第四話 生贄の順番
同日、深夜。蜂谷ゆきの死体を見届けた後、雪斗はどうやって寮に帰ってきたのかおぼろげにしか思い出せなかった。
無様な、苦悶に満ちた、醜い死体。俺たちが殺した人間の死体。
そう、俺たちが殺した。殺したんだ。その事実がぐるぐると頭を巡り、思考を圧迫していく。常識と倫理が脳味噌の中で警鐘を鳴らし、気絶してしまいそうな気分になっていく。
ふと我に返った時には雪斗は自分の部屋のベッドに腰掛けていた。横を見ると、達也もまたベッドに腰掛け、雪斗の手を握っていた。
「……落ち着いた、雪斗くん?」
気遣わしげにこちらを見てくる達也に、どうやら自分がひどい有様をさらしたらしいことに気づき、雪斗は勢いよく達也の手を振り払った。
「何があったかは……覚えてるよね?」
あからさまに拒絶されたにも関わらず、それを気にした様子もなく、達也は心配そうに雪斗に声をかける。
何があったのか。そんなことは言われなくても分かっている。自分たちの企みで、人が一人死んだのだ。木にぶら下がって縦に伸びてしまったあの死体を思い出し、雪斗は身震いをした。
「……あれ、お前が殺したんだよな」
「うん。僕たちが殺したんだよ」
達也の答えに、雪斗は達也の顔を見た。達也はまるで小さな子供に言い聞かせるかのように、もう一度繰り返した。
「僕たちが殺したんだ。雪斗くん」
言外にお前も同罪だと言われ、雪斗は黙り込む。確かにその通りなのだ。自分は達也の計画を知っていながら止めなかったし、そもそもあの死体を隠していること自体が犯罪なのだ。これでは、自分が共犯者ではないだなんて言うことはできない。雪斗は俯いて小声で呟いた。
「本当にこんなこと続けるつもりか」
「うん、もちろん!」
達也は明るく返事をして、ベッドから立ち上がった。そんな達也を雪斗は化け物を見るような目で見た。
「雪斗くん、生贄の順番は覚えてる?」
『糸を吐く蚕の群れ。二つは木より吊られ、一つは地に落ち、一つは首を折り、一つは顔を爆ぜさせ、一つは火に焼かれる。六の生贄が捧げられた時、繭は破られ、魔女は生まれ直すだろう』
なんとかそれを思い出し、雪斗は首を縦に振った。
「一人目、蜂谷ゆきは塩田隆弘の手で木から吊られて死んだ。この先も順番は決まってるよ」
達也は指を順々に立てていった。
「二人目、水橋健一郎も塩田の手で木から吊られて死ぬ。三人目、塩田隆弘は屋上から落ちて死ぬ。四人目、僕――篠谷達也は高梨雪斗に首を折られて殺される。五人目、藤堂涼子は――」
「ま、待てよ、俺がお前を殺すのか!?」
思わぬ形で自分の名前が挙がり、雪斗は動揺して声を上げる。しかし達也は雪斗を安心させるかのように優しい声色で答えた。
「大丈夫。僕はちゃんと死んでみせるから。……それより最後の生贄はちゃんと雪斗くんが殺すんだよ」
言葉を失う雪斗に達也は歩み寄る。
「六人目、益田彩音は炎に焼かれて死ぬ」
達也は雪斗の手を取り、両手で包み込んだ。
「ちゃんと油をかけて燃やすんだ。……約束だよ?」
じっと目を見て言い聞かせられ、雪斗は体を引くことも出来ず硬直する。何か答えなければ。否定しなければこの提案を受け入れることになってしまう。
――しかし、クラスメイトに殺人を強要されるだなんて非現実的すぎる状況に思考は追いつかず、結局雪斗は達也の言葉に何も答えることができなかったのだった。
翌、七月十九日、夕方。裏山の秘密基地で雪斗は彼女の死体と向き合っていた。彼女の死体は相変わらず美しく、彼女と向かい合っている時だけ、雪斗は無心でいることができた。
間接的に人を殺したということ、自分がいずれ人を殺すということについて、雪斗はひとまず考えないようにすることに決めた。結局結論を先延ばしにするだけだとは理解していたが、それを考えられるほどの勇気は雪斗にはなかったのだ。
それよりも今の雪斗には気になることがあった。
「なんでこんなに遅いんだ……」
雪斗の目の前にある彼女の死体。その肌には血の気はなく、既に生きてはいないことは明白だ。しかしその死体の腐敗は、あり得ないほど遅かった。
