Waiting for you

あげもち

慣れないコーヒー

 今日も、私は慣れないコーヒーを飲んでいた。


 バス停の目の前にある、系列のカフェで。


 カップに口をつけて、コーヒーを口に流す度、口がすぼまる。


 そして、バスがその停留所に止まる度、私は胸を踊らせた。


「あのバス…かな?」


 緑カラーの、至って普通のバス。


 私の記憶が確かなら、彼が乗っているのはあのバスのはずだ。


 バスの前の扉が開く。


 スーツ姿のサラリーマンや、制服に身を包んだ高校生がどっと流れ出す。


 その中には私と同じ高校に通う友達もいたけれど、彼の姿だけはなかった。


 私は小さくため息を吐く。

 そして、テーブルに突っ伏した。


 彼との出会いは、いつもと変わらない通学の朝だった。


 バスを降りて少し歩いたところで私は本を落としたことに気がついた。


 別に自分で買った本ならば、もう一冊買えばいいやで済むんだけども、その本だけはそうもいかない。


 なぜなら、その本は沙耶ちゃんにプレゼントしてもらった本なのだ。


 そんな大切な本を失くしてしまったという罪悪感と、情けなさ。


 後ろを振り返ってみるも、恐らく落としたであろうバスはもうそこにいなかった。


 私は大きくため息をついた。


「…私、バカだ…」


 学校に遅刻する訳にはいかない。だけど、私の足はそこから1歩も動かない。


 沙耶ちゃんにどんな顔で会えばいいのか、もし、失くしたことを言わなかったとして、私は平然を装えるのか。


 終始そんなことを考えていた。


 そんな時。


「あの…この本ってあなたのですか?」


 その声に、とっさに振り返る。


 少し身長が高くて、スラッとしていて、違う高校のブレザーを羽織った、男の人だった。


 その右手に、子猫がゴロゴロしているブックカバーがかかった本を持っていて。


 だから私はハッとした。


「あ、それ…」


 そのブックカバーは紛れもなく、沙耶ちゃんが作ってくれた、世界でひとつだけのものだから。


 驚きと感動、安心感。色んな感情が胸に広がる。


「そうですか、それは良かった」


 彼はニコリと笑い、本を渡すと、早足に私を追い越していく。


 私はとっさに振り返って、声を上げる。


「あの、待って…」


 だけど、彼は足を止めることはなかった。


 きっと、その耳に着けているイヤホンから流れている音楽が、私の声を妨害したんだろう。


 少しずつ遠くなっていく背中を、私はただ見つめることしか出来なかった。


 …。


「それは良かった。」


 その時から、私の頭にはその声と顔が離れない。


 勉強中も通学のバスも、お風呂に入っている時も、ふとした時に彼が出てくる。


 そして、その度に私を暖かくするこの熱を、恋と気づくまで、そう時間は要らなかった。


 顔を上げる。


 カップに残ったコーヒーを一気に流し込むと私は店を出た。


 カランと開いたドアから、ひんやりと冷たい空気が、ツーンと私の肌を刺す。


 はぁー、と両手に息を吐きかけて、私は歩き出した。


「…今日も、いなかったな…」


 ボソリと呟く。


 心のもやもやを具現化したような白い息は、ふわりと空気中に溶けて消えた。


 彼の通学路が変わったのか、それとも降りるバス停を変えたのか。


 たしかに彼の高校はカフェの前で降りるよりも、もうひとつ先で降りた方が近い。


 だけど、何となくあのバス停で待っていればまた彼に会えるような気がして…。


「…あ」


 前の方、ちょっと遠いけどあの後ろ姿…。


 少し身長が高くて、スラッとして、違う高校のブレザーを羽織った、その後ろ姿。


 胸がふわりと暖かくなる。


「ふふ…」


 私は思わず笑った。


 彼が着けているイヤホンから、今どんな音楽が流れているのだろう。


 だけど、きっとそのイヤホンに私の声は妨害されてしまうのだろう。


 だから私はこのバス停で明日も待っていようと思う。


 彼がイヤホンをつける前に、あの日言えなかった『ありがとう』を言うために。


 ここで、慣れないコーヒを飲みながら…ね。









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