Section.1 私の生きる世界

(1)

 『今、あなたが生きている世界は幸せな世界ですか?』

 この問いに対して、あなたはどう答えるだろうか?

 何を基準にして幸せを計るのか。その基準は三者三様だろう。ある者は経済的に豊かであるか否か、ある者は家族が元気に過ごしているか否か、ある者は友人が多いのか否か、ある者は戦争状態の下で暮らしているのか否か。

 では、仮に戦争状態の下にあるか否かの尺度で考えるとしよう。

 戦争のない平和な世界に生きているから幸せである。そうじゃなければ不幸である。

 果たしてそうだろうか?

 戦争は利害の衝突によって発生するのが一般的である。それは、歴史からうかがい知ることができる。

 ある戦争においては、戦争の発生によって急速に経済的に豊かになった国も存在する。つまり、戦争が起きたことで経済的に豊かになったのである。

 では、それを踏まえたうえでもう一度、戦争のない平和な世界に生きていることが幸せなのか否かを再考してみよう。

 ・・・答えが変わった人はいないだろうか?

 別の視点から考えてみよう。平和とは何か?一般的にそれは争いごとのない、皆が仲良くしていることを指す。では、その反対は?答えは争いごとで皆の仲が悪いこと、と定義することが可能である。

 つまり、平和は争いごと(ここではそれを戦争としよう)がある、の反対の意味であると考えられる。ということは、戦争を知らなければ平和の意味は分からないのである。

 人間同士が争い、血を流し、多くのものが死んでいく。そういう状態があるからこそ、その対義語として平和という言葉が意味を持ってくるのである。

 平和は、多くの者の犠牲の上に成り立っている。多くのものが犠牲にならないと、平和は訪れないのである。では、その上に成立している平和な世界で生きることは、果たして真の幸せなのであろうか。

 私は、何の迷いもなくはいとは答えられない。


 私は今でも忘れることができない。

 旧暦2009年。当時私は14歳だった。父は生物学者で大学の研究機関にいた。人の体細胞から移植で使える臓器を作る研究をしていた。母はピアニストだった。

 そんな両親が、日本政府により拘束された。罪状は不明。突如、両親が私の目の前から消えたのである。

 それまではごく普通の、いや、経済的には非常に恵まれた、いわゆる幸せな家庭だった。しかし、両親の失踪によりその幸せな家庭は瓦解した。

 兄は当時起きていた反政府運動に加担した。私自身はというと、当時中学生。兄と一緒に反政府運動に参加しようとは思っていなかった。何か思想的な主張もない。ただ単に、両親を返してくれればそれでよかった。

 転機となったのは、その反政府運動に参加していた兄が、日本政府軍に銃殺された時だった。

 運動を抑えようとしていた警察が、反政府運動参加者たちに無差別発砲をし、それが兄に直撃したのである。

「俺は絶対に今の政府を許さない。何の理由もなしに、俺たちの家族をめちゃくちゃにしてくれた。お前が、幸せに暮らせる日本を俺は絶対に取り戻す!」

 兄は常々そう言っていた。そのために、反政府運動に参加していた。

 参加者から兄が殺されたという一報を受け、私は遺体が安置されている体育館に急行した。

 朝は普通にいきていた兄が、今、目の前で死んでいた。

 遺体がどんな状態だったのかははっきりとは覚えていない。思い出そうとしても、モザイクがかかるように、思い出せない。ただ、目の前で兄が死体となって安置されていることだけははっきりと分かった。

 悲しみとか、そういう感情よりも、憎悪の感情のほうが強かった。なぜ、私から家族を奪っていくのか。両親をさらい、兄を殺した政府のことが許せなかった。

 ―――こんな国の国民になんて、死んでもなるか。


 そんな思いを抱いて、13年がたった。私は今、神奈川行政区の行政長官となった。

 あの日から、日本は分裂した。その分裂した小国家のトップにいる。

「長官」

 成山武人行政次官。私の直属の部下である。彼が、私に声をかけてきた。

 新皇紀12年7月10日。みなとみらいにある神奈川行政区庁舎の長官室に登庁して15分後のことである

「おはようございます、なんでしょうか?」

「外交部部長早川から、報告書です。」

「先日依頼した件かしら?ありがとう」

 彼から外交部からの報告書を受け取った。内容は、中央政府の動向に関するものだった。

―――現状、こちらからわかる中央政府の動向に変化なし。内部的な状況は不明。引き続き調査に当たる。

「これだけ?」

「はい、今のところは。木原長官には、偵察を行うよう進言してほしいと伝えるよう要請されましたが、どうしますか?」

「少し考えるわ。」

 この小さな日本列島に、国がいくつもあるのが、今の日本である。

 独立した行政区は、北から札幌・仙台・横浜・名古屋・京都・大阪・福岡の7つの都市を中心とする行政区である。それ以外は、中央政府の管轄下にある。中央政府の管轄下にある都市では、今何が起きているのか、それを直接確かめることはできない状態にある。何せ、別国家だからだ。

