第2話

 津久毛の会社を辞めた理由に小さな咳払いをして、田中は再び事件の話を切り出した。

「あのさぁ、さっきの話だが・・僕さ、すごく興味があるんだよ。この事件というか、こうした事件のたぐいがさぁ・・」

 津久毛が煙草を取りだし、火をつける。

「こうした事件の類?」

「実はさ・・この女子高生、深夜に襲われたんだ。それも誰も通らない運河にかかる橋の下だぜ、まぁ道って言ってもここは膝をついて潜らなきゃいけない謂わばトンネルのような抜け道だ」

 津久毛が煙草を吸い込む。

「覚えてないか?十年前、同じ場所で同じ時刻、この被害者と同じ年頃の娘が殺されているんだ」

「当時は内容を詳しく知ってたかもしれないが、悪いけど・・今は全然そんなこと覚えてない。何かあったなぁぐらいさ」

「何だよ、君。この運河・・・俺たちの住む町内からそれ程離れていないんだぜ?」

「だが、知らないものは、知らないよ」

 津久毛の煙草が揺れる。

 ちえっと明らかに大きな声で聞こえるよう舌打ちを田中はすると不満げに話を続けた。

「十年前に殺された相手も・・確か深夜散歩してた女子高生だ。それが同じ場所で殺された。ここは運河に掛かる橋の下に大きなパイプが走ってる、だから身体を大きく曲げ膝を潜らせれなければならなくちゃ歩くことができない人口のトンネルだ。深夜にこんな暗闇みたいなところ、膝を摺りながら歩こうっていう奴の気性が分からないんだ」

 田中の長饒舌に津久毛がしかめっ面をしながら吐き捨てて言う。

「だから何だっていうのさ?」

「いや、だからさ。何故こうした・・何というか深夜のそれも暗い闇ができるような隙間道、膝を摺らなきゃいけないようなトンネル道だぜ。それを何故わざわざ通ろうとするのだろう。それさえ思わなかったらここで殺されることもないだろうに」

「好きなんじゃないの?こうした隙間みたいなのが」

「そんな理由なんかあるもんか!!」

 田中が自動販売機に小銭を入れる。ガチャと音がして缶コーヒーが落ちて来るのを取り出すとキャップをひねる。

「ちょっとさ、その明晰な頭脳で考えてくれよ。犯人になった気分でさ。だって犯人だってそこに居たんだぜ。でなきゃ殺人なんてできやしないだろう?なぁ、どうだい?何故、深夜にそんな場所に行きたくなったのだろう?」

 言ってからぐいとコーヒーを喉に流し込む。冷たさが心臓を凍らせる、そんな冷たさを腹の底で感じて津久毛を見た。

 津久毛は少し瞼を閉じて煙草の煙をゆっくりと吐きだした。

「深夜か・・」

「そう」

 暫く無言でいた津久毛がゆっくりと話し出した。

「深夜に歩きたくなる習性を持つというのはさ、きっと誰かれも自分の存在が分からないという『悦』があるんだろうな、それを好む奴らの習性には。それでその悦に入ることで自分という存在を現実から切り離すのかもしれない、それが堪らない悦楽なのだろう」

「悦?なに・・悦楽?」

「そう、恍惚とした境地に入るんだろうな?恐怖も何もかも怖くないという興奮のエクスタシー現象だよ」

 田中が首を傾げる。

「どういう事さ?わかんない」

「まぁ・・つまり普段色んなストレスから解放されるってことはさ、分かりやすく言えばある意味、背徳的ともいえる興奮状態になるんだろう」

「なんだいそりゃ?」

 田中の言葉に津久毛が自虐的に笑う。

「まぁ深夜の暗闇に紛れるということは真向反対の昼間にお天道様の下で着飾っている自分を隠すことができて、自分の『生な部分』を露出できるんだろうなぁ、きっと。それはなんだろう・・解放というのかな、それがまたその悦を増幅させて自分の精神的リミットを切っちゃうんだろう。だから普段から近づかない危ない場所とか禁忌的な場所っていうところに足を踏み出しちまう・・この世界の行っちゃいけない場所、『魔』がすまうような場所だな」

 津久毛が煙草を灰皿に押し付けて火を消した。 

「だからさ、深夜っていうのはきっと普段の自分の『嘘』を隠して『生の自分』をさらけだすにはそういうやからには都合が良くて、それが悦というか・・背的なリビドーにまで昇華されちまうと、危ない橋を渡っちまうんだろうな。まぁある意味・・・」

「ある意味・・」

「それがストレス発散になるんじゃない、そいつらには?発散をしなけりゃ自分の精神を保てない。だからそうした行動をとるんだろうよ。だけどまぁ、そこにとても危険な獣が居るとかまでは・・・全然分からないのだろうがね。まぁ、現代はストレス社会だ。ストレスこそすべての病気の元凶だとは断定したくはないけど、ストレスをそうして発散しないと生きていけないんじゃないか?」

 田中は残った缶コーヒーを一気に飲み干した。

「まぁあまりに一方的な理由って感じもするけど、それにしとくよ」

 笑いながら缶をゴミ箱に投げ捨てた。

「まぁそうしといてくれ」

 言って津久毛は首を掻いた。

 田中の目に汗疹でもひっかいたのか、シャツの襟に血が付いているのが見えた。

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