そもそも最初に死体を見つけた時点で綺麗すぎるとは思ったのだ。こんな夏場に死んだ遺体は、たとえ病院で死んだとしても下手をすれば二、三日で腐り始めてしまう。死後硬直が完全に解けていたところから考えるに、彼女が死んでからあの時点でかなりの時間が経ってしまっていたはずだ。
なのに、彼女の周りには蠅一匹いなかった。
二週間以上が経過した今になってようやく彼女の死体の傷口に蠅が集り始め、蛆がわき始めた。その事実は雪斗を安堵させ、同時にこんなことで安堵してしまっている自分を嫌悪させた。
どうしてこんなに腐敗が遅いのか。まさか自分が行ったあの儀式が正しかったとでもいうのか。いや、まさかそんなはずがない。じゃあどうして。
雪斗は死体をじっと見下ろす。
――一瞬、彼女の周りに白い何かが見えた気がした。それはまるで細い糸が纏わりついているかのような、まるで繭が彼女を包もうとしているかのような――
瞬きを一つする間にそれは掻き消え、雪斗は頭をぶんぶんと振った。
気のせいだ。そう、きっとここが穴の中で温度が低いからかもしれない。死体は冷やせば腐敗が遅くなるはずだから。そうやって自分に言い聞かせながら、雪斗は彼女の頭を横向かせた。
彼女の後頭部にはグロテスクな傷があった。きっと高所から落ちた時に後頭部を打ち付けて死んでしまったのだろう。達也の言を信じるのであれば、件の高校生たちにきっと突き落とされたのだ。
雪斗は理科室から拝借してきたピンセットを取り出して傷口に顔を近づけた。傷口には無数の蛆虫がいた。
ざわざわと蠢く蛆虫たちを一つ一つピンセットで取り除いていく。虫がわいている傷口は血なのか頭の中身なのか分からないものが露出しており、虫を一匹ずつ取り除くたびに、粘性の高い液体が糸を引いた。
達也はこうしてこの死体が少しずつ腐敗してきていることに気づいていないようだった。今はまだ頭の裏だけがこんな有様になっているので誤魔化せているが、腐敗が進めばいずれはバレてしまうだろう。その時はどうやって言い訳をしようか。うまく言い逃れできなければもしかしたら俺も――
嫌な想像が頭をかすめ、雪斗は身を震わせた。
蛆虫を取り終わり、彼女の顔を元あった方向へと戻す。何故か一向に腐らない眼球はかすかに開いた瞼の下から覗き、真っ白な肌は崩れる兆しすら見せない。雪斗は昨日見たもう一つの死体、蜂谷ゆきの首吊り死体のことを思い出した。
あの死体は醜かった。その顔に安らかさは全くなく、穴からは体液と排泄物を垂れ流し、吊されて縦に伸びきった首も無惨なことこの上なかった。
あの醜い死体を見た後では、この姉様の死体は何かの救いのように思えた。人はこんなにも美しく死ねるのだと。
でも、いつかこの死体も蜂谷ゆきのように醜い死体になるのだろう。肌は萎び、内蔵が腐り落ち、腐臭を放つおぞましい死体に成り下がるのだろう。
そう思うと雪斗は酷く――興奮した。それは熱となって雪斗の腰辺りを震わせた。雪斗の体の奥底で生まれた熱は、爪先と脳幹へと電撃のように走る。雪斗はその衝動のまま彼女の死体に手を伸ばし――
「ただいま、雪斗くん」
穴の入り口から降ってきた声に、雪斗はぴたりと手を止め、慌てて振り向いた。声の主――達也は立てかけてある梯子をもたもたと下りて、雪斗に笑いかけた。
「……どこに行ってたんだ」
「二通目の手紙を出しに」
上機嫌に笑う達也に毒気を抜かれながら、しかしその直後にその言葉の意味を理解して戦慄しながら、雪斗は達也に向き直った。
「魔法円の力があるから簡単だったよ」
得意そうに紙に書かれた魔法円を達也は掲げてみせる。雪斗は目をそらした。
「……また一人死ぬのか」
「うん」
吐き捨てるように雪斗が尋ねると、達也は穏やかに笑って雪斗に一歩歩み寄った。
「雪斗くんは人が死ぬのがいやなんだね」
そしてそっと雪斗の手を取ると、彼の顔を下から覗き込んだ。
「死体のことは好きなくせに」
恐ろしく冷え冷えとした声に雪斗は思わず達也の顔を見てしまう。そこにあったのはあの――黒々と濁った表情のない――死体の目だった。
雪斗は悲鳴を上げることもできず硬直する。達也は暫くの間、じっと雪斗のことを見つめると、不意にニイとその目を細めた。
「ついてきて。もう一つ、君に死体をあげるから」
