Section.2 幕開け

(1)

 翌日、7月11日。

 私はいつも通り、みなとみらいの庁舎に登庁した。

「おはようございます」

 成山次官が私の執務室に入ってきた。毎朝の光景である。

「おはよう。今日は何か?」

「いいえ、いつもの報告以外は特に何もありません」

「いいことね。ありがとう」

 彼と短い会話を済ませた後、私は新聞に目を通した。

 特段、注目すべき記事もなければ、隣国の動向がつかめるような記事もない。


「長官、そろそろお時間ですよ」

 成山次官が再び執務室に入室してきたのは登庁してから1時間後であった。

「ありがとう。今日はどこだっけ?」

「はい、横須賀の海軍施設の視察ですね。イギリス海軍も入港していますよ。なんでも、最新鋭の潜水艦の調整のために横須賀に立ち寄ったとかで」

「そうなの。相変わらず詳しいわね」

「いえ、出身が出身ですから」

 成山次官は私より2つ年下の25歳である。出身地が横須賀であり、また19歳で軍務・治安部海上課に入った。一般的にいえば海軍に入隊したのである。護衛艦において記録員を務めており、その記録の正確さや艦内におけるフォローに対する評価が海上課において非常に高く、私が行政長官に就任した際、次官候補を探していた時に海上課長の左官十兵衛に推薦されたのである。

 庁舎を出て、その左官課長と成山次官と3人で横浜駅に向かった。

「電車で向かうとは、なかなか珍しいですね」

 左官課長が私に声をかける。

「そうですか?横浜市内は道が細くごちゃごちゃしてますから、私あまり好きではないんですよ。それに、電車で行けば30分で着きますから」

「でも、乗客などに声をかけられたりしないのですか?」

「声はかけられますよ。でも、私は別にアイドルでも何でもない。ただ単にこの行政区のトップであるというだけ。むしろ、そうやって声をかけてもらうのは私は好きですよ」

「そうですか」

 私のような考えのリーダーはやはり珍しいのだろうか?護衛もつけず一人で電車に乗るのがそんなに変であろうか?

 ホームで電車を待っている間、そんなことを考えていた。隣では海軍のトップと、元海軍の記録員が海軍トークに花を咲かせていた。


「こちらが諸外国の船舶の調整を請け負うドックになります」

 私たちは京急汐入駅で電車を降り、駅で待っていた海上課の車で横須賀基地に向かい、今は先日稼働し始めたドックの視察を行っていた。

「ほお、すごいですね」

 成山次官はふんふんと海上課の説明を聞きながら、うなずいている。

 はっきり言って、私には何の話をしているのか、またそれの何がすごいのかがさっぱりわからない。ただ一つわかることは、ここ横須賀に最新鋭の設備を導入することで、欧米諸国の軍とつながりを持つことができ、いざというときに援助をしてもらえるというメリットや、海上課にとっても新しい技術を学ぶ場になるということである。つまり、外交上有利になるということである。

「木原長官、いかがでしょうか?」

 海上課の係員が私に問いかけてくる。

―――そういわれても、ね。

 決して、話を聞いていないのではない。はっきり言って、あまりに内容が専門的過ぎてついていけないのである。

 相手も私がその手のど素人であることは重々承知だろう。それもあり、成山次官に一緒に来てもらったのである。専門的な部分は、彼に任せておいてよいと思っているからだ。私は正直な感想を述べればいいだろう。

「この手のことは全くの素人なので、正直ついていくので精一杯です。でも、ここが今後欧米各国の海軍の一助になる施設であり、また私たちにとっても最新技術に触れることができる非常に魅力的な場所であることはよく理解できました。専門的なことは、成山次官のほうがわかるでしょうから、彼が指摘した部分を今後改善していただければ問題ないと思います」

「わかりました。率直な感想をありがとうございました」

 ちょうど遅めのランチの時間であったこともあり、基地の食堂で昼食をとることとした。時間は14時を回っていた。

「横須賀の海軍カレー、やっぱりおいしいですね!」

 成山次官がおいしそうに食べている。

「懐かしい味なの?」

「ええ、私にとってはふるさとの味、そして古巣の味ですから。両方の意味で懐かしいです」


(2)

 新皇紀12年7月14日。

 私はきっと、この日付を忘れることはないだろう。この日から、事が大きく動き出すこととなったのだから。

 朝9時10分過ぎ。執務室の内線電話が鳴った。

「木原長官ですか?こちら軍務・治安部ですが」

「はい、そうです。何かありましたか?」

「川崎支所から先ほど連絡がありまして、管轄内の高校から、生徒と連絡が取れない状態になっているとのことで・・・」

「わざわざそれを本庁に連絡するっていうことは、その生徒に何かあったのですか?」

「その音信不通の生徒、越境通学者なんですよ。しかも、今回で3人目らしいですよ」

 越境通学者。川崎の学校には、多摩川を越えて神奈川の学校に通っている生徒がいる。私たちは、そのような生徒を越境通学者と呼称しているのだ。

「3人目?前の2人についての報告は私は受けていないけれど?」

「学校側もただ単に登校拒否とかその程度に考えていたようなのですが、3人立て続けとなると何か事件事故ではないかということで・・・」

「わかりました、とにかく一度そちらに伺います。宮下部長はいますか?」

「はい、部長にはお伝えしておきます」


 軍務・治安部は行政区の防衛と区域内の治安維持を担当する部署である。一般的にいえば軍と警察の役割を果たす部署である。今回の事案は、そのうちの警察の事案ということになる。

「木原長官。お呼び建てしてすいません」

「とんでもないです。私を呼ぶくらいですから、緊急事態なのですよね?」

「はい、詳しくはこちらで」

 私はフロアの奥にある応接室に通された。

「こちらが、例の事案の資料となります」

 机の上には、複数の資料が並べられていた。

 最初に読んだのは、今回の件の時系列報告書であった。その内容をまとめるとこうなる。

 今回通報するきっかけとなった生徒の失踪は7月12日であった。失踪した生徒の名前は高原寿美。鈴木町高校2年生の生徒である。彼女は東京の雑色駅近くに住む越境通学者だった。成績は優秀、友人も多く特に問題を起こすような生徒ではなかったのだが、この日彼女は連絡もなしに学校を欠席した。登校していないことを不審に思った担当教諭が自宅に連絡をかけるも留守番電話にすらならず、生徒本人の携帯電話も電源が切られている旨の案内音声が流れるのみであった。担当教諭はただちに校長に相談した。

