第四話 刑事の聞き込み

 ぎしぎしと音を立てて死体は揺れる。売春小屋の裏に彩音たち共犯者は全員揃っていた。――死体となったゆきも含めての話だが。


 予想外の事態に彩音たちは言葉を失う。何故ゆきがこんなところで死んでいるのか。いや、もしかしたら死んでいなかったのかもしれないが、救命措置をするという発想は混乱する彩音たちには浮かぶはずもなかった。


 ゆきの足の内股には死後漏れ出た体液が伝い、その足元には二枚の紙が石で固定されていた。もしかして遺書だろうか。目眩を覚えながら彩音がそれに手を伸ばしたその時、小屋裏の沈黙は思いもよらぬ人物によって破られた。


「え、ゆき先輩、なんで……」


 呆然とした声に彩音たちは一斉に振り返る。制服をはだけさせた状態で歩み寄ってきたのは、彩音の同級生の魔女、藤花だった。


 藤花は呆然とゆきの死体を見上げた後、慌てて踵を返そうとした。


 ――誰かを呼びにいくつもりだ。


 そう気づいた彩音は咄嗟に藤花の肩を掴んで押しとどめた。


「な、何してるの、彩音ちゃん! 早く誰か呼んでこないと!」


「黙りなさい!」


 声を荒げて彩音は藤花の肩に爪を立てる。


 ――この事態はまずい。こんなことが魔女たちに知れたら、黒魔女会の存続が危うくなってしまう。それどころか千鶴殺しの一件も露見してしまうかもしれない。


 彩音は藤花の両肩に手を置き、顔を寄せた。


「いい? アンタは何も見なかった。もしこのことを口外したら黒魔女会はおしまいよ。そうなったらアンタは学校も辞めさせられるし、家族からも勘当されるかもね」


 睨みつけながらそうやって言い聞かせると、藤花は泣きそうな顔になりながら、何度もこくこくと頷いた。


「行きなさい、もう今日は部屋に戻ってもいいから」


 つとめて優しい口調で言うと、藤花は震えながらも頷き、セーラー服の前を隠しながら、小屋裏から駆け去っていった。


「どうしてこんなことに……」


「大丈夫なのか? 行かせちまって」


「今見たことをバラされちゃうんじゃ……」


「し、仕方ないでしょ! あの場じゃこう言うしかなかったのよ!」


 癇癪を起こしたように、しかしそれでも理性を働かせて小声のまま、彩音は叫ぶ。それを見た周囲は逆に冷静になったのか、肩で息をする彩音を見て暫くの間、沈黙していた。


「とにかく集会が終わるまで待とうぜ」


「え、ええ、それがいいわね」


 ぼそりと呟かれた塩田の言葉に、彩音は動揺しながらも同意した。





 一時間後。魔女集会が無事に終わり、彩音たちはゆきの体を地面へと下ろしていた。


「なんなのこの模様……」


 二枚の紙の内、一枚に書かれていたのは遺書らしき文面。これ以上、千鶴殺しを隠して生きていくのは無理だ、という内容だ。それはまあいい。理解はできる感情だ。しかし、もう一枚に書かれていたのは奇妙な内容だった。