「多摩川から向こうにある国の状況がわからないなんて、想像もしなかったわね。」

「まさに。誰も想像しなかったでしょう。しかも、東京がそんなことになるなんて。」

「仕方ないじゃない。東京は完全に中央政府のコントロール下におかれ、関東にある反政府組織は次の大都市横浜に拠点を構えるほかなかった。」

「でも、ある意味神奈川でよかったと私は思いますが」

「どうして?」

「陸海空それぞれの拠点を抑えることができました。アメリカが在日米軍の基地を、その設備を残したままこちらに譲ってくれたのですから」

 神奈川行政区は、7つの行政区の中で唯一独自の軍を持つ。なぜなら、神奈川には在日米軍が持っていた多くの軍事施設があったからである。陸軍が使用していたキャンプ座間、空軍が使用していた厚木飛行場、海軍が持っていた横須賀基地。それ以外にも多くの軍事施設が神奈川には存在していた。その前は基地の返還運動やら米軍の存在を疎ましく思っていた人もいたが、独立後は反対に大きなプラス要因となっていた。

「そうね。不幸中の幸いというべきか、運がよかったというべきか。偶然って怖いわね」

「長官、あと30分で全体会議の時間です。」

「わかってるわ」


 午前9時。各部長陣が集まる全体会議が始まった。

 軍務・治安部長の宮下から設備増強に関する報告、広報部長から官報発行に関する報告があった。

「宮下さん、設備増強はいいけど、その目的や意図は何ですか?」

 軍制服組のトップである宮下がそのきびきびとした動きで起立し、私の問いに答える。

「は、軍としては東京湾に出入りする諸外国の船舶を中央政府から保護し、安全に横須賀・横浜本牧の各港に入港できるよう軍備の増強をしたくお願いいたします。」

「以前、東京湾とは反対にある葉山や三浦半島の先端にある三崎、もしくは太平洋に面している平塚や真鶴に新たに港湾を設けるという案があったけど、それはどうなったのです?」

 この問いには政策立案調査部長の竹田が答えた。

「それらの場所は港湾を設置するための用地が狭いことやそもそも港湾を設置するのに不向きであると判断され、建設を断念いたしました。東京湾内でないので設置できれば非常に安全なのですが、岩地だったり、狭かったり、砂浜だったりといろいろ厳しくて・・・。小田原は横浜からは少々離れていますので拠点とするには難があるかと・・・」

「なるほど、そういうことね」


 午前9時45分。重要な議題もないこともあり、全体会議は終わった。

 会議終了後、声をかけてきた人がいた。広報部長の三浦成美である。彼女は私の入省以来の数少ない友人である。

「小乃美、今日お昼一緒に食べない?昨日さぁ、おいしいおしゃれなカフェ見つけたのよ~」

「いいわ、せっかくだし、たまには庁内の食堂以外のご飯でも食べようかしら」

「どうせ、家帰ってもろくなもの食べてないんでしょ?」

「成美にはわかっちゃうか・・・。ま、家族もいないし、そもそも私少食だから」

「だめだよ、コーヒーとシリアルばっかりは!少食なんだからこそ、いいモノ食べないと!」

「気を付けるわ、ありがとう」

「じゃあ、またあとでね~」


(2)

 私が行政長官に就任したのは今から約3年前の新皇紀9年4月である。行政長官は選挙制で、私が当選した年から任期は5年とされた。

 反政府運動が実を結び、新皇紀元年1月に横浜を中心に、旧神奈川県を支配する新国家神奈川行政区が誕生した。ほかの行政区も同じ日付で独立を宣言、成立している。

 当時私はまだ14歳だったが、運動の中心メンバーであった岡本かずきが私のことをスカウトしてくれ、入省することとなったのである。入省最初の配属は外交部情報記録課であった。理由は私が英語を得意としていたことらしい。当時、神奈川行政区は独立国家として国際的に承認を得られるよう岡本を中心に各国に働きかけている最中であった。各行政区は単位が小さいこと、また中央政府打倒という同じ目的を志していたことから、連合国家としての体を取ることとし、諸外国との外交上の代表として、軍事力も有する神奈川行政区が代表を務めることとなったという背景がある。その諸外国とのやりとりを記録し、保存するのが最初の仕事だった。

 各国は当初行政区の連合国家をなかなか国家としてみなしてくれなかった。それもそのはずである。ある意味では、ただ単に反政府組織が勝手に独立しただけであり、また日本全土を支配しているわけではない。しかし、その後中央政府が私の両親を含む多くの国民を理由なしに拘束していたこと、未だその国民が解放されておらず、中央政府もその事実を隠していることが広報部の働きにより国際的に明るみにされ、諸外国の態度が変化した。新皇紀2年4月に行政区連合国家は日本の新しい国家として容認され、国連への加盟も果たしたのである。