断ることは、できなかった。
達也に手を引かれ、雪斗が連れてこられたのは例の蜂谷ゆきの死体があった場所の近くだった。高等部校舎から少し登ったところにあるそこには、いくつかの深い穴があり、その中の一つへと達也は備え付けられた梯子で下りていった。
渋々その後をついて雪斗も梯子を下りていく。穴の底はコンクリートで補強されており、雪斗は固い地面へと足をつけたのだが――二歩ほど踏み出した時、何か柔らかいものを踏んでバランスを崩した。
「うわっ」
雪斗は咄嗟に壁面に飛び出した梯子を掴む。達也は何かを飛び越えて雪斗に歩み寄ってきた。
「大丈夫……?」
「だ、大丈夫だよ、うるさいな」
精一杯虚勢を張って雪斗は答える。そして穴の底の暗さにだんだん目が慣れてきた雪斗は、自分が何を踏んだのかに気づいて小さく叫び声を上げた。
それは蜂谷ゆきの死体だった。頭からここに投げ入れられたのだろう。首は変な方向にねじ曲がってしまっているし、手足もでたらめな方向を向いている。ゆきの死体は昨日見た時よりもずっと酷い有様になっていた。
「あいつらが捨てたんだよ。バレるのが嫌だったみたい」
足下に広がった血だまりを踏みながら達也は言う。
「これはもう糸を紡ぎ終えた蚕だからね、バラバラにしてしまって大丈夫だよ」
何を言われたのか理解できず、雪斗は何も答えられなかった。それを困惑していると受け取ったのか、達也は偉そうに鼻を鳴らした。
「知らないの? 蚕ってそういうものなんだよ」
まるで教師が生徒に言うように胸を張って達也は雪斗に教え聞かせた。
「糸を紡ぎ終えた蚕は、絹糸を取るのに邪魔だから殺してしまってもいいんだ」
雪斗は何も言い返せなかった。達也の言っていることは何もかもが滅茶苦茶で、雪斗には理解することはできそうになかった。達也はそんな雪斗に、地面からあるものを拾い上げて差し出した。
「はい、合羽とハサミ」
何に使うかだなんて言われなくても分かった。雪斗はそれを受け取ってしまいながら、力なく呟いた。
「なんで……」
なんでこんなことをさせるんだ。
雪斗は泣きそうな顔で達也を窺う。達也は幸せそうな顔で笑った。
「え? だって汚れちゃうじゃない」
七月二十日、火曜日、交流授業日。雪斗と達也は小学生たちの列から、目的の人物を窺っていた。
「あれが藤堂涼子。その隣にいるのが益田彩音」
達也が視線で示す先を雪斗も見る。そこには夏服を着た二人の女子高生が立っていた。
「本当に接触しなきゃいけないのか?」
「うん。いずれ君が益田彩音を殺す時に君たちが顔見知りじゃないと困るんだ」
益田彩音を殺す。考えないようにしてきた計画が現実味を帯びてきてしまい、雪斗は身を震わせる。
「ボロは出さないでね」
視線は彼女たちからそらさないまま、そうやって達也は囁いた。今起こってるおぞましい事件を全てぶちまけてしまえればどれほど楽か。雪斗は苦虫を噛み潰したような顔で頷いた。
「……分かってるよ」
「――でも魔女はいるんでしょう?」
達也の鎌掛けに、益田彩音はいっそ面白いほどに動揺していた。二人は悪戯が成功したような気分になって、先生による集合がかかった後、顔を見合わせて笑いあった。
「雪斗くんって本当に外面いいよね」
「お前こそ、ノストラダムスなんて信じてたんだな」
「うん、まあね。一九九九年七月の恐怖の大王。それってつまり――姉様のことだよね?」
「はは、じゃあ……彼女は世界を滅亡させるっていうのか?」
「かもね。そうだったらきっと素敵だよね?」
こうしているとただの冗談を言い合っているみたいで、なんだか可笑しくなってくる。本当に、こんな状況でさえなければよかったのに。そう思えてしまう程度には、それは確かに愉快な瞬間だった。
しかし、当然そんな時間が続くはずもなく、達也はすっと表情を消して囁くのだった。
「次の死体ができるのは八月一日」
その表情を直視してしまい、雪斗は全身に震えが走った。それは――感情の抜け落ちた、あの死体の目だった。
「……その時は雪斗くんも一緒に来てね?」
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