 紙の中央に書かれた正円に、その内側に書かれた二つの三角形。ところどころに書かれた文字らしき記号。しかも同じ図形がゆきの左手の甲にも書かれていたのだ。


「これ、もしかして、魔法陣……?」


「だれがこんな悪趣味なことを……」


「でも遺書があったぞ。自殺じゃないのか?」


 口々にその内容についての疑問を口にしあう。


「それじゃあゆきが自分でその……魔法陣を書いて自殺したっていうの?」


 自分で口にしてしまった推論に笑ってしまいそうになる。しかし、周囲の真剣な――もしかしたら怯えを含んだ眼差しに、彩音はそれ以上何も言えなかった。


「……この死体、このままにしておくわけにもいかないだろうな」


 ぽつりと呟かれた水橋の言葉に、彩音たちはハッと現実へと引き戻される。時刻はもうそろそろ真夜中に近い。


「どこかに捨てておくか?」


 水橋が提案する。


「どこかって、どこに?」


 彩音が聞き返す。


「……この辺には縦穴がいくつかあるだろう。そこに投げ込むのはどうだ?」


 少し考えてから水橋が答える。――それに異を唱える者はいなかった。



「せーのっ」



 かけ声とともにゆきの死体を縦穴に投げ入れる。ほんの二週間前にも聞いた、人の体が固い地面に打ち付けられる音が辺りに響く。


 ぐしゃり。


 全員で穴の中を覗き込むと、手足が変な方向に曲がってしまったゆきの死体が底に見えた。


 無様にへし折れるその姿は、あの清流に置き去りにした千鶴の死体を思い出させ、彩音はぶるりと体を震わせた。


「分かってるとは思うが他言は無用だぞ」


「……分かってるわよ。こんなことバレたら、退学どころか逮捕よ逮捕」


 彩音の言葉に全員が黙りこくる。――しかし、人一人がいなくなったという事実を隠し通すのは無理だということに、その時の彩音たちは思い至っていなかったのだ。





 翌、七月十九日、月曜日。


 臥子署の刑事、古林は九日ぶりに臥子学園へと聞き込みに訪れていた。


 夏の暑さはますます増し、以前はクマゼミだけだった蝉の鳴き声にも他の蝉たちの声が混じり始めている。古林は首の汗をタオルで拭いながら、千鶴の担任の深野と向かい合っていた。


「刑事さん、彼女の手がかりは掴めたのでしょうか?」

「あーそれが……」


 古林は口ごもり、縋るような視線を向けてくる深野から目を逸らした。


 千鶴の捜査は思うように進んでいなかった。行方不明から数日の間行われた学園での聞き込みでは有力な情報は得られず、家出や自殺だとしても動機らしきものさえ出てこない。品行方正、成績優秀、誰にでも優しく、誰かを贔屓することもない。それが捜査から掴めた竜崎千鶴の人物像だった。


 捜査は学園外へと移り、この二週間、目撃証言を募って足取りを探していたのだが――


 歯切れの悪い古林の態度に察したらしく、深野は「そうですか……」と肩を落とした。


「実は千鶴さんのご両親は捜査には乗り気ではなく……、捜索を打ち切るという話も出ていまして」

「そう、なんですね」


 古林がそう続けると、深野は良い知らせではないというのにどこか安心したかのような表情になった。


 ――こいつは早く面倒事が収まってほしいと思っているクチだな。竜崎千鶴も酷い担任に当たったものだ。


 どこにいるとも知れない少女に同情しながら、古林は質問を続けた。


「……以前の聞き込みからこの学校で何か変わったことはありましたか?」


 深野はびくりと肩を震わせると、誰にも聞かれていないか辺りを見回してから、古林に顔を寄せて言った。


「実は、三年一組の蜂谷ゆきさんの行方が今朝から分からなくなっているようで……」





 同日夕方、古林は学生寮で聞き込みを始めていた。


 案内役の水橋がいないせいで、これまでよりも生徒たちから警戒されている気がしたが、その程度で気後れするのなら刑事などやっていない。古林は食堂近くを歩いていた生徒を手当たり次第に捕まえていった。




「竜崎千鶴? ああ、あの行方不明の」

「話じゃ荷物も着替えもそのままなんでしょ? 事故にでも遭って死んじゃってるんじゃないの?」

「魔女の話も最近は聞かないしねえ」

「話は終わり? もう行ってもいいですか?」




 既に何度も尋ねて回っていることだけにやはり収穫は芳しくない。それどころか段々と学生たちの態度は冷たくなっていった。十代の学生たちの中に成人男性が混じっているのだからそれを異物と見なすのも仕方のないことだろう。


「ち、千鶴のことは何も知らないです」


 何十人目かに声をかけた少女はこれまでの少年少女たちと同じようにそう答えた。


 しかしどこか様子がおかしい。手はまるで何かを隠すかのように胸の前に持ち上げられ、目は泳いで斜め下を向いている。それどころか細かく震えて何かを隠しているかのような――


「どうした? 何か気になることでも?」


 古林が重ねて尋ねると、少女は怯えているかのように辺りを忙しなく見回してから、意を決した様子で口を開いた。


「あの、刑事さん、それとは別件なんですけど私……」


「藤花!」


 突然響いた鋭い声が少女の言葉を遮る。そちらを振り返ると、見覚えのある少女――古林が最初に聞き込みをした、あの益田彩音という名の少女が大股でこちらに歩いてくるのが見えた。


 藤花と呼ばれた少女はびくりと体を跳ねさせると、彩音と古林を交互に見た。そして何事かを口にしようとしたが、その直前に彩音によって肩を掴まれ、無理矢理に体の向きを変えさせられた。