 校長は、以前に2人の生徒が不登校状態になっている旨の報告は受けていた。その2人の生徒も越境通学者であったため、各担当教諭に連絡を取るよう指示を出したが、高原と同様の状態である旨の報告を受けた。この2人の生徒はもともと不登校気味であり、担当教諭はまた不登校状態になっているものと判断し、校長には報告したものの、そこまでこの事を重大事項ととらえていなかった。校長は越境通学者が、この2週間で3人連絡が取れなくなるのは異常事態と判断、最寄りの川崎警察署に通報することを決めた。

 翌13日に校長は直接川崎警察署にいき、今回の件を報告、対応してもらえないかと相談したが、警察署では越境者のことまでは捜査できないと通報を受理することを拒否した。その代わり、行政区の軍務・治安部に問い合わせたほうがいいのではないかという提案を提示、警察を通じて軍務・治安部に通報、校長自身も神奈川行政区川崎支所に出向き、今回の経緯を説明した。受理した川崎支所は判断を仰ぐため、みなとみらいの本庁に報告を上げた。

 次に見たのは失踪した生徒の情報であった。

 まず最初に失踪したのは3年生の永田清太。東京・蒲田から通っていた生徒である。不登校気味で友達も少なく、学内では比較的孤立するタイプであったという。問題行動があったわけではないが、無断欠席することはたびたびあった。登校しなくなったのは6月19日からで、自宅の電話は留守番電話になったため、担当教諭はその留守番電話に要件を残し、詳細が分かり次第学校に折り返し電話をするようお願いしたという。その後、両親や本人からの連絡はなく、現在に至っている。

 2番目に失踪したのは2年生の峰原奈々。東京・田園調布から通っていた生徒である。彼女も不登校気味であった。家は資産家で、その裕福な育ちが生徒たちから見れば疎ましく見えたのか、学内ではたびたびいじめにあっていたという。そのため、突然登校拒否状態になり、数日間欠席することもしばしばあったという。登校しなくなったのは6月25日からであった。ただし、彼女の場合両親から連絡があるため、今回のように無連絡で欠席することに担当教諭は疑問を抱いたが、自宅にかけても留守番電話になるだけで、苦しい状態にある生徒の両親に連絡を催促するようなことをするのは厳しいと考え、校長に報告はしたものの、そこまで重大な事案としては報告しなかった。そして3番目に高原寿美が7月12日から登校しなくなったのだ。

「どう、お考えになりますか?」

 宮下は私の判断を仰ごうとしていた。

「この資料を読んだだけでは何もわからない。何せ、自国で起きていることではないですので。だけど、本国に通っていた越境通学者の身に何かがあった可能性があるのであれば、向こうの政府に一度問い合わせてみる必要はあるかもしれませんね。一先ずは、外交部にこの件を伝えて、向こうの政府にこの生徒たちの生存確認ならびに通学ができる状況なのかどうかの通告をこちらにするよう指示しますね。それで、向こうの出方を待ちましょう」

「わかりました。外交部への報告はこちらから致します」

「よろしくおねがいいたします」


 執務室に戻った私は、外交部部長の早川博信に内線をかけ、今回の件について報告・依頼をした。

 早川は私が外交部部長を務めていた時に、渉外課の課長をしていた。

「厄介なことになりそうだね」

「ええ、向こうが過剰に反応をしてこなければいいのですが・・・」

「しかし、何があったのだろうな。川崎駅で向こうは検問をしているわけだし」

「おそらくですが、向こうの国内で何か動きがあったとしか。直接確認することができないのがもどかしいです」

 私は両親が突如政府に拘束されたときのことを思い出した。普通に会えた両親に、理由もわからず離れ離れにされる。言葉で言い表しようのない、怒りとも悲しみとも言えない複雑な感情が、猛烈にわいてくる。

 さよならも言えず、別れること。

 そう考えれば、兄の突然の死もそうだった。でも、両親に対する思いは何か違う。それは、もしかしたら両親はどこかで生きているのかもしれないという思い、そして、何をして生きているのか、元気で無事に暮らしているのかどうか、それを心配する思いがあるからかもしれない。

 人は、わずかな希望があるとそこにしがみつきたくなる。両親に対しても、もしかしたら会えるかもしれない、また話ができるかもしれないという望みがある。それがかえって、私を苦しめるときがあるのだ。

 この思いとの向き合い方は、いつになってもわからない。わかりたくもない。

 この生徒の両親はどう思っているのか。

 いや、そもそも両親は無事なのかもわからない。

―――行政長官として、私は何ができるのかな?

 そんなことを思いながら、私は関係各所からの報告が上がるのを待つこととした。

 この翌日、外交部は外交ルートを通じて日本中央政府に対し当該案件の対象者3名の生存確認ならびに通学できるかどうかの状況報告をするよう要請。向こうは要請を受理し、対応すると返答した。


(3)

 7月24日。

 もう、あれから1週間以上が過ぎた。

 今のところ、向こうからの返答もなく、以前生徒の行方はわからないままだ。

 学校側も、しつこいくらいの回数で当該生徒の自宅に電話や携帯に電話をしているが、一向につながらないという。教師たちも、当該生徒たちの身を案じ、落ち着かない様子だと報告が上がっている。

 私もいろいろと考えた。ただの家出、あるいは誘拐・・・。連絡が取れないところを考えると、家出とは考えにくい。いや、きっかけは家出かもしれない、家出をしている間に、何かの事件に巻き込まれ結果誘拐されたのかもしれない。

 ならば、政府に問い合わせたところで事実は明らかにならないだろうか?でも仮にそうだとしても、政府から現地の警察なりに依頼をするだろう。もし、自分が同じ立場ならそうしている。

 私もだんだん落ち着かなくなってきた。この1週間はとても長かった。

―――一回、外交部に問い合わせてみようか?

