『拝啓、新世界より』 Dear Sir, From the New World

柊木まもる

Prologue

 川崎にある県立鈴木町高校。京急大師線鈴木町駅から歩いてすぐのところにある、普通制の県立高校である。

 2年生の亜由美はB組に所属する文系の学生だ。お昼休みになり、友人たちとともに昼食をとるために食堂へと向かった。

「ねえねえ広美、昨日のドラマ見た?」

 友人の一人が答える。

「みたみた、あの医療ドラマでしょ。あんな医者いるのかね?」

「そもそもあんな教授先生がいるのか、って話よ。正義感あふれる先生とそんなことに意も解さない院長の息子教授先生が対立するなんて、そんなこと自体現実味がなさすぎるわよ。」

「でもさ」別の友人可奈子が答える。

「そういうわかりやすい構図を作ったほうが大衆受けは絶対いいわよ、だからそういう仮想の設定を作るわけだし」

「もう、可奈子はリアリストね。友達減るよ」

「いいの、私別にクラスみんなと仲良くしようなんてこれっぽっちも思ってないから」

 笑いながら可奈子は答える。

「いいな、みんなのところはドラマ見れて。私見れないから」

 また別の友人、寿美が答える。

「寿美ちゃんのとこは見れないからね。今度、うちに来てみる?」

「そんなことしたらあたしどうなるのか」

 少しおびえているように亜由美には見えた。

「そうね、寿美にとってはそうかもね」

「そもそもこうやって高校に通うだけでも大変なのに」

「でもさ、どうして寿美は文系にしたの?理系で適正出たんでしょ?」

 可奈子が尋ねた。

「あたしさ、確かに物理が得意なんだけどね、なんか文学の世界にある、感情に素直になれる世界に魅力感じちゃって。自由に恋して、好きなところに旅に出られて。そんな世界を体験したいなって思って。理系専攻になると現代文とか古典とか勉強できないからさ」

「へえ~、なるほどね」

「だからわざわざ」

「そうそう。地元じゃあ適正出たらそれ以外できないから。それに、理系だからって文系の知識が不要なんてことないから。」

「確かにね、なるほど」

 友人一同、納得した。

「さ、ご飯食べよ!お昼休み終わっちゃうよ!」


 お昼休みが終わると、音楽の授業だった。

 寿美は音楽も好きだった。ただ、地元では音楽の授業なんて絶対に受けられない。

 この県立鈴木町高校は幅広い教科を学ぶことができることで有名な高校だった。学校の方針として、高校であまり専攻に特化したカリキュラムは組まず、専攻科目を重視しつつも幅広い人間を育てるためにも様々な学習ができる環境を提供するとしており、家庭科や音楽、武道などの授業が全員受講するカリキュラムとなっているのだ。最近では高校から大学に進学するために専門科目のみを徹底して教育する学校が増えている。その中において多様な学習ができる学校として人気の高い学校なのである。

 この日授業で流されたのはジャン・シベリウスの『フィンランディア』であった。作曲された当時、シベリウスの故郷フィンランド大公国は帝政ロシアの圧政に苦しめられ、独立運動が起きていた。その状況下においてこの曲がどのような役割を果たしたのかを、教師は熱く語っていた。

「この曲自体が、フィンランドへの愛国心を直接表現したわけではなかった。しかし、作られた背景・状況下において、結果として愛国心を鼓舞する作品となった。芸術は、時として助けてくれる存在になり、また時として権力者に利用される存在にもなる。いわば諸刃の剣。使う人・受ける人の立場によって、その役割は大きく変わってくる。ショスタコーヴィチの作品は、いい例だ。彼の交響曲はいくつかあるが、彼は生き残るためにソ連の意向を汲んだ作品も書いているし、はたまたソ連への皮肉を込めたと推測される作品もある。権力に屈することが悪いことだとは言わない。逆らうことで命を落としたり、家族を失うことになれば、いい結果にはならない。しかし、皆さんの心の中だけはしっかりと信念を持ってほしい。その信念が時の権力に相反するものであったとしてもだ。それこそが、自分は人間らしさなのではないかと思います。」


 下校時間になり、亜由美たちは京急の鈴木町駅に向かっていた。

「ねえ、明日寿美に教えてほしいことがあるんだけど・・・」

 亜由美は寿美に話しかけた。

「いいよ、何?」

「ちょっと物理のことでわからないことがあって・・・」

 寿美は成績優秀な生徒だった。特に物理は学年トップの成績であり、彼女の得意科目だった。

「いいよ、わかった」

「ありがとう~!今日教科書持ってなくてさ~」

 乗っていた電車は京急川崎駅についた。

「じゃあ、また明日ね~」

 手を振り、寿美と亜由美たちは別れた。寿美はここから多摩川を渡って自宅の最寄り駅雑色駅に向かう電車に乗った。

「ほんとさ、東京からくる子は大変だよね。ここ厳しいし」

 広美はぼそっという。

「そうだね、東海道線じゃあ分断されてちゃうからね」

 亜由美は答えた。品川方面の電車が発着する6・7番線に向かうホームへの階段には長い列ができていた。


 翌日。

 寿美は出席していなかった。教師からクラスの生徒に告げられた欠席理由は「家庭の都合による長期休学」だった。これは、ある種の暗号のようなものだった。今年に入って3人目である。

 この日以降、だれも寿美のことについて触れる生徒はいなかった。まるで、最初からこの学校に所属していなかったかのように。

 新皇紀12年7月12日のことであった。

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