 私はその過程を記録員として見てきたこともあり、そのキャリアを買われ、翌年4月に外交部渉外課に異動、外交関係継続に尽力した。担当したのは欧州各国とロシアであった。その仕事をしていくうちに、一度欧州で法制度を学びたいと思い、フランスの在外公館に異動する形で新皇紀6年4月パリに留学することとなった。

 パリでは多くのことを学んだ。自由とは何か、民主主義とは何か。それらが成立する歴史を、その歴史の舞台の一部となった土地で学んだことは大きな刺激となった。正直言って、自由を勝ち取るのに多くの血が流れたことを私はまったく認識していなかった。最初から当たり前に与えられていたものであり、それがあることが当然のことと思っていたからである。でも、それはどんでもない間違いであった。今の形になるまでに、多くの人の犠牲があり、そのおかげで今の私たちがいることを思い知らされた。

―――そんなことも知らずに、私はこれまで生きてきたのか。

 新皇紀8年4月。フランスから帰国後外交部渉外課課長に着任、6月には外交部長に着任した。帰国してから見える景色はまったく違った。

―――自分は今、こうして街にいる人たちの自由を、生活を守るべき立場にある人間であり、長い時間をかけ多くの犠牲のもとに成立している今の世界を、守らなければならない立場にいるんだ・・・!

 そう思うと、自然とやりたいことが見えてきた。

 私はそれまで、失った家族を取り戻すためだけに、この行政区で仕事をし、その糸口をつかみたい。その思いだけで仕事をしてきた。でも、過去の歴史を学ぶ中で、そういった私怨を越えて、自分のような思いをする人を、将来一人でも減らそうと努力してきた人々が存在し、そうした人たちの犠牲のもとにこの世界が成り立っていることをしってからは、行政区での仕事に対する思いも大きく変化した。

―――私は、先頭に立って将来への貢献をしたい

 その思いから、行政長官選挙に立候補した。そして、多くの人が私のことを応援してくれ、翌年には行政区のトップに立つことになった。


「小乃美、何怖い顔してるの?」

 成美から声をかけられた。

「いや、別に怖い顔してるつもりは・・・」

「これだから・・・。小乃美は少しまじめすぎるよ。オフの時はしっかりオフにならないと、もたないよ」

「でも私行政長官だからさ、常に構えてないと。今はある意味常に戦時状態。いつ中央政府が私たちを攻めてくるかわからないのよ?そんな状態で私がオフになるわけいかないでしょ」

「その責任感は立派だと思うけど、人間には限度があるの。常に緊張していたら、いつか持たなくなるよ。休むことも大事大事」

 私は決してまじめな人間だとは思わない。まじめじゃないからこそ、責任ある仕事を背負っている間は、気を抜いてはいけない。そう思って生きている。ただ、そういう姿勢が、第三者からはまじめな人間に見えるのだろう。

―――長官、ちょっと怖いですよ

 省内で私がよく言われる言葉だ。自分に対し厳しく律している面が、外に出てしまっているのだろう。その時点で、私はまだまだだなと思う。相手にはそうしているように見えなくても、自分の中ではきちんと自分を律することができている。それが私の理想とするリーダー像だからだ。

「おまたせしました。本日のランチ『デミグラスオムライス』です」

 店員が、注文した料理を持ってきてくれた。デミグラスソースのおいしい香りが、私の鼻をかすめた。

「きた~!この店の名物料理!小乃美も好きでしょ?」

「ええ、そうよ」

「じゃあ、いっただっきまーす!」

 私もオムライスを口に含む。おいしい、と思うと同時に、なつかしいと思う味だった。昔、よく母が作ってくれた料理。

「おいしいわね」

 そういうと同時に、私の目には涙が浮かんだ。

「小乃美・・・?」

 成美が心配そうに私の顔を見る。

「大丈夫よ、ちょっと昔のことを思い出してね・・・家族のことをね」

「そっか。おいしいなら、よかった。小乃美をつれてきて、よかったよ」

 成美は私の家族に何があったのかを知る数少ない友人である。きっと、私に気を使ってくれたのだろう、その言葉だけで私の反応を受け止めてくれた。

 そんな成美の対応にまた、私は感謝した。


 夜、私は高島にある自宅に帰った。ベランダからは、横浜ベイブリッジが見える。

―――兄さん、今日も私はあなたが命を落としてまで作ってくれたこの国を、無事に守れましたよ。明日もまた、こうして兄さんに笑顔で報告できるといいな

 兄の位牌の前で、今日も長官として、妹としての定時報告を行った。

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