 そう思い、電話の受話器を取ろうとしたその時だった。

「木原長官!」

 勢いよくドアが開き、血相を変えた表情で飛び込んできたのは、成山次官だった。

「どうしたの?」

「例の事件について、進展がありました。悪いほうの、ですが」

「悪いほう?」

「今朝6時、丸子橋付近で若い男性の水死体が発見されたとのことです・・・。鈴木町高校の制服を着ていたことから、おそらく失踪した生徒の一人ではないかと・・・」

 何か確たる根拠があったわけでもない。いわば虫の知らせのようなものであったが、この時私ははっきりと、この事件が、ただの高校生の失踪事件では終わらないような非常にいやな予感がした。


 私は成山次官とともに川崎支部に急行した。外交部長の早川も一緒だ。

「すでに報告は受けているかと思いますが、一応。水死体が発見されたのは今朝6時です。場所は丸子橋付近。ちょうど散歩をしていた男性が、川面に何か浮いているのを発見、その場で消防に通報、数分後消防隊が到着し確認したところ、鈴木町高校の制服を着た男性の遺体であることを確認しました。現在、現場付近で身分証などを探しています。また、水没して壊れてはいますが、彼が所持していたと思われる携帯電話が発見されました。現在鑑識がデータの復元を試みています。幸い、携帯電話は防水性だったので復元は可能かと」

 川崎支所の職員が、遺体発見の状況を報告する。

「そうですか。それ以外に、遺体の状態とか、そういうことについて聞いてもいいですか」

「正確な死因は解剖待ちですが、溺死ではない可能性があります。遺体の腕には何かで縛られた跡がありました。また、腕などには傷がついており、何かに抵抗して着いた傷ではないかと」

「つまり、彼は本人の意思とは関係なく、拘束されていた可能性があると?」

「ええ、あくまで可能性ですが」

「そうなると、向こうで何か事件に巻き込まれた可能性があるということか」

 早川が発言する。

「それもわかりません。そもそもどこから流れてきたのかもわからないのですよ。どういう経緯でここまで流れてきたのか、とか」

「確かに、京急川崎駅で改札に入り、品川方面に向かったのは監視カメラの映像などで確認している。だけど、そのあと彼がどこに向かったのかは全く分かっていない。まずは、諸々捜査が進むのを待つしかない」

 私は今わかっている事実だけを受け入れようと心掛けた。こういう時こそ、推論で走りすぎてはだめだ。そう思ったからである。


 私たちは川崎支所の会議室の一室をかり、成山・早川・私の3人で今後の対応をどうするか協議した。

「まずは捜査が進むのを待つことになりますが、様々なケースを想定して今後の対応策を考えましょう。こちらの域内で事件が発生したのであれば、向こうの政府が生徒の遺体の引き渡しや域内での捜査を要求してくる可能性がある。逆に、向こうの域内で事件が起きたのであれば、こちらはどう対応すべきなのかも考えないといけない」

「後者だった場合で、かつ遺体が行方不明となった男子生徒だった場合、こちらが向こうで捜査をするのは極めて困難だと考えます。何せ、彼は向こうの人間。こちらの人間ではありませんから、こちらが捜査を行う理由がありません」

「そうだな、成山次官の言う通りだ。いずれのケースでも、彼の遺体引き渡しを向こうの政府が要求してくる可能性は大いにある。その場合、木原長官、どうする?」

「仮に遺体が失踪した男子生徒であり、かつ向こうで何か事件に巻き込まれたのであれば、向こうの政府に共同捜査を提案するのも一つの案。そうすれば、堂々と向こうの状況も探れる。未だ、2人の生徒の行方が分かっていないですから」

「なるほど、情報共有ってわけですね。生徒たちは住んでいるのが向こうだとしても、こちらの学校に通っていたいわばこちらの関係者、ってことになりますからね」

「しかし、どうだろうな、向こうはそれを受け入れるだろうか?」

「と、いいますと?」

「少し考えてみろ、こちらから当該生徒の情報を提供してくれと要請してからもう1週間がたつぞ。その間、一切の音沙汰なし。普通なら、高校のほうに連絡ありましたか、とか何かこちらでも動きがなかったか探るものだが、それがないのだぞ。何か思わないか?」

「一理あるとは思います」

「私たちは向こうの政府に対して一切の信用がない。独立した経緯なども考えればね。だから、どうしても向こうの政府が何かをしているのではないかという発想にとらわれがちなのは私も含めてみんなそう。だけど、ここはそういう考えを捨てて、一回冷静になる必要がある。私たちが付き合っている諸外国と同じように一回考えましょう」

 私は熱くなりそうな場の雰囲気を一回落ち着かせた。成山も早川も不信感丸出しで話をしすぎだと思ったからだ。

「木原は相変わらずだな。部長時代からそういうところはほんと変わっていない。尊敬するな」

「上に立つからこそ、ですよ。早川さん」

「でも言ってることは間違っていない。俺たちは少し冷静にならんとな。まだ、向こうが何かをしてきたという確証はないしな」

「ええ、そうでした。とにかく、今後どうするかですね」

「まずはまだ行方の分かっていない生徒2名の捜索を続行。これは何があっても変わらないな」

「いえ、仮に今日発見されたのが3名のうちの一人だと断定された場合、少し変わってきます。残り2人の命も危ない、という可能性が大きくなります。どういう状況で命を落としたのか、そこがまだはっきりしませんが」

「彼の死についての検証は重要ですね。まず、こちら側なのか否か。次に殺されたのか、そうではないのか。ここをはっきりさせることが大事」

「木原の言う通りだ。そこは、捜査を待つしかないな」

「そのあとは、どちらで亡くなったのか、それによって変わってきます。ただ、いずれの場合も向こうが遺体の引き渡しを要求してくる可能性は極めて高い。その対処法は外交部の早川さんにお任せしたいです」

「もちろん。木原はどう考えている?」

「私はすぐに引き渡すつもりはありません。向こうに引き渡してしまっては、残りの行方不明者への足がかりが得るのは困難になる。こちらで集められるだけの足掛かりをかき集める必要がある。そのためにも、引き渡しは先延ばしにしたいです」