「こんなところにいたのね、先生が探してたわよ」


 綺麗な笑顔で、しかし有無を言わせない口調でそう言うと、彩音は藤花を強引に引きずって古林の前から去っていった。


 残された古林は呆然とした後、歩き去っていく彩音たちの背中を睨み、眉を顰めた。


 ――益田彩音。たしか以前も聞き込みを拒否していたな。


 その名前をしっかりと記憶に焼き付け、古林は踵を返して聞き込みに戻っていった。





 藤花を階段の裏まで引き摺ってきた彩音は、彼女の体を壁際に追い詰め、壁に腕をついた。


「あ、彩音ちゃん、あれは……」


「言ったわよね、あのことがバレたら私たちおしまいだって」


 キッと睨みつけてやると、藤花は叱られた子供のように身を竦ませた。


「ご、ごめんなさい、でも……」


 藤花はおどおどと目を泳がせ後ずさろうとした。しかし後ろに壁があったために、彼女の背中はすぐに壁にぶつかる。挙動不審になる藤花を彩音は怒りを込めた目で見つめた。


 藤花の気持ちも、何を言いたいかも分かる。顔見知りの首吊り死体だなんて、普通に生きていれば滅多にお目にかからないものだろう。そして、そんな大それた秘密を誰にも話すことも出来ず、なんでもない顔をして日常を送るのはきっと難しいことだろう。


 だが、それに同情している暇はない。こちらは死活問題なのだ。


 彩音は怒りの表情を消すと、藤花の肩に優しく手を置いた。


「大丈夫、ゆきは自殺だったのよ」


 藤花は大きく目を見開き、彩音の顔を見た。彩音は優しい声色で続けた。


「あれから遺書も見つかったの。大丈夫、死体は私たちが見つからないように処理したから」


「本当に?」


「ええ、本当よ」


「本当に、もう死体は見つからないんだね?」


「ええ、もちろん」


 何度も何度も藤花は彩音に問いかけてくる。いくら説明しようとも、藤花の不安はなかなか拭えないようだった。


 ――しつこい女ね。


 舌打ちしたくなるのを堪えながら、彩音は咄嗟に思いついたことを口に出してみた。


「実はこれはね、黒魔女様の意向なの」


「黒魔女様の?」


 口からでまかせだったが、藤花は一気にその話に気を向けたようだった。


「そう。このままじゃ会の存続が危ういからって、黒魔女様が決めたことなのよ」


 すると今まで不安そうだった藤花の顔は一気に安堵に包まれた。


 ――私の説得では足りなかったのに。腹立たしい。


 そう思いながら、つとめてにこやかに彩音は藤花へと語りかけた。


「だから安心して私たちに任せておきなさい。アンタも分かってるでしょ、黒魔女様は絶対に間違えないって」





 藤花と別れた後、彩音は自室の壁に凭れかかって爪を噛んでいた。


 私たちは千鶴を殺し、ゆきの死体を遺棄した。罪状は二つ。殺人と死体遺棄。いくら未成年だといっても、見逃してもらえる内容ではないだろう。バレれば私たちの人生はおしまいだ。なのに藤花に現場を見られてしまった。今回は口止めできたが、いつまた彼女の気が変わるとも限らない。それに隠した死体が見つからない保証がどこにある。隠したからといって、死体は変わらずまだあそこにあるのだ。


 ――そうだ、千鶴の死体はどうなったのだろう。


 あの時は怖くなって逃げてしまったが、ゆきの死体とは違って、千鶴の死体は隠されていない。あれが見つかったらおしまいだ。今からでも遅くない。きっとこの夏の暑さで腐乱死体にはなっているだろうが、見つからないように移動させたほうがいいんじゃ――


