途中で雫ちゃんも手伝いに来てくれて、うまい具合に二人になれたので、テレビを見ている沙織には気づかれないように声を潜めて訊いた。
「雫ちゃん。あいつに沙織のことはなにも言ってないよね?」
「あ、そういえばっ!」
「え!? なんか言っちゃったの?」
「あ、いや。逆です。お姉ちゃんのことは完全に忘れてました。さやかちゃんからも何もきかれなかったんで」
「……なんだ。そういうことか。よかったよ」
「でも、いつかは教えてあげてくださいね。ずっと隠しておくのもかわいそうです」
「いつかね」
曖昧に返事をした。正直、僕は悩んでいた。この世界を守るためには沙織には何も教えてはいけない。それはわかる。だけど、僕にとって沙織がすべてだったのだ。
漠然とした宇宙と言う存在よりも、目の前の沙織を救いたい。そんな風に心は思い始めていた。
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