「わかった、その線で外交部は動くとしよう」

「必要であれば、私の名前を使っていただいてもかまいません」

「助かるよ」

「私は成山次官とこちらに残って、捜査の進展を待ちます」

「そしたら、俺は一回本庁に戻るとする。何かあればすぐに頼むぞ」

「もちろんです」


 早川が抜けた後、すぐに川崎支所の職員が、部屋に入ってきた。

「今、よろしいですか?」

 私は室内に用意してもらっていたコーヒーをカップに注ごうとしていたところだった。

「かまいませんよ、何かありました?」

「一つ、相談がありまして・・・」

「相談、ですか」

「ええ」

 私は来た職員を席に座るよう促し、話を聞くとにした。

「先ほど、司法解剖の結果がでました。死因はやはり溺死ではなく出血死でした」

「出血死?」

 成山が驚きの声を上げる。

「そうなんです。亡くなってから、川に遺棄されたと考えられるとのことです。それから、奇妙な報告が上がりまして・・・」

「奇妙な報告って?」

「頭皮に最近つけられたと思われる傷が見つかったみたいなんです。それもこのあたり」

 そういって職員が自らの頭のてっぺんを差した。

「頭頂部ってこと?なんでそんなところに?ぶつけたとかではないの?」

「ええ、そうなんです。外科的手術を行った痕跡があると」

「外科的手術?脳をいじったってことですか?」

「まったくわかりません。ただ、解剖を行った法医学者は、普通脳の外科手術の際、こんなところからメスを入れることはまずないと言ってまして、より専門的な機関に依頼したほうがいいのではないか、と」

「そんな専門機関、うちにありますか??」

「ちょっと、その頭の傷、写真とかない?」

「ありますよ、こちらです」

 その写真を見た瞬間、私は見覚えがある、と思った。私は少し考えた。何か引っかかる。

「長官、どうしました?」

「なんか最近似たような話を・・・どこかで・・・」

 2人が私を不思議なものを見るかのような表情でのぞき込む。

「思い出した!この間読んだ科学雑誌だ!」

 思い出した私は手をたたきながら、大きな声で叫んだ。

「科学雑誌なんか読んでるのですか、長官」

「何か悪い?」

「あ、いえ、別にそういうわけでは・・・」

「その科学雑誌に匿名の寄稿があってね・・・」

 私は数日前に読んだ科学雑誌の寄稿の内容を説明した。

寄稿は匿名の脳外科医のものだった。最近自分の国内で、特定の遺伝子の発現を促すため特定の脳部位に電気的刺激を送り、特定のシナプスを刺激する新技術が発表された。その方法は寄稿の中で詳しく説明されていたが、私は専門分野ではなかったのでさすがに理解はできなかった。ただ、私が興味を持ったのがその匿名の科学者による意見だった。

―――人間の能力向上のため、秀才や天才と呼ばれる人物の遺伝子配列を解明し、該当する遺伝子を見つけ出す。ただし、遺伝子を持っていることで無条件で天才になるわけではない。その遺伝子がどのように発現するのか。そこが重要なのである。発現しない限り、その能力は発揮されないからである。その発現を人工的に行う技術が発表された。それ自体はすごいことだと思うが、この未熟な人間が多い現代においてそれを実用化するのは非常に危険だと私は警告したい。まさに、人工的に、理想的な完璧人間を量産できてしまうからである。生まれた子供に対し、理想的な遺伝子配列を植え付け、その上人工的に発現させることで、親が、そして社会が理想的だと考える人間を簡単に生産できてしまうのである。これは明らかに危険なことである。この技術が悪用された暁には、と考えると私は震えが止まらない。私は提言したい。この技術に対し使用のガイドラインを、国際的に作成することを。私は国内にこのことを提言したが、だれも聞き入れてくれなかった。私のこの提言を受け入れて、また賛同してくれる政治家・科学者が読者の中から現れることを心から願って、この寄稿を閉じたいと思う。

「そんな技術を持っている国があるのですか?驚きですね」

「ええ。で、その雑誌に載っていた写真に、この傷よく似ているのよ」

「なるほど・・・っで、どうするのですか?」

「私が読んでいる科学雑誌の発行元はフランスなのよ。問い合わせてみる価値はあると思う」

 私はその後すぐに本庁に戻り、外交部の早川にこのことを伝え、フランスの科学雑誌発行会社に問い合わせをした。その結果、寄稿の執筆者とは連絡が取れなかったが、この寄稿に書かれていた技術を理解しているオランダの病院チームに連絡を取り次いでくれた。

 さっそく私はそのオランダの病院に連絡を取り、頭部の傷の写真を送った。すると、驚きの返答が返ってきた。

―――この手術跡は、例の施術によるものである可能性が極めて高い。今から2人の医師を派遣し、検証に協力する。


(4)

 翌日。

 発見された遺体の身元が判明した。6月19日から行方不明となっていた鈴木町高校3年の永田清太であると判明した。見つかった身分証と、学校に残っていた本人が記入した試験の答案用紙に残っていた指紋と遺体の指紋が一致した2点から、本人と断定された。

 同時に、彼が所持していた携帯電話の復元作業も完了した。さらに、本人がたどった位置も、GPS機能から割り出すことに成功した。それによると、彼は6月19日夕方、学校から東京・蒲田の自宅に戻った。翌日、登校するために蒲田の自宅を出た後、京急蒲田駅前で京急線には乗らず、そのまま廃線となっている京浜東北線蒲田駅方面へ移動し、こちらの地図上では空き地となっている場所に移動していた。その場所に約2週間とどまっていたのが確認されている。そして、7月2日この空き地から今度は東雪谷まで移動、これまたこちらでは病院跡地となっている場所に移動、7月19日までここにとどまっていた。そして、19日午前1時ごろ、ここから多摩川方面へと移動、旧第三京浜多摩川橋付近で電源が落ちているのが確認された。おそらく、越境審査を受けずに越境しようとしたのだろう。

 現在、第三京浜は玉川インターチェンジから入る際越境審査が必要となっている。それをかいくぐるには、橋の下の配管などにつかまりながら渡る以外にない。付近の監視カメラを調べたところ、男性が一名、橋の水道管にしがみついているのが確認された。

「おそらく、途中で川に落ちたのでしょうね。この距離を徒歩ないしは走って移動して3日間。十分な食事をとれなかったことを考えると、体力は限界だったはず」

 成山次官は、この結果を見ながらそう言った。

「問題は、この空き地となっている2か所に何があるのかね。それを調べるのは・・・」

「外国の手を借りる以外ないですね。私たちだけでは人工衛星の画像を手には入れられませんから」

「外交部にコンタクトとって。せっかくなら、病院の件でも力を借りているEUに力を借りましょう」

「はい」

 成山次官は外交部と打ち合わせるため、部屋を出た。

 この結果から、こちら側で事件に巻き込まれた可能性はかなり低くなった。となると、今後どう対応するか、考えないといけない。

 向こう側でこの少年に対し何が起きたのか、こちらで知ることができるのはかなり限られている。今報告が上がっていることくらいが精いっぱいだろう。

―――諸外国に協力を仰ぐか?でも今回は自国民が巻き込まれたわけではない。そのような状況下で、諸外国が快く協力してくれるだろうか?

