第二話 黒魔女様との出会い

 一九九九年四月。臥子学園始業式の日。私、藤堂涼子は新しく与えられた自分の席に座って縮こまっていました。


 私の周りでは、級友たちが新しく同じクラスになった者同士で楽しそうに談笑していました。その声を聞きながら、私はぐっと太股の上で拳を握りしめます。


 少年少女たちの楽しそうな声が、時折動かされる机や椅子の音が、鼓膜を震わせる全ての音がまるで自分を責め立てているかのような気がしました。世界中の何もかもが自分のことを疎外し、迫害しようとしているような気がしました。


 私は拳に冷や汗を滲ませながら、俯いて自分の机を睨みつけました。濃い茶色をした木製の机には今までの生徒がつけた傷の他に、元からある木目もあって、その両方が私のことを恨めしく見つめ返しているかのようでした。


 だめだ。自分は汚い。自分は醜い。自分は要らない。自分は仲間外れにされて当然だ。


 そんな考えがぐるぐると頭の中を巡ります。


 もう随分と長い間、私はいじめを受けていました。はじめは初等部の頃だったと思います。いじめは学年が変わってもクラスが変わっても続き、いじめの首謀者と違うクラスになっても不思議といじめはなくなりませんでした。


 私はちらりと目を上げ、二つ斜め前に座る彼女――益田彩音を見ます。彩音は椅子に斜めに腰掛け、友人たちと楽しそうにふざけあっているようでした。


 益田彩音は高校一年の頃のいじめの首謀者でした。そんな彼女と同じクラスになったということは、去年一年間続いたあの地獄が繰り返されるということを意味しています。私はこちらに矛先が向くのができるだけ遅くなることを祈って、ぎゅっと目を閉じて震えました。


 右隣からころりと転がるかのような声が聞こえたのはその時でした。


「ねえ、君」


 顔を上げて振り向くと、そこにいたのは見覚えのない美しい少女でした。胸の下まである髪はまるで烏の羽のように艶やかで、こぼれそうな瞳は月のない塗り込められた夜のように真っ黒な色をしていました。長い睫毛、小さな唇、控えめな眉、すっと通った鼻筋。一つ一つの造形がまるで何かのお手本のようで、しかもそれらが一つの意思によって整えられたかのような美しい少女でした。


 私は自分が声をかけられたということが信じられずに、咄嗟にそれに答えることができずにいました。すると彼女は、困ったように微笑むと再び私に声をかけてくれたのです。


「君とは、はじめましてだね。名前は?」


「えっ、えっと……藤堂涼子です」


 消え入りそうな声で自己紹介をすると、少女は恐ろしいほど整った形の口から自らの名前を吐き出しました。


「私は竜崎千鶴。黒魔女と呼ぶ人もいるよ。よろしくね、涼子くん」


 ――それが、私と黒魔女様の出会いでした。




「ねえ涼子くん、私とおしゃべりをしようじゃないか。私はこう見えて、今とても暇なんだ」


 黒魔女様はそうやって誰とも話していない私に助けの手を差し伸べてくださいました。しかしそんな魅力的な提案に、私は俯いて小声で答えました。


「竜崎さん、私と仲良くしない方がいいよ」


 私の言葉に黒魔女様は美麗な動作で首を傾げました。肩に乗っていた黒の長髪がさらりと流れ落ちます。


「おや、どうしてだい?」


「私と話したりしたら……竜崎さんもいじめられちゃうよ」


「……そうか。君はいじめられているのだね」


 黒魔女様は音もなく立ち上がると、私の方へと一歩歩み寄り、右手で私の頬にそっと触れました。


「どうして君みたいな可愛らしい子をいじめるのだろうね」


 その手はとても熱く、私はその熱で火傷してしまうのではないかと思いました。私は咄嗟にさらに俯いて否定の言葉を発しました。


「か、可愛くなんか」


「可愛いさ」


 今度は両手で頬を包み込まれ、私の顔は上を向かされました。目の前では黒魔女様が私のことを見下ろしていました。真っ黒なあの目で、見下ろしていました。


「私が嘘を言うとでも?」


 その言葉に咎めるような響きはありませんでした。それは、ただ当然のことを当然のように言っているだけのような、そんな淡々とした声でした。


 私はそんな黒魔女様を見て、胸が高鳴るのを止められませんでした。こんなにも美しい人が、私を視界に入れてくださっている。その事実に、私は高揚していました。







 七月十日、土曜日。


 私は自室で見つけた手紙を恐る恐る開いていました。手紙には差出人の名前はなく、差出人を特定できるような特徴もありませんでした。


 封筒を開くと、その中には三通の手紙が入っていました。


 一通目、「藤堂涼子様」と書かれた洋封筒。

 二通目、「A」と書かれた茶封筒。

 三通目、「B」と書かれた茶封筒。


 私はまず一通目の手紙を開いてみることにしました。封筒には封はされておらず、めくるだけで簡単に開くことができました。中に入っていたのは二つ折りにされた便せんでした。私はその内容に目を通し、思わず口に出していました。


「黒魔女の繭の作り方……?」


 そこに書かれていたのはたった三つの不可思議な文章でした。


『憎むべき反逆者にAの手紙を送りなさい』


 一行目に書かれたその内容に、私はAの茶封筒の中身をあらためました。その中に入っていた便せんにはこう書かれていました。


『これ以上、秘密を隠し続けるのは無理です。警察に全てを話します。その前に話したいことがあるので今日の夜九時に小屋裏まで来てください。待っています』


 そのAの手紙を読み終えた私は、私宛ての手紙に目を戻しました。その二行目にはこう書いてありました。


『憎むべき追従者にBの手紙を送りなさい』


 私は震える手でBの茶封筒から手紙を取り出して開きました。


『お前の秘密を知っている。警察にバラされたくなければ今日の夜九時に小屋裏まで来い』


 私は私宛ての手紙へと目を戻し、その内容に目を通しました。三行目はこう締めくくられていました。


『そうすれば二つのうちの一つは命を落とし、黒魔女の繭は紡がれるでしょう』


 黒魔女の繭。

 それが何なのかは全く分かりませんでした。ですが私にも一つだけ、はっきりと分かることがありました。


 ――この手紙の差出人は黒魔女様の死の真相を知っている。


 ――それだけじゃない。差出人の誰かは、この手紙で共犯者たちを仲間割れさせようとしているんだ。


 誰がこんな手紙を寄越したのか。何故私の部屋に差し入れてあったのか。どうやって黒魔女様の死の真相を知ったのか。どうして。


 私は一通目の手紙を握りしめながら、ぐるぐると考え続けました。


 そしてたっぷりと十分は経った頃、私はふと気づきました。


 この手紙が何故私のところに送られてきたのかは分からない。でもきっとこの手紙の差出人は黒魔女様の復讐をしたがっている。この手紙に従えば私は黒魔女様の仇を取れるんだ。


 私は視界がぎゅっと狭まるのを感じました。手紙への困惑で薄れていた共犯者たちへの怒りが蘇ってきます。その怒りを晴らす明確な方法が提示され、私は興奮で自分が笑っていることに気がつきました。


 私は哄笑しそうになるのをこらえながら、三通の手紙を机の引き出しにそっと隠しました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る