Bye bye blackbird

 それから3年が経った。


 あの夜のことなどなかったかのようにそれからもアイリーンは少しずつ表情と言葉を取り戻していった。


 翠色の美しい瞳はそのままに、アイリーンは少しずつ幼い娘から女の姿形へ成長していった。


 時たま、ぼうっと心ここに在らずに見える時など、シルビアと焦る時もあったが、あの夜以降そういったことは一切起きなかった。


 それは平和で幸福とすら言える日々だった。


 そうして、あの凄惨な夜の存在すら忘れかけていたそんな時だった。


 部屋の前にシルビアが立っているのにアイルは気が付いた。そのかおは青白く血の気を失っているようだった。


「だ…旦那様………お嬢様………が………」


 異変を察知したアイルはアイリーンの部屋へと走った。


 開かれたままの扉から覗くと、そこにあったのは一面の山と積み上げられた剣だった。


 その一角に座しているのは、紛れもないアイリーンの姿。


 寝間着から伸びた乳白色の細長い手足と一面の金属的な銀色のコントラストは、酷くアンバランスな印象を受けた。


 何よりも少女のその口の端に浮かんだ笑みには凄まじく怖気おぞけを振るうものがあった。


 アイリーンはアイルの存在に気が付くと、剣を手にしたまま気安く声を掛けてきた。


「アイル!」


「アイ………リーン」


 アイリーンは翠色の眼をきらきらと輝かせて言った。


「私、ちゃんと神様になったの。剣を作るから、剣の神様だね」


 そして、まるですべての運命が図られたように、王城から手紙が来たのはそれからすぐのことだった。


 アイリーンを伴って来城するようにとのことだった。


 どこから話が漏洩ろうえいしたのか、真相は分からない。


 だが、そこには今後のアイリーンの処遇について示唆されていた。


 アイリーンを軍の他国侵略や魔物駆除のための兵器として扱うか、危険因子として処分するか。それを判断したいということ。断ればアイルもウッド家も命はないということがそこには語られていた。


 切迫していて余裕がないのか。政府には元より歯に衣を着せるつもりもないようだった。


 アイルは考えた末にアイリーンにこのことを打ち明けた。




「アイル、私、戦争に行きたい」


 まるでずっと考えていたことであったかのような話振りだった。


 そのことにアイルは少なからず衝撃を受けた。いつかの夜、語られた言葉が不吉にも思い起こされた。


「…そうもいってはいられない」


 アイルの親心が咄嗟に出させた拒否の言葉だった。


「……戦争では人と人が殺し合う。しかも危険因子とみなされたら殺されるかもしれないんだぞ」


「…どっちにしろ全員殺せば済むことでしょう?」


 アイルは驚いて、目を見開いた。


 アイリーンはそんなアイルの様子に首を傾げていた。


「…アイリーン!!」


 アイリーンはアイルの声に驚いたようだった。アイルはどうにか気持ちを落ち着けて句を継いだ。


「殺戮は何も生まない…そうだろう?」


「…だったら、人は何を生むために生きているの?」


 アイリーンの瞳に昏い影が落ちた。向こうの窓の外は一面の灰色の冬空だった。


「私は私を生き延びるために生きているだけ……それって…悪いことなの?」


 アイルは押し黙った。アイリーンの目の中にある、狂気に似た無垢の輝きに気圧される。


 なぜ、気が付かなかったのだろうか。


 どうして見ようとしなかったのか。


 アイリーンを生かしているものの昏く深いその存在に。


 それは復讐だった。


 家族を弑逆した魔物への。それを赦した世界の一切への。


 そう考えた途端に、臓腑に冷やりとした戦慄が忍び込んだ。アイリーンの目の中にいる自分は庇護者であることでようやく生かされているのではとすら思うほどに。


 アイリーンの手が自分の袖を掴んだ。


 見ると、アイリーンは不安そうにアイルを見上げていた。


「…アイル…私を怖がらないで……お願い……」


 アイリーンはほとんど泣きそうだった。


「わ、私ね……たぶん自分がどんなおぞましい存在かもわかってないんだ……薄々分かってるんだけどちゃんとわかってないんだと思う……だから私が間違ってしまうその時には……」


 アイリーンの手は震えていた。それは戦争よりも庇護者に見捨てられる方が遥かに恐ろしいという、アイリーンのその幼い歪さを物語っていた。


「私、アイルになら殺されてもいい」


 幾ばくかの沈黙があった。


「…部屋に戻りなさい」


 アイリーンはこちらの表情を伺うように俯いたあと、退室した。


 独り取り残された部屋で意を決したようにアイルの眼が閃いた。


「………あの子はただの幼い子供だ………話せば………わかってもらえるかもしれない……」




 そうして、未明にアイルは一人で王城へ赴いた。




 しかし、二度と帰ってくることはなかった。

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