 考え方によってはほかの国で起きたことに「口出し」をすることに等しい。過剰な干渉は余計なトラブルも生む。慎重に行動することが求められる。

 どうしようか、と悩んでいた。

 今朝の朝刊に目を通す。昨日発見された遺体のニュースは身元不明の遺体が発見された、という形での報道をメディア各社に依頼した。そのため、記事は社会欄にあまり大きくない記事として載せられていた。一応、報道協定は守ってくれた形である。

 すると、内線電話が鳴った。おそらく外交部だろう。

 そう思いながら、電話を取った。予想通りである。

「先ほど、イギリスの大使館から連絡があり、例の地点の衛星写真を提供してくれました、データ、長官のパソコンにも送りますね」

 ほどなくしてデータが来た。旧蒲田駅前の空き地と、東雪谷の空き地の2枚の写真が送られてきた。

「イギリスのほうで解析も行っていただいたようで」

「ありがたいわね、で、なんといっていましたか?」

「おそらく、病院か何かの研究施設ではないかと」

「病院?」

「ええ。蒲田駅前はともかく、この東雪谷の土地はもともと病院だったそうです。で、その病院の画像と照合するとほぼ一致しているため、病院である可能性が高いと」

「蒲田駅前は?ここはもともと何があったの?」

「大学のキャンパスですね。病院ではなかったようです」

「大学のキャンパス・・・」

「その大学、研究していたのは生物学とか、そういうたぐいのものだったみたいですよ」

「理系の大学だったのね」

 だから、研究所の可能性が高い、か。私はそう考えた。

 研究所から病院へ移動。脳への外科手術の跡。そして、違法越境を試みた。

 彼の身にいったい何があったのか。もう少し情報が揃わないと確かなことは言えない。

「引き続き、業務にあたってください。あと、この件は川崎支所のほうにも連絡してください。迅速な報告、ありがとうございます」

「了解です」


 午後13時ごろ。成美からお昼一緒に食べよう、というメールがあったので、それにこたえ、庁舎の食堂でランチとすることにした。

「大変なことになったね」

 “豚骨ラーメンチャーハン餃子セット杏仁豆腐つき”という私からしてみればかなりのボリュームのご飯をパクパクと食べる成美は言った。

「そうね、自国で起きた案件ならまだしも、これは完全によそで起きたこと。どこまで介入すべきかは全く分からないわね。変に口出ししすぎたら、内政干渉だなんだといわれてしまうし」

 私はあまり食欲がなかったので、サンドイッチとコーヒーを頼んだ。卵サンドを食べながら、私はそう答えた。

「やっぱり、外国からの反応も気になるの?」

「なるわね。この国はまだ成立してから十何年しかたっていない。アメリカのように国際的にかなり強い立場なわけでもない。確かに、欧州諸国と強いコネクションは築けたけど、絶対のものではないし、今後の行動のとり方によっては向こうもどう出てくるかわからないし」

「やだね~。どうすれば向こうに強気に出られるの?」

「強気に出るって・・・あまり言い方が適切じゃないけど。でも、例えば自国民に対する脅威が予測できる事態になるとか、国際的に非難されるような行為が見受けられた場合にはそれなりに強い対応はとれるかもしれないね」

「ただの高校生の失踪じゃあね・・・」

「前者の場合なら、例えば自国民の高校生が同じように拉致された、とか。後者の場合なら、今回被害にあった高校生が非人道的な行為にあったとか。そういうことがはっきりすれば、諸外国の助力を得て向こうの政府に対し圧力をかけたり、ある程度の実力行使には出られると思うけどね」

 そんなことにならなければいいのに。私はそんなことを思いながらコーヒーを飲んだ。

「小乃美はどうなればいいと思うの?」

「どうなればいいって?」

 豚骨ラーメンを平らげ、チャーハンを食べながら成美が聞いてきた。

「どういう事態に進展すれば行動しやすいって思うの?」

「難しいことを聞いてくるわね。もうすでに1名がなくなっている時点でいいことが起きているとは言えないけれど・・・そうね、どうなればいいのかしらね」

「言いづらいか」

 確かに、私はどのような展開を望んでいるのだろうか?そういわれるとわからない。

 私も、ある意味では向こうの政府に家族を奪われた被害者の一人ではある。本音を言ってしまえば、今回亡くなった生徒が非人道的な行為に巻き込まれた証拠が集まり、こちらにそれが巻き込まれるような事態に発展し、向こうの政府に対し強い圧力をかけられる事態に発展すればいいと思っている。過去にやってきたこと(私の両親がさらわれたことも含まれるが)が国際社会から非難を浴びている現状においては、今回のことが向こうの政府を追及するきっかけとなればこちらから強く打って出ることは国際的にも責められにくいことになるだろう。ただ、そうなればいわば向こうの政府とは戦争状態に近いことになる。それをあえて、一国のトップが望むというのはどうなのだろうか、と私は思ってしまっていた。家族を取り戻したい、というのはあくまで自分の私的な目的であり、政治にそれを持ち込むのは正しいこととは思えない。

「あまり、思いつめないんだよ。思いつめると、普通なら見落とさないことも見落としてしまうよ」

 成美が、私が考えていたことがまるで分っているかのような言葉をかけてきた。

「周りの人の報告とか、注意深く聞かないと。小乃美あんまりそういう面人には見せないし、気を付けないと、ね」

 この子は本当に私のことをよくわかっている。びっくりするくらい。

「ありがとう。いざっていうときには相談するわ」

「もちろん、相談には乗るよ!」

 そう言いながら、杏仁豆腐を平らげた成美はうんうんとうなずきながらそう言った。

 しかし、なぜこの子はこんなに食べるのにスタイルを維持できるのか。しかも私より身長低いのに。

―――なぜこんなに食べられるのかな。どれだけ胃袋丈夫なのよ。

 そんなことを思いながら、私は成美のやさしさにほっとしながらコーヒーを飲みほした。


(5)

