第2話 自販機と二人

「ねえ、今日こそは一緒にこれをやろうよ」


 夕方五時、いまだに沈もうとせずに地上に照り付ける太陽に悪態をついていると、ナギサが立ち止まった。見てみると、彼女は興味津々な眼差しで道路脇の自販機を見ていた。


「ランダムドリンク。何が出るかはボタンを押してからのお楽しみ! 百円でなんと中ぐらいのペットボトル飲料がランダムで出てきます!」


 爛々と瞳を輝かせて自販機を指さすナギサ。なんでこんなに元気なんだろうか。俺はもう学校の疲れの上にジャワジャワとうるさい蝉の声で参っているというのに。


 というか、なんだよ中ぐらいのペットボトルって。五百ミリペットボトルのことを言ってるんだろうが、自販機の場合、それ以上大きいサイズなんて売られていないのだから、大きいペットボトルで良いだろう。


「たった六十円ケチって、意味の分からん激マズジュースが出たら嫌だ。俺は普通にコーラを買いたい」


「それじゃあ面白くないじゃない」


 顔に滲む汗をタオルで拭いながら、ナギサが言った。前髪が汗のせいかいくつかの細い束を作って額に張り付いている。


 いやいや、面白さより俺はコーラの炭酸で爽快な気分になりたいんよ。


「お前だけランダムでいいじゃん。別に俺まで買う必要はないだろ」


「えー、まっずいのが出た時に、あんたがコーラ飲んでたらムカつくからそれは却下。ねえ、一回だけ、一回だけでいいから~」


 上目遣いでねだってくるナギサにしっしと手を払う。


「いやだね。俺はコーラを絶対に買う」


 俺が断固とした意思表示をしたら、ナギサは唇を尖らせ不満そうな表情を浮かべた。そのまましばらく腕を組んで何やら考え込む。


こんな奴は放っておいて早く買おうと思ったら、突然「そうだ!」と叫んで俺の手を掴んだ。く、あと少しでこの五百円玉を入れてコーラを買えたのに。


「はぁ。なんだよ」


「まず、じゃんけんをします」


 女とは思えない握力で腕を握られ、俺は頬を引きつらせながらも、話くらいは聞いてやることにした。だいぶ直射日光に水分を持っていかれているので、はやく水分を補給したいのだが。


「ほう、それで?」


「負けたほうが、買ったほうにランダムドリンクをおごる。もちろん自分もランダムドリンクを買う。どう?」


「どうってお前、なんでわざわざそんな面倒なことを」


「いいじゃない、勝てばタダでジュースを飲めるのよ? 激マズが出たらその時は自分でコーラを買えばいいじゃない。特はしても損はしないでしょ? 勝てばね」


「それだと負けた上に激マズ出たら最悪じゃねーか……。まあいいか、乗った」


 いつまでも駄々をこねたところで、ナギサは普通にコーラを買わせてはくれないだろうし、今の俺にとっての最優先は水分補給と、この腕をがっちりとつかんで離さないナギサの手からの解放だ。


「よーし、言ったわね~」


 ナギサは俺から手を放すと、夏服の袖をまくり、うっすらと日焼けの跡がついた腕をぶんぶんと振り回す。半袖なのにわざわざ袖をまくる意味はあるのだろうか?


