かくして、腐れ縁のあいつはヒロインであった

埋火 はるの

第1話 なにもしない放課後の二人

 放課後の教室、開け放たれた窓からは運動にはげむ生徒達の声や金属バットがボールを打つ音やホイッスルの響きが聞こえてくる。廊下側の窓からは吹奏楽部のトランペットやサックスなどのチューニングの音色が木霊してくる。月曜から部活動熱心なことだ。


 そんな中、俺はというと原稿用の藁半紙わらはんしとにらめっこをしていた。


 週末の課題として、金曜の午後に行われた特別講演会の感想文が出されたのだが、やったはいいものの、それをものの見事に家に忘れてきたのだった。


「課題を忘れて居残りとは、まったく高校二年にもなって情けないわねぇ」


 いっこうにペンが進まない俺を見て、腐れ縁の友人、ナギサが笑った。


 大きな二重の瞳、右の目尻に泣きほくろが特徴的な奴だ。


 ナギサの今日の髪形は、前髪をピンで止めただけの長い黒髪を、そのまま下ろしているだけといったものだ。


 はて、俺はなんでこいつの髪形を毎日気にするようになったんだっけか。ああそうだ、前髪を切ったことに気が付けずにさんざん言われたんだった。


 いや、そんなことを考えている暇はないのだけれども、どうもやらなければいけないことが目の前に鎮座していると他の事に気移りしてしまうのが悪い癖なようで。


「そんなものぱぱっと書いてさっさと帰りましょうよ。そもそも健太郎はまじめに課題に取り組むタイプじゃないじゃない。いい加減に適当にちょちょいと文字数埋めてしまえば良いのよ」


 ううむ。その意見には心の底から同意できる。できるんだが。


「ああ、やったよ。いい加減に適当にちょちょいと文字数を埋めて終わらせたさ。講演会のあった当日にな」


 最後は確か、今回の講演会で得た知識を今後の人生に生かしていこうと思う云々でしめたはずだ。


 指の間でペン回しをしながらため息を吐いた俺を、不思議そうに見つめてくるナギサ。


「なら簡単じゃない。おんなじようにまた書くだけなんだから」


「そこなんだよ、そこが問題なんだ」


「どういうことよ」


 あごに人差し指を当て、小首をかしげるナギサに俺は説明する。


「金曜の右から左に聞き流していた講演会の中身なんてもう覚えちゃいないから、確か一回目はこう書いたよなって思い出しながら二回目を書こうとするだろ? ところが、適当にでっち上げて書いたから、一回目の文章を思い出そうにも思い出せないわけだ」


「なるほどね。じゃ、まじめに聞いてなかった自分を恨むしかないわね」


 肩をすくめる俺に、ナギサはやれやれと頭を振った。


 ふと時計を見ると時刻は四時をまわっていた。


 なんということだ。かれこれ三十分もこいつのせいで無駄にした訳か。憎らしげに手元の原稿用紙をにらみつけた。おのれ、俺の人生の貴重な三十分を。まぁ帰ったところで特にやることもないのだけど。


 まったく教師というのはどうしてああも頭が固いのか。家に忘れてきただけだから、取りに帰って持ってくる、という俺の申し出に頑として許可を下ろさず、居残ってもう一度書け、とのたまったのだ。


 俺の登下校あわせてかかる時間は約一時間。つまり俺があと三十分かけてもこの感想文を書き終えられなかった場合、家に忘れた感想文の原稿を取りに帰って持ってきた方が有意義な時間の使い方だったということになる。いや、ならないか。そもそも忘れなければこんなことにはならなかった訳で。


 どうしても作業が進む気がしなかったので、ふと頭に浮かんだ疑問をナギサに投げかけてみた。


「なあ、なにもしないって何だろうな」


やぶから棒にどうしたの」


 教師に見つからないように廊下側に背を向けて、スマートフォンをいじっていたナギサが顔を上げる。


「いやなに、こうして居残らされて感想文を書かされているわけだけど、悲しいかな、まったく進んでいないだろ? つまり俺は今何もしていないわけだ。でも何もしていないとは言いながらも雑多なことに思考を侍らせているし、お前とくだらない会話もしている。でも結局のところ、何もできていない、何もしていないわけだ」


 ナギサは持っていたスマートフォンをブレザーの内ポケットにしまって俺の方へ体を向ける。そして眉間にしわを寄せ、人差し指で髪をかき上げ耳の上に流した。


「長々とありがとう。言ってることが意味不明なんだけど」


「ううん、たとえが悪かったか? じゃあほら、夜に歯を磨いて電気を消して、布団に入るだろ? そうして寝ようとする時に、ああ、俺今日何もしてねえなって日があるだろ?」


「ふむ……たしかにあるわね」


 顎に手を当て脚を組み替えるナギサ。太ももに目がいきそうになるのを俺はぐっとこらえる。こいつはただの腐れ縁だぞ。うん。


「でも、実際はスマホ触ったりとかゲームしたりとかしてるわけだ。何もしてないわけじゃないはずなのに、何もしなかったなと思うのは何でだろうな」


「そういうことね。つまり、生産性のない一日だったから、そう思うんじゃないの? 引きこもりのあんたにはぴったりの疑問ね」


 おい。引きこもりとは失礼な奴だな。俺はわりとアウトドアだ。それにお前だってたしかにあるわねって言ってたぞ。


 まあそんなことはさておき、俺はまた手の中にあるペンを回してこの会話を続ける。


「なるほどな。つまりこの無意味な会話に生産性を見いだせれば、俺は今夜『何もしてないな』と思わなくて済むわけか」


「無意味な会話って、話を振ったのはあんたでしょうが」


 頬をひくつかせるナギサ。俺はシャープペンの尻で机をこつんと叩いた。


「俺は今、無意味な会話を会話していて、何もしないをしているわけだ」


「なに意味のわからない話のしめ方してるのよ。なんのオチもついちゃちゃいないわよ?」


「そんなもんだろ会話なんて」


「冷めてるわねぇ・・・・・・そうだ、ならあたしがこの会話に価値を付けてあげるわ」


 ナギサがにやりと悪巧わるだくみ顔になる。


「ほう、どんな」


「この会話は、華の女子高生で、中学の頃からの仲で、結構可愛いと評判なナギサちゃんとの、放課後の教室で、二人っきりの会話です」


 得意げに指折り数えるナギサの顔をまじまじと見る。確かに整った顔立ちをしているし、高校になってまた一段と可愛くなったことも否定はしないが・・・・・・。俺に見つめられていることに気づいたナギサがこっちを見つめ返してくる。そして柔和に微笑んだ。


 突然の不意打ちに顔が熱くなり俺はナギサの顔から視線をそらしてしまった。


「あら、ときめいた? しょうがないわね、告白したっていいのよ?」


「無いな」


「なんでよー」


「お前に今更ときめくわけ無いだろ」


「なにおう!? 何だ、私には何が足りてないんだ? 女子力じょしりょくか? 女子ぱうわーなのか?」


 顔に手を当てなげくナギサ。そんな彼女に動揺を悟られぬよう、俺は窓の外に目を向けた。


 辺りは夕日に照らされてオレンジに色づきはじめる中、よりいっそう威勢が増したようにすら思える運動部諸君の声が響いている。


 窓から目をそらし、手元に視線を落とすと、今回の講演会について 藤原健太郎、とだけ書かれた原稿用紙。なにもしないをしている場合ではなかった。俺の貴重な青春は少しずつ着実に消費されていく。こんなものに時間を使っている場合ではないのだ。深くため息をついた俺を見て、ナギサがくすりと笑った。

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