 7月26日。永田清太の遺体が発見されてから2日がたった。

 捜査のほうは依然進んでいない。何せ、足取りのほとんどが外国の地だからだ。

 しかし、奇妙なのは向こうの政府からのコンタクトが、これまでほとんどないことだった。

 もちろん、こちらからは外交ルートを通じて彼の遺体がこちら側で発見されたことは通告してある。しかし、了解した旨を伝えてきただけで、それ以外の通達はないのである。

「妙ですね、まるで見放したかのような対応。信じられない」

 成山次官は私の執務室で紅茶を飲みながらそう言った。

「そうね。共同捜査の申し込みや、遺体の引き渡しなどを求める通告もなし。何か妙ね」

「おかしいですよ。やっぱり向こうの政府連中は頭がおかしいんですよ。損得勘定しすぎです」

 彼がそういうのも無理はない。

 私たち行政区が独立を宣言した時もそうだった。中央政府はこちらの独立に対して何のリアクションも起こさなかった。もちろん、独立の承認も含めてだが。その理由は『干渉する必要を感じないから』と。独立の邪魔をするだけ時間の無駄であるとはっきり言ったのである。したければ勝手にしろ、だけどこちらはそれには一切干渉しない。それが向こうの言い分であった。何か、奇妙な人間味のない反応であった。

 そういう展開を望んだわけではないが、普通なら独立した自国家内の組織をつぶそうといろんなアクションを起こすはずだ。当然、私たちもそれに備えていろいろな準備をしてきた。だけど、向こうはそれを一切してこなかった。ある意味では、肩透かしを食らった気分だった。

「私たちとは違う価値観で行動する人や共同体もある。それは理解してあげないといけないわ。みんながみんな、同じ価値観を共有しているわけではない。それを求めてはいけない。常識から逸脱していなければ、だけど」

 朝のコーヒーを飲みながら、私はそういった。

「長官はそういうところほんと冷静ですね。自分なら、そんなこと言われたらこっちのことなめてるのか!って熱くなっちゃいますけどね」

 それが普通かもしれない。でも、怒ったところで、戦ったところでどうにもならないこともある。両親を失ったこと、そして兄を殺されたことで私はその事実を突きつけられた。だから、そう思うのかもしれない。

「あなたのように思うのが普通だと思うわよ」

 私は執務室の椅子に座り、今朝届いた各部署からの報告書にハンコをつき始めた。通常業務を行っている部署が大半だ。日常業務をこなしながら、イレギュラーにも対応する。それが長官の務めである。

「あ、そういえば11時ごろに欧州からの特別団が厚木にくるそうです。羽田からの入国を希望されたのですが、警備の都合上国境付近というのは怖いので、厚木に来てもらうようお願いしました」

「それが最善ね。横浜からは少し距離があるけれど、そのほうが安全だし」

「緊急事態につき、空港でのお出迎えは無用といわれたのですが、どうしますか?」

「向こうのご厚意でそういってくださっているのですから、横浜についてからでいいと思うわ」

「わかりました。こちらに到着するのは12時ごろと聞いています。その時、またこちらには来ますね」

「ありがとう、よろしく」


 お昼を過ぎたくらいから、みなとみらい周辺は天気が急変した。夏の日差しが遮られ、あたり一帯暗くなり始めたのだ。

―――あら、こんな時間から雷雨?

 確かに、天気予報では大気の状態が不安定なため、お昼前後に雷雨になるかもしれないと言っていた。

「特別団の飛行機、着陸が遅れるみたいです。厚木付近は土砂降りなんだとか」

「そうなの。じゃあ、到着も遅れるわね」

 成山次官と会話を交わす。

「では、到着を待つ間にお昼ご飯を食べてくるわ」

 私はひとまず、お昼ご飯を食べることにした。


 特別団の本庁到着が14時ごろになるという連絡の直後に、軍務・治安課から緊急電が入った。

 その内容は、港町の河川敷にて、女性の水死体を発見したという、嫌な内容だった。

―――最悪の事態ね。

 私は、外交部の早川と成山次官をすぐに呼び、川崎支所へ急行した。


「身元は学生証から行方不明となっていた高原寿美と断定されました。そして、先日遺体で発見された永田さんと同じ特徴があるのも共通です。2人は同様の事案に巻き込まれている可能性が濃厚ですね」

「ついに、2人目の被害者ですか」

 悔しそうな表情を浮かべながら、成山次官がつぶやく。

「木原、特別団の方には直接、ここに向かっていただくよう通達済みだ。到着はあと20分ほどらしい。直接、遺体を分析していただける。そこでいろいろと話を聞こうじゃないか」

「そうですね。すいません、遺体はすぐに近隣の大型病院に移送の上、適切な形で保管し、こちらから指示を出すまでは解剖など行わないようお願いいたします」

 私は支所の係員にそう指示を出した。

「わかりました、移送完了次第、病院名をお伝えします」


 14時半。私は川崎支所の近くにある大学病院の応接室にいた。

 つい10分ほど前、EUの特別団が到着をし、挨拶も早々に2人の遺体の調査を始めた。今はその調査を終わるのを待っている段階だ。

「何か、新しい事実が分かればいいのだが・・・」

 早川がつぶやく。

「それにしても、いったい向こうで何が起きているのでしょうか。彼らは何に巻き込まれたのか」

「仮に、私がみた記事の内容に酷似したことが隣国で起きているのだとすれば、由々しき事態。それをこちらが黙って見逃すわけには当然いかない。そうなった時のことも考えないといけないわね」

「しかし、こちらから何ができるのですか?」

「それを今考えているのよ。下手に干渉すれば内政干渉といわれ、外交問題になる」

「今回の事件がこちら側にとって大きな“脅威”となる可能性がある、という理由が示せればいいのですよね?」

「それができれば理想的だ。ただ、現段階ではそれはない。被害者は二人ともこちらに国籍を置いていない。自国民が被害にあっていない段階では、こちら側にとって“脅威”とは言えない。そこが今回の件の厄介なところだ」