 そんな俺の疑問はよそに、彼女はにやりと微笑みながらこう言った。


「私は絶対にパーを出すわ」


 なるほど、揺さぶりのつもりか。それなら。


「じゃあ俺はチョキを出す」


「な、卑怯な!」


 もちろん、本当にこいつがパーを出すなんて毛頭信じちゃいない。だがこの際勝ち負けなんてどうでもいい。俺は早くジュースが飲みたい。


「じゃあいくわよ」


 手を組んでのびをするナギサ。特に意味も無く右腕をぷらぷらと振る俺。しばらくの沈黙。それを破るかのように近くの木から蝉がジジッと鳴きながら飛び出した。


『最初はグー』


 蝉が合図となり、ふたりはお決まりの掛け声で腕を構える。信じたわけではないが、俺は予告通りチョキを出すつもりだ。裏の裏をかいていく作戦。


「じゃんけん──」


 その時、ナギサが急に俺の目を見つめて言った。


「あ、そうだ。私が負けたらついでにキスしていいよじゃんけんぽん!」


「えっ?」


 突然の不意打ちに間抜けな声をあげながら、俺は咄嗟にグーを出し、対するナギサは宣言通りパーを出していた。


「ちょろいわね健太郎」


 勝利の笑みを浮かべるナギサがずいと右手を出してくる。


「お前、今のはずるいだろ……」


「せっかくタダでジュースが飲める上に私とチューもできるチャンスだったのに。絶対にパーを出すとも言ったのにね。ほら、百円よこしな」


「べつにそんなことで動揺したわけじゃねえよ」


 勢いよくじゃんけんをさせると、力んでしまって相手はグーを出しやすくなる、という話は本当みたいだな・・・・・・。チョキを出すつもりだったのに。ま、乗った以上は仕方がないので嫌々ながらもナギサに百円を渡した。


「てんきゅー」


 その百円を自販機に入れると、迷いなくランダムドリンクのボタンを押す。


「何が出たかしら。えーっと? ヨツヤサイダーサクランボ味、へー。こんな味出てたのね」


 ハズレではなさそうなジュースを手に入れたナギサが財布をしまおうとする俺をじっとりとにらみつける。


「健太郎も買うのよ」


 はい……。乗った以上は仕方ないか。諦めて百円を入れ俺も同じボタンを押した。


「なになに、何が出たの?」


「まあ待てって」


 取り口から取り出し、ラベルを確認する。肩越しにのぞき込んできたナギサが読み上げた。


「なになに、さわやかオレンジ レアチーズ風味? あははははは! めっちゃおいしそうじゃない!」


「嘘つけ絶対まずいやつじゃねーか!」


 目に涙を浮かべ爆笑するナギサ。他人事だと思って、くそ、俺の百円が。


「ひー、ひー、やっと笑いが収まったわ。さて、乾杯と行きましょうか」


「え、これ飲まなきゃダメか?」


「当たり前じゃない。さ、かんぱーい!」


 そういうとナギサはキャップを開けてサクランボサイダーを飲み始めた。

三口喉を鳴らして飲むと、ぷはー! とまるでCMかのようにさわやかに笑う。


「うん、結構おいしいわ。これは当たりね。じゃあ次は健太郎よ」


俺は手元のペットボトルを見る。レアチーズ風味……。生唾を飲む。ええい、ままよっ!


 俺はソレのふたを開け、おそるおそる一口飲んで


「おえっ!」


 盛大に吐き出した。なんだこれ、まず過ぎる。ジュースというよりペンキみたいな匂いがする。ひたすらせき込む俺の背中を、ナギサが優しくさする。


「うわぁ、あんたの様子からまずさが伝わってくるわ……大丈夫? これ飲みなさい」


 渡されたサイダーを勢いよく流し込む。すぐに口の中がミカンとチーズが織りなす阿鼻叫喚風味から、甘酸っぱいサクランボの風味に塗り替えられていく。たしかに、これはうまいな。


「すまん、助かった」


 のどを潤しサイダーを返した。


「いいわよ、無理して飲ませたのは私だし」


 ナギサは受け取ったそれにまた口をつけた。一口飲みこむごとに動く彼女の喉は、汗に濡れ少し色っぽかった。そのまま全部飲み干して、空いたペットボトルは自販機の横にあるごみ箱に捨てた。


「ひどい目に遭った」


「あらそう? 私は楽しかったわよ? 激マズ飲んだときのあんたの顔ときたら、ふふ、今でも笑えるわ」


 それから帰り道、ナギサはたびたび楽しそうに思い出し笑いをした。俺は夕日に照らされるナギサの笑顔を見ながら、ため息をつく。まったく、楽しそうな奴だ。


 世界はたくさんの問題を抱えていて、俺にだって問題は山積みだ。ナギサといると、些細な事で悩むのが馬鹿らしく思えてくるぐらいには、こいつの能天気さに救われているのも事実だろう。つまり何が言いたいのかというと───


「ねえちょっと、聞いてるの?」


 彼女の一声に我に返る。


「ああ、すまん。考え事してた」


「えー? どうせしょーもないこと考えてたんでしょ? もっかい初めから話すからね。こんどはちゃんと聞いてなさいよ?」


「はいはい」


 返して、俺はまた考え込む。



 間接キスは、キスのうちに入るのだろうか。

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かくして、腐れ縁のあいつはヒロインであった 埋火 はるの @umorebiharuno

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