深い穴の中で

 臥子学園の裏山を、彩音と達也は歩いていく。先導する達也の足取りに迷いはなく、しかし自分たちがどんどん学園から離れていき、人里に下りる気配もないということに気づいた彩音は思わず達也に声をかけた。


「ねえ、本当にこっちで合ってるの? こんな山奥……」

「合ってるよ」


 達也は立ち止まって答えた。そして、握っていた彩音の手を引いて、数歩先へと誘導した。


「ほら、もう少しこっちだよ」


 誘われるままに彩音は足を動かし、達也の隣に立つ。しかしその瞬間、彩音の足下は消えて失せた。


「きゃああああ!」


 悲鳴を上げて彩音は落ちていく。底に腰を打ち付けて倒れ伏し、なんとか起きあがった彩音は、辺りを見回して自分が深い縦穴の中にいることを知った。


「何ここ、嫌、上れないじゃない、何よここ!」


 ほとんど錯乱した彩音はそうやって叫びながら穴の壁を引っかいた。しかしその程度で上に登れるはずもない。ふと見上げると、月明かりを背に達也がこちらを覗き込んでいた。


「た、達也くん、お願い! どこかから梯子持ってきて! このままじゃ――」


 その言葉を最後まで言うことはできなかった。返事の代わりに彩音の顔に降ってきたのは、ひどい匂いのする液体だった。


「うぷっ、うえっ……」


 口に入ってしまったそれを吐き出しながら、彩音はこの液体の匂いに覚えがあると考えた。そう、たしかこれはストーブの――


「最後の一人、益田彩音は炎に焼かれて死ぬ」


 冷たい声が降ってきて、彩音は空を仰ぐ。そこでは一切の表情をなくした達也が彩音を見下ろしていた。


 彩音はその時になってようやく何が起こったのかを理解した。


「ま、まさか、全部、アンタの仕業だったって、いうの」

「うん、全部僕たちの仕業だよ」


 彩音の突拍子もない推測は本人によって肯定される。そして達也は語り始めた。


 蜂谷ゆき、水橋健一郎、塩田隆弘、そして藤堂涼子。いかにして自分たちが彼らを陥れ、いかにして彼らが自ら殺し合ったのか。達也はそれを淡々と語った。


「本当にうまくいってよかった」


 達也は目を細めてニイと笑う。そして、ポケットからマッチを取り出した。


「じゃあね彩音先輩。生贄になってくれてありがとう」


 心底感謝しているといった声色で達也は言う。彩音は何が起きようとしているのか察して、壁に縋って叫び声をあげた。


「やっ、やめてえええええ!」


 達也は一本マッチを取り出して、箱の側面でこすろうとする。しかし――


「えっ」


 それはまるであの時の――竜崎千鶴が死んだあの時の再現のようだった。


 灯油でぬかるんだ地面を踏みしめてしまい、達也はバランスを崩した。たたらを踏んだ足は何もない場所を踏みつけてしまい、声も出せないまま頭から穴の底に向かって落下して――


 ぐしゃり。


 嫌な音が目の前で響き、彩音は落ちてきたそれを見下ろす。首がねじ曲がってしまった彼は、驚いたような顔のまま、彩音をぼんやりと見つめていた。彩音は顔を掻きむしり、無茶苦茶な悲鳴を上げた。しかし――誰もそれに答える者はいなかった。





 まるでムカデの背のようにぬらりと輝く黒いまなこが、じっと彩音を見つめていた。


 徐々に濁っていくその目に、彩音は見覚えがあった。塗りつぶしたかのような黒々とした目――黒魔女の目だ。


 混乱して掻きむしった顔が痛い。叫ぼうにも、もう声が枯れてしまって叫べない。彩音は死体の傍らにうずくまりながら、その視線を受け続けるより他になかった。


 やがて月は落ちて日は上り、また日が落ちて月が上った。徐々に広がっていく腐敗臭にさらされて、彩音は膝に顔を埋める。


 すっかり濁りきった黒魔女のまなこに、一匹の蠅がぴたりと止まった。

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