「今回の事件は、相手の国の国民の遺体が、ただこちら側に流れてきた。現段階では、ただそれだけよ」

「すごく嫌ですね・・・」

「ただ、こちらの正義を振りかざして相手の国に干渉することは、ただの戦争行為。そんなことを私たちがしても、諸外国は協力はしてくれない。この小さな行政区が、中央政府に立ち向かうことは無謀以外何物でもない。そういうことはしたくないわね」

「じゃあ、相手がぼろを出すようなことをこちらから仕掛ければ?」

「そんなこと、これまでの歴史の中で散々列強諸国がやってきた手段だ。それをした結果、世界はどうなった?よくなったことはないぞ。そんなことをするのは最低の行為だ」

「ですよね・・・」

 そんな会話を交わしているうちに、病院のスタッフが入ってきた。

「木原長官、特別団の方がお呼びです。こちらまで来ていただいてもよろしいですか?」

「すぐ行きます」


 EUの特別団でこちらに来たのは、欧州の医師の精鋭2人だった。

 そのうちの一人、オランダの外科医アンダーソンが解剖の結果を通訳を介し報告してくれた。その報告は以下の内容だった。

 まず、最初に発見された永田と今回発見された高原の遺体、両方の同じところに同じような外科的手術跡があった。そして、それは通常の医療行為ではメスを入れない部位であるという。しかし、遺体の傷跡からは、どのような意図をもってそこにメスを入れたのかは判明しなかった。

 次に、両者の遺体の血液から微量ではあるが睡眠薬の成分が検出されたという。注射跡があることから、おそらく睡眠薬を直接血液中に注射された可能性が高いとのことだった。 

 そして、両者ともに腕には縛られた跡があり、何らかの理由で腕を縛られていたことは確実だという。

 最後に、私が科学雑誌で見た手術跡と、今回遺体から発見された手術跡は酷似しているという。決定づける物的証拠が何も出ていないので断定はできないが、通常の医療行為ではメスを入れないことから寄稿に書かれていた実験が行われた可能性は高いだろうという意見を述べていた。

「もし、本当にあのような実験が行われたのだとすれば、それは国際的な脅威です。倫理上、行うべきではないことだ」

 アンダーソンは最後にそう言った。

「そうですか」

 私はそう言葉を返す以外何も言えなかった。

「これから、本格的に解剖を行って各種データを取ります。それから、細かく分析してみましょう。幸い、ここには最新鋭の機器が揃っている。最善を尽くします」

 深々と頭を下げ、彼は戻っていった。


「これから、どうしますか?」

「連続して2人の生徒の遺体が見つかっている。鈴木町高校には、越境通学している生徒を東京側には返さないようお願いしましょう。今はそれしかできない」

「それすらも、本当は厳しいがな。他国民を違法にこちらに拘束していると向こうに思われても仕方がない」

「ええ、ただ、生徒たちの安全を確保するためにも、今はそれしかできません」

「わかった」

「それから、川崎支所にこの事件の捜査本部を長官直轄で設置してください」

「わかりました、すぐに対応します」

 成山次官と早川はそれぞれ対応を行うため、応接室から出た。

 この日は、これ以上大きな動きはなかった。


(6)

 7月28日。

 この前日、私は見えない向こうの状況を知りたいと思い、越境通学している生徒に聞き取り調査を実施するよう捜査本部に指示をした。こちらから向こうの様子を探れない以上、こちらに来ている人間に聞けば、何かわかるのではないかと思ったからだ。

 越境通学している生徒は、現状鈴木町高校全体で32名いた。

 今、私は学校の応接室にいる。聞き取り調査に立ち会うためだ。

 捜査官が、越境通学している生徒に質問を投げかける。

「些細なことでも構わない。何か、向こうで今までとは違ったことが起きていたら教えてほしいんだ。どうだろう、何かないかな?」

「変わったことといわれましても・・・私は特に・・・」

 今聞き取りをしている生徒は池上から通っている女子生徒だ。

「例えば、ご近所で見慣れない人がいたとか、見慣れない車が通っていたとか・・・」

 その言葉を投げかけられたとき、一瞬目が泳いだのが私は気になった。しかし、すぐにその目の泳ぎはなくなり「いいえ、私の周りではとくに」と答えた。

 別の生徒にも、同じ質問を投げかけた。そして、同じような目の動きをする。しかしみな返答は同じだった。

「なかなか、有力な情報は得られなさそうですね」

 成山次官が私に声をかけてきた。

「そうね、ただ、何も知らないわけでもなさそうだったわね」

「というと?」

「みんな、目が泳ぐ瞬間があるのよ。だけど、知らないって答えるの。でも、核心に迫るようなことではないけど、何か違和感を感じていることは事実かもしれないわ。それをうまく引き出せないかしら」

 なるほど、という表情をしながら成山次官が聞く。

「そうだ、木原が聞いてみたらどうだ?身分を明かして」

 早川が私に提案をする。

「それはどうしてですか?早川さん」

「木原が行政長官でそれなりに力のある人間だと思えば、何か話すかもしれない。今聞き取りをしている捜査官より、頼りになりそうだし、仮に口止めされているようなことでももしかしたら話してくれるかもしれない」

「力を持っている人間に話したほうが得策と考え、何かを話してくれるかもしれない、ということですね?」

「なるほど。私が長官であることを明かしたほうが、むしろ得策なのかもしれないと?」

「ああ、そうだ」

「やってみましょうよ、長官」


 早川の提案を受け、私は先ほどの池上から通っている女子生徒と、応接室で一対一で話を聞くことにした。

「はじめまして。知っているかわからないけど、私はこちらの政府の行政長官をやっている木原小乃美といいます。いわば、ここ神奈川のトップです。何か困っていることとか、さっき言いづらかったこととかで私が力になれることがあれば、話してくれないかな?もちろん、秘密は必ず守るわ」

 女子生徒は井原と名乗った。私が最初にそう切り出した時、彼女は少しうつむき加減にしていた。

「そうだ、少し私の話をしましょうか。私の家族に起きた話をね」

 何を思ったのか、今でも私にはわからない。だけど、直感的に、私はこの子に自分の両親や兄に起きたことを話すことで何か話してくれるのではないか、と思い私の家族に起きた話をした。両親が突然理由もわからず逮捕され、今でも中央政府に拘束されその生死すら定かではないということ、兄が目の前で警察の銃弾に倒れ、突然永遠の別れになったこと。そして、私が今中央政府に対して抱いている思い。行政長官として、なすべきと思っていること。行政長官として、そんなことを話すことが果たして正しいのかわからなかったけど、私の本能のようなものがそうしろと強く命じていた気がした。

