第55話 いつも「トッポ(チョコ抜き)」みたいなのが私の話の特長である
このところ、カクもヨムも満足に出来ていなかったが、それは10話ごとの縛りを自分で設定して、自分でその縛りに苦しむという、非生産的
51話からは他人の作品にお邪魔して、そこから膨らんだ感想を書き連ねるというアプローチを設定した。そして、インプットの少なさがモロに出て、何も書けなかったというのが事実である。身体は実に健康体。毎日クラフトビールを2缶飲み、すももを食べて、猫背を治すストレッチをしている。そんなことをしているから書く時間が少なくなっただけだ、という指摘は至極的を射ているので、僕もうなずくばかりである。
そして、今回ご紹介したい作品もそんな時間のない半端な中で紹介するのが心苦しい。心苦しいが、今書かねばもう書けなくなりそうだったので、全ての記事を読めていないが紹介したい。
オンザソファ 結婚の限界? 源爽(みなもとあきら)
https://kakuyomu.jp/works/1177354054889151252/episodes/1177354054889151733
源爽さんの書く文章は一目で「これはおもしろい」と感じたことを覚えている。単純に僕の好みだった。何が良いのか言葉にしづらいが、爽(あきら)という漢字に反して爽やかさも感じられないディープな話にのめり込んでいくところが実に良い。それでいて軽快に跳ねていくような文章の流れが好きなのだ。
その中でも、この記事を読んで考えることがあった。
結婚のメリットとはなんだ。
僕ももう20代後半になり、そろそろ「鼻くその地位」とか「男の子の日」とか熱弁する前に、自らの身の振り方を考えねばならない時が来た。社会人数年までは独身者の方が多かった学生時代の友人も、今では小学校から大学まで満遍なく半数以上が結婚しているという事態に陥っている。かつては「童貞四天王」とか言ってふざけ合っていた仲間も、一人は結婚し、一人は東京で女性をたぶらかし、一人は医者となってモテ街道の地位を築いた。あいつは四天王の中でも最弱とか言っている場合ではない。一人でアメリカ大陸横断とかしている場合ではない。そろそろ結婚に向き合う時が来たのだ。
「いつかは結婚したい」なんて言っていたら、いつの間にかHUNTER×HUNTERもベルセルクも完結してしまうのである。気を付けねばならない。
ただ、僕は(恋愛)結婚の是非が良く分からない。というのも、明らかに一緒にいるべきでない二人(両親)を十数年に渡って見て来ているからである。結婚という縛りが無ければ(もっと言うと僕たち姉弟が生まれてなければ)あの二人があんな不幸な日々を過ごすことはなかっただろうに。
だから、恋愛結婚かつ離婚がしにくい現代では、結婚そのものが「素手でヒグマと対決しろ」と言われているような無茶ぶりに思えるのだ。全く結婚に相応しい人になれるイメージが湧かない。会社の先輩にも「一人で遊んでいる内はダメだ」「一人が楽というマインドそのものを変えないといけない(我慢を覚えないといけない)」と言われている。
もちろん、好き同士がただ一緒にいたいから一緒になる、というのは理想である。ただ、それがいつまで続くのか、人の気持ちはうつろいやすいものなのに、数十年もこの腐れ社会人を好意的にそばに置き続けてくれる人に会えることが、チョコボールの金のエンゼルを引き当てるほどに難しく感じる。
そう考えると、結婚はもっと軽いものではならない。恋愛だけに捉われない他のメリットが必要になる。「あっ、ちょっと結婚したんだけど合わなかったわ」くらいで良い。日本酒バーで試飲するくらいの気軽さが必要だと思う。そうなると必然的に離婚も軽いものになるが、それは悪いことではない。
僕が考える結婚の重要なメリットは「合理性」である。
現代でも結婚は経済的合理性がある。食事を共にするにも、エンターテイメントを共有するにも、数の合理性が効いてくる。一人だと多すぎて腐らせてしまうような量の多い特価品も二人ならば分け合える(Costcoなんかは安いのだが、一人だとToo Muchなのが悔しい)。テレビを共有していれば、サブスク型動画配信サービスも半額で楽しめる。
日系企業においては、独身よりも手厚い各種手当や福利厚生の権利を得る。会社は単身であれば半年に一回、家族を呼べるか帰国できるよう補助する(独身は2年に一度)し、帯同の場合もそこらの新入社員の手取りに匹敵する家族手当を支給する。家族旅行という名目で休みを取ることも容易だ。
その分、配偶者を一番に考え、機嫌を伺う苦労はあるだろう(いつも先輩方のあくなき努力に感服している)。但し、それを補ってありあまる精神的、経済的合理性がそこにあると思うのだ。
だからこそ、結婚はもっと推奨されるべきなのだ。つまり、性別に関わらず結婚出来るようにすれば、もっと多くの人が豊かに暮らせるようになると考えている訳だ。
僕は異性愛者であるため、同性に恋愛感情を持つことはないが、男と結婚してもいいと思っている。僕にとって結婚イコール恋愛ではないのだ。結婚は人生を豊かにするための合理的戦略であってもいいと思う。それで手当が増え、世間体が良くなり、楽しく過ごせるならば異性であることにこだわりはない。
そうなれば、離婚も増えることは容易に想像できるだろう。だが、ゆく先々でよりよい相手がいればそちらを優先すればよい。離れるから分かることもあるだろう。僕は結婚が軽いものになることに抵抗はない。みんな、結婚すべきだ。
「だからお前は結婚できないんだ」という批判は筋違いである。僕が結婚できないのは、同性での結婚を認めず、恋愛至上の結婚観が成り立っているからなのだ。もし、独身と既婚の差を埋めるべく「みんながもっと幸せになりましょう」と結婚観のパラダイムシフトが起きるならば、僕は(多分)結婚できる。
その社会においては離婚は大したマイナスにならない。それは合理的判断に基づいた決断であり、良くあることになるからだ。このような社会になっていないのが、現代の「結婚の限界」であり、独身者の詭弁の限界でもある。反論がある人はこの記事のタイトルをしっかりと読み返すべし。
最後に、同期(女性)に強いエールを送ったカッコイイアメリカ人女性二人の言葉を添えて終わりたい。これは僕の結婚観を後押ししてくれる。
「あなた、まだ結婚していないの?」
「早く結婚したほうがいいわよ」
「そうよ、そうよ」
「離婚は結婚しないと出来ないんだから」
現代においても離婚は恥ずかしいことではない。合理的で建設的な判断なのだ。
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