「彩音ちゃん……彩音ちゃん!」


 突然耳元で聞こえた大声に驚き、彩音は小さく肩を跳ね上げる。バッと顔を上げると、そこにはこちらの顔を覗きこんでくる涼子の姿があった。


「な、なんだ涼子じゃない、驚かせないでよ」


「だって彩音ちゃん何度呼んでも気づいてくれないから……」


 申し訳なさそうに顔を伏せる涼子に苛立ち、彩音は彼女を軽く睨みつけた。


「それで何の用よ、勝手に入ってきたりして」


 涼子は申し訳なさそうな顔を崩さないまま、ちらちらと彩音を窺った。


「ゆき先輩のことで、その、相談があって……」

「相談?」


 そう言い出したはいいものの、おどおどとこちらを見るばかりで本題に入ろうとしない涼子に彩音は焦れて低い声で促した。


「はっきり言いなさいよ」


 涼子はびくりと肩を震わせ、躊躇いながらもこう切り出した。


「あ、あの時、ゆき先輩の手に魔法陣があったじゃない? あの魔法陣ってさ、もしかしてその――」


 涼子の黒いまなこが彩音を見る。彩音は一瞬そこに、何か恐ろしいものを見た気がした。


「黒魔女様の呪いなんじゃないかって……」




 ――黒魔女の呪い。




「な……何言ってるの、馬鹿じゃないの!?」


 声を張り上げて否定する。しかし、その声が震えるのは止められなかった。他の部屋に聞こえてしまうことにも構わず、彩音は涼子を怒鳴りつけた。


「今考え事してるのよ! あっち行ってて!」


 何か言いたそうに俯く涼子を無理矢理に部屋から追い出し、彩音は再び爪を噛み始める。


 呪いじゃない。呪いなんかじゃない。あいつは死んだんだ。あいつにはそんな力はない。


 だったらゆきはどうして死んだのか。確かにあんな魔法陣を残して死ぬだなんて不自然だ。ゆきはそんなにオカルトに傾倒している方じゃなかったはずだし、何かのメッセージだとしても回りくどすぎる。


 ――まさか誰かがゆきを殺した? でも何のために?


 心当たりはない。共犯者のうちの誰かの仕業だとしても、妙な動きをしている奴はいなかった、はずだ。


 ――それとも涼子の言うとおり本当に魔女の呪いだって言うの?


 竜崎千鶴のあの薄気味悪い笑顔が、彩音の脳裏に浮かんだ。真っ黒なまなこがニイと細められて、こちらをじっと見つめている姿が見えた。彩音は全身をぶるりと震わせた。


 ――そんなはずない。あいつは、竜崎千鶴はただの人間よ。魔女なんかじゃない。ただの私と同じ女子高生なんだから。


 コンコン。


 部屋のドアがノックされる音で彩音は思考から意識を浮上させた。小さく返事をしてドアを開ける。そこにいた人物に彩音は軽く目を見開いた。


「益田彩音さんだね?」

「何か用ですか、刑事さん」


 声が震えてしまわないように気をつけながら、彩音は古林刑事に尋ね返した。


 ――来た。やはりさっきの一件で警戒されてしまったか。


「いやなに、いつも通りの聞き込みだよ。皆に聞いてまわっているんだ。他の生徒に聞いたところによると――君は竜崎千鶴さんと親しかったようだからね」


 探るような目を向けられて彩音は体を強張らせる。あの時ついた嘘がバレている。どうする。どうやって返す。


「少し前までの話です。色々あって最近は疎遠になってて――だから最近のことについては本当に知りません」


 冷静な顔を作りながら古林に答える。古林はじっと彩音の目を見た後、「なるほど」と言って体を引いた。


 よかった、誤魔化しきれた。彩音は内心、ホッと胸を撫で下ろす。しかし古林はふと思いついたような表情をすると、彩音にこう切り出した。


「そうだ、これは念のために聞くんだが……」




「三年一組、蜂谷ゆきさんの行方が今朝から分からなくなっているそうだが――君、何か知らないか?」




 彩音は顔全体をこわばらせた。まさかそっちも疑われているだなんて。いや、さっきの藤花の一件があったのだから当然と言えば当然だ。ゆきの名前が出たことに動揺しながら、彩音は震える声で古林の言葉を否定した。


「知りません」


 古林は引き続き探るような目を向けてくる。彩音は言葉を続けざるを得なかった。


「でも――」

「でも?」

「彼女――ゆきは普段から自殺したいとはこぼしていました。どこか遠くに行ってしまいとも。だから、もしかしたらもう……」


 ここまで言ってしまってから、彩音は自分の失言に気が付いた。

 ――しまった。これじゃあ裏山を捜索してくれと言っているようなものじゃないか。

 彩音は慌てて付け加えた。


「死ぬなら町を出たいとも言っていました。だからこの町にはもういないんじゃないかと思います」


 言い訳にしては無理があっただろうか。


 古林の様子を窺うと、彼は目を細めてじっと彩音を睨みつけていた。自分より遥か上から見下ろされ、彩音は思わず萎縮する。まずい。これ以上は誤魔化しきれない。


 しかし古林はふっと表情を緩めると、「そうか」と言って彩音から遠ざかった。


「邪魔して悪かったね、私はこれで失礼するよ」


 そのまま立ち去ろうとする古林に、彩音はへたり込みそうになるのをぐっとこらえる。これでひとまずは安心だ。だが、古林は振り返って、こう付け加えた。


「また話を聞くこともあるだろうが――その時はよろしくね」


 去り際の古林のその言葉に、彩音は大きく顔を引きつらせた。

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