「木原さんの家族が、そんな目にあっていたのですか・・・」

 井原は、少し意外そうな顔をしていた。

「驚いたの?」

「正直、驚きました。こうして、国のトップに立っている人が、そんなつらい思いをしていたなんて、想像だにしていませんでした。なんか、勝手なイメージですけど、権力が欲しいがためにトップまで登り詰めたようなイメージがあって・・・」

「確かに、そういうトップがいることは否定しない。だけど、私はそうじゃない。私のようなつらい思いをする人を一人でも減らしたい。そういう人が今後生まれないように、私はトップに立って、人々を守らなければならない。そう思って、私は行政長官という仕事をしているわ」

「そうですか・・・」

 また、井原はうつむき加減になった。

 しばらく、沈黙の時間が流れる。

「・・・あの、聞いてくれますか?」

 沈黙を破ったのは、井原のほうだった。

「ええ、何かしら?」

「・・・実は、私の両親、今行方不明なんです」

 顔を上げた彼女の眼には、涙が溜まっていた。

「家に帰ったら、『少し出かけてきます。帰りが遅くなるかもしれないけど、待っててね。あと、私たちが出かけていることは決して口外しないでね』という置手紙があって・・・。でも、一向に帰ってこないんです。連絡もつかなくて・・・」

「それはいつからなの?」

「3日くらい前です。でも、口外するなって書いてあるから、学校の先生にも言えなくて・・・私の両親にも、何かあったのでしょうか?」

 すがるような表情で私のことを見つめてきた。胸が苦しくなる。

「今すぐには答えられない。だけど、何があったのか、調べることはできる。必ず、何があったのかは明らかにするわ。だから、今は私たちに力を貸してくれないかしら?」

「・・・はい、お願いいします!」

「ありがとう。私は席を外すけど、これからあなたの話を聞く人も、私と同じ行政区の人よ。私と同じく、秘密は守るし、あなたに身の危険が及ぶようなことはしない。そこは、私が約束する。だから、話してくれるね?」

 こくりと、彼女はうなずいた。


 私が話を聞いた後、彼女は1時間ほど話をしたという。誰にも相談できない苦しみ、それを一気に発散させるかの如く話していたという。

 どれだけ、それが苦しいことか。私は政府から口止めされていたわけではないが、やはり理解してくれる知人はそういなかった。そういったなかで、兄が殺された直後、この行政区の独立運動をしていた岡本かずきの存在は大きかった。彼は兄と親しかったこともあり、私の悲しみに寄り添ってくれた。それだけで当時の私はとてもうれしかった。

「話、聞けました」

 私の後、井原の話を聞いていた捜査官が私のところに来た。

「ありがとう、どうだった?」

「ええ、7月25日夕方から、彼女の両親は置手紙を残して行方不明となっていたようです。政府から口止めをされ、だれにも相談できなかったとも言っていましたね。両親がいなくなった後から、電車に乗る際や家の玄関口で誰かの視線を感じるようになったそうです。ただ、それが本当に見張られていたのかただの錯覚かどうかは定かではないようです。ご近所の方との交流はもともと少なかったため、近隣から何か言われるとか、そういうことはなかったようです」

「ただただ、孤独で過ごすか。自分には想像できないな」

 早川がつぶやく。

「それと、越境通学者の中に、極端に口を閉ざすようになった生徒もいたと話していました。今順番に聞き取りをしていますが、全員が同じ状況にある可能性もありますね」

「彼女の両親の職業とか、そういうのは聞けました?」

「はい、彼女の父親は大手商社の営業マンですね。主に中国を相手にしていたようです。社内での成績も上々で、近いうちに昇進すると話していたようです。会社名までは覚えていないようです。母親は保育士だったようです。兄弟はいないみたいですね」

「そうですか。引き続き、お願いしますね」

「はい、わかりました」

 そこへ、成山次官が戻ってきた。

「長官、ホテルの手配できました。駅前のビジネスホテル1棟、政府のほうで借り上げる形で対応しました。捜査員、つけておきますか?」

「ご苦労様、一応お願いね。あと、川崎駅の警備は厳重に。お願いね」

「了解いたしました」

「こちらで保護するのか?」

 早川が尋ねてきた。

「ええ、帰宅したくない生徒が多くいるとのことで、高校側からの要請を受ける形で対応しました」

「そうか、やはり、大なり小なり脅威を感じている生徒が多いというわけだな」


 この日は、32名いる生徒のうち、半数にあたる16名の生徒の聞き取りが終わった。

 うち、井原のように両親が行方不明である生徒は10名。残り6名はそういったことはないと回答したという。

 10名の生徒の両親は、いずれも共働き。ただし、職業はばらばらだった。共通点といえば、一流企業に勤めていて、それなりの地位にいるという点。行方不明になったのは1週間前からだった。日付はばらばらであるものの、ここ最近で行方をくらませていることも共通点として挙げられよう。

 今回死亡した高原の話も出てきた。彼女の両親も彼女自身が欠席するようになった1週間くらい前から、両親が帰ってきていないような発言があったという。直接そう言っていたわけではないが、自分で夕飯を用意したという発言から、おそらくそうではないかという推測だ。

「なぜ、両親がさらわれたのか、そこがポイントになりそうですね。ただ、皆公務員ではない。なぜでしょうか?」

 成山次官が報告書を読みながら、状況を整理する。

「わからないわね。でも、まだ全員の聞き取りが終わったわけじゃない。これから聞き取りをする生徒から、新しい情報があるかもしれない。それから検討しても遅くはないと思うわ」

「ですね。とにかく、今こちら側にいる生徒の安全はこちらで確保できる状況は作り出せましたからね。それだけでも、一歩前進といったところでしょうか?」

「ええ、そうね」


 翌日。残りの生徒への聞き取り調査を行ったが、新しい情報は得られなかった。両親が行方不明になっている生徒が一定数いることが分かったことが判明した程度だった。

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『拝啓、新世界より』 Dear Sir, From the New World 柊木まもる @Mamoru_Hiragi

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